第4話
北館の女子トイレ前は、南館よりもずっと寒かった。まだ冷房が直っていないのだろうか、いのりはあいている手でもう片方の腕をさすった。
「お手洗い、男性は別の階ですけど? まさかここに入りたいんですか?」
「自分らだけで入ったらただの変態でしょうよ。付き合ってください」
十分変態じゃないかと言いかけたが、この男から離れるためには仕方がないのかもしれない。
用事が済めばさすがに解放してくれるだろう。
仕方なくいのりは、二人とともに女子トイレに入った。
一瞬で明るくなるが、奥のライトがキレかけているのか点滅を始めた。
「あら、大変・・・施設課に伝えないと」
坂野がジッとそのライトを見て、それからおもむろにすべてのドアを開けて確認をしたようだった。もちろん誰もいない。
南館と違い北館の女子トイレは古く、一番奥のトイレを開けようとしたとき、ギイギイと音がする。
これが不気味だといい、わざわざ南館にくる女子学生もいるほどだ。
坂野はそのまま確認を終えると、視線だけで赤堀に合図を送った。
「んじゃ、次にいきましょ」
赤堀はそのまま、全ての階のトイレを確認するようだった。
3階の次は4階へ。
北館の4階は、主に研究室が並んでいる。
4階のトイレは、男女それぞれあるがとても小さい。
せいぜい二人ずつしか使えない広さだ。
誰か助けてくれないかなと思いながら階段を上がった。
「・・・司書さん?」
ふいに声をかけられて顔を上げると、昨年講師として入ってきた寺島優斗がいた。
どこかやつれた顔をしていることが気にかったが、いのりは気づかないふりをした。
「お疲れ様です。寺島先生」
「あの、なんで手錠? 司書さん、そういうプレイが好みとか?」
とんでもない誤解に、いのりよりも先に赤堀が反応した。
「これと? 冗談じゃない!」
むしろいのりのセリフである。
「・・・えっと、で、何してるんですか?」
寺島はもともと卒業生だ。在学最後の年に、いのりは入社した。
人の名前を覚えるのが嫌いなのか、興味がないのか、これまで一度も名前を呼ばれたことがない。
かくいういのりも、なぜかこの男が昔から苦手だった。
「ちょっと確認事項があるんですよ。あなたは、ここの教員ですか?」
「はい・・あの、寺島っていいます。講師をしてます」
北館4階で講師用の部屋は三つ。どれも複数人の先生たちがまとめて入れられている。
「講師・・・では、冬に行方不明になった二人の学生のことはご存知でしょうか?」
「話は知ってます。でも、僕の講義の学生じゃないので」
寺島は基礎看護学とチーム医療演習を担当している。
本来であれば、行方不明になった二人もチーム医療演習を取っているはずだった。
いのりはわずかに違和感を持ったが、何も言わなかった。
「そうなんですね。最近その二人が学内で目撃されているのを知っていますか?」
「ユーレイの件ですか。僕もこの前南館のトイレで見ました」
淡々と答える寺島に、どうしてかいのりの中で不快感が芽生える。
「・・・それは、行方不明になった学生ですか?」
「ええ」
「どうして幽霊だって決めつけるんですか? コスプレした別人かもしれないのに」
「この真夏に、真冬の恰好してる時点でまともじゃないでしょう。だいたい、あいつは死んだ後もうざいんですよ」
いのりはとっさいに口元を抑えた。
突如酷い吐き気に襲われたのだ。
「司書さん、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
「この寒さにやられたんでしょう」
赤堀と寺島が何でもないことのように話している間、いのりの体は坂野が支えてくれた。
大きな体にすっぽりと収まると、いのりの姿は寺島から見えなくなる。
「じゃ、僕は仕事があるんで」
「ああはい、どうも」
寺島はちらりと、いのりのいるほうを見たが、特に気に掛けることもなく歩き去った。
残された赤堀は手錠を外し、一人でトイレの中の確認に行った。
坂野は何かから守るようにいのりを抱え込み、近くの椅子に座らせてくれた。
「こっちは異常が発見できなかった・・・で、何を怒ってるんですか」
戻ってきた赤堀は、口元を抑えたままうつむいているいのりに声をかける。淡々とした言い方だが、瞳には心配の色が浮かんでいる。
「・・・・・わかりません。なんでだろ・・・寺島先生を見ていたら、急にひどく・・・なんだかとても、許せない気持ちになって・・・」
坂野が背中をそっと四回たたいた。すると何故か体が急に楽になったような気がして、深く息を吸う。
「イライラしすぎて吐き気がしたのは、初めてです」
口元をおさえていなければ、何かが起こりそうだった。それはとても怖いことのように思えた。
「佐橋さん」
珍しく坂野が口を開いたので、いのりはそっと彼をうかがった。
「あなたは、行方不明になった男子学生に、会いましたね」
「・・・たぶん」
「あなたの近くに、その人物はまだいるのではないですか」
それは彼がいのりに憑いてきたと言いたいのだろうか。
いのりはしばらく口を閉ざしたが、自宅で腕をつかまれたことを伝えた。
「なんでもっとはやく言わないです。怪我はなかったんですか?」
「弟が手当てしてくれました」
ただ、話をしているだけなのに寒くてたまらない。
まるで冷水の中にいるようだ。
次第にガタガタ震えはじめた祈りを抱きかかえ、坂野はエレベータに向かった。
「いやっ!」
扉が開いて乗ろうとした瞬間、いのりは激しく抵抗する。
今ここに乗ってはいけない。
狭い場所はいやだ。
出られなくなる!
「佐橋さん、落ち着きなさい。では階段でいきましょう」
落ち着いた様子で坂野が言って、方向を階段に変更し歩き出した。
階段の手すりが見えた瞬間、いのりはなぜか違和感を覚えた。
この先に行ってはいけない。この上は、怖い。
降りるはずなのに、どうして上に行こうと思ったのか。
手すりの先、屋上に続く幅の狭くなった緑色の階段。
坂野が一歩踏み出した瞬間、いのりは大きな悲鳴を上げて意識を失った。
ちゃぷり・・・ちゃぷ・・・・
何かが揺れている。
水の臭いがした。
キャシャンと何かが閉まる音がした。それは建物の屋上にある高架水槽の扉が閉まる瞬間だった。専用の鍵がかけられ、誰かの足音が遠ざかっていく。
呼吸が苦しい、真っ暗でなにも見えない。体を動かそうとしたが、何かに覆われていてもがくことすら難しい。
ああ、いかないで。おいていかないで・・・誰か!
ここはきっと水の中だ。暗くて、苦しい。どんどん寒くなってきた。
木本圭一は最期に、大好きな恵がどうなったのか気になった。
先生たちの言うことなんて聞かなければよかった。どうしてこんなことになったんだろう。
さむい、あけて、ここからだして。
だれか、めぐちゃんを助けて。
心から願った声は、誰にも届かなかった。
それでも、何重にも覆われた袋の中で、つよく、つよく願った。
病室から悲鳴があがったのは、深夜二時を少し超えたころだった。
その日赤堀と坂野は上司から散々怒られ始末書を書かされていた。
警察の仕事の多くは事務処理がメインだ。派手な立ち回りなんてめったにない。
むしろ文字を書くばかりで地味な仕事である。
ハッキリ言って、警察というだけでモテない。
やましいことがなくても、なんとなく警戒されてしまうのだ。目つきが悪くなるのも原因だ。
ドラマや映画に出てくるイケメンなんているはずもなく、地方公務員だから給料だってそんなに良くない。
それでも赤堀と坂野は成績を上げ続けていた。
特に寺の息子である坂野は、昔から人とは違うものが見える人間だった。
今回匿名で、とある大学の殺人事件についてタレコミがあったのは、以前坂野が助けてやった人間が教えてくれた情報だった。
事件の可能性が高いことを理由に上の許可をそれとなくとったが、あくまでも関係者に確認という作業のみが許された二人は、大学に赴いた。
夏だったため、多くの学生はいない。
教員も、フィールドワークに出ているものも多く、比較的のんびりとした空気に見えた。
しかし北館と呼ばれる建物に一歩踏み入れた瞬間、表しようのない怒りと不安が込み上げてきた。
手続きをして色々と調べるうちに、今度は南館と呼ばれる場所に入った。
こちらでは何故か、ひどくやるせなく、ひどくさみしい気持ちになった。
男子トイレでは、一瞬冬服の男子学生が見えた。
彼はすぐに姿を消してしまったが、怒りよりも何かを心配する気持ちが強いように感じた。
坂野は目撃者である佐橋いのりに話を聞いてみようと提案した。
いのりは不思議な人物だった。
他の目撃者のように、彼を怖がっているようには見えなかった。
だがいのりの近くには彼の気配が残っている。
おそらくいのりに取り憑いたのだろう。
しかしそれ以上の進展はない。
もともと短気な赤堀が、もう一度いのりに会いに行くというので二人は再び大学を訪れた。
逃げられないように手錠を持ち出した赤堀にはドン引きしたが、結果としてわかったこともある。
やはり彼は、いのりのそばにいた。
波長が合ってしまったのかもしれない。
いのりは無意識に彼と同化し、そしてヒントをくれた。
結果いのりは錯乱状態に陥り、救急車で運ばれてしまった。
普段小さくて大人しいいのりが悲鳴を上げたことで、まわりの目は厳しいものになり捜査はやりにくくなったし、彼女の弟は二人に対して厳しい態度をとった。
それでも、これはやり遂げなければならない。
「怖い夢を見たようです」
夜勤のナースと、当直のドクターがいのりを落ち着かせ、彼女はまた夢の世界に戻っていった。
本来ならば、こんな時間に警察がやってくることはあり得ないのだが、不審者に付きまとわれていて護衛していると言えば信じられた。
「やっぱり、この女、憑かれてるんだよな?」
「間違いないだろう。よほど波長があうのか・・・もしくは」
大学の人間に何人も声をかけたが、いのりが唯一、木本圭一を心配しているように見えた。そういう人間は波長があまりあわなくても憑きまとわれることが多々ある。
問題は、なぜこのタイミングで二人の霊が活動的になったのかということだ。
「この夏に何かあるのか?」
殺されたのは冬。今は夏だ。
「・・・わからん」
薬で眠っていたはずのいのりが、ふと目をさましたのはたまたまだったのか。
「掃除」
「は? え、起きた?」
「じゅすいそうの・・・毎年、夏にある」
寝ぼけているのかぼんやりとした様子だが、口調はしっかりしていた。
「もうすぐ、業者がくる」
そうすれば、見つけてもらえる。
小さな声だったが、確かに二人には届いた。
そして気づいたときには、いのりはまたすうすうと寝息を立てていた。
「今の、どっちだと思う?」
「・・・わからん、だが彼女が怯えたのはエレベータと、階段だった。上を見ていたように思う。おそらくだが、屋上に何かある」
「はっ。くっそ面倒な始末書を書いてやっただけの報酬は得られたか」
キツネが悪どい顔で笑うとこんな感じなのだろかとぼんやり考えつつ、坂野は頷いた。
「そうだな。そろそろ決着をつけよう。あの男も動きそうだしな」
「帰国したか?」
「明日の予定だそうだ」
にやりと笑った男たちは、さっそく明日のことを話し合った。
そして朝日が昇ること、赤堀は一瞬だけいのりの髪を一房握り、じっと寝顔を見つめて部屋を出ていった。
「前から思っていたが」
「んだよ」
坂野がまるでウジ虫でも見るような目で赤堀を見やった。
「お前の女の趣味は悪くないが、女に対する態度は阿呆としか言えんな。普段小学生のような態度をとっておいて、これか。今のは完全なセクハラだぞ」
「うっせえわ!」
赤いキツネになった相棒に、微妙に距離を取りつつ二人は病室から出ていった。
バレるはずはないと思っていた。
寺島が何も考えずに余計なことをしたせいで、予定が大幅に変更されることになった。
何が絶対に見つからないだ。
検査員が来たら速攻でばれるような場所に隠しておきながら。
おかげで、予定より数日帰国することになったし、新たに遺体を隠すためにブルーシートやロープも購入する羽目になった。
スコップは大学にあるものをこっそり借りよう。大型の機器もある。
早い時間ならだれにもバレないだろう。
むしろ夜中の方が目立つ可能性があるから、どうしても早朝の必要があった。
寺島はすでに到着しているのか、紺色のスポーツカーが駐車場にあった。親の金で買ってもらったものだ。
名越の車もある。総務課の課長になったくせに未だに中古の軽自動車だった。
名越はオンラインカジノで借金があり、大学の経費に手を付けていた。
本来なら大学の予算は会計課が管理しているのだが、一部の科研費などは総務課が扱っているため、数年かけてかなりの金額を横領していた。
大学にバラすと脅せば、面倒くさいという顔を隠すことなく言うことを聞いた。
あの冬の日、二人を呼び出すのに学長室の合鍵を持ってきたのも名越だった。
寺島は学生時代から女癖が悪く、大学に戻ってすぐに学生に手を出すようになった。
前期はそれでも我慢していたのだろう。
後期になって馬場恵に執着するようになったのは、彼女がいくら言い寄られても彼氏がいると一点張りで相手にしなかったからだ。
手に入らなければ余計に欲しくなる。そんなくだらない理由から、寺島は一時期ストーキングしていた。だが相手は女の方ではなく、彼氏の方の木本圭一だった。
恵は粗探ししても真っ白で、弱みなどない優秀な学生だった。
圭一の方は少々勉強が苦手で、いつも単位を落とさないように必死だった。実習先でもミスを連発したこともある。寺島はこのままでは卒業できないと彼を脅し、一晩だけ恵を貸せばなんとかしてやると迫った。
圭一が拒めば、今度は恵の卑猥なコラージュ写真を作り、彼らを脅した。
偽物とわかっていても、そんなものが世に出たら就職どころではなくなる。
それでも二人は拒み続け、あの日がやってきた。
あえて二人の担当教諭である富永真凛にそのコラージュ写真を見せ、試験中に呼び出させたのだ。
追試を受ければ問題ないと言って。
呼び出された先では、恩師が淹れたと思わせたコーヒー。中には睡眠薬が入っていた。
富永真凛は、二人が自分の研究室に入ってすぐに、試験監督のため出ていったので、その先は知らない。
意識を失った圭一を見て、恵は悲鳴を上げたかったが、下手に動けばこいつを殺すと脅されて何もできなかった。
その後恵は、圭一とは違う場所で死ぬこととなった。
彼女に最期まで残っていた感情は、嵐のような激しい怒りだった。
圭一を引き上げるためには人手が必要だ。内藤は、苛つきながらも足を動かした。
屋上のドアは名越が開けたはずだ。一歩踏み出せば、そこには夏の青空が広がっていた。
これから暑くなる。とにかく早く作業をしなければ。なに、八時までに終えればいい。三人いれば間に合うだろう。
醜く歪んだ笑みだった。
自分の考えが間違うなんて想像もしていない、そんな笑みだ。
しかしそれはすぐに崩れ去った。
「は?」
「おっせーよ。こっちはずっと前から待ってんだけど」
見慣れない背の高い二人の男。
一人は目が細くキツネのような男、もう一人は明らかに堅気ではない。
「こ、ここで何を・・・」
名越や寺島はどこだと視線をさまよわせると、ドアのすぐ近くで不貞腐れたような顔で座り込んでいた。それぞれの手はパイプを挟んで一本の手錠で繋がっている。
「何を、じゃねえ。こちとら一晩中仕事して疲れてんだよ。さっさと終わらせろこのマヌケ」
「赤堀、口が悪いぞ。だいたい、お前が彼女に見とれていた時間の方が長いだろう。意識のない女性の寝顔を何時間も飽きもせず・・・本当に変態だな」
「だまらっしゃい! あそこの寺島の方が変態じゃねえか! 殺した女の左手隠し持ってるとか意味わかんないんですけど!? だいたい自分は、あの女が息してるかチェックしてただけですけど!?」
母親が幼子の寝息をチェックするかのような発言をしているが、いかんせん耳まで赤くなっているので酷い言い訳である。
「お前はうちの母のようなことを・・・アレは夜中気づくとホラーだぞ」
特に長い髪の女性が夜中にやると、トラウマものだ。
「むきいぃっ!!!」
マヌケな会話は途中までしか耳に入らなかった内藤は、驚いて寺島を見た。ぶすっとした顔で目をそらしたままだ。
なぜ腕を隠し持つ必要があるのか、心底理解できない。
寺島は、恵は違う場所に遺棄した。学内にはないと言ったが、いったいどこに隠したのか何度聞いても教えてくれなかった。まさか自分で持っているとは・・・
「まあいい。この貯水槽の鍵は、そこの名越が持っていたからな。拝借して先に確認させてもらったよ。よほど頑丈に閉じ込めたんだろうな。驚くほど腐った匂いがしなかった。だがそれでも検査員が見ればわかるだろう」
坂野が淡々と言うと、内藤は慌てて逃げ出そうとした。
「内藤とか言ったな。あんたはなんでこいつらに協力したんだよ」
しかし振り返ればいつの間にか真後ろにキツネ顔の男がいて動けなかった。
ぐっと唇をかみしめる。
「・・・」
「まあいいけど。署でじっくり聞くし」
内藤は自分の興味のあることにしか意識を向けない男だ。
高架水槽は建物に水を運ぶためのものだ。
トイレや手洗いなどでも使われる。むろん、飲み水として使用する場合もある。
本来厳重に“彼”を閉じ込めてさえいなければ、おそらく死後半月もたたず彼は見つかっていただろう。
のちに捜査員の一人が、無残な彼の様子を見て呟いた。
『狂気的なまでに厳重だな。こうでもなければ数か月気づかれなかったなんて、信じられないよ。見てみろ、七重に巻かれてる。よっぽどこの子が気に入らなかったんだろうな。なんせ仏さん、生存反応がある・・生きた状態でこれをされてんだぜ・・・犯人は人間じゃねえ、鬼だ』
自身の息子とそう変わらない年ごろの被害者に、彼はひどく同情し、それは多くの捜査員に伝播することになる。
「俺はその二人に呼び出されただけだ。俺は、あの二人を殺してない」
内藤が苦し紛れに叫べば、寺島がはんっと鼻で笑った。
「このおっさん、お稚児趣味なんだよ。わざわざ年に何度も海外にいくのは、日本よりガキを買いやすいからだ。さすがにアメリカじゃああんまりやらないみたいだけどな」
カッと顔を赤くした内藤は、何か言いかけて、それでもぐぐっと我慢した。
「スマホの写真確認してみろよ。わんさか出てくるぜ」
名越は知らなかったのか、一瞬呆然としていたが、次いでバカにしたように笑んだ。
なるほど、寺島がいくらバカをしてもフォローに回るわけだ。
一見このグループのリーダーは内藤に見せて、実は寺島だったらしい。
「僕は鍵を用意しただけだ。人殺しはしてない」
「あんたが言い出したんじゃん。学長室の電話を使えば、誰にもバレないって」
名越と寺島が言い出したので、内藤もついに我慢が出来なくなった。
「だいたい日本は稚児文化の国だ。可愛い子を愛して何が悪い!?」
「いや今それ関係ないから」
冷静な突っ込みを入れて、赤堀は坂野に目配せした。
遠くからサイレンの音がする。二人が手配した緊急車両だ。
「喧嘩は塀の中でやんな」
死体を発見し、事件を明るみにしつつ解決した功績の裏で、二人には早朝の不法侵入の始末書が待っている。
世の中はなんと世知辛いものか。
やいのやいの言い続ける三人は、結局他の警察官が到着しても醜い言い争いを続け、結局とめにはいった警察官を殴ったということで緊急逮捕された。
いのりはその日、不思議な夢を見た。
見覚えのある男子学生が、恋人を優しく抱きしめている様子だ。
とても幸せそうに、大切そうに、彼は彼女をその腕に閉じ込めた。
ありがとう
ありがとう
二人の声が重なっていのりの耳に届いたとき、ふと体が重くなったような気がして目が覚めた。
起きるなり涙を止めない姉を見て、弟はよほど怖いことがあったのだろうと心配し、こんな原因を作った警察官二名に慌てて連絡した。
今度はいったい何をしたんだと怒鳴れば、数十分後に二人は皺だらけのスーツ姿で現れた。
「行方不明だった二人を見つけました。先ほど科捜研に運んだので、これからさらに詳しく調べることになります」
左手だけは寺島がデスクの引き出しに隠していたためすぐに回収され、圭一と恵は、わずかだが同じ場所に戻ることができた。
寺島は圭一を眠らせたあと一度自宅に戻った。
恵は、その車で圭一の自宅マンションに連れていかれ、凌辱され、その様子を動画や写真に残されたあと、なんとか逃げ出そうとして背中を包丁で刺された。
それでも逃げる様子を見せたため、後ろから首を絞められて息絶えた。
寺島は自宅でなんとか恵を解体し、父親が持っている土地に埋めたが、左腕だけは処分できなかった。
のちに、これは勲章だと語り、捜査員を激怒させた。
圭一を高架水槽に落としたのは内藤だった。
寺島が圭一を特大サイズのポリ袋にいれたあと、何重にもテープで巻いていき、それを何度も繰り返した。最終的に目立たないように、黒い袋に入れて、またテープで巻いた。
彼はその時点で、誰もが死んだと思っていた。
内藤と寺島は、名越に大きな段ボールと屋上の鍵、そして高架水槽の鍵を用意させた。寺島はその段階で自宅に帰り恵を殺し、その間に残った二人が屋上へ圭一を運んだ。
冬の屋上はとにかく冷えたが、名越は直接男に触れるのは嫌だと言い張ったため、しかたなく中に突き落とすのは内藤の役目になった。
名越は直接の殺害は行っていないが、二人を手伝ったこと、そしてオンラインカジノが原因で逮捕された。
「・・・・よかった。見つかったんですね」
泣きはらした目で静かに呟くいのりに、赤堀と坂野は同時に頭を下げた。
「あなたを、傷つけてしまいました」
「申し訳ございません」
強引だったのは、二人を見つけたかったからだろう。
いのりは穏やかに微笑んで、首を横に振った。
「大丈夫です。二人が見つかったなら、本当に良かったです」
きっと今朝見た夢は、そういうことなのだ。
なんて晴れやかな気持ちだろう。
いのりは、二人を見つけてくれてありがとうと男たちに告げた。
その後、もう心配ないと太鼓判を貰ったいのりは退院したが、三日ほど仕事を休むことにした。
高架水槽の清掃や水質検査は時間がかかり、その間建物全体で水道を止めることになったため、図書館も数日のあいだ臨時休館となった。
そして赤堀と坂野は、勝手な行動を咎められ、始末書と報告書と一週間の謹慎処分が待っていた。
この三名がまた顔を合わせることになるのは、ずっと先のことだった。
事件は解決したが、世間は厳しい目でこのニュースを追った。
大学の教員が学生を殺した事件だ。しかも犯人は複数で、死体は大学構内にあったこと、幽霊騒ぎがあったことなど、面白おかしく書く週刊誌もあった。
ネット上では迷惑系ユーチューバーが深夜に大学に侵入したり、しつこく取材を迫る記者の姿などが目立った。
大学側は対応を迫られ、法人本部から数名、大学から数名の処分者を出したが、イメージダウンは免れず、翌年の入学者は過去最低を記録した。
大学では数年後、こんな噂が一人歩きするようになった。
夜十時ごろ、北館のとある研究室で女の声がする。
左腕を失くした女が、自分を殺した男を探してさまようのだそうだ。
実際に見たという目撃例が後を絶たず、その研究室は封鎖された。
しかし噂はさらに広がり、時折非常階段も女が現れるのだそうだ。
女は階段の上を見上げて、しわがれた声で言った。
『あけて・・・彼を返して・・・』
『・・ねえ・・・あけて・・』




