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時間が過ぎゆく。

作者: 竹内 昴

時間が過ぎゆくのに、いかんともしがたい、

もどかしさ。自分が追い込まれている、時間の余裕になさに追いつかない、自分のやりたいこと。


もし、一斉に星々が墜落し、アルマゲドンのような世界が始まったら、僕はそれに費やす時間が見えなくて、「助かった」と思うだろうか?


嫌いな事は、あまり時間をさいた割には手ごたえがなかったというような、苦い思いである。


キツイ・キタナイ・カッコワルイといった、

素行の中の人間性に問われることの大義名分が、十分な時間の制約と使い方によっていい風に変わっていくような、感覚の違いみたいな、自己認識が好きである。


答えは重々わかっているものだとおもう、思考の中の判断力でしばしば生きていくことの

、悩みの深みにはまった経験のなかで、熟知した自分のコントロールは、きっと、遠い世界の人間にまで、理解が及ぶまでしっかりと計算しつくされていることの、わかりづらさであり、所詮本能の知り尽くす限りのありきたりな反応で済むから、人は同じ時間共有を出来るんだと思う。


結構な時間が経てば経つほど、期待道理には

いかないような、難問にでも、人々は暮らしのなかの些細な疑問に照らし合わせて、「何とかしてみよう」と、頑張ってみるのは、凄く大事に思えてくる。


何故なら、人はそういう時間を大事に思いたいし、切迫感のさなかでも凄く充実感を感じる瞬間でもあると言いたくなる。


もし、こだわりの中の趣味の時間において、

さっと、過ぎゆく時間があるとすればどうだろう?


あるいは、もしもの時のために、一分一秒を貴重に思いながらも、睡眠のために割く時間も悪くないと思いながらも、一般的にはもったいない時間と思われるだろうし、その辺の

時間感覚は人によってまちまちである。


行動の基本的な概念である時間拘束のなかで

「今からこの時間までどれくらいに事ができるか?」といった、自分の本質的理解における、十分な時間の有難さに、自分が記憶どうりの自信を見せるとき、人は実態のない段取りを組んで、そこから、じっくりと本題に入るメカニズム的な瞬時の理解力に感謝せざるを得ないのは、やはり、時間という概念に縛られているか否かという、焦りの抑止力的な

ムード漂う、時間配分は大事なんだろう。


気ままに時間が過ぎゆくのは、いいことなんだろうか?もっと時間があれば、時間が有り余って退屈だとか、人によって時間の感じ方に差があるのは、きっと、時間の持つ本来の

機能としての役割がありきたりであいまいな部分が多いんだなと思う今日この頃である。


   完

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