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「となりの席のアカシックレコード〜全知全能だけど、空気だけは読めません〜」  作者: 源三郎


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10/60

第10章 購買パン戦争は並んだ者勝ちです

明石コトハ(あかし・ことは)は、少しずつ全知を失っている。


明日の天気も。

席替えの結果も。

誰かが昔置いてきた強さの、その先にある気持ちも。


以前のようには、すぐに読めない。


第7章から第9章まで、コトハは知らないことの怖さと、力を手放すことの意味に

少しずつ触れてきた。


わからないから、毎日水をやる。


鬼塚源蔵おにづか・げんぞうの言葉は、まだ胸の奥に残っている。


だが、青蘭高校二年三組の日常は、いつまでも静かではいられない。


昼休み。

購買。

数量限定のメロンパン。


それは、全知だった彼女が初めて泣いた食べ物であり、

今の彼女が未来を読まずに挑む、ただの高校生らしい行列だった。


その日の二年三組は、朝から少し浮ついていた。


理由は、黒板の端に貼られた一枚の小さなポスターである。


『本日限定』

『購買部特製 銀河メロンパン』

『数量限定二十個』


凡田一ぼんだ・はじめは、その文字を見た瞬間、嫌な予感がした。


銀河。


メロンパン。


この二つの単語が並んで、何も起きないはずがない。


「凡田くん」


窓際の後ろから二番目の席から、明石コトハがこちらを見ていた。


「見えてる」


「銀河メロンパン」


「見えてるって」


「銀河とメロンパンが接続されています」


「接続するな。たぶん表面の模様が星っぽいだけだ」


コトハは真剣な顔で黒板のポスターを見つめた。


「数量限定二十個」


「購買の新商品だろ」


「希少資源です」


「パンを資源にするな」


「第1章で私が初めて涙腺反応を起こした食品群に属します」


「自分の泣いた話を分類するな」


「今回は、未来予測なしで取得する必要があります」


凡田は、少しだけ黙った。


それは確かに、今のコトハらしい言葉だった。


以前の彼女なら、購買に並ぶ人数、販売開始時刻、最後の一個を買う生徒の名前まで

すべて読めたかもしれない。


でも今は違う。


列がどう動くかも。

誰が割り込むかも。

最後にパンが残っているかも。


わからない。


コトハは、黒板のポスターから目を離さない。


「取得したいです」


「普通に並べばいいだろ」


「普通に」


「昼休みになったら購買に行って、列に並ぶ」


コトハは、不明事項記録帳を開いた。


『普通に並ぶ』


その下に、少し間を空けて書く。


『成功率:不明』


凡田は机に頬杖をついた。


「成功率とかじゃないんだよ」


「では、何ですか」


「並んだ順」


「単純すぎます」


「購買ってだいたいそういう場所だ」


そのとき、白金歌音しろがね・かのんが後ろからすっと近づいてきた。


「明石さん」


「はい」


「銀河メロンパンにご興味が?」


「はい」


白金は上品に微笑んだ。


「でしたら、私も協力いたします。委員長として、クラスメイトの円滑な購買活動を支援することは当然です」


星宮ミーナ(ほしみや・みーな)が、机に頬をつけたまま言った。


「委員長、それ、秘密保持用の差し入れ確保したいだけでしょ」


白金の笑顔が、ほんの少し固まった。


「星宮さん。人の善意を糖分で測定しないでください」


「糖分でできてそうな善意だったから」


不死川勇気ふじかわ・ゆうきが、なぜか椅子の上に片足を乗せた。


「銀河メロンパン! なんか強そうだな!」


「パンは強くない」


「食べたら銀河見えるかな」


「保健室案件になるからやめろ」


ミーナがゆっくり起き上がる。


「私も欲しい。今日、放課後ライブだから糖分いる」


白金が眉を上げた。


「星宮さん、放課後に何があると?」


「家庭の事情」


「家庭がステージ照明を使うのですか」


「委員長、詰め方がプロ」


コトハは、全員を見回した。


「競合者が増加しました」


「クラスメイトを敵にするな」


「銀河メロンパン獲得戦、参加者暫定五名」


「戦争にするなって」


白金が、なぜか真面目な顔でうなずく。


「数量二十個に対して、全校生徒の需要が読めません。確かに、油断はできません」


「委員長まで乗らないでくれ」


ミーナがスマホを操作しながら言った。


「もう校内SNSで話題になってる。『銀河メロンパン、割ると中に星形クリーム』だって」


不死川が両手を上げる。


「星が入ってるのか!」


「たぶん星形な」


コトハの目が、静かに光った。


「作戦が必要です」


凡田は、すぐに言った。


「いらない」


「必要です」


「並べ」


「作戦名を設定します」


「聞け」


コトハは不明事項記録帳の新しいページを開いた。


『銀河メロンパン獲得作戦』


その文字を見た白金が、そっと自分のノートを開く。


ミーナがスマホを構える。


不死川が鉛筆を耳に挟む。


凡田は、もう帰りたかった。


一時間目から四時間目まで、コトハは静かだった。


静かすぎて、逆に怖かった。


現代文の授業中も、数学の小テスト中も、英語の音読中も、彼女は不明事項記録帳に

何かを書き続けている。


凡田は休み時間に、こっそりそのページをのぞいた。


そこには、購買部周辺の簡易地図が描かれていた。


昇降口。

一階廊下。

購買前。

非常階段。

中庭への抜け道。


さらに、赤い線、青い線、点線、矢印。


凡田は頭を押さえた。


「購買で軍議するな」


「兵站図です」


「パンを買うだけだ」


「パンの獲得は、補給線の確保から始まります」


「普通は財布から始まる」


コトハは、真顔で続けた。


「作戦概要を説明します」


「説明しなくていい」


「第一段階。昼休み開始三十秒前、白金さんが委員長権限で廊下混雑を観測」


白金がうなずく。


「承知しました」


「承知するな」


「第二段階。星宮さんが校内SNSの投稿速度から需要密度を推定」


ミーナが親指を立てた。


「任せて。こういう現場読みは得意」


「アイドル現場を購買に持ち込むな」


「第三段階。不死川さんが前方偵察」


不死川が立ち上がる。


「突撃すればいいんだな!」


「偵察の意味を知れ」


「第四段階。凡田くん」


凡田は嫌な予感でいっぱいになった。


「何」


「君は平凡です」


「知ってる」


「購買において、平凡な生徒は最も警戒されません」


「警戒される購買って何」


「君は、普通に並んでください」


凡田は、思わず黙った。


「……それ、俺だけ正解じゃないか?」


「はい。君は基準線です」


「基準線」


「作戦が失敗した場合、君の通常行動を参照します」


「最初から全員それで行け」


昼休み五分前。


教室の空気が、少しざわつき始めた。


購買派の生徒たちが、財布を確認している。

弁当派の生徒たちまで、なぜか今日だけそわそわしている。

銀河メロンパンという響きは、どうやら人間の判断力を鈍らせるらしい。


桜庭レイコ先生が、四時間目の終わりに教科書を閉じた。


「では、今日の授業はここまで」


教室中の背筋が、ぴんと伸びる。


桜庭先生は、眼鏡の奥で生徒たちを見た。


「廊下は走らないように」


不死川の肩が、びくりと跳ねた。


「特に不死川くん」


「まだ何もしてません!」


「これからしそうなので言いました」


「未来予測だ!」


コトハが小さく言う。


「先生の予測精度は、現在の私より高い可能性があります」


「張り合うな」


チャイムが鳴った。


その瞬間、教室の何人かが一斉に立ち上がった。


不死川も立ち上がる。


「前方偵察、行ってきます!」


「走るなよ!」


凡田が叫ぶ。


不死川は廊下へ出た瞬間、なぜか競歩のような速度で進み始めた。


「走ってない! これは速い徒歩!」


「屁理屈が速い!」


白金は廊下の端に立ち、混雑を見極めている。


「現在、購買方向への移動者数は通常比二・三倍。階段付近に軽い詰まりがあります」


ミーナがスマホを見ながら言う。


「校内SNS、『銀河メロンパン買えたら勝ち組』って投稿が伸びてる」


「パンで階級を作るな」


コトハは、目を閉じて深呼吸した。


「未来は、読めません」


凡田は横を見る。


コトハの指が、少しだけ不明事項記録帳の端を握っている。


不安なのか。

緊張なのか。

それとも、楽しみなのか。


たぶん、全部少しずつ混じっている。


「じゃあ、行くぞ」


凡田が言うと、コトハはうなずいた。


「はい」


「作戦は?」


「実行します」


「普通に並べよ」


「作戦に、普通に並ぶ工程を含めました」


「工程にするな」


購買前は、すでに昼休みの熱でいっぱいだった。


もちろん、誰かと争う場所ではない。


ただ、昼休みの高校生たちが、パンと焼きそばとおにぎりを求めて列を作っているだけだ。


だがコトハの目には、まったく違うものが見えているらしい。


「前方、購買窓口。希少資源保管庫」


「購買だよ」


「中央列、移動速度低下。原因、財布内小銭探索」


「あるあるだな」


「右側より、焼きそばパン派が侵入」


「派閥にするな」


「左翼、カレーパン派。油分による士気上昇が見られます」


「パンごとに軍勢を分けるな」


不死川が列の前方から戻ってきた。


息を切らせている。


「報告! 銀河メロンパン、残り不明!」


凡田は眉を寄せる。


「何を見てきたんだ」


「すごい人だった!」


「感想じゃん」


白金が冷静に言う。


「購買のおばさまが、トレーを奥に下げました。補充分がある可能性があります」


ミーナがスマホを見た。


「でも投稿では『もう半分売れた』って」


コトハは、目を細める。


「情報が錯綜しています」


「購買のパンで錯綜するな」


「これが、未来が見えないということ」


その声は、ほんの少しだけ真面目だった。


凡田はすぐに言った。


「いや、普通に情報不足なだけだと思う」


「情報不足」


「列に並んで、自分の番が来るまでわからない」


コトハは、列を見る。


そこには、普通の高校生たちがいた。


財布を握る生徒。

友達と何を買うか話す生徒。

後ろからメニューをのぞく生徒。

売り切れを気にして背伸びする生徒。


誰も、未来を知らない。


それでも、並んでいる。


コトハは、昨日の花壇を思い出した。


鬼塚が、土に水をやっていた背中。


わからないから、毎日水をやる。


なら、購買ではどうするのか。


わからないから、列に並ぶ。


かなり規模は小さい。

宇宙規模で見ると、ほとんど誤差のような話だ。


けれど今のコトハには、その誤差がちゃんと大きかった。


コトハは、少しだけ息を吸った。


「並びます」


凡田はうなずいた。


「うん。それでいい」


そして、五人は列に並んだ。


ここまではよかった。


問題は、並んでからだった。


白金が前方の生徒に丁寧に声をかける。


「失礼ですが、銀河メロンパンをご購入予定でしょうか」


凡田は即座に止めた。


「聞くな」


「需要調査です」


「圧がすごい」


ミーナは校内SNSを見ながら、列の伸びを実況している。


「購買前、現在トレンド一位。銀河メロンパン、二位。三位、不死川くん競歩」


「なんで俺が入ってるんだ!?」


「動画上がってる」


「俺、有名人じゃん!」


「喜ぶな」


ミーナは画面を親指で弾きながら、さらに眉を上げた。


「あ、コメント増えてる。『競歩のフォームが無駄にきれい』『廊下でやるな』『銀河より不死川が気になる』」


「俺、銀河を超えた!?」


「超えてない。購買の秩序を下げただけだ」


白金がすっとスマホ画面をのぞきこむ。


「これはいけません。不死川くんの競歩動画が拡散されると、購買前の混雑がさらに増えます」


「委員長、そこ心配するんだ」


「情報統制が必要です」


「その言葉、委員長が言うと本当に怖い」


白金は列の前方へ一歩進み、品よく微笑んだ。


「皆さん、廊下では落ち着いて行動しましょう。限定品を求める心は理解できますが、節度ある購買活動を」


前方の生徒たちが、なぜか一斉に背筋を伸ばした。


「委員長の圧で列が整った」


「圧ではありません。風紀です」


「風紀が物理的に効いてる」


不死川は前後の生徒に話しかけ始める。


「みんな銀河メロンパン買うの? 俺も!」


「敵に情報を渡すな」


「でも友達になったら分けてもらえるかも」


「急に正しい方向に行くな」


「じゃあ今から全員友達になれば、全員で分けられるな!」


不死川は前の一年生に向かって、勢いよく手を差し出した。


「俺、不死川勇気! 好きなパンは今日から銀河メロンパン!」


一年生は、差し出された手と不死川の顔を交互に見て、困ったように笑った。


「え、えっと……まだ買えてないです」


「俺も! じゃあ同じだな!」


「同じなのか?」


凡田が頭を抱える横で、ミーナがぽつりと言った。


「これ、握手会より距離の詰め方が強い」


「星宮さん」


コトハが振り向いた。


「君の地下アイドル活動における列整理経験を応用できますか」


ミーナの眼鏡が、きらりと光った。


「……できる」


「できるのかよ」


ミーナは列の横に立ち、急に営業スマイルになった。


「はーい、みなさん押さないでくださーい。銀河メロンパンは逃げませーん。心の距離は詰めても列の距離は詰めないでくださーい」


「慣れてる!」


白金が鋭く振り向く。


「星宮さん。その言い回し、どこで習得を」


ミーナは瞬時に真顔へ戻った。


「家庭の事情」


「ご家庭で列整理を?」


「親戚が多くて」


「無理がある」


そのとき、廊下の向こうから桜庭先生の声が飛んだ。


「購買前でイベントを開催しないように」


ミーナの肩が跳ねる。


不死川は手を振った。


「先生! イベントじゃなくて友達作りです!」


「不死川くん、それはそれで廊下をふさがないように」


「はい!」


凡田は小声でつぶやいた。


「購買で注意される内容じゃないんだよな」


コトハは列の進み方を不明事項記録帳に記録している。


「一分あたり、約二・四人進行」


「細かいな」


「このままなら、私たちの番までに八・六人」


「人を小数にするな」


「ただし、前方で揚げパンの追加購入が発生した場合、進行速度が低下します」


「購買あるあるに詳しくなってきたな」


そのとき、列の前方で歓声が上がった。


購買のおばさんが、トレーを持ち上げたのだ。


そこに、星形の模様が入ったメロンパンが並んでいる。


「銀河メロンパン、残り五個だよー」


購買のおばさんの声が、廊下に響いた。


空気が変わった。


不死川が震える。


「残り五個……!」


白金が、静かに財布を握り直す。


ミーナがスマホをしまう。


コトハは、前方を見つめた。


「残り五」


凡田は列を数えた。


自分たちの前には、六人いる。


嫌な数字だった。


「普通に考えると、厳しいな」


「凡田くん」


「何」


「作戦第二案へ移行します」


「やめろ」


「白金さん」


「はい」


「交渉」


白金は一歩前に出ようとした。


凡田が制服の袖をつかむ。


「買収するな」


白金は上品に微笑んだ。


「買収ではありません。円満な購買希望調整です」


「言い方を整えるな」


「星宮さん」


「何」


「陽動」


ミーナは少し考えた。


「ここで私が急に歌えばいい?」


「やめろ。廊下がライブ会場になる」


「不死川さん」


「任せろ!」


「何も任されてない」


不死川は胸を張った。


「俺が最後の一個を買った人と友達になってくる!」


凡田は、一瞬だけ言葉に詰まった。


「それは……まあ、平和的ではある」


コトハが真剣に言う。


「友好条約」


「パンを条約にするな」


だが、作戦が実行される前に、列は進んだ。


一人目が銀河メロンパンを買う。


残り四。


二人目も買う。


残り三。


三人目は焼きそばパンだけだった。


二年三組の五人が、同時に息を吸った。


不死川が小声で言う。


「生き残った……!」


「パンの話だよな」


四人目が銀河メロンパンを買う。


残り二。


五人目も買う。


残り一。


そして、六人目。


凡田たちのひとつ前にいた一年生の女子生徒が、購買の前で迷っていた。


「えっと……銀河メロンパンと、チョココロネで迷ってて」


廊下の空気が、固まる。


コトハは、じっと見ている。


白金は、何か言いたそうに唇を閉じている。


ミーナはスマホを握ったまま止まっている。


不死川は、両手を合わせて祈っている。


凡田は、思った。


これは、何かを言ってはいけない場面だ。


自分たちが欲しいからといって、前の子の選択を曲げるのは違う。


コトハも、きっと同じことを感じていた。


以前なら、彼女はその子が何を選ぶかを知っていたかもしれない。

あるいは、どちらを選ぶべきか、確率で言えたかもしれない。


でも今は、ただ見ている。


その子が、自分で選ぶのを待っている。


一年生は少し迷ってから、笑った。


「じゃあ、銀河メロンパンください」


最後の一個が、トレーから消えた。


不死川が天を仰ぐ。


「銀河が……!」


ミーナが机もないのに机に突っ伏しそうな顔をした。


「糖分が遠い」


白金は、気丈に微笑んだ。


「仕方ありません。先に並んでいた方の正当な権利です」


声が少し震えていた。


コトハは、最後の一個を受け取った一年生を見ていた。


凡田は小さく聞く。


「大丈夫か」


コトハはうなずいた。


「はい」


「悔しい?」


「分類中です」


「だろうな」


購買のおばさんが、申し訳なさそうに言った。


「ごめんね、銀河メロンパン売り切れ。普通のメロンパンならあるよ」


凡田は、ふっと力が抜けた。


「普通のメロンパン、あるんだ」


「あるよ。銀河じゃないけどね」


不死川が勢いよく顔を上げる。


「普通のメロンパン!」


ミーナがつぶやく。


「普通でも糖分は糖分」


白金が財布を開く。


「では、普通のメロンパンを」


コトハは、少しだけ黙ってから言った。


「私も、普通のメロンパンをください」


凡田は横を見た。


コトハの顔は、落ち込んでいるようで、少しだけ違った。


何かを確かめている顔だった。


購買のおばさんは、普通のメロンパンを袋に入れて渡してくれた。


星形の模様はない。

銀河という名前もない。

いつもの、見慣れた網目模様のメロンパンだった。


五人は中庭へ移動した。


ベンチの近くでは、猫宮ねこみやが日向で丸くなっている。


なぜか、その前に銀河メロンパンの袋が一つ置いてあった。


凡田は足を止めた。


「え」


猫宮は、しれっとした顔で凡田たちを見た。


ミーナが目を細める。


「購買行ったの、猫?」


白金が真面目に考え込む。


「猫宮さんが購入したとは考えにくいですが、しかし現物が」


不死川がしゃがみこむ。


「猫宮、銀河メロンパン食べるのか?」


猫宮は、にゃあと鳴いた。


その鳴き声は、なぜか少し偉そうだった。


コトハが静かに言う。


「猫宮は、購買部裏口における非公式供給経路を保有しています」


凡田は顔を引きつらせた。


「猫が裏ルート持ってるのか」


「前任者です」


「前任者、便利すぎるだろ」


猫宮は銀河メロンパンの袋を前足で軽く押した。


まるで、持っていけと言っているようだった。


不死川が目を輝かせる。


「くれるのか!?」


猫宮は、またにゃあと鳴く。


凡田はコトハを見た。


「どうする」


コトハは、銀河メロンパンを見つめた。


そして、首を横に振った。


「これは、猫宮の取得物です」


「でも、くれるっぽいぞ」


「非公式供給経路による取得物です」


「言い方」


コトハは、普通のメロンパンの袋を開けた。


「私は、並びました」


凡田は黙った。


「失敗しました」


「うん」


「その結果、普通のメロンパンを買いました」


「うん」


「これが、今日の私の購買結果です」


コトハは、普通のメロンパンを両手で持った。


「これを食べます」


不死川が首をかしげる。


「銀河じゃなくていいのか?」


「はい」


コトハは少しだけ考えてから、言った。


「銀河は、次回挑戦します」


凡田は思わず笑った。


「次回あるかな」


「不明です」


「不明なのに挑戦するのか」


「はい」


コトハは、メロンパンを見つめる。


「不明だから、次回です」


白金が、少しだけ柔らかい顔で言った。


「では、猫宮さんの銀河メロンパンは、皆で分けていただくのはいかがでしょう」


ミーナが手を挙げる。


「賛成。私は糖分が必要」


不死川も手を挙げる。


「俺も銀河見たい!」


「だから見えないって」


凡田が突っ込むと、猫宮は満足そうに目を閉じた。


結局、銀河メロンパンは五等分された。


いや、猫宮の分も含めて六等分された。


購買で最後の一個を勝ち取ったわけではない。

作戦が成功したわけでもない。

正規ルートですらない。


それでも、ベンチの上に小さく分けられたパンが並ぶと、なんだか妙に平和だった。


不死川が一口で食べようとして、白金に止められる。


「味わいなさい」


「味わって一口で!」


「それは飲み込んでいます」


ミーナは小さくかじって、目を細めた。


「あ、ちゃんと甘い。ライブ前にちょうどいい」


白金は、上品にひとかけらを口に運ぶ。


「星形クリーム、かわいらしいですわね」


「委員長、あとで感想を同人誌みたいに書かないでね」


「星宮さん?」


「何でもないです」


凡田は、自分の分を食べた。


普通においしい。


銀河というほどではない。

でも、星形のクリームが少しだけ楽しい。


コトハは、自分の普通のメロンパンを一口食べたあと、銀河メロンパンの小さなかけらも

口に入れた。


しばらく、何も言わなかった。


凡田が聞く。


「どう?」


コトハは、ゆっくり飲み込んだ。


「普通のメロンパンは、知っている味に近いです」


「うん」


「銀河メロンパンは、星形クリームの部分が少し酸味を持っています」


「へえ」


「ですが」


コトハは、ベンチの上を見る。


六等分されたパン。

それを囲む、二年三組の面々。

日向で目を閉じている猫宮。


「取得経路より、分配状態のほうが印象に残っています」


凡田は苦笑した。


「また難しい言い方を」


「つまり」


コトハは少し考えた。


「一人で勝ち取るより、みんなで少しずつ食べるほうが、今日の味に近いです」


不死川が、よくわからないままうなずいた。


「わかる! ちょっとしかないと、なんか大事に食べる!」


ミーナが笑う。


「不死川が珍しく核心っぽいこと言った」


「俺、いつも核心だぞ!」


「だいたい中心から外れてる」


白金が口元を押さえて笑った。


凡田も笑った。


コトハは、その笑い声を聞いてから、不明事項記録帳を開いた。


凡田は横からのぞく。


「何書くんだ」


コトハは、ゆっくりと一行を書いた。


『勝利より、分配のほうが甘い場合があります』


凡田は少し考えた。


「まあ、今日はそうかもな」


「はい」


「でも、次は普通に並べよ」


「今日も並びました」


「作戦立てすぎなんだよ」


「では次回は、普通に作戦を立てます」


「普通に作戦を立てるな」


不死川が拳を上げる。


「次回こそ銀河を取るぞ!」


ミーナも小さく手を上げる。


「糖分確保」


白金が優雅にうなずく。


「正当な購買活動として参加いたします」


凡田は頭を抱えた。


「またやるのかよ」


コトハは、少しだけ笑った。


「はい」


その笑顔は、第1章でメロンパンを食べて泣いたときとは違っていた。


あのとき彼女は、初めて甘さを知った。


今日は、並ぶことを知った。

売り切れることを知った。

作戦が外れることを知った。

それでも、誰かと分けると味が変わることを知った。


銀河メロンパンは、手に入らなかった。


でも、昼休みはちゃんと騒がしかった。


凡田は、空になった袋をたたみながら言った。


「結局、普通のメロンパンでもよかったな」


コトハは首を横に振る。


「いいえ」


「違うのか」


「普通のメロンパンと、銀河メロンパンと、売り切れと、分配は、それぞれ別の体験です」


「細かいな」


「はい」


コトハは、不明事項記録帳を閉じた。


「今日は、四種類知りました」


凡田は、少しだけ笑った。


「じゃあ、収穫あったな」


「はい」


猫宮が、にゃあと鳴いた。


まるで、まだまだだと言っているようだった。


不死川が空を見上げる。


「俺、銀河見えた気がする!」


「それはたぶん日差しだ」


ミーナがスマホを見て、笑った。


「校内SNS、今度は『銀河メロンパンを猫が配給』で伸びてる」


白金が真顔になる。


「情報統制が必要です」


「やめろ」


凡田のツッコミが、中庭に響いた。


コトハは、その騒がしさの真ん中で、普通のメロンパンの最後のひとかけらを食べた。


未来は、まだ見えない。


次に銀河メロンパンが入荷するかもわからない。


次に並んだとき、買えるかどうかもわからない。


でも、わからないまま並ぶ昼休みは、思っていたより騒がしくて。


思っていたより、甘かった。


読んでくださってありがとうございます。


今回は、購買の限定メロンパンをめぐる昼休みでした。


ほしかったものが手に入らなかった日でも、誰かと少しずつ分けたものが、

思ったより甘く残ることがあります。


次に銀河メロンパンが入荷したら、コトハはまたきっと並ぶと思います。

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