第2話「泣き虫錬金術師、初めての依頼」
魔物騒ぎから一夜明けた朝。レーネは村外れの小さな家で目を覚ました。昨夜、村の人たちが総出で準備してくれた我が家——築年数こそ古いが、錬金術の作業場として使える立派な納屋付きだ。王都の狭くて薄汚いアパートとは雲泥の差だった。
「ここが……私の新しい家……」
朝日が窓から差し込んで、部屋を暖かく照らしている。鳥のさえずりと、遠くから聞こえる村人たちの穏やかな声。こんなに静かで平和な朝を迎えるのは、いつぶりだろう。
その時——
ドンドンドン!
激しいノック音が響いた。
「レーネさん! レーネさん!」
慌てて扉を開けると、村長のハンスが血相を変えて立っていた。
「そ、村長さん!? どうしたんですか!?」
「大変なんです! エミリちゃんが……エミリちゃんがっ!」
村長の声が震えている。いつものにこやかな表情は消え失せ、深刻そのものだった。
「え、エミリちゃんって……?」
「村で一番小さな女の子です。まだ五歳で……今朝、急に原因不明の高熱で倒れて……」
村長の説明を聞いて、レーネの心臓がドキドキと音を立てた。
「お医者様に診てもらったのですが、『こんな症状は見たことがない』と……。もう薬草を煎じた程度では効かないんです」
「そ、それで私に……?」
「はい……錬金術師様にお願いするしか……」
村長が深々と頭を下げる。その肩が小刻みに震えているのが見えた。
「もし、もしエミリちゃんに何かあったら……あの子の両親は……村のみんなは……」
レーネの手がガクガクと震え始めた。昨日のワイルドボアとは違う。今度は人の命がかかっている。それも、小さな子供の——
「わ、私なんかで……本当に大丈夫なんでしょうか……」
「お願いします! レーネ様だけが頼りなんです!」
村長の切実な声に、レーネは震え声で答えた。
「わ、わかりました……やってみます……!」
***
村長と別れた後、レーネは納屋で準備を始めた。でも、手が震えて道具をまともに持てない。
(また失敗したらどうしよう……)
王都での記憶が蘇る。
『あなたの薬で息子の容体が悪化したわ!』
『プロ失格よ!』
『二度と薬なんて作らないで!』
怒鳴り声、罵詈雑言、軽蔑の視線——
「うぅ……怖い……」
でも、エミリちゃんの苦しむ顔を思い浮かべると、逃げるわけにはいかなかった。
「よ、よし……子供用の解熱ポーションを……」
手は震えるし、背中は汗でびっしょりだ。でも、昨日みたいに、誰かの役に立てるなら——。レーネは自分にそう言い聞かせ、奮い立つのであった。
「材料は……ヒールハーブと聖水……子ども用だから分量は三分の一に……」
粉をふるい、液体を混ぜる。火加減に気を付けながらコトコトと煮詰める。でも、集中すればするほど、過去の失敗が頭をよぎる。
(エミリちゃんが苦しんでいる……みんなが私を信じてくれているのに……)
プレッシャーで胸が締め付けられる。そして——
「……う、うぅ……うわああああん!」
ついに我慢の限界が来て、大粒の涙がぽろぽろと落ちた。
ぽちゃん。
レーネの涙が鍋に落ちた瞬間——
ぼふふふふっ!
突然、薬液の中で光る泡が立ち上がった。そして次の瞬間、淡い水色をした不思議な生き物がぽこんと現れた。
「ひゃああああ!?」
現れた生き物を見て、素っ頓狂な声を上げるレーネ。それは、手のひらほどの大きさで、ぷるぷるした半透明の体。まん丸な黒い目が二つ、きょろきょろと辺りを見回している。
「ス、スライム!? なんで私の薬から……!?」
スライムはぷるぷると震えながら、レーネを見上げた。そして——
きらきらと虹色に光った。その光が薬液に混じると、みるみるうちにポーションの色が変化していく。毒々しい緑色だったものが、優しい淡い金色に変わった。
「あ……あなたが、薬を完成させてくれたの……?」
スライムは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねて答えた。
***
「エミリちゃん……エミリちゃん……」
子どもの家を訪れると、母親のマリアが娘を抱きながら泣いていた。小さなエミリちゃんは顔を真っ赤にして、苦しそうに荒い息をしている。時々「ママ……」と呟くが、もうほとんど意識がない。
「錬金術師様……お願いします……この子を……この子を助けて……」
マリアが縋るような目でレーネを見つめる。その隣では、父親のトムも拳を握りしめて祈っていた。
「大丈夫です……きっと大丈夫です……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、レーネは震える手でポーションの瓶を取り出した。
(お願い……上手くいって……)
小さなスプーンで、金色のポーションをエミリちゃんの口に含ませる。一滴、二滴、三滴——
しばらく変化はなかった。レーネの心臓が激しく鐘を打つ。
「効かない……のかな……」
その時——
「……ん……」
エミリちゃんが小さく声を出した。
「エミリ!?」
マリアが身を乗り出す。みるみるうちに、エミリちゃんの顔から熱の赤みが引いていく。荒かった呼吸も、穏やかになっていく。
「ママ……?」
小さな声で、でもはっきりと、エミリちゃんが母親を呼んだ。
「エミリぃぃぃぃ!」
マリアが娘を抱きしめて号泣した。トムも涙を流しながら、レーネの手を握った。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
***
その夜、納屋で一人になったレーネは、スライムと向き合っていた。
「あなたのおかげで……エミリちゃんを救えた……」
スライムはぷるぷると震えて、虹色に光っている。
「あなた、名前は何て呼べばいい?」
きょとんとした様子で首を傾げるスライム。
「そうか、まだ名前がないのね……『ぷるん』はどう?」
その瞬間、スライムが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。まるで「その名前、気に入った!」と言っているみたいだった。
「ぷるん……よろしくね」
レーネがそっと指を差し出すと、ぷるんは優しく触れてきた。温かくて、柔らかくて、なんだか心が落ち着く。
「私、泣き虫で怖がりで、すぐ失敗するけど——」
窓の外では、エミリちゃんの家から安堵の笑い声が聞こえてくる。
「でも、あなたがいれば……きっと、もっとたくさんの人を助けられる」
ぷるんが虹色に輝いて、まるで「一緒に頑張ろう!」と言っているようだった。
***
翌朝——
「レーネ様ー!」
元気いっぱいのエミリちゃんの声で目が覚めた。窓から見ると、完全に回復した彼女が、両親と一緒に手を振っている。
「おはよう、エミリちゃん!」
「ありがとう、錬金術師様!」
その笑顔を見て、レーネの胸が温かくなった。肩の上のぷるんも、嬉しそうに光っている。
「よーし、今日も頑張るぞ!」
こうして、泣き虫錬金術師と奇跡のスライム・ぷるんの、本格的な辺境ライフが始まった。
これから先、どんな困難が待っているかわからない。でも、もう一人じゃない。
ぷるんと一緒なら、きっと乗り越えられる——