第2話 クレイジーアナグマ
―ブン!
間髪入れずに繰り出された赤木 朱音の物理系硬度強化直接攻撃。
別の言い方をすれば、パンチ。
コンクリートはもちろん、熟練したプロヒロインさえもミンチにできるそれが、隅に追い詰められた冴島 凛に向かって伸びていったが、
シュッ。
強く繰り出された拳は虚しく空を切り、
新入生が立っていた場所には青い静電気だけが残っていた。
「…え?」
そうして赤木のバランスが崩れた瞬間、
―ドカッ!!
冴島のライトフックが彼女の腹部を直撃する。
「ぐはっ…!」
赤木が苦痛に顔を歪めるよりも早く、
ドカッ!バキッ、ドゴッ…!
彼女の頭とみぞおち、腹部にキックとパンチが交差して叩き込まれる。
ダメージを受けるたびに激しく点滅していた赤木のシールドは、
もはや青色を維持できず、黄色く色褪せ始めていた。
「こ…のっ!!」
連続する打撃の中でも何とか意識を取り戻した 彼女が再び鉄の拳を強く握りしめたが、
「殴られてる最中に強パンチ?喧嘩したことあんの、先輩?」
ドカッ…!
拳を繰り出すよりも早く、青い静電気をまとった冴島 凛の蹴りが顔面を強打する。
ぐらっ。
あまりにも大振りな拳を振るおうとしたせいか、タイミングを奪った蹴り一発でバランスを崩した赤木 朱音は、
「ちく…しょう……」
どさっ。
飛びかかろうとしたその体勢のまま床に崩れ落ちた。
「… え?」
何が起こったのか理解できないというように目を瞬かせる崎田 千代、
そしていつの間にかそんな彼女の背後に近づいていた冴島。
「じゃあな、マヌケども」
ドン。
冴島の白いスニーカーが無心に先輩の尻を蹴り、
崎田 千代の小さな体は階段を背景に宙に浮いた。
「――!!」
刹那の瞬間、落下点に向かって飛び出す。
目標は約2秒後、頭から床に着地する予定の不良先輩3番。
タッ!
膝を曲げて衝撃を和らげ、何とか両腕と胸で落下する 崎田先輩を受け止めることに成功する。
「…… え?」
相変わらず訳が分からないという表情の、逆さまになったまま俺に抱きかかえられている彼女。
……反射的に動いちゃったけど、先輩を助けたのが正しい選択だったのかまでは分からないな。
小柄な先輩をそっと床に下ろし、彼女が飛んできた階段の上を見上げる。
少し、いや、かなり不機嫌な表情で俺を見下ろす『クレイジーアナグマ』。
「天海 仁、次も邪魔したら…どうなるか分かってんだろうな?アンタは引っ込んでろ」
冴島の奴、マジでイイ性格してやがるな……
心の中で小さく不満を漏らした後、学友の親切な警告を受け入れ静かに先輩たちから距離を置く。
「さ、流石はクレイジーアナグ…いや、冴島 凛殿!拙者はと~っくにそなたが勝利すると分かっておったぞ!あ、あはは!」
そんな俺とは違い、急に態度を変えて称賛ラッシュをする五十嵐 真之介。
まあ、ある程度説得力はあると思う。
五十嵐中時代、数えきれないほどの問題を起こした上、出席日数まで足りなかった冴島 凛を無事卒業させ、さらにこの学校の奨学生として迎え入れる決定を下したのが、まさにあの五十嵐 真之介だったのだから。
―最初から逃げ腰にならなければもっとカッコ良かったのだがな。
それにしても、ヒロイン志望の先輩たちにも通じるんだな、あれ。
冴島 凛の下半身に小さく渦巻く青い電荷場を見つめる。
『電撃系神経強化スピードスター』。
中学のころから能力等級や出力自体はそれほど高くなかったが、冴島 凛の高い運動能力は低い能力数値を完璧に補っていた。
そんな理由から冴島はごく普通の一般中学である五十嵐中で絶対的なワントップの位置におり、生徒はもちろん先生たち、ひいては理事会にまで気を遣わせる実力者であり問題児だったのだ。
「さて、次の獲物を狩ってみるか。まずは私のダチのおかげで生き残ったナンバー3からだ」
スタ、スタ。
勝利を確信したのか、神経強化も使わずにゆっくりと階段の下のナンバー3、崎田先輩に近づいていく冴島。
「ど、ど、どうしよう… あ、朱音ちゃん… 静姫ちゃん… 私どうしよう……」
なすすべもなく座り込んだまま泣き始める崎田 千代と、
「……クスッ」
彼女に近づく冴島を何の対策もなくただ見ているだけの木崎 静姫。
悪名高かった不良グループがこうもあっさり制圧されるとは…
いや、もしかしたらこの学校自体が三流のクソ高校だったとか……?
「うむ、赤木崎田組。噂ばかりで全くの雑魚そのものではないか?いくら相手が冴島 凛とはいえ、新入生一人にやられるとは~、やはり去年のヒロインカップ予選敗退はあまりにも当然のことであったな!」
ようやく完全に余裕を取り戻し不良先輩たちを罵倒する真之介。
「……なあ、真之介、お前、ここに入れば俺 、ヒロインカップ優勝できるって言ったよな?」
―ビクッ。
満ち溢れていた真之介の余裕が、急にまた消えていく。
「この野郎…俺の状況を全部知ってて、俺をクソ三流ヒロイン高に強制配属しやがったな……?」
急速に溜まり始める俺の怒りゲージ。
「いやいや、クソ三流だなんて、そうではないぞ!きょ、去年までは確かに!そうであったが、今年はあの冴島 凛を含め有能な人材たちが――」
慌てて真之介が俺に言い訳を並べ立てていた瞬間、
「クスッ…新入生、そこまでにしておいてくれないかしら?」
今まで沈黙を守っていた不良先輩2、木崎 静姫がついに口を開いた。
「はっ、今更見逃してくれって?まあ、丸裸で土下座くらいしたら考えてあげなくもないけど。どうです、先輩方?」
「……クスッ。その言葉は聞かなかったことにしてあげるわ。今回は引き分けということにして、日を改めて『本気で』対決するのはどう?」
下級生の挑発にも表情を崩さず冷静に話す木崎 静姫だったが、
「はっ、悪いのは実力だけで十分だろうに、ユーモアセンスまで終わってやがる」
冴島はその提案を聞くふりもせず、崎田の右腕を掴んでねじり始めた。
「い、痛い…!あ、う、いやああああ…!!」
逃げることも、抵抗することもできず、そのまま腕を折られて悲鳴を上げる小柄な先輩。
「じ、仁よ、崎田殿のシールド、黄色を通り越して赤くなり始めているが…だ、大丈夫なのか…?」
大丈夫なわけねえだろ、バカ真之介め。
そうは思っても、この状況で俺もうかつに動くことはできなかった。
「……クスッ、まあ、そうなるだろうと思ってはいたけど、仕方ないわね。それじゃあ…」
階段の下に立っている俺たちのそばにひらりと飛び降りるNo.2、木崎 静姫先輩。
「ひぃっ!」
近くに寄ってきた木崎先輩を見て怯え、俺の後ろに隠れる真之介。
なんで隠れるんだよコイツ、先輩はただ自分だけでも逃げようとしてるだけ―
そう思った瞬間、
視界いっぱいに広がる女性の右足。
ヒロインどころか志望者ですらない、ただの一般男子である俺に向け全力で繰り出された上段蹴り。
(一体、なぜ?)
まさに殺人行為でしかない、一般人に対するヒロイン志望生の攻撃。
「…クソがっ」
俺がその答えを見つけるよりも早く、冴島 凛が先に動いた。
―クスッ。
はっきりと見た。
蹴りによって露わになった木崎先輩の真っ白な太ももとか、その先の黒いレースの話ではない。
攻撃対象である俺ではなく、接近する冴島 凛だけを注視していた彼女の瞳。
そしてそこに微かに映った微笑みを。
ドン!
何かが強くぶつかる音だけが聞こえた。
先輩の蹴りが俺の頭を吹き飛ばした音ではもちろんない。
彼女の足は俺の顔、その5cm前で止まっていたから。
「!何だ?!」
高速移動中、見えない何かに引っかかって大きくバランスを崩す冴島 凛。
「クスッ。いくら運動神経が良くても、その速度で空中で転んだら制御は難しいよね?」
木崎先輩は俺に伸ばされた右足を収め、
ドカッ!!
バランスを崩したまま接近、いや飛んでくる冴島の頭に向かって正確な回し蹴りを食らわせた。
「ぐはっ……!」
飛んできた加速に蹴りの衝撃が加わり、そのまま壁に叩きつけられる冴島 凛。
エテルシールドのおかげで一撃で気絶はしなかったが、
頭に加えられた強い衝撃は彼女の運動能力を封じるに十分だった。
「私の能力ね、ただ空中に透明な棒を一本作るだけなのよ?クスッ」
壁に叩きつけられた冴島に向かってゆっくりと近づく木崎 静姫。
「あなたみたいに速く動くことも、朱音みたいに強い攻撃をすることもできない。しかも私の棒、透明だとは言っても集中すれば見えるの。クスッ。本当につまらない能力でしょ?」
「そん、な、小細工を…だからあんたたちが三流だって―」
冴島が何とか体を支え上半身を起こそうとした時、
ゴン!
まるでシートベルトを締めるように、空中に生成された透明な棒が壁と床の間に斜めに突き刺さり、倒れた冴島の動きを拘束する。
「それでもこれ、使い方によっては結構便利なのよね。一個しか召喚できないけど、強度は幸い鋼鉄くらいはあるし。クスッ」
「ク…ソ…が…!」
冴島は悪態をつきながらも体をねじって脱出しようと抗いたが、壁と床に固く固定された透明な棒は決して彼女を離してはくれなかった。
…スタ、スタ。
一難去ってまた一難、泣きっ面に蜂と言うべきか。
「新入り…俺が『ブラック』にしてやるって言ったよな…?」
いつの間にか意識を取り戻した赤木 朱音が強化された拳を強く握りしめ、拘束された冴島の前に歩み寄ってきた。
「あ、あなたなんか、私たち赤木崎田組の敵じゃないんだからね!?やっちゃえ、朱音ちゃん!」
相変わらず泣き顔ではあったが、折られる寸前だった右腕を掴んで暴言を吐き始めた崎田もおまけ。
(くそ、らしくもねえことしちまった…!)
未だ冴島の体を強く拘束している木崎の棒。
「死、ねええええええ――!!」
そして全力で繰り出された不良No.1、赤木の鋼拳。
その死の象徴を回避する手段を、彼女は何一つ持っていなかった。