第4話 霧島 星羅
「天海と五十嵐、階段で赤木崎田組とヤッタって噂聞いた?」
「ヤッタの!?階段で!?だ、五人でそんなこと可能なの?!」
「こいつまた何言ってんの?喧嘩したってことだよ、変態!」
「え…?わ、私もそういう意味で言ったんだけど?!いや、でもちょっと納得いかない!そもそもあいつら男なのに、殴り合いの喧嘩をしたって解釈する方がおかしいんじゃない?!」
「言われてみればそうかも。まあ、天海 仁は『あの弟さん』だろ?並の男子じゃないはずよ」
「いや、いくらなんでも…とにかく、それでどうなったの?」
「知らない。噂は流れてるけど、実際に見た人いないし、本人たちも何も言わないし。とりあえず治安隊は別に何にもなしに帰ったそうよ。あ、喧嘩売ったのはあいつらじゃなくて冴島だってさ」
「あのクレイジークマだかイヌだかって呼ばれてた?そういえば私も彼女の目つき、ちょっと普通じゃないと思ってたんだよね。今も授業中なのに帽子かぶってるし」
(困ったな……)
聞こえないと思っているのか、聞こえても構わないと思っているのか。
後ろの女子たちの雑談を聞き流しながら、こめかみをじっと押さえてため息をつく。
正直に言って、こんな後ろ話は特に気にならなかった。
噂されている主人公の一人、「クレイジーアナグマ」冴島 凛もまた、窓際の一番後ろの席で窓の外だけを眺めているし。
俺が本当に問題だと思っている点は、
「そ…れで…我々人類は36年前…SLIME…その…シリコンベース流動性…あ、皆さんはヒロイン志望だからもうご存知ですよね…?すみません…とにかくその怪物たちのせいで…南米、アフリカ、オーストラリアなど南半球のたいぶ……大部分を占領…されて……」
今が昼休み前の4時限目、授業真っ最中であるという点だった。
極東ヒロイン高校。
このヒロイン養成特殊目的高校に対する俺の感想は――
(クソ高校 、そのものだ……)
俺をここに半ば強制に配属させた五十嵐 真之介は全力で否定したが、優秀な志望者たちが集まり最高のヒロインを輩出すべきこの場所の実態は想像よりも深刻だった。
まともに聞き取ることさえ難しい授業を進めている歴史先生はさておき、
後ろの座席で思う存分騒いでいる奴ら、
堂々と熟睡している奴ら、
イヤホンを挿して音楽に夢中な奴ら、
机の上に菓子を広げて食べている奴ら、
教科書を盾にしてクスクス漫画を読んでいる……
あれは真之介か。
ただ静かに窓の外だけを眺めているクレイジーアナグマが模範的に見えるほど。
それでもキャップくらいは脱いでほしいものだが。
はぁ……
深いため息をつきながら手に持った白黒印刷の冊子、「期待のヒロインTOP10!
高校新入生編」に視線を落として考える。
(もう少し穏便に話すべきだったか……)
今朝あった赤木崎田組とのいざこざのせいで、
『―当然です、去年の予選1回戦敗退者である赤木崎田組の先輩方でしょう』
(いや、もしかしたら俺のあのセリフのせいかもしれないが…)
とにかく来週でもなくまさに明日、
この極東ヒロイン高校の代表である先輩たちと「ヒロインカップ」で白黒つけることになった。
ヒロインカップ。
競技名自体が大会の名前である、
能力使用に一切の制限を設けないヒロイン専用球技種目。
高等部競技の最小参加人数は3人だったため、
我が高校の現代表、赤木崎田組を相手にするためには冴島 凛を含めても最低もう一人が必要だった。
何の役にも立たない理事長の息子、五十嵐 真之介は当然論外だし、
ヒロインカップは能力発現の源泉であるエーテルの消耗が激しいだけに、サブメンバーも一人確保しておきたいところだが……
広げていた冊子を神経質に閉じ、心の中で叫ぶ。
(『期待の未来ヒロインTOP10!』に紹介された連中は一人も来てねぇじゃねぇか、真之介 ……!)
TOP5レベルの大物ならこの無名新設高校に来ないのも当然だとは思った。
しかし、ここを含めてヒロイン養成特目高は全部で4校しかないのに、1位から10位までを全部他のところに取られるなんて、いくらなんでもひどすぎないか?
そう思わないか、理事長の息子さんよ?
漫画読むのやめて経営しろ、頼むから。
(―それでも、完全に希望が消えたわけじゃない)
隣の席の相手を見る。
こんなめちゃくちゃな教室の中、ほとんど唯一先生の話を静かに筆記している彼女。
霧島 星羅。
長い銀髪の少女。
姓は霧島、名を星羅。
基本的に俺は女性に対しトラウマのようなものを持っている。
それが姉さんのせいなのかは確信できなかったが、
女性たち、特にヒロインたちの自信満々な態度と過度な万能感、そして暴力性は本能的な拒否感を与える代表的な要素だった。
しかし、霧島 星羅からはそんな否定的な感じを受けることがなかった。
正確に表現するのは難しいが…
今まで硬い氷菓子ばかりを噛み砕いてきたのが、
初めて柔らかいソフトバニラに接したかのような、そんな感覚。
しばらくそうやって彼女の横顔を眺めていたが、
(あ、こんなことしてる場合じゃ無かった)
首を振って「期待の未来ヒロインTOP10!」を再び開く。
昨日家でマーキングしておいたページに目を落とす。
「能力評価操作説?!中央ヒロイン中エースの没落!」
刺激的なタイトルのコラムをゆっくりと再び読み進める。
「名門、中央ヒロイン中のエースと呼ばれた霧島 星羅は3年生の秋、模擬評価でヒロインパワー247という信じられない記録を見せた。しかし、結局最終卒業評価ではその半分にも満たない112のヒロインパワーしか見せず、みじめに落ちぶれた 。TOP3は確定的と評価されていた彼女の墜落に、周囲からは彼女がそれまでの成績を操作していたのではないかという主張が出始め、関連証言も続々と――」
そこまで読んだ後、冊子を閉じて机の下に押し込む。
『みじめに落ちぶれ』、か…
筆記中の霧島の整った横顔をちらりと見る。
薄くて長いまつげ、
整った目鼻立ち、
柔らかく弾力的な薄ピンク色の唇――
(いやいや、そうじゃないって)
激しく首を振って雑念を払い、
閉じた目をゆっくりと開ける。
見つめる先は、彼女の「瞳」。
(あの内容を信じるてるわけじゃないが……)
ワンダーキッドとも呼ばれた霧島が、このクソ高校に来るしかなかった理由。
姉さんのおかげ、いや、せいで覚醒することになったこの体質を利用すれば、
詳しい経緯は分からなくても、せめて彼女の能力が本物かどうかは分かるはずだ。
だが、
サッ!
俺の視線が届く前に、素早く反対側に少し顔を向ける霧島。
(…あれ?)
相変わらず筆記は続けていたが、視線と共にノートまで横に向け瞳をうかがう機会を与えない彼女。
……うーん、何か…
突然込み上げてくる正体不明の息苦しい感情。
少し眉をひそめ、俺もまた上半身をひねって再び霧島の眼を覗き込む。
ぐいっ!
今度は首とノートだけでなく、上半全体を回し視線を遮る彼女。
…
……
何だ、この感じ。
不快感というより…挫折感?虚無感?
(いや、何なんなんだ一体…?)
胸から込み上げてくる焼けるような感覚に、俺もまた一旦視線を逸らす。
(……とりあえず、今日は彼女については考えるのをやめよう)
しばらく悩んだ後、
俺なりの結論を出し次の対象を探そうとした瞬間、
ガサゴソ、
隣の席、模範生のはずの霧島が筆箱から何かを慎重に取り出し始めた。
それほど大きくないはずの布製筆箱の中から現れたのは、
暗い茶色のビニールに包まれた丸い何か。
…何だ?
視線を集中し、正体不明の何かを注視する。
(まさか、能力を強制的に上昇させる違法薬物…!?)
最近、塾界隈では能力等級を向上させたり、ヒロインパワーを大幅に増加させたりできるという各種違法補助食品が流行していると聞いた。
やはり名門ヒロイン中のプレッシャーに耐えかねて、手を出してはいけないものに手を出してしまったのか、霧島…!
ビリッ。
ついにビニールの中から破れて出てきた黒くて丸い塊。
周囲にバレないように上半身をかがめ、その邪悪な塊を自分の小さな口へ持っていく霧島 星羅。
血の気が引く。
彼女はまだ高校1年生。
ヒロインカップの仲間かどうか以前に、かつて神童だった彼女が違法薬物で壊れていく姿を黙って見るわけにはいかなかった。
彼女の口が小さく開き、その塊をかじろうとした瞬間、
トン、
無意識に伸ばした俺の手が霧島の指先に軽くぶつかった。
その衝撃により、その黒い塊は彼女の手から抜け落ちて自由落下を始め――
コトン。
鈍い小さな音と共にそのまま床に墜落してしまった。
「…………」
触れた体勢のまま微動もせず固まってしまった霧島。
(バレたのはショックだろうが…これも全部お前のためなんだ、霧島)
幸い、今まで起きた一連の出来事は他の生徒たちはもちろん、先生さえ全く気づいていなかった。
サッ。
他の生徒たちが気づく前に、素早く地面に落ちた黒い塊を掴み上げて回収する。
(心配するな、このことは徹底的に秘密にするから…それにしても、この薬物はなんなんだ?)
黒い塊を拾い上げ目の前に持ってくる。
強く漂ってくるその香ばしい甘い香りに神経、正確には胃腸が反応し始める。
(中毒性は相当なものにみえる。少しでも口にしたら、霧島のように授業中でさえこれを探すようになってしまうだろう……)
強い中毒性を最大限に警戒し、正確な内容物を確認するためにその塊を両手で割る。
サクッ、ふわっ。
ついに柔らかい内側の内容物が目の前に現れる。
まるでこれは…『アレ』みたいだ。
パン菓子にクレームを入れ、チョコレートを塗った、黒くて丸いお菓子。
……いや、これまさか、もしかして……
ふと浮かんだ考えに従い、半分に割れたその表面を詳しく観察してみる。
『五十嵐チョコパイ』
……
はぁ…よかった。
前途有望な隣の女子が違法薬物の中毒者じゃなくて本当に良かった……
残る問題は、
「さっきから、なんか変な感じしない?」
「教室、ちょっと揺れてる?」
「あんたたちマジ三流ね…あの子のせいでしょ!」
「ひぃっ……!授業中にいきなり何なのよ!?」
とてつもない物理的な殺気を放ちながら俺を睨みつける隣の席の女子 、
霧島 星羅をどうやって落ち着かせるか、だった。