第9話 校内選考会(1)
翌朝、
俺はいつもより30分早く学校へ出発した。
昨日のあの騒動――霧島 星羅が俺をチョコパイ殺害犯に仕立て上げた――のおかげで、俺に関する噂は悪い方向へさらに大きくなっているだろうから、わざわざ朝から注目を浴びて一日を始めたくはなかった。
「あ、天海 仁じゃない!」
「チョコパイ犯罪者!www」
「え?あいつパイで何かしたの?エッチな?」
「……あんた本当に情報も、頭も悪いわね」
……30分程度じゃダメだったか。
小さくため息をついた瞬間、
(あ、そうだ、昨日『保存』しておいた能力!)
頭に驚くべきアイデアがひらめいた。
「あいつ昨日、その件で治安隊に連行されたらしいよ」
「マジ?チョコパイで何をしたら――あれ?」
「……私たち、いま何の話してたっけ?」
「さあ?お菓子の話だったかな?それよりダイエットしなさいよ、あんた」
「何よ!自分の方が太ってるくせに!?」
(効果は抜群だ…!)
昨日のストーカーから借りた『認識阻害』のおかげで無事校門を通過する。
(しかも能力を維持するための消費エーテル量もものすごく少ない。まあ、そうでなきゃストーカーなんてできないだろうけどな)
……それにしても、問題は…
今日の放課後にある赤木崎田組とのヒロインカップ対決。
問題は二つ。
崎田 千代の能力に関する情報と、味方の人数一人。
崎田先輩の能力を知らないのは大きな問題だとは思わない。
どうせ一度顔を見ればすぐに分かるようになるだろうし、
(大した能力があるとは思えない。あるいは全くないレベルかも)
しかし二つ目の問題には確信が持てなかった。
最低でも冴島と俺以外もう一人必要だし、当然それが霧島だったらいいんだが……
(……彼女が受けてくれるだろうか?)
俺に対する好感があるかないかで悩んでいるのではない。
いやもちろん、その部分は少し、ほんの少し気にはなっていたが……
それよりずっと根本的な問題があったのだ。
(霧島、なぜ専攻が『治安隊』なんだ……!)
昨日家に帰ってからようやく気づいた、俺が見落としていたあまりにも基本的かつ致命的な部分。
(ヒロインなら当然『プロヒロイン』になりたいのが基本じゃないのか?)
時々刻々と落下してくるSLIMEを命がけで倒さなければならない治安隊と、
全人類が熱狂する「ヒロインカップ」を目指して栄光ある競争をするプロヒロイン。
ほとんどの有望ヒロインたちの希望は問答無用で後者だったので、
俺は彼女の希望専攻が治安隊だとは想像すらしていなかった。
(まあ、それでも治安隊志望だからってヒロインカップの経験が全くないわけでもないだろうし……ダメ元で聞いてみるか)
そんなことを考えているうちに、いつの間にか自分のクラスに到着する。
幸いまだ誰も来ていない静まり返った教室。
霧島 星羅の隣の席――言い換えれば俺の席――に座り、筆記用具を準備していたその時、
ガラッ。
悩みの原因であるまさにその霧島が教室に入ってきた。
……とりあえず、緊張するな、俺。
色々なことがあった昨日。
否定的かもしれないし肯定的かもしれない様々な事件があったが、
それらを全部足し合わせても、少なくともマイナスにはならないだろうと思う。
『お、おはよう、今日は早いね?昨日の夜はよく眠れたみたいで良かった』なんて挨拶をするつもりも、する気もない。
……にっこり。
五十嵐 真之介が見ていたらきっと眉をひそめたであろうぎこちない笑顔と共に、ただ小さく彼女に向かって挨拶代わりに手を挙げる。
しかし、
「……」
何の返事も、何の身振りも、何の表情の変化もなく隣の席に静かに座る霧島 星羅。
あれ……?
機械的な動きでカバンをかけ、その中から筆箱とノートを取り出して机の上に置く。
ぎこちないとはいえ、相変わらず彼女に向かって微笑んでいる俺を完全に無視して自分のことだけを続ける彼女。
……やっぱり俺の勘違いだった。
昨日の出来事を全部合わせたらプラスになるだろうという仮定。
考えてみればそれもそうか。
あれほど彼女が好きなチョコパイを殺害したのに加え、
結果は良かったとはいえこっそり自分を尾行し、
決定的に自分を助けるという口実で破廉恥な行為まで。
……ああ、やっぱりそうだよな……
追加で告訴されなかっただけでも感謝すべきだろうな……
言い知れぬほろ苦さを後にして、俺もまた授業の準備をしようとした時、
こてん。
突然机の上に腕を乗せ、俺の方へ斜めに上半身を傾ける霧島。
(?!)
俺もまた彼女の行動に驚いて霧島 星羅を見つめたが、
彼女はぼんやりとこちら側――俺の顔ではなく、ただ俺の机の方向――を見つめながら自分の唇に右手を当ててつぶやいた。
「……私、ファーストキスだったんだけど……仁君もそうだったのかな…?」
…
……?
―――あぁ。「ストーカー」から借りた『認識阻害』。
こんなにエーテル消耗の少ない技は生まれて初めてで完全に忘れていた。
慎重に、本当に、と~っても慎重に体を起こす。
そしてそうやってぼんやりしている俺の隣の席の子を前にしてゆっくりと、非常にゆっくりと後ろに下がり、
タタタッ!
後ろも見ずに、俺はそうやって自分のクラスから逃げ出した。
約40分後、1時限目開始直前。
しばらく校内を彷徨った後、慎重に教室に戻ってきた俺は、
「うん!実は私、ヒロインカップやってみたかったの!」
思ったよりあっさり霧島 星羅をヒロインカップに誘い出すことに成功した。
「でも……今日の午後にすぐ試合があって、相手は赤木崎田組の先輩たち。私たちのチームは 冴島さんと、天海君っていうことだよね…?」
しかし何か引っかかることがあるのか、少し困った表情の霧島 星羅。
あ、彼女が気にするのも当然だ。
赤木崎田組の先輩たちは元々不良で有名だったし、冴島もそれに劣らず「クレイジーアナグマ」として知られている。
「その辺はあまり心配するな。既に正式な試合許可も取ってあるから」
ヒロインカップは人類連合で最も重要視される競技だったため、許可を得た公式試合には必ずヒロイン治安隊と連合審判が派遣されることになっていた。
「治安隊と審判の前では、いくらあいつらでもむやみなことはできないだろうから、心配する必要はないよ」
「……うん……それはそうだけど…」
そんな俺の説明にもまだ不安な眼差しで言葉尻を濁す霧島。
「ん?何か気になることでもあるの?あ、試合のルールなら俺が冊子も持ってるし、簡単に説明――」
「ううん、そうじゃなくて……」
俺の言葉を遮り、しばらくもじもじしていた霧島 星羅は、結局何か決心したように言った。
「その…ヒロインカップやってみたい気持ちは分かるけど…… 天海君は不可能?じゃないかな?」
……
ああ、赤木崎田組や冴島 凛ではなく、俺が問題だったのか。
「いや霧島、昨日俺が戦うのをー」
……見てないだろうな。
俺がストーカーに立ち向かった時、彼女の意識は既に消えていた。
(そう考えると星羅が心配するのも当然理解はできるが……いや、じゃあこいつ、ストーカー一体誰が追い払ったと思ったんだ?)
まあ、第三者が乱入して逃げたとも考えられるか……?
それにしても厄介だ。
今、俺の能力について説明するのもみっともないし、
たとえ説明したとしても、直接見なければ信じてもらえないだろうし……
「うーん……」
急に痛み始めた頭のせいで頭を抱えていると、
「あ、ううん、違うの!決して天海君が役に立たないとか、足手まといになるとか、そんな心配をしたわけじゃないから……!」
慌てて手を振りながら慌てて言葉を付け加える霧島 星羅。
……正確にそう思ってるみたいだ。
「そうじゃなくて…その、そう!何か撃ったり、速く動いたり、守備をする時に天海君が隣にいると、無駄に危険なんじゃないかなって……」
(それがまさに足手まといってことで、つまり役立たずってことだろ!!)
そんな不満が喉まで込み上げてきたが、あえて口には出さなかった。
結局、直接見せればいいことだから。
キーンコーンカーンコーン、
午後3時、全ての授業が終わるチャイムが鳴ると同時に一番後ろの席の冴島 凛に近づき話しかける。
「冴島、行くぞ。準備はいいか?」
「……何が?」
しかし返ってきたのは、一体何のことだと言わんばかりの冴島 凛の声。
「な、何がって。その…昨日のあれだよ!」
「? 何言ってんだてめえ」
「お前こそ何言ってんだ!赤木崎田組と一戦交えるって約束しただろ!」
相変わらず分からないという表情のクレイジーアナグマに、もどかしさのあまりトーンを上げて問い詰めるように言う俺。
「あぁ…そんなこともあったな、確か」
そうだ、昨日登校途中に猫が通り過ぎたな、といった口調でぽつりと吐き出した冴島 凛は、
「ま、頑張れよ。私はバイトがあるから、これで失礼するぜ」
その言葉だけを残し教室を出て行こうとした。
―ぐいっ。
「……なんだ、気でも狂ったか?」
突然制服の上着を掴まれ、殺気立った目で振り返る冴島 凛。
「ひ、ひぃっ!」
「…ひっく」
その眼差しに真之介はぎょっと怯え、霧島も急にしゃっくりを始めたが、ここで冴島 凛をそのまま行かせるわけにはいかなかった。
「冴島、お前がいなきゃ話にならないだろ!俺と霧島二人でどうやって赤木崎田組に勝てってんだよ!」
「それが私と何の関係があるってんだよ!離せよ!それにそうするつもりなら昨日先に言えっつーの!」
「いや、お前は事件の当事者だったんだから、当然一緒にやるもんだと思ってたんだよ!」
「クソッ、知るかよ!私はバイト行かなきゃなんねーから、関係ねぇことに巻き込むなっつってんだろ!」
「頼むから手伝ってくれよ!」
そんな険悪な言い争いが続く中、おずおずとしながらも割り込んできた五十嵐 真之介。
「その、それでも…仁は昨日助けてやったじゃないか、其方を…全く関係ないというのはあまりにもー」
「あぁん?!」
「ひぃぃっ!そ、その…アルバイトの件なら、今日の日当は拙者が代わりを――」
「……」
しばらく言葉がなかった冴島 凛は、
グッ。
自分の上着を掴んでいた俺の手を強く振り払い、五十嵐 真之介に近づいて言った。
「五十嵐…アンタが私を奨学生としてここに入学させてくれたことには、ある程度感謝してはいるぜ」
「そ、そ、それなら今回もちょっと……」
「だがな、そのはした金で私にあれこれ命令すんのは……正直クソほど、殺したくなるくれぇムカつくってことだけは覚えとけ」
冴島 凛はそうだけ言って、そのまま教室の外へ去っていった。
……
「ひ…ひぃっ……」
「…ひっく」
終わったな、今日の試合。