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第59話 美咲の重圧とすれ違い

 放課後の教室は、文化祭の準備で活気に満ちていた。机の上にはポスターやメニュー案が広げられ、生徒たちの楽しげな声が響く。その中で、橘美咲はひとり、ノートを開きながらコロッケの味付け案を考えていた。


(もっとみんなで意見を出してくれたらいいのに……。)


 周りを見渡すと、次々と頼みごとをするクラスメイトたちの姿が目に入る。


「橘さん、このデザイン確認してもらっていい?どうしても自信がなくて……。」


「美咲ちゃん、コロッケの試作、これでいいか教えてほしい!みんなで味見してたら意見が割れちゃってさ……。」


 頼みごとの内容は、どれも重要なものばかりだった。美咲は笑顔を浮かべながら答える。


「うん、わかった。私がやっておくね。」


 けれども、その内心は穏やかではなかった。


(どうしてこんなに私ばっかり……でも、断るわけにはいかないよね。)


 美咲が手を動かしている間にも、新しい相談が次々に舞い込む。


「橘さん、掲示物の貼る場所、決めてくれないかな?センスいいからさ!」


「美咲ちゃん、次のミーティングの進行もお願いしていい?他の子だとまとめきれなくて……。」


 周囲の言葉には期待と信頼が込められていた。それは嬉しいはずなのに、心の中にかすかな重圧が積もっていく。


(みんな、頼ってくれるのはいいけど……私だって完璧じゃないんだよ。)


 美咲はペンを握る手に少し力を込めた。笑顔を崩さずに応えるたび、どこかで心がひとり取り残されるような感覚を覚えていた。


 一方、その教室の隅では、白石悠真が別のグループとドリンク販売の準備を進めていた。メニュー案を巡って軽口を叩き合い、笑い声が絶えない。


「白君、このドリンクの名前、もっとインパクトあるのにしない?」

「いやいや、それじゃ奇抜すぎない?もっと普通でいいと思うよ。」


 悠真の言葉に笑いが起こり、和やかな雰囲気が続く。その光景を横目で見ていた美咲は、ふと視線を落とした。


(どうして、私だけがこんなに頑張ってるんだろう……。)


 机に視線を落としたまま、美咲の胸の中で渦巻く思いが次第に膨らんでいく。悠真たちの楽しげな声が、妙に耳に残る。


(私だって、みんなと一緒に準備を楽しみたいのに。なんで、私ばっかり頼られるから純粋に楽しめない……。)


 ふと、悠真のグループを横目で見る。互いに意見を出し合い、軽口を叩きながら進む作業の様子に、羨望と悔しさが入り混じる。


(悠真君のところみたいに、全員で協力してやれないのって、私のせいなの……?)


 頭をよぎるその考えに、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。自分の頑張りが足りないせいで、みんなが頼ってくるのではないかという不安。けれど同時に、それだけにとどまらない感情があることにも気づいていた。


(悠真君、あんなに楽しそうにして……。ちょっと悔しい……。)


 気づけば、握りしめたペンが手の中で軋んでいた。自分の方が大変な思いをしているのに、そんなことを口に出せない自分に、余計に苛立つ。


 彼女の手元には、びっしりと書き込まれた試作のメモがあった。それを見つめる美咲の眉が少しだけ下がる。




 その後、美咲は試作のために家庭科室へと向かった。エプロンを着けて黙々と調理を進めるが、心の中のモヤモヤはますます膨らむばかりだった。


 周囲の静寂が、余計に心の中の不安や苛立ちを掻き立てる。その時、不意に背後から聞き慣れた声がした。


「美咲、手伝おうか?」


 振り向くと、そこには悠真が立っていた。彼の手には、ドリンクの試作品が乗ったトレーがある。その姿を見た瞬間、胸に秘めていた感情が思わず溢れ出してしまう。


「悠真君……どうしてここに来たの?」


「いや、少しでも手伝えたらと思って……。」


 悠真が微笑みながら言葉を続ける。しかし、その穏やかな態度が美咲の胸の中に渦巻く感情をさらにかき乱した。


「手伝う?悠真君にはドリンクの準備があるでしょ。それで楽しそうにしてたじゃない。」


 気づけば、美咲の声が強まっていた。悠真の瞳に一瞬驚きが浮かぶ。


「別に楽しそうとかじゃなくて、ただ……」


「ただ何?私はみんなに頼られて、それを一人でなんとかしなきゃって思ってるのに、悠真君は他の人たちと笑ってるだけで……!」


 自分でも止められない言葉が口を突いて出る。悠真が何かを言い返そうとしたが、美咲はそれを遮るように顔を背けた。


「いいから……もう帰って。私は一人でやるから。」


 その場の空気が一気に冷え込むのを感じた。悠真はしばらくその場に立ち尽くしていたが、静かに「……わかった」とだけ言い残し、家庭科室を出て行った。


 扉が閉まる音が響くと同時に、美咲は持っていた包丁をそっと置いた。胸の奥に広がる後悔の感情に、目の奥が熱くなる。


(何やってるの、……悠真君は、ただ手伝おうとしてくれただけなのに……。)


 彼女は深く息を吐き出しながら、エプロンの端を握りしめた。


(あんな風に言うつもりじゃなかった……。)


 周囲には誰もいない。家庭科室に響くのは、美咲が抑えきれずに漏らした嗚咽の音だけだった。


(後で謝らなきゃ。でも……どう謝ればいいんだろう……。)


 そんな思いが胸を締め付ける中、美咲は一人でコロッケの試作を続けた。けれど、料理の手つきはどこかぎこちなく、心のざわつきは収まらなかった。




 家庭科室を出ると、廊下には夕陽が差し込み、美咲の影を長く伸ばしていた。試作を持ちながら歩く彼女の足取りは、どこか重かった。


 途中、教室の前を通ると、中から楽しげな声が漏れ聞こえてきた。悠真の声も混じっている。


「白君、これすごくいい案じゃん!」


「そうかな?みんなで考えたからだよ。」


 その声を耳にした美咲の胸に、チクリと小さな痛みが走る。


(私だけが空回りしてるみたい……。)




 その夜、美咲は自室で一人、文化祭の企画書を見つめていた。ペンを握る手が止まり、視線は窓の外の星空へと向かう。静かな部屋の中で、ため息が小さく響く。


「私、これでいいのかな……。」


 今日の出来事が頭をよぎる。悠真にあんな態度を取ったことを思い出し、胸の奥がじんと痛んだ。


(謝らなきゃ。でも、どうやって……。)


 心に浮かんだ不安を振り払うように、美咲は深呼吸をしてペンを握り直した。しかし、文字を書く手は進まず、視線は再び窓の外へと彷徨う。


 一方、悠真は自室で机に向かい、メニュー案を整理していた。けれど、集中するはずの頭の中には、美咲の顔が何度も浮かんでしまう。


(美咲、大丈夫かな……。)


 家庭科室で見せたあの寂しそうな表情が、胸に引っかかる。ノートに視線を戻しながらも、手は止まったままだった。


(明日、ちゃんと話してみよう。あのままじゃ、なんだかスッキリしないし。)


 そう心に決めた悠真は、スマホを手に取り、迷うように画面を見つめた。けれど、少しだけ深呼吸をして、決意を固める。


 美咲のスマホが机の上で振動を始めた。その光が暗い部屋を一瞬照らす。


「……?」


 ふと顔を上げた美咲の目に映ったのは、スマホの画面に表示された「白石悠真」の名前だった。指先が震えながら、スマホへと伸びる。


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