第5話「泣き虫錬金術師、薬屋を開店する①」
辺境のブリッヒ村に来て十日目。レーネ・アルバートの新たな挑戦が始まった。
「はぁぁぁ……ついに、この日が来ちゃいました……」
工房の前で深呼吸を繰り返しながら、レーネは目の前の看板を見上げた。村長お手製の木の看板が、風に揺れている。
『レーネの薬草屋』
素朴すぎるのも、文字が少し曲がっているのもご愛敬だ。王都の立派な店とは比べ物にならないけれど、レーネにはこれで十分だった。
「ご主人様、そんな顔をしていたら、お客様が逃げてしまいますわよ」
背後から涼やかで辛辣な声が降ってきた。振り返ると、金髪ツインテールに白いワンピース姿のホムンクルス――アリスが立っている。見た目は可愛くて年下っぽいのに、口調は容赦がない。
「だ、だって……知らない人が来るんですよ? 私、ちゃんと声出せるかな……心臓が杏仁豆腐みたいにぷるぷるしてます……」
「大丈夫ですわ。ご主人様は奥に引っ込んでいてくださいませ。表は、この私が華麗に務めさせていただきます」
そうだった。人見知りで泣き虫なレーネに接客は無理。だからアリスを作ったんだった。でも、それでもやっぱり怖いものは怖い。
「ぷるる♪」
肩の上で、スライムのぷるんが小さく震えて虹色に光った。その光を見て、ほんの少しだけ勇気が湧いてくる。
「よし……頑張ろう……」
小さくつぶやいて、レーネたちは開店の準備を整えた。
***
午前中の早い時間から、村の人々が集まってきた。
「おお、ここが新しい薬草屋かい!」
「この前のポーションがすごく効いたって聞いたぞ!」
わらわらと押し寄せる村人たち。レーネは工房の扉の隙間から覗き見して、ひぃっと息を呑んだ。
「ご主人様、見ていてくださいませ」
アリスが、まるで舞台に立つ女優のように、すっとカウンターに立つ。小柄な体に似合わない堂々とした態度で、愛想のいい笑みも完璧だった。
「いらっしゃいませ。ご所望は?」
最初に入ってきたのは、村の仕立て屋のおばあさんだった。腰を曲げて杖をつきながらも、にこにことアリスを見つめる。
「この前の風邪薬、また欲しくてねぇ」
「かしこまりました。三瓶でよろしいですわね?」
「まぁ、助かるわぁ……! 本当に、あれを飲んだら楽になってねぇ」
アリスは流れるような手つきで棚からポーションを取り出し、籠に入れる。代金のやりとりもスムーズで、おばあさんは満足そうに帰っていった。
「……すごい……」
レーネは奥で何もしていないのに、もう店が回っている。あまりの安心感に、思わずふにゃふにゃ顔になってしまった。
「ご主人様、表情がだらしなくなっていますわよ」
「え、あっ……!」
恥ずかしくて顔が真っ赤になる。でも、アリスがいてくれて本当に良かった。
その後も、店は思った以上に賑わった。村人だけでなく、隣村の人まで噂を聞いてやって来る。
「この傷薬、すごい効いたよ!」
「うちの子の熱も下がったんだ!」
「さすが泣き虫……じゃなかった、レーネちゃんの薬だね!」
「……泣き虫は余計ですぅぅぅ!」
思わず奥から抗議したけれど、すぐに引っ込んだ。でも、こんなに喜んでもらえるなんて。胸の奥がじんわり温かくなる。
アリスは終始、堂々としていた。笑顔で客を迎え、必要があれば的確に説明し、時々毒舌を挟みながらも憎めない接客をしていた。
「……私、いなくても大丈夫そう……」
安心と寂しさが入り混じった気持ちで、レーネは工房の中で小さく丸まった。
***
昼を少し過ぎた頃、午前中の混雑も落ち着き、店内にはゆったりとした空気が流れていた。
「ふぅ……なんとか初日の山場は越えましたわね」
アリスがカウンターの上で、ふんわりとスカートを揺らして座る。午前中だけで十人以上の客を見事にさばいた手腕は、さすがレーネが作った理想のホムンクルスだった。
「アリス……すごい……本当に助かってる……」
レーネは工房の奥から、ちょこんと顔だけ出して感嘆する。店の奥に隠れているだけで済むなんて、なんて幸せな職場環境。ぷるんもレーネの肩で「ぷるる♪」と満足そうに揺れている。
そんな平和な時間に――
ガラガラァッ!
突然、扉が乱暴に開かれた。店内にいた村人が一斉に振り向く。
「おいおい、ここが噂の薬草屋か?」
入ってきたのは、村には似つかわしくない二人組だった。一人は頭を剃り上げ、真ん中にだけ髪を立てたモヒカン。もう一人は筋肉質な大男で、腕には黒いタトゥーまで入っている。二人とも皮のベストにごついブーツ姿で、いかにも「怖い人です」と自己紹介しているような格好だった。
「ひぃぃぃぃぃっ……!」
レーネは反射的に工房の奥へと飛び込んだ。心臓がバクバク鳴り、膝がガクガク震える。
(いかつい……! 絶対に怖い人だ……!)
「へっ、こりゃ本当に店ができてるじゃねぇか」
モヒカン男がずかずかと入ってくる。大男は棚のポーションを手に取り、にやりと笑った。
「これが噂のポーションか……ふぅん。……にしてもよぉ」
彼は値札をつまみ、顔をしかめる。
「……たけぇな。こんな田舎でボッタくりかよ?」
「そ、そんな……!」
工房の奥で、レーネは思わず小さく悲鳴を上げた。怒鳴られたらどうしよう。壊されたらどうしよう。頭の中で最悪の未来がぐるぐる回る。
「ご主人様、出ますか?」
ぷるんがそう言っているかのように、肩の上でぷるると震える。でも、怖くて一歩も動けない。
そのとき――
「――お黙りなさい」
涼やかな声が、店内に響き渡った。