第12章 小テストの点数は共有できません
宿題の答えは、分配できなかった。
けれど、わからない場所は一緒に見られた。
明石コトハ(あかし・ことは)は、空白のまま提出することと、
放課後にもう一度考えることを知った。
では、返ってきた点数はどうだろう。
誰かの点を分ければ、平均点は救われるのか。
翌朝、二年三組に返却されたのは、数学の小テストだった。
桜庭レイコ(さくらば・れいこ)先生が小テストの束を持って教室に入ってきた瞬間、
二年三組の空気は一段低くなった。
宿題の翌日に、小テスト返却。
数学は、ときどき人間の心を畳みかけてくる。
凡田一は、自分の答案を受け取った。
七十二点。
高すぎず、低すぎず、喜びすぎるほどでもなく、落ち込むほどでもない。
いつもの凡田らしい点数だった。
「平均点は七十一点です」
桜庭先生が言う。
凡田は、答案を見つめた。
一点だけ平均より上。
存在感としては、ほとんど空気である。
「凡田くん」
窓際の後ろから二番目の席で、コトハが答案を見ていた。
「何点だった?」
「六十四点です」
凡田は少し驚いた。
「思ったより普通だな」
「普通」
コトハは答案を見つめる。
「宇宙全記録管理体としては、異常な低値です」
「高校生としては普通寄りだよ」
「普通寄り」
「うん。少なくとも、全然終わってない」
不死川勇気が後ろから叫んだ。
「俺、三十八点!」
「それは終わり寄りだ」
「でも名前は満点で書けた!」
星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が机に頬をつけながら言う。
「私は五十九。ライブ後に勉強した割には生きてる」
白金歌音は静かに答案を伏せた。
「九十六点です」
教室の一部がどよめいた。
ミーナが目を細める。
「委員長、その四点どこに落としたの」
「ケアレスミスです」
「完璧な人の悔しがり方だ」
コトハは全員の点数を聞き、真剣な顔で不明事項記録帳を開いた。
『点数』
『分配可能か』
凡田はすぐに言った。
「やめろ」
「確認です」
「昨日から分配に夢見すぎだ」
「白金さんの九十六点を、不死川さんへ二十点移動すれば、双方の心理的安定性が向上します」
白金が優雅に微笑んだ。
「点数の譲渡はできません」
不死川は食い気味に言った。
「俺は受け取れるぞ!」
「気持ちだけで点数は増えません」
「では、点数救済基金を設立します」
コトハは真顔で言った。
凡田は、聞きたくない単語を聞いた顔になった。
「何それ」
「高得点者が余剰点を拠出し、低得点者へ再配分します」
白金がすぐに首を横に振る。
「余剰点などありません。九十六点にも、失った四点への悔しさがあります」
「委員長、四点に感情がある」
ミーナがつぶやく。
不死川は答案を握りしめた。
「俺の三十八点にも、伸びしろがある!」
「それはある」
凡田が言うと、不死川はぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ救済基金いらないな!」
「結論が急にまとも」
コトハは、不明事項記録帳に小さく書き足した。
『点数救済基金:制度不成立』
ミーナが答案をひらひらさせる。
「点数って、財布より融通きかないよね」
「財布も貸すな」
コトハは答案を見た。
「六十四点は、私の点数です」
「そうだな」
「白金さんの点数でも、不死川さんの点数でもありません」
「うん」
「では、点数は分配できません」
「そのとおり」
「ですが」
コトハは赤い丸とバツの並んだ答案を見つめた。
「間違えた場所は、共有できますか」
凡田は少し黙った。
宿題のときと同じだ。
答えは渡せない。
点数も渡せない。
でも、どこでつまずいたのかは、一緒に見られる。
「できると思う」
コトハは小さくうなずいた。
「では、見直し会を提案します」
そこで終わるなら、昨日と同じだった。
答えは分けられない。
点数も分けられない。
でも、一緒に見ればいい。
きれいな結論だ。
コトハもそう記録しようとして、手を止めた。
鉛筆の先が、紙の上で動かない。
凡田は気づいた。
「どうした?」
コトハは、自分の答案を見ていた。
六十四点。
赤い数字は、答案の上で思ったより大きく見えた。
「凡田くん」
「何」
「私は今、少し」
コトハは言葉を探した。
全知だった存在が、たった一つの感情を探している。
「悔しい、です」
教室の後ろが、少しだけ静かになった。
不死川も、ミーナも、白金も、なぜか黙った。
凡田は、すぐに冗談を返せなかった。
「六十四点だから?」
「はい」
コトハはうなずく。
「全部知っていたはずなのに、ここでは六十四点でした」
「うん」
「途中式はあります。見直す場所もあります。でも」
コトハは答案の端を、指で押さえた。
「この赤い数字だけが、先に目に入ります」
それは、昨日の宿題とは違っていた。
空白は、自分で空けた場所だった。
でも点数は、外から貼られた結果だった。
本人より先に、誰かの目に届く数字だった。
不死川が顔を上げた。
「俺の答案、見たらみんな元気出るぞ!」
「反面教師の自覚が早い」
昼休み。
二年三組の後方に、なぜか小さな見直し会ができた。
凡田、コトハ、不死川、ミーナ、白金。
机の上には、それぞれの答案。
白金は赤ペンを持ち、教師のような顔をしている。
「まず、間違いを分類します」
コトハがすっと顔を上げた。
「分類」
「計算ミス、読み違い、公式忘れ、時間切れ」
「文明崩壊分類より、実用的です」
「比較対象が大きすぎます」
不死川は答案を広げた。
「俺のは?」
白金が答案を見た。
少し黙った。
「勇気型です」
「新分類きた!」
凡田がのぞきこむ。
不死川の答案には、途中式の横に「たぶんいける」と書いてあった。
「数学で気合いを書くな」
「いけると思ったんだ」
「いけなかったな」
ミーナの答案には、途中式の字が途中から妙に小さくなっている。
「星宮さんは、後半で眠気に負けています」
「文字サイズに出てたか」
「はい。答案の右下で、意識が沈んでいます」
「沈没地点みたいに言わないで」
コトハの答案は、途中式が多い。
ただし、最後の符号でいくつか間違えている。
凡田は言った。
「ここ、移項のところで逆になってる」
「また、場所を変えた結果、性質の把握に失敗しました」
「席替えの話に戻さなくていい」
白金が補足する。
「でも、途中までは合っています。全体がわかっていないわけではありません」
コトハは、その言葉をじっと聞いた。
「全部間違いではない」
「はい」
「点数は六十四点ですが、途中の考えは残っています」
「そうです」
凡田は自分の七十二点の答案を見た。
平均より少し上。
いつもなら、何の感想もない点数だ。
でも今日は、少し違って見えた。
点数は結果だ。
でも、答案にはその手前が残っている。
どこまで考えたか。
どこで迷ったか。
どこで諦めたか。
それは、点数だけでは見えない。
コトハは、不明事項記録帳を開いた。
「点数は分配できません」
「昨日と似てるな」
「はい」
コトハは一行を書いた。
『点数は分配できません』
その下に、もう一行。
『でも、間違えた場所は一緒に見直せます』
さらに、少し間を空けて、もう一行。
『点数だけで見られると、途中式が消えます』
凡田は、その文字を見た。
いつもの記録より、少しだけ筆圧が強かった。
不死川が手を挙げた。
「じゃあ俺の三十八点も、みんなで見直せば強くなる?」
白金が真剣に言う。
「点数は変わりません」
「厳しい!」
「でも、次の点数は変わるかもしれません」
不死川は少し考えた。
「じゃあ次は三十九点だな!」
「志が一歩」
ミーナが笑った。
「一歩でも前進だよ」
凡田も笑った。
コトハは、自分の六十四点の答案をそっと閉じた。
全知だった彼女にとって、六十四点は失敗かもしれない。
でも、今日の六十四点には、途中式があった。
見直す場所があった。
次に聞ける質問があった。
それは、ただの低い記録ではなかった。
ただし。
コトハは、閉じた答案の表紙を見つめた。
「ただの低い記録ではないと、本人が知っているだけでは足りない場合があります」
凡田は聞き返した。
「どういうこと?」
「他人が見るとき、途中式は見えません」
「まあ、点数だけ聞いたらな」
「はい」
コトハは少しだけ唇を引き結んだ。
「私は、六十四点とだけ呼ばれるのは、いやです」
その言い方は小さかった。
けれど、はっきりしていた。
凡田は、答案を伏せた。
「じゃあ、そう呼ばせないようにしよう」
「可能ですか」
「少なくとも、俺たちは六十四点だけで見ない」
白金がうなずく。
「途中式と質問も含めて、明石さんの答案です」
ミーナが指を鳴らした。
「つまり、六十四点フルセット」
「急に通販みたいにするな」
不死川が胸を張る。
「俺の三十八点も、勇気フルセットだな!」
「それは白金の分類に頼りすぎ」
放課後、桜庭先生が教室を出る前に言った。
「次回、小テストの直しを提出してもらいます」
教室中から、また低い悲鳴が上がる。
不死川が叫んだ。
「先生! 点数は変わらないのに直すんですか!」
桜庭先生はうなずいた。
「点数は変わりません。でも、次の自分は変わります」
コトハは、その言葉を聞いていた。
未来はまだ読めない。
でも、次の自分は変わるかもしれない。
その不確かさは、前より少しだけ、悪くないものに聞こえた。
教室の扉の外で、かすかに鉛筆が走る音がした。
凡田は振り向いた。
廊下の角に、腕章の端が見えた気がした。
その直前、廊下から小さな声が聞こえていた。
「全知の転校生、六十四点……」
そこだけを切り取るような声だった。
「今、誰かいた?」
ミーナがスマホから顔を上げる。
「新聞部じゃない?」
白金の眉が、ぴくりと動いた。
「このタイミングで新聞部がいる理由がありません」
不死川が胸を張る。
「俺の三十八点、記事になるかな!」
「ならないほうがいい」
コトハは、自分の答案を見た。
六十四点。
点数だけなら、ただの数字だ。
けれど、もし誰かがそれだけを見たら。
途中式も、見直しも、質問した時間も、全部消えてしまう。
さっき自分が感じた悔しさも、きっと消える。
コトハは不明事項記録帳を閉じた。
「点数は、見出しになりやすい情報です」
凡田は嫌な予感がした。
「見出し?」
廊下の向こうで、誰かが小さく走り去る音がした。
白金が静かに言った。
「明日の朝、掲示板を確認しましょう」
その声は、委員長というより、すでに監査官に近かった。
読んでくださってありがとうございます。
今回は、小テストの返却と見直しの話でした。
点数は分けられません。
けれど、間違えた場所を一緒に見ることはできます。
そして、点数だけで見られると、その途中式は消えてしまいます。
六十四点の答案には、悔しさも、質問も、次へ続く途中式も残っていました。




