第16話 校内選考会(8)
「おい、今お前、何してんだ?!」
冴島 凛の言葉など無視したままチーズバーガーを掴み取り、再び霧島 星羅に駆け寄った俺。
「霧島!これ!これを食え!」
「!!な!?そいつは配達しなきゃなんねーやつだぞ!!」
冴島の叫びなど聞こえない。
今重要なのは、霧島の体にこのカロリーの塊を注入することだけだ。
「う…うん?」
顔の周りに置かれたハンバーガーの匂いに反応し、眉をひそめる霧島 星羅。
焦点の合わなかった瞳にわずかに光が戻る。
「これ!食べろ!今すぐ!」
「…… ……」
俺の左腕に支えられたまましばらく状況を把握していた霧島は、
ヤム。
小さく口を開けて一口かじりつくと、
アン。ニャム。チャプ。
その場で一瞬にしてチーズバーガー一つを消滅させた。
ハンバーガーの消滅と引き換えに急速に安定し始める彼女のシールド。
(意識を取り戻してよかった。だが、これからも当分は大きな技の使用は控えさせないと――うっ!?)
指先を伝い上がってくるくすぐったい感覚に驚いて見下ろす。
目を閉じたままチーズバーガー一つを食べつくした霧島の唇。
その小さな唇が、まるでそれだけでは足りないというよう、チョコレートのついた俺の指を伝い上がってきていた。
――
俺もまた何かに取り憑かれたようにその光景をしばらく見つめていたが、
「……アンタら、今、私の配達物で何してんだ……?」
目を血走らせて睨みつける冴島 凛の殺気に驚き、慌てて手を引いた。
「……あ…」
我に返った霧島 星羅もまた周囲の状況を察し、顔を真っ赤に染めたが、
「ふむ、ふむ。う~ん、とりあえずは?急性エーテルなんとかの再発が懸念される霧島殿は一旦休んでくだされ!今は拙者とクレイジーアナグ…いや、冴島 凛殿が何とかしてみるでござる!」
いつの間にか肩に包帯を巻き付けて復活した五十嵐 真之介の代わりに静かにベンチへと移動することになった。
…
……
「いいか、冴島?真之介が赤木先輩を抑制している間に、」
「はいはい。分かったって」
俺の渾身の作戦説明にも、冴島は気のない返事で聞いているんだかいないんだか。
「……ちゃんと理解したんだな?」
「あぁ、はいはい」
ピーッ!
[作戦会議時間終了!1年生の攻撃権!]
合計5分の作戦時間が終わった後、
審判のホイッスルが試合の再開を告げた。
霧島の白色光線を受けて依然としてフィールドの外で治療中の木崎 静姫。
赤木 朱音と崎田 千代、たった二人だけが立っている相手陣営を見つめる。
(冴島が作戦をちゃんと理解したかは疑問だが……今が試合をひっくり返す絶好のチャンスだ)
床に置かれた正六面体のキューブを見つめ、走り出す準備をしていた瞬間、
バシュッ!!
青い電荷と後方気流だけを残し、床のキューブが視界から消える。
「冴島殿、急にそうやって飛び出されたら拙者が赤木殿につく暇がないでござる……!」
(……やはり俺の作戦なんか聞いてなかったな……)
一切の事前協議なしにキューブを蹴り飛ばして走り出す「クレイジーアナグマ」。
手ではなく足で、まるでサッカーボールを扱うようにキューブをドリブルする彼女。
「このアマ、キューブを足で…?ヒロインカップをなめてんのか!?」
カッとなった赤木 朱音が拳を振り上げて襲いかかった瞬間、
トン―
襲いかかってくる彼女の股の間にキューブを通り、そのまま突破して疾走する冴島 凛。
「おお、それこそ『股抜き』と呼ばれる伝説の技ではないでござるか?!」
そのアクションに興奮して一緒に走り出す五十嵐 真之介。
いや、お前は赤木先輩を止めろって…こいつもあいつも。
(……それにしても、あれはあれで悪くないかもしれないな)
キューブはそれを占有した者のエーテルを刻一刻と削り取るため、手でキューブを運ぶ一般的なキューブハンドラーは必然的に極度のエーテル消耗に苦しむしかない。
しかし手ではなく足なら身体に接触する面積はもちろん、タッチ回数も大幅に減らせるため、
(冴島のように運動能力は優れているが、相対的にEPが低い奴には最適なハンドリング方法かもしれない)
もちろんそれを可能にするためにはサッカーボールを扱うよりもさらに繊細なコントロールと、相手よりも速く動ける敏捷性が必須だろうが、幸いにも彼女はその二つともを持っていた。
「でも、私たち二人が進路を塞いだら?」
「あんた一人じゃ簡単に突破できないわよ!」
それぞれハイブエリアの左と右を塞ぐ右の千代と左の千代。
その瞬間、
視線をキューブに落とし、右足を大きく後ろに引く冴島 凛。
「まだ20mも離れてるのに?!」
「ここからシューティングするっての?キックで!?」
急いで右の千代と左の千代が駆け寄って角度を狭めようとしたが、
―バン!
強い衝撃音と共に発射されるように蹴り出されたキューブは、右と左の千代の間をそのまま通過し、ゴールポストに向かって一直線に飛んでいった。
しかし、
「……チッ。」
飛んでいくキューブの軌道を見て強く舌打ちする冴島 凛。
ガァン!
その直後、キューブは鋭い振動音と共にゴールポストの側面に強打し、弾き飛ばされた。
ピーッ!
競技場の外にキューブが出るや否や鳴るホイッスル。
[ラインアウト!2年生の攻撃で試合再開します!]
審判の叫びと共に崎田 千代に再びキューブが渡された。
「ふぅ…完全に3点シュート食らうかと思ったじゃん」
「キューブを足で蹴るなんて、あの子マジでイカれてるみたい!」
「とりあえずは守備的に行こう。静姫ももうすぐ戻ってくるだろうから、それまで耐える」
試合が再開されたが、自分たちの陣地の奥深くでキューブを足元に置き、ただ時間が過ぎるのを待っているかのような2年生たち。
「はっ、誰がそうさせてやると思ってんだ?」
終了まで残りわずかな今、時間を稼ぐ彼女たちの行動に即座に飛び出そうとする冴島。
「そ、そなた!そのように無策でただ猛烈突進ばかりしようとしてどうするのでござるか!?何か協議をした上で……」
「うるせぇ!終盤で4-6で負けてんのに、そんなのんきなこと言ってられっか!!」
真之介の言葉をきっぱりと遮り一喝する冴島。
(冴島の言うことも一理ある。残り3分もない状況で2点差。相手は一人足りない二人。このチャンスをみすみす逃すわけにはいかないが……)
問題は赤木崎田組の守備フォーメーションだった。
赤木 朱音を頂点に右の千代と左の千代が斜め後ろに立って支える三角陣形。
攻撃する時は素早く赤木 朱音を避けて行けばいいが、自陣に閉じこもって攻撃権を占有している相手のキューブを無理やり奪うのは、冴島がいくら素早くても容易なことではなかった。
「おい、何突っ立ってんだ?さっさと入ってこいよ。さっきは威勢が良かったのによ、今は随分とおとなしいじゃねぇか、クレイジーアナグマ?」
冴島 凛のプレイから何かを感じ取ったのか、エーテル消耗の最小化のためにキューブを床に置いたまま挑発する赤木先輩。
「凛殿、あの安っぽい挑発にまさか乗るのでは――」
「……私が、できないとでも思ったか?」
真之介の心配そうな言葉が終わるよりも早く正面から突進する冴島。
その瞬間、
トン。
赤木 朱音が落ち着いてキューブを後ろへと蹴り渡す。
右の千代の方へ向かう無難なバックパス。
「はっ、ナメてんのか?そんなノロノロしたパスを私の目の前で蹴りやがって…!」
方向自体は正確だったが、ただ平凡にコロコロと転がっていく正六面体のキューブ。
冴島 凛の体を包む青い放電。
爆発するように加速した冴島が急カーブを描き、後方のキューブに向かって走り出そうとした瞬間、
「そ、そなた!キューブより人を先に……!」
真之介の悲鳴のような叫び声が聞こえると同時に、
――ドカッ。
視界の死角から飛んできた赤木 朱音のパンチが冴島の腹部を強打した。
「く…うっ…!」
一瞬にしてシールドが黄色に変わってしまった冴島に、
ドン――!!
突進してくるトラックのような強力なパンチが追加で顔面に直撃する。
「―――」
激しく点滅するオレンジ色のシールド、そして薄れていく意識と共にゆっくりと後ろへ倒れていく冴島 凛。
「ゲームオーバーだ、クレイジーアナグマ…!」
確実なとどめを刺すために赤木 朱音が大きく拳を後ろに引いた刹那、
「や、やめるでござる!もう十分でござる!!」
突然二人の間に乱入した真之介によってそのまま止まってしまった鋼鉄の拳。
「チッ……完全に退場させてやるつもりだったのに、いきなり割り込んできて!」
赤木先輩は一瞬、拳を振り上げたまま真之介を睨みつけていたが、
「朱音!今がチャンスだよ!!とりあえず走って!!」
「…あ、うん!」
先に走り出す左の千代の声を聞いて再び足を蹴った。
―どさっ。
赤木 朱音が通り過ぎると同時に芝生の上に大の字に倒れてしまった冴島 凛。
「り、凛殿……!!目をお開けくだされ!このような場所でこうして倒れていてはなりませぬぞ!!」
(これ、完全に終わったな…?)
冴島は倒れ、真之介もまた、走り出す赤木先輩を放置したまま座り込んでいるこの状況。
ハーフコートを越えて迫ってくる左の千代と右の千代、そして赤木 朱音を相手にできるのはただ俺一人だけだった。
そんな絶体絶命の瞬間、
「…あ!審判、審判!!負傷した選手の交代のために試合中断を願うものでござる!!」
何かを悟った真之介が慌てて2分間の休憩時間が与えられる緊急交代を要請した。
[冴島 凛選手の状態はまだ『レッド』ではないので緊急交代は認めません!]
審判は首を横に振り、きっぱりと要請を拒否したが、
「いや、そんなこと……あ!拙者の肩が!イタタタタ!!さっき負傷した拙者の肩が!!他の誰でもない拙者の!!緊急交代が必要でござる…!交代!中止!うわあああ!!」
真之介の執拗さは一般人の常識を超えていた。
[……ううむ。]
真之介のその茶番劇に審判はしばらく眉をひそめたが、
ピーッ―!
やがて仕方ないというように試合中断のホイッスルを吹くしかなかった。