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第50話 葵の回想

 今日は、校舎の屋上へ続く階段で台本を覚えることにした。ここなら人があまり来ないし、静かで集中できる。そう思いながら、手にした台本をそっと開いた。


(次の撮影までにしっかり仕上げないと。これくらいの努力は当然だよね。)


 心の中で自分にそう言い聞かせながら、セリフを小声で読み上げる。役に入り込む時間は嫌いじゃない。むしろ、こうした準備があるからこそ、自分が役者として少しでも成長できると信じている。


 ところが、そんな集中を破るように足音が近づいてきた。


(……誰か来る?今日はついてないなぁ。)


 階段を上ってきたのは、制服姿の男の子だった。少し乱れた髪と控えめな立ち振る舞い――その特徴からすぐに分かった。


(白石君!?)


 心臓が跳ね上がる。クラスではなかなか話すきっかけがなかった彼が、まさか自分から現れるなんて。


(どうしよう……こんな偶然あるんだ。いや、これって運命とか、赤い糸とか、そういう類のこと?)


 彼がこちらに気づき、少し驚いたような表情を浮かべる。その瞳が一瞬だけ合った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「すみません、ここで食事を取ろうと思うんですが……大丈夫ですか?」


「あ、どうぞ。」


 咄嗟に答えたものの、声が少し上擦った気がして内心焦る。なんとか平静を装おうと深呼吸するが、彼が隅に座ってお弁当を広げる様子を見ていると、どうにも気になってしまう。


(やっぱり白石君は私のことを城山葵だって気づいてないんだ……。それって嬉しいけど、ちょっと寂しい気もするな。)


 自分の知名度をわざわざ誇りに思っているわけではないけれど、それでもアイドルとしての活動が周りに認められていることに少なからず自信を持っていた。だけど、彼はそのどれにも関心を示さず、まるで普通のクラスメイトに接するような態度だった。


(ねえ、白石君。誰かとお付き合いしてたりするのかな?)


 そんな考えが頭をよぎる。普段なら、こんなことを考えたりしないはずなのに。彼が一人で静かに食事をしている姿を見ていると、不思議な感情が胸の中に湧いてくる。


(私のこと、どう思ってるんだろう……。今まで人のことなんて気になったことがなかったのに、こんな風に思うの、初めてだなぁ。)


 考え事をしている間に、彼がこちらに視線を向けているのに気づいた。台本に目を戻したが、集中できるはずもない。そのタイミングで、彼が声をかけてきた。


「あの……何をされてるんですか?」


 驚いて顔を上げると、彼は不思議そうな顔でこちらを見ていた。その真剣な表情に、一瞬言葉を詰まらせる。


「あ、これは台本を覚えているんです。次の撮影で使うもので……。」


 言いながら自然と口角が上がる。彼と話せるきっかけを自ら作りたかったから、この会話がとてもありがたかった。


「台本?演劇部とかですか?」


「いえ、アイドルと少し役者もやっています。次の撮影で使うものなんです。」


 その言葉を聞いた彼が少し驚いたように固まった。


「アイドル……って、もしかして城山葵さんですか?」


「そうです。私、城山葵です。」


 自己紹介をした途端、彼の表情が少しだけ変わった。だけど、その目に宿る穏やかな輝きは変わらない。


「なんかすいません。読み合わせの邪魔しちゃったみたいで……。」


「そんなことないですよ。むしろ声をかけてもらえて、嬉しいです。」


 その言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。こんなに素直に気持ちを表現したことがあっただろうか。彼にもっと近づきたい、そう思わせる何かが確かにあった。


「そういえば、中間テストが近いですよね。私、アイドルの仕事があって授業を休むことも多いので、少し心配なんです。白石君、勉強得意だったりしますか?」


 少しだけ勇気を振り絞って尋ねた。


「えっ?」


 彼が目を丸くする。その様子に、自然と笑みがこぼれる。


「その……今、放課後に勉強会をしてるんですけど、そこでもいいですか?」


「本当ですか!?ぜひ参加させてください!」


 勢いよく答えた自分に驚きながらも、画面に映ったグループチャットのやり取りに、自然と心が和らぐ。そこには、彼の日常や繋がりが垣間見えるようだった。


(この人たち……なんだか温かい雰囲気だなぁ。)


 彼がメッセージを送ると、次々とスタンプやコメントが返ってくる。「えっ?」から始まるリアクションや、軽くからかい合うようなやり取り。そのどれもが少し不器用だけど、どこか微笑ましい。


「みんなOKみたいです!これで一緒に勉強できますね。」


 彼の言葉に大きく頷いた。その瞬間、胸が高鳴るのを感じた。けれど、その理由を自分で正確に説明することはできなかった。


(なんか、女性ばかりのような気がするけど……もしかして、白石君って人気があるのかな?)


 軽く首を傾げつつ、再びスマホ画面に目を向けた。コメントの中に飛び交う名前――真琴さん、菜月さん、そして橘さん。どの名前も、どこか柔らかい響きがあった。けれど、その中に自分の名前が新たに加わることに、少しだけ気後れする気持ちがあった。


(私がここに入っても、浮いたりしないかな……。)


 そんな不安がよぎる一方で、彼がさりげなく手を差し伸べてくれた瞬間を思い出す。あのときの彼の優しい笑顔――その記憶だけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


(あの笑顔、すごく素敵だったな……。)


 思わず顔が熱くなりそうになるのを感じて、慌てて意識を切り替える。だって、こんなことを考えている自分が恥ずかしくて仕方なかった。


(なんか、ドキドキしてる。これ、歌を歌う前と同じ……?いや、それ以上かも。でも、白石君には絶対気づかれたくない。)


 自然な顔を装いながら、心臓の音が自分の耳にまで響いてくるような気がする。こんな風に緊張したのは、一体いつ以来だろう。歌う前のあの独特の緊張感ともまた違う――もっと柔らかくて、でも心を掴まれるような感覚。


(落ち着け、私。こんなの、ただの勉強会の話なんだから。)


 自分に言い聞かせるようにしながらも、気持ちは収まらない。白石君の声や言葉が、なぜこんなにも心に響くのか、自分でも答えが見つからなかった。


「これから一緒に頑張りましょう。」


 彼が笑顔でそう言ったとき、心の中で何かが弾けた気がした。その言葉が、まるで背中を押してくれるように感じた。


(これから一緒に……。)


 その言葉を何度も頭の中で繰り返す。未来に続いていく響きが、どれほど自分にとって嬉しいものだったかを実感した。


(今日の偶然は、やっぱり運命だったのかも。赤い糸があるって言われたら、信じちゃうな……。)


 彼との会話が終わり、別れの挨拶をしたあとも、胸の高鳴りは止まらなかった。頬がほんのりと熱くなり、彼が見えなくなった階段の向こうをぼんやりと見つめる。


(このチャンス、絶対に逃しちゃダメだよね。これから、もっと彼と話して、もっと彼のことを知りたい。)


 心の中でそう決意しながら、彼との距離を少しずつ縮める未来を思い描いた。運命を信じる気持ちと、これからの期待で胸がいっぱいになる。


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