桜道
雲一つない、青空を見上げて
薫乃は目を細めた。
春風がすっと横を滑る。
視界を覆おう桃色の風が眩しい。辺り一面に散りばめられた花びらが、薫るようだ。
一つ、時計をみる。
時刻は9:20を少し経過していた。2025年の、4月9日。
思いの外、卒業というのは呆気ないものだった。
達筆に書かれた自分の名前の証書を受けるときも、門出を祝う歌を歌うときも、薫乃の頬には涙のひと粒すら伝うことは、なかった。
自分の周囲からはやたら鼻水をすする音や涙ぐむ声に囲まれて、いたたまれない。
早く終わって…、とだけ願っていた自分は、存外、優しさの足りない人間だったのかもしれない。
その中で、ふとあくびをする横顔に目がとまった。
視線の先で、彼がどつかれ、ぐらりと揺れる。
左右から何かを訴える肘に眠たそうに目を擦る彼の表情。
一抹の安堵感を覚えたの、多分、嘘じゃない。
「薫乃ーっ。」
初期の開花予報を裏切って、この時期に満開の桜の風の向こうに。
見知った顔が近づいてくる…。
(……ッ 。)
ただ、身につけた服が違う。
卒業式に見た、紺色一色の学生服から、今日、初めて見るグレーのジャケット姿。
歩き慣れたはずの道に佇む、見慣れた顔のはずなのに…。
飛び込んできた景色は、全く違う色にみえた。
「ふぅん…。へぇ、ほぉ…。」
「…なによ。」
多分、彼も同じように感じたのだろう。
品定めをするような不躾の笑みで、隼人は上から下へと薫乃をみた。
不快なハズのその視線が、なんとなく落ち着かない。今はまだ、気付かないフリで無理やりに誤魔化しておいて、
「いやぁ、別に?」
「……。」
意味深な笑みを浮かべる隼人に、軽口の一つも出てこない。
奥歯を噛み締めて、荒くなる呼吸を抑え込んだ。
悔しい。
自分ばかりが、
(何故…。)
せめてもの痩せ我慢。
呆れたようなため息を一つ乗せて。
「グズグズしてないでとっとと行こうよ。」
「へーへー。了解。」
くるりと、薫乃が、なんでもないように桜の花びら舞う道を進めば
半歩後ろ、言われるがままに隼人があとに続く。
その距離に安堵しているのは、多分、この空気がまだ心地よいと感じられるから…。
徐々に広がっていく、新しい世界。
門出を祝うように舞う桜の中で
(彼と…。)
半歩後ろを歩く君が
「お先にっ!」
「あ、ちょっと!」
先に出て、手を差し伸べる君へ
満面の笑顔に照らされてーーー
( あぁ、もう…! )
赤くなる頬を必死で抑えて
それでも精一杯の、勇気を手に添えて
勢いのまま伸ばせば、
「……っ!」
「へへっ、オレが先っ!」
繋がる。
「くそばかっ!」
口に出たのは、告白とはほど遠い言葉のくせに
どうしようもなく、この瞬間に
恋、焦がれる。