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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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第4章 学校行事と宇宙規模の勘違い

明石コトハ(あかし・ことは)は、学校生活に少しずつ慣れてきた。


友達を作ること。

秘密を守ること。

知っているだけでは、人の気持ちはわからないこと。


それでも、彼女の学習はまだ始まったばかりである。


次にコトハが挑むのは、青蘭高校せいらんこうこうの体育祭。


ただし、彼女はそれを単なる学校行事とは認識しなかった。


赤組と白組。

得点を奪い合う競技。

声援、作戦、勝敗、仲間との連携。


それらを総合的に分析した結果、コトハは体育祭をこう結論づけた。


これは、惑星間戦争の縮小再現である、と。


体育祭の練習が始まった朝。


凡田一ぼんだ・はじめは、教室の黒板に書かれた文字を見て、すでに帰りたくなっていた。


『本日六限、体育祭種目決め』


それは平凡な高校生にとって、そこそこ重要で、そこそこ面倒で、そこそこ避けられない行事だった。


リレーに出るか。

綱引きに出るか。

玉入れでほどよく存在感を消すか。


凡田は迷わず、三つ目を選ぶ予定だった。


平凡に生きるには、目立たない競技を選ぶのが基本である。


しかし、その隣の席では、明石コトハがノートを開いていた。


ノートの表紙には、きれいな字でこう書かれている。


『青蘭高校体育祭における局地戦分析』


凡田は見なかったことにしようとした。


できなかった。


「コトハ」


「はい」


「それ、何」


コトハは真顔で答えた。


「体育祭の構造を分析しています」


「構造」


「赤組と白組に分かれ、限られた時間内に資源、すなわち得点を奪い合う。各競技は異なる戦術能力を試す局地戦であり、総合点によって勝敗が決定します」


「体育祭を戦争みたいに言わないで」


「違うのですか」


「違う。たぶん」


「たぶん、とは」


「そこを掘るな」


「凡田くんの発言信頼度が低下しました」


「体育祭への信頼度で俺を測るな」


凡田の声には、あまり自信がなかった。


実際、体育祭の前になると、クラスの一部は妙に燃える。

特に運動部の連中は、普段より声が大きくなる。

廊下の端では、すでに短距離走の出場枠をめぐって熱いじゃんけんが行われていた。


コトハはそれを観察し、静かにうなずいた。


「人類は、じゃんけんによって戦闘配置を決定するのですね」


「だから戦闘じゃない」


「では、儀式」


「まあ、そっちのほうがまだ近いかも」


「人類儀式、理解しました」


「その言い方だと急に古代文明になる」


「では、現代文明」


「直せばいいってもんじゃない」


六限。


教室の前に立った桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生は、出席簿を片手に淡々と言った。


「体育祭の種目を決めます。ケガをしないこと。無理をしないこと。勝ち負けに熱くなりすぎないこと」


そこまで言って、先生の視線が教卓の引き出しに落ちた。


一瞬だけだった。


凡田は見逃さなかった。


あの引き出しの奥には、亜空間がある。

第3章で判明した、武器や魔法触媒が整然と並ぶ謎の収納空間だ。


たぶん先生は、体育祭を平穏に終わらせるための保険を考えている。


高校教師とは、思っていたより大変な仕事らしい。


「まず、騎馬戦」


桜庭先生が黒板に種目名を書いた瞬間、コトハの目が光った。


本当に、光った気がした。


「騎馬戦」


コトハは小さくつぶやいた。


「複数人による移動式戦闘単位。上部に指揮兼攻撃要員を配置し、下部三名が機動力と安定性を担当する。簡易的な陸上機動兵器ですね」


「高校生の肩車をそんなふうに呼ぶな」


「肩車ではありません。肩が四つあります」


「数え方の問題じゃない」


「では、肩群」


「新しい単語を作るな」


「凡田くん、肩群は不可ですか」


「不可です」


凡田は即座に言った。


だが、遅かった。


コトハはすでに黒板を見つめ、真剣な顔で手を挙げていた。


「桜庭先生」


「明石さん、どうぞ」


「私は騎馬戦に参加します」


教室が少しざわついた。


美少女転校生が体育祭の花形競技に出る。

普通なら、青春っぽい盛り上がりが生まれる場面である。


しかし、凡田は知っている。


コトハが普通の理由で手を挙げるわけがない。


「参加理由を聞いてもいいですか」


桜庭先生が冷静にたずねる。


コトハは姿勢を正した。


「地球の学校行事における疑似戦闘経験を通じ、人類の集団心理、勝敗感情、および頭部装飾物奪取行動を学習するためです」


教室が沈黙した。


「頭部装飾物って、はちまきのことだよね」


凡田が小声で確認する。


「はい」


「はちまきって言おう」


「頭部装飾物のほうが正確です」


「正確さで空気を失ってる」


「空気は窒素と酸素を主成分とする混合気体です」


「今その空気じゃない」


白金歌音しろがね・かのんが、委員長らしく何かフォローしようとして口を開いた。


「ええと、つまり、明石さんは体育祭を楽しみにしているということですわね」


「はい。高確率で」


「高確率」


歌音の笑顔が少し震えた。


それでも、歌音はさすがだった。

委員長として場をまとめる能力が高い。

休日に痛バを背負って池袋の乙女ロードを巡回している姿からは想像できないほど、教室では優雅である。


「では、騎馬戦のチームを決めましょう。安全第一で、身長や体力のバランスを考えて」


歌音が黒板に名前を書き始めた。


その瞬間、コトハが凡田のほうを向いた。


「凡田くん」


嫌な予感がした。


「何」


「君に、私の騎馬の一部を担当してほしいです」


「言い方」


「では、下部構造」


「もっと悪い」


周囲から笑いが起きた。


凡田は顔をしかめたが、コトハは真剣だった。


「君は、極めて平均的な身体能力を持っています」


「それ、ほめてないよね」


「ほめています。平均値は、集団戦において予測しやすい安定要素です」


「やっぱりほめてない」


コトハは首を少し傾けた。


「私は、君と一緒に体育祭を体験したいです」


その言葉だけ、妙にまっすぐだった。


教室の笑いが、少しだけやわらいだ。


凡田は、返事に詰まった。


コトハは全知だ。

けれど、まだ体育祭を知らない。

勝つことも、負けることも、クラスメイトに応援されることも、砂ぼこりの匂いも、走ったあとの息苦しさも。


知識としては知っていても、体験としては知らない。


凡田は頭をかいた。


「……わかったよ」


「参加承認ですか」


「ただし、危ないことはしない。無茶な作戦もしない。あと、俺を部品扱いしない」


「了解しました。君は部品ではありません」


「よし」


「君は重要な凡田ユニットです」


「やめろ」


「凡田モジュール」


「変える方向が違う」


「凡田基盤」


「俺を機械に近づけるな」


「では、凡田くん」


「最初からそれでいい」


また教室が笑った。


その笑いの中で、コトハは少しだけ目を細めた。


笑われていることと、一緒に笑っていることの違いを、まだ完全には理解していない。

けれど今の空気が悪いものではないことだけは、なんとなくわかっているようだった。


体育祭当日。


校庭には、赤と白のはちまきが揺れていた。


青蘭高校の体育祭は、思ったより本格的だった。

テントが並び、放送委員の声が響き、保護者席にはカメラを構えた人たちがいる。

グラウンドの白線は朝日に照らされ、砂ぼこりが薄く舞っていた。


凡田は赤組のはちまきを額に巻きながら、となりを見た。


コトハは、体操服姿で立っていた。


ただし、片手に分厚いファイルを持っている。


表紙にはこう書かれていた。


『第七小規模惑星防衛戦・作戦要項』


「捨てて」


「なぜですか」


「体育祭だから」


「体育祭用です」


「タイトルが宇宙戦争」


「宇宙戦争ではありません。第七小規模惑星防衛戦です」


「訂正して悪化した」


「第七を外しますか」


「そこじゃない」


コトハはファイルを開いた。


中には、校庭の見取り図、騎馬戦の過去十年分の勝敗傾向、風向き、砂ぼこりの発生予測、さらには相手チームの重心移動パターンまで書かれていた。


凡田は頭を抱えた。


「何でそこまで調べたの」


「勝率を上げるためです」


「騎馬戦でそこまでやる人はいない」


「では、私が初です」


「初にならなくていい」


「提出先はどこですか」


「提出しなくていい」


「では、共有先」


「共有もしなくていい」


「閲覧権限は君だけにします」


「俺も見たくない」


そこへ、不死川勇気ふじかわ・ゆうきがやってきた。


二年三組のムードメーカーで、やたら勢いがある男子である。

勢いがありすぎて、日常的に自分の死亡フラグを立てることで知られている。


「よっしゃあ! 騎馬戦だ! 俺、この戦いが終わったら購買の焼きそばパン食うんだ!」


凡田は無言で目を閉じた。


「やめろ、その言い方」


コトハが不死川を見た。


「不死川くん。その発言は危険です。古典的な死亡予兆表現に該当します」


「え、マジで?」


「ただし、ここは体育祭であり、戦場ではありません。よって死亡確率は低いです」


「低いんだな! よかった!」


「代わりに転倒確率は八十七パーセントです」


「全然よくねえ!」


「安心してください。致命傷確率は低いです」


「安心の置き場所が違う!」


「軽傷で済む可能性が高いです」


「済む前提で話すな!」


「では、転ばない努力を推奨します」


「最初からそれ言って!」


不死川は叫んだ。


その直後、準備運動で自分の足につまずいた。


八十七パーセントのうち、何パーセントかがさっそく消費された。


桜庭レイコ先生は本部席の近くで腕を組んでいた。


「騎馬戦に参加する生徒は、絶対に無理をしないこと」


声は冷静だった。


だが、その右手はジャージのポケットに入っている。

たぶん、ポケットの内側も亜空間につながっている。


凡田は深く考えないことにした。


考えたら負けである。


「騎馬戦、出場者は入場してください」


放送が響く。


いよいよだった。


凡田たちは四人で騎馬を組んだ。

凡田は後ろの支え。

不死川は右側。

もう一人の男子が左側。

そして上に乗るのが、コトハだった。


「重くないですか」


コトハが聞く。


「大丈夫」


凡田は答えた。


本当は少しだけ緊張している。

肩にかかる重みより、周囲の視線のほうがずっと重い。


それでも、凡田は言った。


「約束したからな。最後まで付き合う」


コトハが、わずかに視線を落とした。


「約束」


「そう。案内係だし」


「体育祭も、案内対象に含まれますか」


「含まれる。たぶん」


コトハは少しだけ黙ったあと、うなずいた。


「了解しました。君の約束保持能力を信頼します」


「能力名みたいに言うな」


「凡田くんの固有スキルではないのですか」


「スキルじゃなくて性格」


「性格は装備変更できますか」


「できたら俺はもっと陽キャになってる」


「現在の君も、平均的で安定しています」


「そこに戻すな」


開始の笛が鳴った。


その瞬間、校庭の空気が変わった。


歓声。

足音。

砂ぼこり。

相手チームのはちまき。

味方の声。


データなら、コトハはすべて知っている。


けれど、肩の上から見える景色は、データとは違った。


「右から敵騎馬接近!」


不死川が叫ぶ。


「敵ではありません。対戦相手です」


コトハが訂正する。


「今そこ大事!?」


「大事です。言葉の定義は」


「前、前!」


「前とは十二時方向ですか」


「時計を見るな、前を見ろ!」


「了解。前方に対戦相手騎馬」


「敵でいい! 今だけ敵でいい!」


凡田の声で、騎馬が慌てて動いた。


白組の騎馬が迫る。

上に乗った女子が、素早く手を伸ばしてくる。


コトハはファイルで予測した通りの回避をしようとした。


だが、次の瞬間、予測にない声が飛んできた。


「明石さん、がんばって!」


白金歌音の声だった。


本部席の近くで、赤組の旗を握っている。

完璧なお嬢様の顔をしながら、その旗にはなぜか推し色のリボンが結ばれていた。


「コトハ、前見ろ!」


凡田も叫んだ。


「明石、いけー!」


不死川も叫ぶ。


いくつもの声が重なった。


コトハの思考が、一瞬だけ止まった。


声援。


それは、データベースにある。

人が誰かを励ます行為。

対象の行動意欲を上昇させる音声刺激。


説明はできる。


けれど。


自分の名前が呼ばれること。

誰かが自分に勝ってほしいと思っていること。

その声が、胸の奥を少し熱くすること。


それは、読んだことのある記録とは違った。


「コトハ!」


凡田の声で、コトハは我に返った。


しかし、遅かった。


白組の騎馬がするりと横に入り、コトハのはちまきを取った。


笛が鳴る。


「赤組、明石騎馬、失格!」


校庭に、ああ、と声が広がった。


不死川が悔しそうに叫ぶ。


「くっそー! 俺、この戦いが終わったら焼きそばパン食う予定だったのに!」


「それはまだ食べられるだろ」


凡田は息を切らしながら言った。


騎馬を解く。

コトハは地面に降りた。


はちまきのない額に、風が当たる。


コトハは、取られたはちまきをじっと見ていた。


「失敗しました」


声が小さかった。


騎馬戦の騒ぎの中では、ほとんど聞こえないくらい。


凡田はタオルで額の汗をぬぐいながら、となりに立った。


「まあ、負けたな」


「私の停止が原因です」


「うん」


「声援という入力に対し、処理が遅延しました。作戦失敗です」


「そうかもな」


コトハは顔を上げた。


「君は怒らないのですか」


「怒らないよ」


「なぜですか。君は約束したから、最後まで付き合いました。しかし私は勝利条件を達成できませんでした」


凡田は少し考えた。


歓声はまだ続いている。

別の騎馬が走り、誰かが笑い、誰かが悔しがっている。


体育祭は、負けた騎馬の横でも進んでいく。


「約束ってさ」


凡田は言った。


「勝ったら守った、負けたら守れなかったってものばかりじゃないと思う」


コトハは黙って聞いていた。


「俺は、最後まで付き合うって言った。だから、最後までいた。それだけ」


「それだけ」


「うん。それだけだけど、俺には大事」


コトハの指が、赤いはちまきの端に触れた。


はちまきは取られた。

試合には負けた。

作戦は失敗した。


けれど、凡田は残っている。


約束したから。


ただそれだけの理由で、当たり前みたいに。


コトハはその事実を、しばらく見つめていた。


「私は、君が約束を守る人だと知っています」


「まあ、知ってるだろうな」


「でも、今、知っていることと違いました」


「どう違った?」


コトハは胸のあたりに手を当てた。


「ここに、少し残ります」


凡田はその言葉に、少しだけ照れくさくなった。


「なら、よかったんじゃないか」


「負けたのに?」


「負けても、残るものはあるだろ」


コトハはグラウンドを見た。


赤組の旗が揺れている。

白組の歓声が響いている。

砂ぼこりが光っている。


その全部が、彼女の記録にあった世界とは少し違って見えた。


「体育祭は、惑星間戦争ではありませんでした」


「ようやくわかったか」


「はい」


コトハは真剣な顔で言った。


「体育祭は、負けても少し温かい局地的集団儀式です」


「まだ遠い」


凡田は笑った。


コトハも、ほんの少しだけ口元をゆるめた。


そのあと、赤組は綱引きで負け、玉入れでなぜか圧勝した。


そして、リレー。


アンカーを任された不死川が、第一走者から渡されたバトンを握り、猛然と走り出した。


「うおおお、俺の人生で一番の加速だあ!」


加速しすぎた。


明らかに、人間の脚で出していい速度ではなかった。


不死川は、トラックのカーブを曲がりきれず、そのまま校庭のテントへ一直線に突っ込んだ。


どがしゃん、という派手な音。


テントが、きれいに一張り、宙へ舞い上がる。


観客が、おおっとどよめいた。


砂ぼこりが晴れると、不死川は、舞い上がったテントを頭からかぶった状態で、地面に座っていた。


「……ゴールって、どっち?」


「テント脱いでから言え!」


凡田が叫ぶ。


その瞬間、トラックの白線が、ほんの一瞬だけ、見たこともない軌道の図に書き換わった。


惑星の公転軌道のような、いくつもの楕円。


瞬きをすると、もう、ただの白線だった。


凡田は、誰にともなくつぶやいた。


「……今、線、動いたよな」


返事はなかった。


コトハだけが、グラウンドを見て静かに言った。


「ごく稀に、競技場が宇宙軌道計算に巻き込まれます」


「巻き込まれるな、グラウンドなんだから」


不死川は、テントをかぶったまま、無傷で立ち上がった。


転倒確率八十七パーセントは、最終的に九十九パーセントまで上方修正された。


不死川は救護テントで絆創膏を貼られながら、焼きそばパンを完食した。


「生きてるって最高だな!」


「体育祭の感想として重いんだよ」


凡田がつっこむと、周囲が笑った。


コトハはその笑いを聞きながら、メモ帳に一行だけ書き込んだ。


『勝敗とは別に、記録すべき感情がある』


それは、宇宙のすべてを記録してきた存在にとって、初めての分類だった。


その日の夜。


地球から遠く離れた、とある情報空間。


無数の記録が光の線となって流れる中、小さな監査ログが更新された。


『対象個体:明石コトハ』

『研修区分:地球・学校生活』

『異常値:情動反応の持続』

『原因候補:声援、敗北、約束保持者との接触』


ログの端に、赤い文字が点滅する。


『監査官アルシヴへ通知準備』

『地球到着座標、再計算中』

『校舎内経路情報、取得失敗』


光の線は、しばらく迷うように左右へ揺れた。


それから、誰にも気づかれないまま、静かに消えた。


第4章では、体育祭の騎馬戦を中心に、コトハの「学校行事」初体験を描きました。


コトハは体育祭を宇宙規模の戦争として分析しましたが、実際に触れたのは、勝ち負けだけでは説明できない熱や悔しさでした。


凡田の「約束したから最後まで付き合う」という一面も、ここで少し強く見せています。

彼の平凡さは、派手な能力ではありません。

けれど、コトハにとっては、記録だけでは理解できない大切な体験になります。


そして最後に、監査官アルシヴへの通知が始まりました。

まだ本格登場はしていませんが、コトハの変化は宇宙側にも届き始めています。

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