第11話 校内選考会(3)
「やっぱりそうだったな……ご、ごめん…あの時は…」
これ、今日の出来事の中で唯一のラッキーかも?
暗くなった赤木 朱音の表情を見てそう思っていると、
「……クスッ、もう雑談の時間は終わりよ。審判、試合を始めてください」
木崎 静姫が俺たちの間に割り込み、審判に試合開始を促した。
「開始時の攻撃権は初対決ということでコイントスで決定します。さあそれでは――」
ヒロイン治安隊から派遣された審判が攻撃権を決めるためのコインを取り出し、弾き上げようとした刹那、
―パシッ。
「いいえ、ヒロインカップ特別法第三条第六項に基づき、相対的に成績の良いチーム…つまり、何の戦績もない1年生ではなく、私たちが先攻権を持ちます」
木崎先輩が空中でコインを掴み取った後、審判に向かって言った。
「……あ。ええ、そうですね。それでは、2年生の先攻で試合を開始します。それぞれ位置についてください」
しばらくそうやって審判を見つめていた木崎先輩は、審判のその言葉が終わって初めて、わずかに微笑んでコインを返した。
競技場の中央開始部分に集まった俺と霧島 星羅、そして真之介。
そしてその反対側、攻撃権を持って試合を始めることになる赤木崎田組にキューブが渡された。
SLIME(Silicon-based Liquid Intellectual Modifiable Extraterrestrial)から抽出した、一辺が20cmのクリスタルコアキューブ。
ほのかに白い光を放つ奇妙な正六面体を掴んだ崎田 千代。
「おぉ…本物のキューブ、久しぶりに触るわ。この温かくて冷たい、硬くて柔らかい感じが妙なのよね」
「持ってないで。それ自体で気力をどんどん奪われるから」
「私も知ってるわよ、静姫~」
そうやって静姫と千代が雑談をしている最中、
「それでは、ヒロインカップ公式試合、『極東ヒロイン高校内選考会』、ただいま開始します!!」
ピーーーッ!
試合開始を告げる審判のホイッスルと共に、
バシッ!
赤木 朱音でも木崎 静姫でもなく、
崎田 千代がキューブを掴んだまま走り出した。
(よりによって崎田先輩からスタートするなんて……これじゃ作戦が最初からめちゃくちゃだ)
最も高い身体能力を持つ赤木先輩に対する俺の対策は簡単だった。
彼女が持つ一般人男性へのためらいを最大限に利用して動きを封じること。
試合開始直前、真之介との会話。
「五十嵐、お前がこの試合ですることはたった一つだ」
「一体全体それは何でござるか!?この身を粉にしてやってみせようぞ!」
「赤木 朱音を止めろ」
「嫌でござる!」
真之介にきっぱりと断られることは既に予想していた。しかし、
「木崎先輩がどこまで話したかは分からないが、さっきの状態を見る限り、赤木先輩はまだ俺を攻撃したことに対する罪悪感を持っている」
「それが一体拙者とどのような関係があるのでござるか!鉄拳に潰されるのは断固拒否でござる!」
「違うだろ、よく考えろ。赤木先輩にとって俺たちは、子猫みたいなもんなんだ」
「子猫?拙者はパンダの方が可愛いと思うのでござるが」
「そうじゃない!赤木先輩は俺たちを、ちょっと触ったらギャッ!ってなっちまいそうなか弱い存在だと感じてるんだよ!」
「ほう…それならば、」
「そうだ。お前が赤木先輩にまとわりつけば、ストライカー役をすべきあの先輩はお前をまともに引き剥がすこともできずに試合を台無しにするだろう!」
「おおお…!承知つかまつった!」
そんな風に真之介赤木先輩にくっつけて無力化した後、何をしでかすか分からない木崎先輩を俺がマークし、一番能力が低そうな崎田先輩は霧島が軽く制圧する――
そういう絵図で進むはずだったはずだ。
真之介にまとわりつかれた赤木 朱音は困った表情で開始地点近くに釘付けにされてはいたが、
既に崎田 千代は霧島の守備を軽々と突破し、二十メートル以上走り抜けていた。
「はぁ…はぁ…!」
スカートを翻しながら崎田 千代を追いかける霧島 星羅だったが、
革靴で走るのに慣れていないのか、それとも元々体力が弱いのか、千代先輩との差は急激に開いていく。
「霧島!撃て!」
「う、撃つって…!当たったら、死んじゃうかもしれない……」
あいつ、一体何を言ってるんだ、今?あ、まさかそれでプロヒロインじゃなくて治安隊を志望したのか?
とにかく、今はそんなことを考えてる余裕はない。
「いいんだよ!ヒロインカップはそういう競技なんだ!撃て!撃ちまくれ!」
「……う、うん!じゃあ、とりあえずやってみる……!」
その場に立ち止まり、左手の人差し指を掲げる霧島 星羅。
キラッ。
彼女の指先から白色の光が発生したその瞬間。
シュッ。
崎田 千代が二つに分かれた。
「何!?」
「……??」
真っ二つに裂かれたわけではない。
走っていた千代先輩が、文字通り二人の崎田 千代に複製されてフィールドを走っていた。
しかし、
―あっちが本物だ!
「霧島!左だ!左の千代先輩を撃て!左が本物だ!」
二つの分身のうち、どちらが本体なのかはすぐに見分けがついた。
99%のエーテルを吸収し、ほとんどの能力を無効化するキューブ。
キューブを持った左の千代とは違い、右の千代はキューブなしで素手で走っていたからだ。
「うぇっ!?」
俺の叫び声を聞き、驚いて後ろを振り返る左の千代。
やはり、当たりだ!
左の千代が慌てて持っていたキューブを後ろから走って来る木崎 静姫に投げた瞬間、
バァン―
霧島が放った白色の光が左の千代を貫いた。
「きゃ……!」
光に貫かれた左の千代はまともな悲鳴さえ上げられず、
パン!
風船が割れるような音と共に空気中に散って消えた。
「……え?」
あまりにもあっけないその消滅の仕方に、あの霧島でさえ
『わ、私、人を殺しちゃった……!』みたいなリアクションは見せずに、すぐに別の千代先輩を探し始めた。
ヒュッ。
霧島が再び人差し指を掲げるとほぼ同時に、俺も見つけることができた。
味方のゴールポストのすぐ前までフリーで走り込んでいる右の千代。
「崎田!受け取れ!」
今は消滅した左の千代からパスを受けた木崎 静姫が、再び走り出す右の千代にキューブを投げる。
ガシッ。
「オッケー!」
木崎 静姫が渡したキューブを確実に両手でキャッチする崎田 千代。
ペナルティ、いやハイブエリアに進入した彼女。
ゴールポストまでの距離はもうわずか5m。
「止まって!」
バァン―!
ゴールポストのすぐ目の前まで接近した千代先輩に霧島 星羅の白色の光が再び襲いかかったが、
キィィィィン――
空中で見えない何かに強くぶつかったその光は、
結局、千代先輩には届かぬまま消滅してしまった。
そして、
ヒュッ。
[ゴール―!2年生チーム、先制ゴールです!2 – 0!!]
あまりにも軽く味方のゴールポストにキューブを投げ入れた崎田 千代によって先制点を許してしまった。
「崎田、ナイス!」
「ふぅ…久しぶりにやった割には、なかなか連携良かったわ。クスッ」
「イエス!イッツ・ミー!」
互いにハイタッチを交わし、初得点を喜ぶ赤木崎田組。
「ごめんね、私ができなかったから……私がもう少し早く、ちゃんと撃てたら……」
「あわわ…さ、崎田殿があのような能力を持っていたとは……我らはもう負けたも同然でござる……」
それとは対照的に急激に士気が下がり始めた俺たち1年生チーム。
……とりあえず、雰囲気を立て直そう。
「いや、 霧島。俺が先輩たちの能力を前もって話しておくべきだった。君がちゃんと撃てなかったんじゃなく、木崎先輩の能力のせいだ」
「途中で、何かに遮られたの……?」
「うん。『よくは見えない棒』だったかな?名前はともかく、空中に鋼鉄みたいな不透明な板を一枚作るんだ」
「あ…それで……うん!分かった!」
『エーテル系エネルギー射出型レンジアタッカー』の霧島にとってある意味相性最悪の能力だったが、彼女は何かを悟ったようにひとまず力強く頷いた。
「真之介、お前は……」
「わ、私は指示されたことをしっかり遂行したと思うでござる!」
「ああ。ずっとそうしてくれ」
「……本当でござるか?」
「そうだって言ってるだろ。今回はこっちの攻撃だから、ちゃんとやってみよう」
「は、はいでござる!」
センターラインに真之介と並んで立った後、審判から攻撃のためのキューブを受け取る。
(……生温かくて、柔らかくて硬い、不思議な感じ)
ほのかに光を放つ正六面体のキューブを見下ろす。
心が安らぐような、自我が薄れるような、朦朧と意識を侵犯する気だるさ。
まるで――
「集中!集中してください、天海 仁選手!そして中断された状態でキューブを握っているとご自分だけが損をしますよ?」
…あ。
審判の言葉にはっと我に返り、床の芝生にキューブを置く。
そばに寄ってきて作戦を確認する真之介。
「攻撃も同様に、私は赤木先輩だけをマークすれば良いのでござるな?」
「そうだ。徹底的~にぴったりくっつけ。さっき見たら赤木先輩、お前に触れることすら難しそうにしてたぞ。続けろ、子猫作戦」
「にゃ~お、でござる!」
そして後方に立っていた霧島 星羅を振り返って言う。
「霧島、キューブは俺がハンドリングするから、お前はためらわずに撃つだけでいい。分かったな?」
「う、うん…!」
当然と言えば当然だが、ヒロインカップでもキューブと関係のない人への直接攻撃は禁止されている。
そんな規定がなければ、ただの集団喧嘩に帰結してしまうだけだからだったが、
(それは逆に、キューブハンドラーに近づいてくる守備選手にはいくらでも攻撃が可能だという意味にもなる)
例えば木崎先輩がキューブを持った俺を守備しに近づいてきた場合、先輩は即座に「キューブと関連がある人員」と判断され、霧島の長距離攻撃を受ける可能性があるという話だ。
もちろん霧島もまた攻撃を加える瞬間「キューブと関連がある人員」となって攻撃を受ける可能性が生まれるが、遠く離れた後方から攻撃する遠距離攻撃手に反撃を加えるのは非常に効率が悪いことだ。
襲いかかってくる先輩たちは霧島が迎撃してくれると信じ、俺はただキューブを運ぶだけでいい。
むしろ守備よりずっと簡単な作戦だ。
ピーッ!
試合再開のホイッスルが鳴り、
俺はすぐに2年生のゴールポストに向かって一直線に走り出した。
「お前、五十嵐…このままだと本当に怪我しても知らないぞ?!」
「えっ、本当でござるか?一般人男性である拙者をドカーン!と殴って怪我をさせてしまうのでござるか!?」
「うぐっ…!どけ、私の前からどけと言っている!」
横目で赤木先輩と真之介の小競り合いを見守りながら、そのまま彼らを通り過ぎて走る。
―ドキッ。
その瞬間感じるわずかな脱力感。
腕の中に抱かれたキューブが、まるで心臓の鼓動を吸収するように徐々に存在感を増していく。
……慌てるな、実際に何かが起きているわけじゃない。
キューブは超能力を99%無効化し、所有したヒロインのエーテルを持続的、漸進的に吸収する性質を持つ。
そもそも「ヒロインカップ特別法」にも明記されているあまりにも基本的な事項だ。
しかし、いざ本当にキューブを抱えて走ってみると、
(だんだん、1秒1秒が過ぎるたびに呼吸が荒くなっていく…!)
元々ヒロインカップを目指して訓練を積んできた俺は、特殊能力を除いた純粋な運動能力にはかなりの自信があった。
しかしこの正六面体のコアは、俺の体力を根こそぎ奪い、老化させるような感覚を与えていた。
こんなものを抱えて、崎田先輩はどうやって50メートル近くも――
その瞬間、
カァン!
顔の前面に加えられた強い打撃と共に大きく揺れる視界。
その衝撃で腕の中のキューブを落とし、そのまま芝生の上に滑り込む。
「?! 天海君!」
慌てて叫ぶ霧島の声。
(一体、何が……?)
確かに前方には誰もいなかったし、後方や側面から接近したなら霧島の援護射撃に既に蜂の巣にされているはずだった。
スッ。
その瞬間、いつの間にか現れてフィールド上に落ちたキューブを拾い上げた一つの影。
「クスッ、走る時はいつも前をよく見ないと。まだ余計なこと考える余裕があるの?」