第18話 The last shot
崎田 千代の能力を借りて具現化した『俺』。
赤木 朱音は右の俺に専任させ、
木崎 静姫は霧島 星羅の遠距離牽制に任せた後、
左の本物の『俺』(?)はキューブを持った左の千代につく。
無理やり一人増やしはしたが、
「パス、パス!!」
反対側へ走り出す右の千代はどうしても牽制不可能だった。
しかし、
「……くぅ」
パスを防ぐためにタイトにつく左の俺を前に妙案もなくうろたえる左の千代。
「おい、何やってんだ!分身だろうが何だろうが、さっさとブチ抜けよ!」
その様子にもどかしさを感じたのか、中央に位置する赤木 朱音が左の千代を急かし始めた。
何の言葉もない木崎 静姫とは違い、明らかにイラついた態度を見せる彼女。
(…やっぱり赤木先輩はこの能力をちゃんと理解していない)
崎田 千代の能力、『二者択一の千代』。
発現した瞬間、左右に分かれるように自分が分裂する技。
もちろん、あまりにも当然だが分裂した二人の自分が両方とも本物であるはずがない。
どちらか一方だけが本物の自分で、もう一方はキューブを運び移動できるだけの攻撃力・防御力0の単なる幻影。
しかし、この技の特異な点は。
攻撃するか、攻撃されるか、能力を使うまでは、
二人のうちどちらが本物なのか、自分自身でさえ分からないという点だった。
(……今の千代先輩はパスしかできない)
目の前の俺を攻撃するのはとりあえず不可能。
キューブを持った本人が偽物なら、攻撃した即座に自分から消え、そのままキューブを献上することになるからだ。
まとわりつく俺を無視して突破するのも容易ではない。
やはり自分が偽物なら、ごく微弱な取るに足らない攻撃一つでもキューブを落とすことになるから。
完全にノーマークの右の千代にパスするのもまた悪い選択。
2年生たちは霧島の状態を正確には分からないので、本物か偽物か分からない右の千代にパスするというのは、いつ飛んでくるか分からない遠距離牽制を考慮するとあまりにも危険負担が大きかった。
結局、こちら側の左の千代に残された選択肢は、出来るだけ安全に俺を振り払った後、赤木 朱音にパスを繋ぐことだけだったが、
しかしパス対象である赤木先輩にも、パスをすべき自分自身にも『俺』はぴったりとくっついていた。
「あの、ちょっと!離れてよ!あ~っちの千代が走ってるの見えない?見えるでしょ?あっち行ってよ!行けってば!」
妙案もなくキューブを掴んだまま、ただエーテルだけが削られていく左の千代。
(……それでも、不利なのは依然として圧倒的にこっちだ)
残り時間はもうわずか50秒余り。
スコアは4 – 6。
(どうすればいい……?)
混乱して動けないのは、ただ千代先輩だけではない。
彼女の能力をそのまま具現化した俺も完全に同じ状況であり、
しかもこうして時間が引き延ばされた場合、敗北するのは当然こちら側だった。
(こんな無策で虚しく時間だけを浪費して負けるのか……?)
その瞬間、
―バシュッ!!
青い稲妻と共に現れた冴島 凛の膝蹴りがキューブを持った左の千代に直撃した。
「ぐはっ…!?」
バン!
短い断末魔と共に風船のように弾けて消えた偽物の千代。
「冴島!!」
「冴島さん!」
「復活のクレイジーアナグマ!!」
「さっき完全に殺しておくべきだったのに……!」
「―クスッ」
素早く2年生陣営へと奪ったキューブを蹴って走る冴島 凛。
「……!!」
赤木先輩にくっついていた右の『俺』が素早く木崎 静姫の方へ移動する。
高速で移動する冴島の最大のカウンターは木崎先輩の『よくは見えない棒』。
それを防ぐ最善の方法は、具現化する人の視界を物理的に遮断することだ。
「…クスッ、少しは考えたみたいだけど、本当に大丈夫なの?負けてる状況なのに、普通に攻撃に加勢したらどう?」
そんな木崎先輩の甘言には乗らない。
今、右の「俺」がすべきことは、冴島の機動力を最大限に活かすことだから。
そして左の「俺」がすべきことは、
何とかして赤木先輩が冴島に近づけないようにすることだ。
残り時間はもう約30秒。
赤木、木崎二人の先輩から自由な状態で3点ライン、つまりハイブエリアのすぐ手前まで到達した冴島。
ためらうことなく中距離3点シュートのため大きく右足を振り上げる。
「そうはさせないよ~~!」
シューティングを阻止するために千代先輩が慌てて駆け寄ってきたが、
「悪いな、もう遅いぜ、ノロマ先輩!!」
―バン!
強い衝撃音と共に発射されたキューブは、駆け寄る崎田 千代をギリギリかすめて通り過ぎ――
ドカッ!!
「ぐあっ!!」
またもや駆け寄ってきたもう一人の崎田 千代の顔面に直撃し、空中に大きく弾け飛んだ。
バン!
そのまま弾けて消えてしまった、キューブに顔面を直撃された偽物の千代。
「チッ…面倒なことしやがって!」
冴島 凛は千代に当たって弾け飛んだキューブを再び足元へトラッピングして確保したまま、
「面倒なことしてるのは誰だよ!あと10秒だけでも寝てればよかったのに!」
必死に前途を阻む本物の千代を振り払おうと努力する。
(クソッ…さっきのシュート、マジで最後の気力を全部注ぎ込んだのに……!)
迫りくる終了時間、そして枯渇していく自分のエーテル。
もはや電撃による神経強化は困難。
(せいぜい0.5秒ってとこか…?この程度じゃ3mも振り切れねぇ…!)
強化どころか、キューブに足を触れているだけで激しく息が切れ始める。
「うおおおお――!!」
咆哮しながら自分に襲いかかってくる赤木 朱音。
左の天海 仁が必死に阻もうとしていたが 本気で襲いかかる彼女を止めるにはあまりにも力不足だった。
執拗に自分のキューブを狙う崎田 千代と、正面から突進してくる赤木 朱音。
キューブを守ることさえ困難になり始めた冴島 凛の視界に映ったのは、
反対側からゴールポストに向かって走り込んでくる中央ヒロイン中出身のエリート同級生、霧島 星羅。
しかし、
(走ってんのか…アレ?)
ほぼ枯渇したエーテルをもって一般の革靴で必死に芝生を横切る彼女の姿は、
むしろ『とぼとぼ』という表現がより似合うレベルだった。
(ちくしょう、何が正解なんだよ……!?)
残り時間はわずか10秒。
突破はボロボロになった今の体では不可能、
長く見てもあと5秒もすれば赤木 朱音という人間ゴリラとも対峙することになる。
ドサッ…!
さらに悪いことに、ヘルプのために駆け寄ってきていた右の天海 仁は『よくは見えない棒』にやられたのか空中で前のめりに倒れ、
バン!
赤木 朱音を追いかけていた左の天海 仁もまた少しの間を置いてエーテルの残骸へと散ってしまった。
「凛殿!!どうか何とかしてくだされ!勝てば奨学金は勿論、毎日特別食まで提供いたすでござる!!逆に、毎日切り干し大根だけを食べたいのであれば、どうぞ潔く負けてしまわれよ!!」
(偉そうに退場しといて、今更切り干し大根みたいなこと言いやがって)
図々しいことこの上ない五十嵐 真之介の叫びにはもはや怒りさえ湧かず、むしろ呆れて心が落ち着くほどだった。
……特別食か。カツ丼でも出してくれるのかな?
―バチッ。
「え!?い、いつの間に横へ!!」
1秒も維持できなかった『電撃系神経強化』。
しかし今は、その刹那の時間だけでも十分だった。
目標は2年生陣営の一番遠い場所、3m上にかかる直径わずか1mの円。
つまりゴールを見つめ、冴島 凛は強くキューブを蹴った。
約10秒前、
(あのままではいつ取られるか分からない…!静姫先輩を自由にさせておくのは嫌だが、冴島がキューブを取られたら、その時は本当に終わりだ……!)
崎田 千代にマークされたまま挟撃される危機の冴島 凛に向かって足を蹴り出した刹那、
――カァン!
突然の正面の痛みと共に視界が反転する。
(…まさか静姫先輩、能力を俺に使ったのか?)
当然キューブハンドラー冴島 凛を止めるために温存しておくと思っていた『よくは見えない棒』にぶつかり前のめりに倒れた俺。
[2年生チーム、キューブと無関係な選手への攻撃で1点減点!
5 – 4!試合は中断なく続行します!]
(減点を食らってまで、冴島じゃなく俺を止めるって……?)
「クスッ、まだ2点差でもあるし、もう冴島をマークする必要もなさそうだからね。あなたなら理解できるでしょ、弟さん?」
木崎先輩も気づいていた。
冴島 凛を攻撃する機会を窺うより、もはやただ助太刀させないだけでも十分だという事実を。
「そして、幸い本体もこちらだったわね。残念だったわ」
(本体…?あぁ)
衝撃を受けたにもかかわらず依然として消えていない『俺』。
つまり、赤木先輩を必死に追っているあちら側の『俺』は必然的に偽物だという意味だった。
「クスッ、お疲れ様、弟さん。男にしてはーいや、そういうのを抜きにして、よくやったと褒めてあげるわ。本気よ」
「…………」
静姫先輩の言葉に返す言葉が思い浮かばなかった。
時間はもう10秒も残っていない。
唯一の希望は冴島が奇跡のような3点シュートを決めることだったが、
確率の問題以前に、俺にはもう勝負に関与する手段が何も残っていなかった。
「そして星羅ちゃん、あの子も褒めてあげたいわね。どうしてあんな子がここに来たのかしら?」
自分に傷を負わせた新入生に純粋な賛辞を送る木崎 静姫をぼんやりと見つめ、彼女が作った虚空の棒にがっくりと背中を預ける。
(……待て、星羅…?)
隣の席のヒロイン志望者を語った先輩の視線を追う。
バン!
それと同時に虚空のエーテルへと散った、赤木先輩を止めていたもう一人の『俺』。
そして先輩が見つめる視線の先、霧島 星羅を見つめる。
まさに「とぼとぼ」に近い速度でゴールポストに向かって革靴で走っていく隣の席の女の子。
その瞬間、
バチッ!
ほんの一瞬、冴島 凛の体から青い静電気が起こり、
バン―!
ごく短な瞬間、崎田 千代のマークから外れた彼女が最後の3点シュートを放った。
「――!!」
「!?」
「行けぇ!!」
「入れでござる!!頼む!!」
「ダメ――!!」
横へ飛び上がり、精一杯伸ばした赤木 朱音の手をかすめ、
直径1mの円の中心に向かってまっすぐ飛んでいくキューブ。
その軌道は一見完璧に見えたが、
(威力が弱わっている……!!)
鉄拳にやられたせいか、重力の影響を受けて少しずつ高度が下がっていくキューブ。
このままではゴールポストに届かずそのままラインアウト、試合終了。
「負けた!結局エアボールじゃないか!!」
「いや、あそこ見て!!」
「星羅?!いつの間にあそこまで行ったんだ!?」
「やっぱり空中を切り裂くAパスだったんだ!!」
その遅い足取りでどうにかハイブエリアまで到達した霧島 星羅。
「はぁ…はぁ……!」
彼女は飛んでくるキューブを見上げたまま、依然として落下地点に向かって走っていた。
「そうはさせないわ!」
静姫先輩が30mも離れた距離から『よくは見えない棒』を具現化し、霧島 星羅を止めようとしたが、
「……うっ!」
緊急で作ったその虚空の構造物を、一握り残ったエーテルで生成した白色の光で素早く破壊し、さらに一歩進む霧島。
もうゴールポストのすぐ前まで飛んできた冴島のシュート。
「届いて……!」
渾身の力を込めて跳び上がった霧島 星羅がキューブに向かって精一杯手を伸ばした。が、
「……届かねえ」
「そもそもゴールポスト、3m上にあるし」
「ヒロインでも赤木先輩ぐらいのフィジカルがないとダンクは不可能でしょ」
160cmを少し超える身長。
普通以下の身体能力、特別な運動関連能力もない霧島 星羅。
革靴にスカート、残存エーテルは0に近い今の彼女にとって、
ゴールポストはほんの少し、本当にほんのわずかに高くかかっていた。
「………..!!」
そうして霧島の手の上をキューブが無情にも通り過ぎようとした刹那、
―グッ。
ただ彼女のためだけに作られた虚空の踏み台。
そのガラスの階段に靴を下ろし、
星羅は空中でさらに一歩跳び上がった。
トン。
そうして正六面体のキューブは彼女の左手に触れ、
タン― タン、タン。
次の瞬間それは円形のリングを通過し、軽快に芝生の上を転がった。
[―― 2得点、認めます!!6 – 5 逆転!!
そしてそれと同時に試合終了を宣言します!!1年生チームの勝利――!!!]
審判の叫びと共に、試合はそうして幕を閉じた。
「!!! ―――!!! ―――!!」
……
…………
歓喜する観客たちの歓声と拍手の音、
そしてそれとは反対にまだ結果が実感できないヒロイン志望者たち。
「冴島殿!!実に見事であった!!どうやってあの状況で星羅殿にパスをするなどと思いつかれたのでござるか!!拙者には全く思いもよらなかったでござる!!」
真っ先に我に返りフィールドに駆け寄ってきたのは、他でもない五十嵐 真之介。
「……いや、シュートだったから」
「うぉん!?」
「はぁ…マジで実家に帰らなきゃなんねーかと思ってビビったぜ。それにしても五十嵐、テメェ、いろいろ好き放題に暴言吐きやがったな…?」
「ひぃっ!!」
そんな真之介と冴島の茶番劇をふっと笑って見送った後、
決勝ゴールの場所である2年生側ゴールポストの下へ移動する。
試合が終わったにもかかわらず、依然として芝生の上に静かに横たわっていた霧島。
勝利を決めた彼女にどんな言葉を最初にかけようか悩んでいた瞬間、
「私、考えてみたんだけど」
「うん?」
流れていく空の上の雲を見ながら先に話しかけてきた霧島 星羅。
「仁君が作った棒に引っかかって転んでたら……私、退学するしかなかったかも…?」
「…………」
恐ろしいクラスメイトの想像に返す言葉を失っていると、
―スッ。
俺に挨拶でもするように右足を上げる霧島。
革靴が履かれている左足とは違い、白い靴下だけの右足。
(着地する時に脱げたんだな)
女の子の靴を拾うということには少々心理的抵抗があったが、
今日の決勝ゴールの主人公でもあるのだから、それくらい文句なしに持って行ってあげることにした。
「ほら、これ。でも芝生はちょっと払ってから履いた方がいい」
俺は自分なりに最大限の親切を込めて彼女に靴を渡したが、
「履かせて?」
彼女の口から飛び出した言葉は、やはり俺の常識をはるかに超えるものだった。
「え…あ、いや……」
慌てた俺が言葉に詰まってためらっていると、
「……だめ?」
持ち上げた足を軽く左右に振りながらねだる彼女。
「いや、それが…うーん……まあ、そ、そうだな……」
しばらく悩んだ末、今日だけという結論で霧島の足に靴を履かせようとした瞬間、
スッ。
と、少し後ろに引かれる彼女の足。
?さっきは履かせてくれって言ったのに、どうして――
怪訝な目つきで俺が見つめると、
「……芝生、ついてるって……」
霧島はとても小さく、視線を逸らしたまま言った。
(………払ってほしい、そういうことだよな?)
彼女の足を、俺の手で。
汚いとか綺麗とか以前に…これはうーん、何というか…えーっと――
そうして俺が言い知れぬ悩みを抱えていた間、
「まったく、二人でラブコメかよ?」
「何?二人で何してるって?!まさか付き合っているの!?」
「…クスッ、www……」
いつの間にか俺たちのそばでからかい始める赤木崎田組。
「――~!!」
そんな先輩たちの突然の乱入に霧島 星羅は、
ただ顔を真っ赤に染めたまま、慌てて俺から靴を奪い取った。
1部 完