第7話「泣き虫錬金術師、錬金術勝負を挑まれる①」
村の薬草屋が開店してから、数日が経った。
初日は心臓がおぼろ豆腐になるかと思ったけど、頼もしいホムンクルスのアリスと、ぷるぷるスライムのぷるんのおかげで、なんとかやっていけている。
「ふぅ……今日も平和……」
レーネは工房でポーションの瓶を並べながら、胸をなでおろした。朝の光が差し込む窓辺には、色とりどりの薬瓶が宝石のようにきらめいている。回復薬の淡い緑、解毒薬の紫、栄養剤の温かい黄色——どれも、レーネが心を込めて調合したものばかりだ。
村の人たちは優しいし、アリスが表に立ってくれるおかげで、接客も怖くない。奥で泣きそうになりながら調合しているだけで、なんとかお店は回るのだ。開店からわずか数日で、既に「レーネの薬草屋」は村の人たちにとって欠かせない存在になっていた。
「ご主人様、もう少ししゃんと立ってくださいまし。背中が丸まってますわよ」
カウンターから聞こえてくるアリスの声に、レーネは慌てて背筋を伸ばす。金髪ツインテールに白いワンピース姿のホムンクルスは、見た目は可愛らしい年下の女の子なのに、口調だけは完全に年上だった。
「うぅ……だって、人前に出ると怖いんだもん……」
「全く。私がいなかったら、開店三日目で店は潰れてますわね」
「そ、そんなこと言わないでぇぇぇ……!」
アリスの辛辣な言葉に、レーネは肩をすくめた。でも、心の奥では、本当にアリスがいてくれてよかったと思っている。王都では一人ぼっちで失敗ばかりだったけれど、ここでは頼もしい仲間がいる。それだけで、どんなに心強いことか。
肩の上では、ぷるんがのんびりと虹色に光っている。小さなスライムは、レーネの気持ちを察してか、優しく揺れていた。
そんな、平穏な午前のことだった――
ガラガラッ!
突然、店の扉が勢いよく開いた。普段の村人たちとは違う、荒々しい開け方に、反射的にレーネはびくぅっと肩を震わせ、奥に隠れる。
「ふん、ここが噂の"泣き虫薬草屋"ね」
聞こえてきたのは、やけに高飛車な女の声。村の温かい方言とは全く違う、王都の貴族のような話し方だった。そっと顔を出すと、そこに立っていたのは――
「え、えっと……どちら様……ですか……?」
レーネと同じくらいの歳の女の子。しかし、その佇まいは全く違っていた。真っ赤なツインドリルの髪は完璧にセットされ、派手なフリルの錬金術師ローブは高級な絹でできている。腰には立派な錬金術師の証である銀の徽章が輝き、目元には自信と挑発の光が浮かんでいる。明らかに、村の外から来た人物だった。
「あら? 私の事お忘れかしら、レーネ」
自分の名前を呼ばれて、レーネの心臓が跳ね上がった。知らない人から名前で呼ばれるなんて……。
「えっ……?」
「王都の錬金術師学院で同級生だった、ミレーユよ!」
「えええっ……!?」
思わず変な声が出た。ミレーユ……そんな人、いた……っけ……? レーネは必死に記憶を探ったが、学院時代の記憶は曖昧だった。人見知りが激しすぎて、いつも教室の隅で縮こまっていたから、同級生の顔と名前がほとんど一致しないのだ。
「なっ……本当に、この私を覚えていないのかしら!?」
ミレーユは、ガーンと衝撃を受けたように顔を引きつらせる。その表情は、まるで世界の終わりを告げられたかのような絶望感に満ちていた。
(いや、私が悪いんじゃない……学生時代、人見知りすぎて、ほとんど教室の隅で小さくなってたんだもん……)
レーネは必死に自己弁護。確かに成績は良かったけれど、それは静かな環境で一人で勉強していたからこそ。人との交流は最小限で、特に華やかなタイプの同級生とは関わりがなかった。
「あなた……私にとってはずっとライバルだったのに……!」
ミレーユの声に、深い悲しみが込められていた。
「ら、ライバル……?」
レーネは困惑した。自分にライバルがいたなんて、初耳だった。
「そうよ! でも、あの頃は何をしてもあなたに勝てなかった……! 筆記試験でも、実技でも、いつもあなたが一番で……それが、こんな田舎で薬屋をやってるって聞いて、来てみたら……」
ミレーユは店内を見回し、鼻で笑った。その視線は、レーネが大切に並べた薬瓶たちを値踏みするように動く。
「……ぷっ。やっぱりポーションしか置いてないじゃない。回復薬に解毒薬、栄養剤……こんなの、錬金術師のやることじゃないわね。まるで町の薬屋と変わらないじゃない」
「ぐふっ……!」
レーネは心臓を撃ち抜かれたような気持ちになり、膝から崩れ落ちる。確かに、高度な錬金術ではないかもしれない。でも、村の人たちの役に立っているのに……。
「が、がーん……わ、私……錬金術師にふさわしくない……?」
「その通りよ、レーネ。あなたはただの薬屋。私こそ本物の錬金術師よ!」
ミレーユは勝ち誇ったように胸を張る。その自信に満ちた態度は、レーネにとって眩しすぎるほどだった。工房の奥で、レーネは涙目になりながらぷるんにしがみついた。
「ぷるん……私、やっぱりだめなのかなぁぁ……」
「ぷるる……」
肩の上でスライムが心配そうに震える。その小さな体が、レーネの不安を吸い取ろうとするかのように、優しく光った。
そのとき――
「――ちょっと失礼ですわね、あなた」
カウンターの向こうから、凛とした声が響いた。それは、レーネが今まで聞いたことがないほど、冷たく鋭い声だった。
金髪ツインテールのホムンクルス、アリスがすっと前に出る。普段の愛らしい表情とは打って変わって、その青い瞳には怒りの炎が宿っていた。
「ご主人様は、私という愛くるしいホムンクルスを作った立派な錬金術師ですわよ」
アリスの声には、普段の毒舌とは違う、本気の怒りが込められていた。
「はぁ? あんた、なに? この小娘……まさかホムンクルス? こんな辺境で?」
ミレーユが眉をひそめる。確かに、辺境の村でホムンクルスを見ることは珍しい。王都でも、ホムンクルスを作れる錬金術師は限られているからだ。
「小娘ではありません、アリスですわ。ご主人様に代わって、あなたの無礼を許すわけにはいきませんの」
アリスは腰に手を当て、ミレーユを見上げてにっこり笑った。しかし、その笑顔は、どこか底意地が悪く、危険な香りを漂わせていた。まるで、獲物を前にした猫のような表情だった。
「でも、実際ポーションしか作ってないじゃない。店の看板にも"薬屋"って書いてあるわよ。これのどこが錬金術師ですって? やってる事は薬師じゃないの」
ミレーユの言葉は正論だった。確かに、レーネが作っているのは基本的なポーションばかり。高度な錬金術とは言えないかもしれない。
しかし、ミレーユのその言葉に、アリスの導火線に火が着いたようだった。
「そこまで言うなら……」
アリスの声が、一段と低くなる。まるで嵐の前の静けさのような、不穏な空気が店内に漂った。
「この店をかけて、錬金術勝負ですわ。負けたらあなた、一生、私の下僕になってもらいますの」
「はぁぁぁっ!? な、なに勝手に……!」
レーネは奥で両手をぶんぶん振ったが、もう誰も聞いてくれない。事態は彼女の制御を完全に超えていた。
「いいわ、その勝負受けてあげる! こんな田舎娘に負けるわけないもの!」
ミレーユの目が、闘志で燃えている。
「ちょ、ちょっとぉぉぉぉ……私、勝負なんて受けてないのにぃぃぃ……!」
レーネの悲痛な叫びは、二人の女性の熱い視線によってかき消された。
こうして、レーネの意志とは無関係に、錬金術勝負は決まってしまった。村の薬草屋に、思いがけない嵐が巻き起こることになったのである。
肩の上で、ぷるんが心配そうにぷるぷると震えている。その小さな体は、これから起こるであろう大騒動を予感して、虹色の光を不安そうに明滅させていた。
平和だった村の午前は、こうして予想外の展開を迎えることになったのだった。