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あの夏の通知音~老成少女(超絶機械音痴)とパソコンを買いに行く話@コロナ禍

作者: 来田千斗
掲載日:2026/04/04

 令和二年の夏、秋田はY市。


 僕はなんの目当てもなく、商店街をぶらぶらと歩いていた。よくある話だ。大きな夢を抱えて東京に出ても、物事はそううまくはいかなくて、バイトしていた小さなファミレスもコロナ禍で潰れてしまった。数年ぶりに地元へ帰っても実家には居づらく、かといって行く先もない。自粛自粛でどこの店も入りにくくて、元から寂れた田舎町には出歩く人影もほとんど見当たらなかった。


 そんな商店街の真ん中に、ひとりの少女が立っていた。まだ幼さの残る、白銀色の髪をした少女だ。お上りさんみたく辺りを物珍しそうに見回して、あろうことか車道の真ん中に突っ立っている。渋谷や新宿の真ん中ならいざ知らず、寂れた田舎町にそんな人間のいるはずがない。目的を持って道を急ぐ人がたまにいるくらいで、人影もまばらだったから、なおさら彼は目立っていたんだと思う。


 少女は、まるで古代の狩猟採集民のような毛皮の服を着ていた。博物館の片隅に飾られているエミシの装束、といえばいいだろうか。まるで最初からエミシの少女として生まれてきたような、とても自然な姿で彼はそこに立っていた。


 そんな外見の人間、普通に現代を生きていればまず目にするはずはないというのに、なぜだか僕は彼の恰好に全くといっていいほど違和感を覚えなかった。今考えてみれば、なんとも奇妙なことだ。白銀色の髪も、毛皮の装束も、あのときの僕には何の疑念も抱かせなかった。


 その時、視界の端に動くものがあった。四トントラックが、少女の方へ勢いよく走ってくる。運転手は居眠りでもしているのだろうか、速度を緩めようという様子もない。


「危ない!」


 僕は、咄嗟に叫んだ。目の前で車に轢かれそうな人を見たら、誰だってそうするだろう。


 少女が、こちらの方を見やった。一瞬、目が合う。彼は、優しく微笑んでいた。


 トラックが、ごうという音を立てて駆け抜けた。ああ、間に合わなかった、そう思って思わず目を瞑る。


 ……恐る恐る目を開ける。車道には、どこからか飛ばされてきたのだろう、ファストチェーンの紙袋が転がっていた。


「えっ……」


 少女は確かに、トラックに轢かれかけたはずだ。どういうことなのだろう、そうあたりを見回した。


「ありがとうなぁ、若いお人」


 背後から、優しい、それでいてどっしりとした声が聞こえた。


 いつのまにか僕の後ろに回り込んでいた少女は、悪意のかけらもありそうにない笑みを浮かべていた。


「いやはや、久方ぶりに町へ出てきたら、ずいぶんと様変わりしとるのう。なんじゃ、あの忙しい鉄の塊は」


 少女はゆったりとそう言った。


「いやはやしかし、お前さんが声をかけてくれなんだら、あのでかぶつに踏み潰されておったやもしれんわい。ほんにありがとうなぁ」


 少女が、はてさてといった風に辺りを見回した。見た目でいえば僕の方が年上のはずなのに、なぜだかお年寄りと話しているような気分になる。彼の言動のせいだろうか。


「すまんが、『ずうむ』とやらを売っている店はどこにあるかの」


「ズーム……もしかして、リモート会議のあれですか」


 少女が少し、考え込むような仕草を見せる。たぶん、手紙の内容を思い出そうとしているとかなのだろう。


「りもうと……ああ、たぶんそれじゃろうな。しかしまあ、地元にいながらにして遠くと話すとは、面白いことを考えつくものじゃなぁ。わしも長く生きてきたが、こんなこと考えたこともなかったの。そうそうそれで、そのずうむ、とやらはどこで売っているかのぅ」


「あ、ズームはアプリなので……パソコンは持ってますか?」


「ぱそこん……すまんのぅ、最近のことはわからなくての」


 少女のほわほわとした返事を聞いて、僕は無性に心配になった。どうせ暇なんだし、この少女がリモート会合かなにかに出席できるまで、とことん付き合ってみてもいいかもしれないと思った。


「それじゃあ、パソコン買いに行きませんか? ちょうど暇なところだったので、お手伝いしますよ」


「いいのかい、ありがとうなぁ」


 十五分後。僕たち二人は、田舎らしく一軒一軒のあいだが離れた住宅街に立つ、電気屋の前にいた。このパンデミックの世の中でも業績を伸ばしている、全国どこにでもあるありふれた家電量販店だ。


 道中、少女が誰と話そうとしているのかと聞いてみた。「ムナヂ君という青年がのぅ、毎年秋になると仲間の集まりを開いてくれてな」それ以上のことを聞こうとしても、はぐらかされてしまった。少女は聞き上手で、気が付けば僕は自分の境遇のついて話していた。


「着きましたよ、ここでならパソコンを買えるはずです。……それと、このマスク、使ってください」


 量販店を物珍しげに見上げる少女に、予備としてポケットに入れていたマスクを渡した。このご時世、マスクもつけずに店へ立ち入りでもしたら、文句を言われること間違いなしだ。


「ああ、ありがとうなぁ。これは、耳にかければいいのかな」


 言いながら、彼はマスクをつけた。上下が逆さまになっているのに気がついたけれど、それは言わないでおいた。


「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか」


「あ、ズームでの通話に向いている、初心者向けのパソコンを購入したいのですが」


「そうですね、ズームでしたら、あまりに安すぎる機種でもなければ問題なく動作するかと思います。何かご希望などはありますか?」


「いいや、ずうむとやらが無事にできればそれ以上は望まん。ぱそこん、というものを買うのは初めてでの。……しかし不思議じゃのう、こんな薄い板がこう、かくも多様な像を見せてくれるとは。人もまあ、面白いことを考えつくものじゃな」


「……承知しました。ご自宅にインターネット回線はありますか?」


「いんたあねっと……電気ならしばらく前に通したがの、それ以上はまだまだできておらん」


 少女が、柳の葉のような銀髪をかるく撫でた。草鞋を履いて毛皮を羽織った彼の姿は、量販店の真っ白なタイルからひどく浮いて見えた。


「なるほど……お住まいはどちらでしょうか」


 店員さんが差し出した地図を、少女が指差す。店員さんがすこし驚いたような顔をして、タブレットと顔を見合わせた。


「この場所ですと……光回線はなくてですね……ああ、携帯回線が一社だけ、ぎりぎり圏内ですね。ルーターをご購入いただければ、接続はどうにかなるかと思います。通信速度はあまり出ないかと思いますが……そうだ、電波のブースターもお付けしますね。これで少しはマシになるはずです」


 そんなわけで、なんやかんや店員さんとやり取りした結果、どうにかパソコンを買うことができた。いろいろ入った紙袋を抱えて、量販店の自動ドアを出る。夏の太陽はまだまだ激しく照り付けていて、蝉がひどく鳴いていた。


「よかったですね、無事に買えて」


「ああ、ありがとなぁ、ほんとうに」


「そんな、お店でもほとんど助けになれませんでしたし……」


「いんや、君がいなかったら、あの店にたどり着けたかどうかわからんわい。ほんとうに、君のおかげだて」


「それなら……よかったです」


 こんなに褒められるのには慣れていなくて、鼻のあたりがすこしむずがゆくなるのを感じた。両手に荷物を抱えていたから、鼻の頭を搔いたりはできなかったけれど。


「ああ、そうじゃ」


 少女が何か思い出したように、肩から掛けた袋をごそごそと探った。


「お礼には物足りんかもしれんが、受け取ってくれんか」


 そう言って少女は、小さな巾着袋をくれた。荷物をいったん地面に置いて、僕はその袋を手に取った。ごわごわとした麻布の手触りと、その中にあるずっしりとした物の感触。


「お守りみたいなものじゃ。効き目はまあ、確かなはずじゃ。それもふつうとは違うて、一年やそこらで効能が薄まったりもせん。ああ、中を見ちゃいかんよ。恐ろしいことが起こるから」


 そう言って少女は、荷物を持ち上げた。


「それじゃあ、わしはこれで。元気でなぁ、若いお人」


 少女が言い終わるまえに、一陣の風が吹き起った。思わず、目を瞑る。強い風に、真夏の蒸し暑い空気が乱されて、ほんの少しの涼しさを感じた。


 風が止んだのを感じて目を開くと、つい先ほどまで目の前にいたはずの姿が消えていた。ファストチェーンの紙袋が、遠くの風に乗って転がっていくのが見える。


 ああ、そういうことか。少女が何者だったのか、ようやく合点がいった気がした。


 何千年ものあいだ、僕たちを見守ってくれていた。人々の母であり、父でもある。あの少女は、神々の一員かなにか、そんな存在だったのかもしれない。


「ありがとうございました!」


 夏の真っ青な空に向かって、そう叫んだ。





 五年後。コロナ禍が収まっても、僕はまだこの町にいた。何から何まで不思議なほどうまくいって、僕はいま、生まれ育った町で小さなカフェを営んでいる。そうそう、少女にもらったお守りは、カフェの神棚に納めている。中に何が入っているのかは知らないが、効果は確かなようだった。


 ある夏の日。何かに呼ばれたような気がして、僕はとある奥山にのぼった。携帯の電波もロクに繋がらないし、車を降りてからずいぶん歩く。どうして自分がすれ違う人もいない山道に分け入ったのかわからなくて、けれどもどうしてか、正しい道を進んでいるという確信だけはあった。


 見晴らしの良い山頂に、小さな神社があった。お詣りをしてから、境内のベンチに座る。ポケットの携帯が一回、小気味よい通知音を立てた。

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