これは普通にパン作り
ではやっとパン作りに入ります。
材料は小麦粉もどきとベーキングパウダーもどき、砂糖と塩、そしてお湯。たったこれだけ。
砂糖と塩は、屋敷を探したらあった。サトウキビと岩塩から作れって言われたら面倒臭いからよかった。まあ、すでにだいぶ面倒くさくはあるんだけど。
パンのレシピはこんな感じ。
『【シンプルな丸パン】
レシピランク:F(初心者でもできる)
必要素材:
小麦粉(小麦粉もどきでも可)×6
ベーキングパウダー(ベーキングパウダーもどきでも可)×1
砂糖×1
塩×1
お湯×4
必要設備:
錬成用かまど(加熱Lv1以上)
ボウル
布
手順:
お湯以外の材料をボウルに入れる。
お湯を入れてまとまるまで混ぜる。
馴染むまで捏ねる。
ボウルに入れ、濡れた布を被せ、かまどで弱く温めて発酵させる。
空気を抜き、形を作る。
濡れた布を被せて、部屋の温度で発酵させる。
かまどで焼き色がつくまで焼く。
成功率:96%
完成数:シンプルな丸パン×6』
もう錬金術というよりも、普通にパン作りって感じだ。
じゃあ始めよう。まず、ボウルの中に小麦粉もどきをどさどさ、ベーキングパウダーもどきをぱさり、お砂糖とお塩をちまちまと。そこにお湯を注いで、ヘラでさくさくと混ぜます。
最初は粉と水! って感じだけれど、丁寧にボウルの端についた粉を巻き込むように混ぜていくと、だんだんもたっとした感じになってくる。
まとまってきたら、綺麗な布を敷いた作業台の上にぺとんっと落として、手でひたすら捏ねる。まだべちょっとしているかつ粉っぽかった生地が、やがてもっちりとツヤツヤした感じになるまで頑張ります。
生地を捏ねるのは、案外楽しい。
最初はぺちょんとしていて柔らかいのだ。水っぽくて粉っぽくて、結構指に付くし。でも、ぺったんこと捏ねるうちに、もっちりと弾力がある感じになってくる。
「捏ねすぎは良くないっぽいんですけどね、初めてなので加減が難しいです」
「ふわあ」
アルバンくんは私が生地を捏ねる間キラキラとした目で私の手元を見ていた。そしてグレイシスさんは使ったボウルを洗っておいてくれた。
さてはグレイシスさんは、マメな人ですね? ありがたい。
「パンを捏ねるのって、すごく大変そうです」
「ラテリース、代わろうか?」
「大丈夫です。もう捏ねるのおしまいなので」
表面がツヤツヤしてきたら一旦良い感じ! ボウルの中にぽてっと生地を落として、濡れた布を被せて、カマドの中に入れます。
いつもはカマドの上に鍋をかけて使っているけれど、今回は火を炊いている下の部分を使う。いつも薪を組んでエメラルドグリーンの炎を燃やしている部分ね。
炎の宿る薪を奥に退けて、手前にボウルに入れたパン生地をそっと置く。
ここから一次発酵です。
「カマド、火はすごく弱くして。ぬるま湯くらいの温度で」
『いーぜー』
この発酵は時間がかかる。二倍くらいの大きさに膨れるまで発酵しておかなければいけない。その間は待ち時間だ。
「というわけで、休憩時間でーす」
グレイシスさんがまた紅茶を淹れてくれたので優雅なティータイムである。
なんか、グレイシスさん、領主さまとは思えないほどどんどん水仕事されますね? ありがたいけど良いのかな。でも私がやろうとしても笑顔で黙殺されるんだよ。あんまり笑わない人だからついビックリして任せちゃう。
当のグレイシスさんは、ちょっと楽しげに私とアルバンくんに紅茶をサーブしてくれた。
「これも他領から取り寄せたものなんだ。果実と少々のシロップを入れた。シロップは好みで足すと良い」
「おお……」
以前にいただいた紅茶よりも少しだけ色が柔らかい気がする。香りもりんごっぽい甘くて爽やかな感じだ。グレイシスさんって紅茶通?
アルバンくんに目配せすると、彼はにっこりと笑って耳打ちしてくれた。
「僕のお母様が紅茶を嗜まれる人だったそうなんです」
「そうだったのか」
「でも、叔父上が僕のお母様の好みを参考にされているのは、ラテリースさまの好みを探されているからだと思いますよ」
「ん? 私?」
なぜそこで私が出てくるのだろうか? 首を傾げる私に、アルバンくんはにこにこしている。
曰く、グレイシスさんもそのお兄さん(つまりアルバンくんのお父さん)も、不器用な人だったらしい。女性の好みなんかよく分からなくて、知っている身近な女性の好みのものを順に出して反応を見る探り方しかできないのだとか。
「ふふ、叔父上はラテリースさまと仲良くなりたいのです。もちろん僕もですよ」
「そ、そうなんだ……?」
面と向かってそんなことを言われるのは、ちょっと照れる。
特にグレイシスさんとアルバンくんは、お人形さんのように顔が整っていて目に力がある。灰青色の瞳にじっと見つめられると、ドギマギしてしまう。
すぐに細々としたシュガーポットとかを揃えたグレイシスさんも席について、力強い群青色の瞳まで不思議そうにこちらを見てくる。
私はそっとカマドに近づいた。
「ふう、カマドは安心するね……」
『ん〜あんまり良い意味じゃねえ気がするなぁ。もっと具体的に褒めてくれ』
君は面倒臭いね、そんなところも可愛くて好きですよ。あとは無視しないでおしゃべりしてくれるところも好き。
そんな茶番を経て、ティータイムが始まった。
「ラテリースさまは、いつもこんな感じで錬金術をされているのですか?」
「いえ? 錬金術を始めたのはつい三日前ですよ」
「み、三日……」
アルバンくんが絶句している。
確かに改めて考えるとすさまじく短い。
ごめんね、不安になる気持ちも分かるよ。別に取り組んできた時間が長ければいいってもんじゃないけれど、やっぱり習熟度というものは時間に比例する。
薬の勉強始めて三日目の見習いに担当につかれたら誰だって不安。
「い、いいえ、それは別に……それでは、僕のために錬金術を始めてくださったのですね……」
「まあそうですね」
「っ」
アルバンくんの頬がぶわっと染まった。
灰青色の目がうるっとして、頬を隠すように両手を当てる様子は恥じらう少女のように可憐。悪い大人に攫われちゃわないか心配だ。
そっとグレイシスさんに目配せすると、「そうだろう、可愛いだろう」と言いたげに頷かれた。分かる、可愛い。
でも会話の間は持たなくなったので、グレイシスさんが咳払いして新しい話題を振ってくれた。
「ラテリースは他に好きなことはあるのか?」
「好きなこと?」
「趣味だ」
趣味かぁ。記憶が無くなってから、確固たるそういうものはよく分からないままなんですよね。記憶がなくなる以前の私にはあったかもしれないけど、今はもうさっぱり。
まあ記憶が無くなった後の私の行動から推察するなら、おそらく。
「ふかふかのおふとんでダラダラすること?」
「そうか。それは幸いだな」
グレイシスさんが心なしか自信ありげな表情をした。
「シルヴェイン領は白い森に閉ざされた土地だ。見た目こそ幻想的だが、森には食物が実らず、他領からの支援を受けている。その代わりに他領に提供するのが、精強な人材と質の良い布類なんだ」
「布を作る材料が取れるんですか?」
「シルヴェインの魔物は白くて毛の質がいい種が多い」
「へえ、魔物なんですね」
今のところ私は魔物を怖いものとしか知らないけれど、特産品的なものにもなるらしい。それもそうか。
「魔物は脅威であると同時に資源だ。ラテリースにも近く融通する」
「やったー」
ふかふかなお布団は大好きですよ。
今の屋敷の設備は、全体的に「死ななければよし」って感じで質は良くない。錬金術関連の設備に全振りされている。ベッドも結構固めだし、シーツも痛いというほどではなくともざらざらしていて手触りは悪め。
グレイシスさんも使っているから分かるのか、「この屋敷の設備は少々無骨だからな」と頷いた。
「……少し、あなたの喜ぶものが少しだけ分かってきた。金ではないのだな」
ふわりと微笑むグレイシスさん。
んー、善意でいただけるなら大抵嬉しいですけど、確かに今のところお金は使うアテがないかもしれない。なにせ商店を知らない。
それにしても、グレイシスさんは全然笑わない人だという印象が強かったけれど、親しくなってくると案外よく笑うし朗らかな人なのかもなあ。
「その様子だとクッションやぬいぐるみも好きか?」
「好きですよ。柔らかくて、ぎゅっと抱きしめられて、可愛いのが好きです」
「そういうのを作るのが得意な友人がいる。頼んでみよう」
そんな話をしているうちに、発酵が終わる。
手にミトンを付けてカマドの中からボウルを引き出すと、パン生地はふっくらと大きく膨らんでいた。
「わ、生地がおっきくなってます」
「ね、すでにふかふかしていそうですよね」
またボウルからぽふんっと生地を出すと、その膨らみ具合が分かる。二倍に膨れるってかなりでっかいんだな。不思議な感じだ。
でも、ふっくらしたこの生地はガス抜きをしないといけない。しないとボコボコした不恰好なパンになってしまうらしい。
真ん中から優しく押して、外にガスを追い出す感じでガスを抜く。それができたら、六つくらいに生地を分けてころんと丸い形にする。
これはみんなでやろう。
「手を洗ってきてください。分けたやつを渡すので、形を整えましょう」
「丸くすればいいのか」
「楽しそうです!」
「一人二つですよ〜」
グレイシスさんは、さすが器用だった。この人はなんでもできそうだな。
アルバンくんは、まだ体に力をこめるのをうまくできないみたいで、ちょっと不器用な形になった。それでも楽しそうにしてくれたのでよかった。上手だと褒めると素直に嬉しそうにしてくれるのが可愛らしい。
そうしてできた六つのパンにまた布を被せて部屋に置いて二次発酵して、最後にカマドでこんがり焼いたらパンは完成だ。
二次発酵はまた待つだけだし、焼くのはカマドが上手にやってくれたから省略。
そうしてパンを焼いていたカマドの下の扉をパカっと開き、ぶわっと広がる香ばしい匂いを受けながらパンを取り出す。
鉄板に並べた六つのころんと小さかったパン生地が、お互いにくっつかんばかりにふくふくと大きく黄金色に育っていた。
「わあ……!」
目をキラキラさせるアルバンくん。君は何を見せても反応が良いですね! 可愛いやつめ!
じゃあ早速いただきましょう。
それぞれのお皿に配膳して、熱いから気をつけてと言いながら紅茶と一緒に食べ始める。ふかっと手で簡単にちぎれて、ちぎったところから湯気が立つ。
アルバンくんもグレイシスさんも、わくわくとそれを頬張った。
「こ、これがふかふかのパン……! ふわっふわ、ふわふわです……!」
「しっとりとしていて子供や老人にも食べやすそうだ。これはいいな」
「おいし、美味しいですっ」
二人とも気に入ってくれたようだ。一人二つだったパンはあっという間になくなろうとしていた。
一方で二人とも領主としてのシビアさも併せ持つ。焼きたてふかふかのパンに感動した後は、現実的なパンの検討が始まった。
「ただ、嵩張るし足が早そうだ。遠征には向かないか」
「お家で食べる用ですね」
遠征とかあるんだ。美味しい保存食があるといいのかな? 一応長持ちするパンとしてはロングライフパンとか、シュトーレンとかあるけど……。今度作ってあげようかな。
「ベーキングパウダーというものさえあればシルヴェインでも焼けそうだ。購入させてもらえないだろうか」
「あんまりたくさんじゃなかったらいいですよ」
「嬉しいです。シルヴェインは饗応料理すら、こう、質実剛健といえば聞こえはいいですが、華がないですものね……」
「少なくとも腹に溜まれば戦えるからな……」
な、なんか切ないことを言い始めたな。
なんとなく気になってシルヴェインがどういうところなのか聞いてみたら、このあたりでは大きさこそそこまでではないものの、変則的に出現する数々の脅威に対処し生き残ってきた強大な領らしい。へえ、すごい!
ただ、その上で、「見た目と強さだけの領」と揶揄されることもあるそうだ。
生活が少々貧しめなのは、まあ事実らしい。そ、そうなんだ。




