新しいお客さまと、魔女疑惑
本を読んでいくと、どうやら錬金術師にとっては錬成用のかまどもとても重要なものらしい。
高難度の錬金術のレシピには、ただの火ではなく魔法の宿った火が必要なものが多い。そういった火は魔石や色々な火に焚べる素材と、かまどの妖精による協力でしか作れない。
一流の錬金術師を目指すなら、師匠に手伝ってもらってかまどの妖精と契約することは必須だ。そして、契約した妖精とたくさん錬金術を行うことで、妖精を育てていくのである。
「ふーん……もしかして、カマドってすごい妖精?」
『やぁっと気づいたかよ!』
ただでさえ高いカマドの鼻が、もっと高くなった。嬉しそうだ。
本には、錬金術では他にもさまざまな妖精の力を借りて作るものがあるのだと書いてあった。カマド以外の妖精さんか。いつか会えるかな?
私はできた蒸留水を保存瓶に移して、蓋をする。蒸留水は色々なものに使うので、たくさん作っておくといいらしい。
私はその瓶を作業台に置いて、本を手に取った。
「じゃあ、次に作るものだけど」
待ち時間に本を読んで調べていたのだが、ポーションは一番簡単なものでもレシピランクがE(初心者には難しい)だった。
まずはもっと簡単なものから練習した方が良さそうだ。
「というわけで、Fランクのレシピをいくつか作ってみるよ。植物オイル、精油、傷薬、あたりから」
『いいんじゃねえか。植物オイルと精油は他のレシピに使うことも多い』
「うむうむ。じゃあ材料調達だ」
私は立ち上がって、錬成部屋を出て行った。
この屋敷には、さまざまな素材を保存する部屋もまた多い。しかも、素材の部屋は書庫と違ってバラエティ豊かだ。
天窓がついていて日当たりのいい部屋、逆に徹底して日光を遮る真っ暗な部屋、風通しをよくしてある部屋、などなど。
私はそれらの部屋を回って、必要な素材を集めていく。
植物オイルは、オイルになる木の実が必要だ。オイルナッツというものがあったので、それを持ち出す。
精油は、花やハーブ、果物などいい香りがするものはなんでも材料になれるらしい。
今回はネムハーブというゆるい名前のハーブを使う。心地よい睡眠を助けてくれる効果があるとか。なぜかリースのように編まれたものがあったので、頭に載せた。
傷薬は、植物オイルとエイドハーブという薬草が必要だ。これもあったので部屋から持ち出した。
全てを持って、私は素材を保管している部屋を改めて見回す。今は棚という棚に、天井にかかった紐に吊り下げられて、瓶詰めされて、大量の素材が溢れんばかりだ。
でも、素材は使ったらなくなる。
「当面はこの屋敷に保存されている材料を使うけど、それもどこかで補充の当てを考えなきゃね」
私は呟いて、部屋を出た。
素材かぁ。
そういえばこの屋敷の裏手には湧き水の泉だけじゃなくて、薬草園のようなものもあった。たくさんの薬草がもっさりと生えている。何が使えて何が毒なのかさっぱり分からないので未着手だ。いつか整備しよう。
でも、錬金術に使うのって薬草だけじゃない。木の実とか、樹液とか、果ては動物の素材とか宝石とか、色々ありそうだった。
どうやって調達するんだろう? 勉強することはいっぱいだ。
私はそんなことを考えながら錬成部屋に戻って、作業台の上に素材を置いていく。作業台は広いのでまだまだスペースは余裕だ。
そのとき、ドンドンドン! と玄関扉が強く叩かれる音がした。
「!」
ちょっとビックリ。いきなり大きな音が響いてきたので。
「えー、今日お客さん多いな」
『おかしいな。この屋敷は先代が迷いの結界石を設置しているはずなんだがな』
「なにそれ聞いてない」
『聞かれてねえし』
カマドの言葉に私は首を傾げた。
迷いの結界石というものがなんなのか、詳しくは知らないけれど、名前と文脈的にこの屋敷に人が近づかないようにするものだろう。効果発揮してないじゃん。人が来てるじゃん。
「壊れたのかな、その結界石ってやつ」
『さあ? 先代が向こう千年は壊れないって言ってたけど、俺も時間の流れはよく分からねえし』
ん? なんだか不穏なことを言い始めましたね?
とりあえず扉はドンドンと断続的に叩かれている。私は重たい腰を上げて、玄関扉に向かった。
「はぁい、」
「失礼、ここは魔女殿の家で相違ないだろうか」
「デジャヴ……」
玄関扉の向こうにいたのは、背の高い男性だった。
すごく大きい。私が小さいせいもあるんだろうけれど、背が高いし体が分厚いから圧迫感がある。鍛えていると一目で分かる体格だ。
そしてすごい美人さん。ため息をつきたくなるほど端正な顔立ちだ。新雪に影を落としたような灰銀色の短髪、冷たい群青の瞳。重そうなマントを身につけた、軍服っぽい服装をしている。腰に下げているのは剣か。
特筆すべきは、その表情だ。焦燥が滲んでいる──それなのに、群青の瞳は氷のように冷たく、感情を押し殺している。
そういえば、さっき訪ねてきた少年とカラーリングが似ているなと思った。
私は努めてゆっくりした喋り方で男性に答える。
「お間違えでは? ここは魔女の家ではありません」
「しかし、外には魔女の迷いの結界石があった。なぜそのようなものを? やましいことがあるのか?」
「知りませんよ……というか、どなたさまですか。私からしたらあなたの方が怪しい」
私の言葉に、男性はハッとした表情をして、襟元を正した。スッと背筋を伸ばしたままほんの軽く腰が折られ、美しい姿勢で彼は言う。
「失礼。私はグレイシス=オルドラ=シルヴェイン。こちらに甥のアルバンは訪ねてきませんでしたか?」
美しく礼をして名乗ってくれるグレイシスさん。
ふむ、やっぱり少年の身内の方か。
「彼は奇病に侵されている。ろくに動けない体でありながら、魔女の家を探すと言って家を抜け出してしまって、探しているのです」
「それでしたら、先ほど訪ねてきたお客様がいますよ」
私が玄関扉を開けてリビングのソファで寝ている少年を示すと、グレイシスさんは一瞬だけ安心したように眉をゆるめた。まあすぐにまた冷たげな目に戻ったけれど。
「中に失礼しても?」
「どうぞ」
一瞬だけカマドに目を走らせると、カマドは顔を消してただのかまどの振りをしていた。ぱちぱちと燃える炎も、エメラルドグリーンから普通の炎の色になっている。
ナイスカマド。気が効くね。
グレイシスさんは大股で家に上がり、少年──アルバンくんのもとへ向かった。そっとアルバンくんに目線を合わせるようにしゃがみ、意識を失ったその頬を一撫でして、やるせなさげに唇を噛む。
とても切ない表情で、グレイシスさんにとってアルバンくんがどんなに大切かすごく伝わってきた。
「魔女殿、保護していただきありがとうございます」
「魔女じゃないですけど……目の前で倒れられたら放っておけませんよ」
「──やはり、倒れたのですね」
眉を顰めるグレイシスさん。
アルバンくんの病気のことも分かっているのだろう。これまでも治そうと奔走していたのかもしれない。その表情には疲れも見え隠れする。
「魔女殿、申し訳ないのですが、少しここで休ませていただいても?」
「何もお出しできませんが、それでも良ければ。あと魔女じゃないです」
「重ね重ね感謝します。あなたのお名前は?」
「……」
そういえば私、自分の名前を忘れたままなんだよね。答えられる名前がない。
しばし、考える。
「魔女殿?」
「……いえ、すみません。私は記憶喪失なんですよ。自分の名前も覚えていなくて」
「……」
完膚なきまでに真実である。それなのに、なんだろう。グレイシスさんのこの胡散臭いものを見るような目は。
「記憶がない? 本当にか?」
「はい」
「ではなぜこの家にいる?」
「目覚めたらここにいました」
なにひとつ嘘は言っていない。それなのにグレイシスさんの目の温度がみるみる下がっていく。ひどいな、そんなに疑うなんて。
さっきまで丁寧な言葉だったのに、ちょっと高圧的になってきたし。
「……ここは魔女の結界石に守られた小屋のようだ。いや、外から見た大きさと中の広さが違うな。明らかに特異な力が関与している。あなたが魔女でないと言い切れる根拠は?」
「うーん」
そんなことを言われても。
困ってしまった私は、逆に聞いてみることにした。
「魔女ってなんですか?」
「特異な力を持つ者だ。魔法では説明がつかない力を扱う」
「それならやっぱり違うかな。私がこれから覚えるのは錬金術だし」
「錬金術……?」
あれ? 錬金術って先代さんだけの特別な力じゃないよね? 普通に技術として普及しているものだよね? あんなに大量に本があるんだから、さぞいろんな人が研究しているんだよね??
そっとカマドの方を見やると、『知らねえなあ』と言わんばかりののっぺらぼう。おい。オイ。薄情すぎるでしょ。
「……己の力を、そう呼称する魔女が確認されている」
私を睨みながら、神妙にそう言うグレイシスさん。
えー、なにそれぇ。
錬金術ってそういう扱いなの?




