表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/2

2 世界にひとつの激甘クリームソーダ

 

 うちの……ピアノ。

 俺の言語力が確かならば、桜庭の家のピアノという意味だろう。つまりは……桜庭の家に招待されているということか?


 桜庭の家の桜庭の部屋の桜庭のピアノで二人きり。勝手に進む妄想を、桜庭の声が淡々と打ち破る。


「木曜と土曜なら、お母さんが仕事休みだから来ていいよ。土曜は塾?」


『お母さん』という言葉に、ガラガラと崩れていく不埒な妄想。

 そりゃあ……そうだよな。


「塾は18時からだから、それまでだったら全然」

「よかった! じゃあ、もし嫌じゃなければ家でやろ」

「いや、そんな、嫌どころかすごい助かるけど……お母さんは大丈夫なの?」

「うん! 緑川君ならきっと……」


 何かを言い掛けて、桜庭は俯いてしまう。頬が少し赤く見えるのは気のせいだろうか。

 ……とりあえず、生ピアノで練習させてもらえるのはありがたい。俺は礼を言い、早速次の土曜にお邪魔させてもらうことにした。




 指折り数え、やっとやって来た土曜日。俺はスーパーであれこれ悩んだ末、アイス売り場でバーゲンダッツの一番デカいサイズを購入した。味は無難なバニラを選択。桜庭の好みなんて、全く分からないし。


 手土産をアイスにしようと決めるまでにも、かなりの時間を要した。本当は、うちの店の焼き菓子なんかが良かったのかもしれないけど……何かを察した親に追及されるのは目に見えている。自腹を切った方が余程マシだと、薄っぺらい財布から千円札を取り出した。


 ドライアイスを入れて外に出ると、もうすぐ十一月なんて嘘だろ? と突っ込みたくなる程の日差しに、頭を炙られる。溶けるなよとビニール袋を睨み、足早に桜庭の家へ向かった。



 いつも桜庭と別れる三叉路に近付くにつれ、電柱の横に誰かが立っていることに気付く。桜庭……? いや違うと何度も自問自答する。やがてその姿が鮮明になっても、目の前の女子が桜庭だとは確信が持てなかった。

 いつもは下の方で大人しく結ばれている髪は、今日はクリームソーダちゃんのチェリーみたいに、丸く天辺に載っている。申し訳程度に袖の付いた緑のワンピースが、足首まですとんと覆っているせいか、制服よりずっと大人っぽく見えた。そう、まるで別人みたいに……


「緑川君!」


 その声に間違いなく桜庭だと確信した俺は、袋を持つ方とは逆の手を、余裕ぶってひょいと上げてみた。


「家分かるかなって心配になって、ここで待ってたんだ」


 そう微笑む桜庭の白い頬は、暑さからか、鼻の辺りまで真っ赤になっている。


「……分かるよ。スマホだってあるんだし。早く行こう」


『ありがとう』って言わなきゃいけなかった。だけど早く涼しい所に連れて行きたいという思いが先走り、こんな言い方になってしまった。

 気を悪くしてないだろうかと後ろを振り返るも、その赤い顔は、むしろ楽しそうに見えた。




「おかえりなさい!」


 スタッカートみたいに弾むその声に、一気に緊張が走る。田舎のひいばあちゃん家に似ている、古めかしい平屋の玄関で出迎えてくれたのは、桜庭によく似た女性だった。


「緑川です。お邪魔します」


 ペコッと頭を下げ袋を差し出せば、女性はにこにこと受け取ってくれた。


「ありがとう! わあっ、バーゲンダッツ? 私もちえりも大好きなのよ。でも、これから毎週来てもらうんだから、気なんか遣わなくていいからね。……ささっ、暑いでしょう? 上がって上がって!」


「……お邪魔します」



 通されたのは桜庭の部屋……ではなく居間だった。焦茶の渋いフローリングには、バニラアイスみたいに真っ白なアップライトピアノ。そうか、ここで練習するのかと少々残念な気持ちになるも、冷風がそよぐ天国に身を委ねた。

 フローリング同様渋い座卓に、グラスがさっと運ばれ、座って! と命ぜられる。い草のクッションに腰を下ろした俺を、女性はニマニマと見つめながら言った。


「緑川君が家に来てくれるの、ずうっと楽しみにしてたのよ。だってちえりから何度も」

「お母さん!!」


 らしくない声にビクッとする俺と、全く動じない……桜庭の母親。口元を押さえふふっと笑うと、空のトレイを手に居間を出て行った。ガラガラと閉まる硝子戸を目で追い、桜庭はふうとため息を吐く。


「ごめんね、騒がしくて」

「いや、そんなことないよ」


 むしろホッとしていた。桜庭の話からどんなに厳しい母親かと思えば、意外と気さくで親しみやすそうだと感じたからだ。

 冷たい麦茶を遠慮なく空にし、身体の内から涼しくなったところで、早速練習に取り掛かった。




「休憩にしようか」


 桜庭の声に壁の時計を見れば、もう一時間半近くが経っていた。制服の時には見えない二の腕に何度かドキリとしたけど、学校と違って雑音がないせいか集中出来た気がする。(一度だけ硝子戸から視線を感じて、桜庭が怒ってたけど)


「おやつを持って来るから、ちょっと座って待っていてね」


 にこりと笑い、硝子戸の向こうへ消えて行く桜庭。玄関に入った時からずっと漂っている甘い匂いが、おやつの正体だろうか。



「お待たせ」


 トレイの上には、大きめのグラスが二つ。緑色かと思ったそれは、よく見ると、緑色の炭酸飲料で満たされた透明のグラスだった。しゅわしゅわ泡立つ緑色の上には、丸く盛り上がった白いアイス。その横には、何かの形のピンク色のクッキー。前に置かれてやっと、四分音符の形をしていることに気付いた。


「……クリームソーダ?」


「うん。大好きだから、よく自分で作るんだ。チェリー缶は高いし食べきれないから、こうやってクッキーとかを飾ってるの。今日は買ったのじゃなくて焼いてみたんだけど」


 そうか、これはクッキーの匂いだったのかと納得する。「音符のさくらんぼだね」と言えば、桜庭は嬉しそうに、カラフルな皿をテーブルに置いた。

「色んな形を作ったの」という言葉通り、ピンク音符の他にもきつね色のピアノやト音記号、クリスマスによく見かける茶色のなんとかボーイらで賑わっている。


 桜庭の手作り……桜庭の……

 ヤバい。顔が緩んでくる。女子の手作りなんて、幼稚園の時のバレンタイン以来じゃないだろうか。


「あっ、甘いの大丈夫? 訊かないで勝手に作っちゃって……無理しな」

「食べる。大好き。いただきます」


 もしも夢ならば、覚める前に食べてしまおう。

 俺はさくらんぼを真っ先につまむと、丸の部分でアイスを少しだけ掬い噛った。


 さくっ…………

 甘っ!


 舌にねちょっと絡みつくアイスよりも、ほろりと砕けるクッキーの方がよっぽど甘い。


「クッキーは微妙かもしれないけど、アイスは緑川君がくれたバーゲンダッツだから美味しいでしょ?」

「……甘い。いや、美味いよ。クッキーが」

「ほんと? よかったあ。もしお口に合えば、沢山食べてね」


 こくこく頷きながら、音符を跡形もなく噛み砕く。皿の上のト音記号やピアノも遠慮なくお代わりすると、アイスを掬っては噛るを夢中で繰り返した。

 その内アイスが柔らかくなり、掬いやすくなる一方で、緑のジュースが白く濁り出す。俺は慌てて赤いストローに口を付けると、底の部分のまだ澄んでいるメロン(風味)ジュースで、火照った頭をしゅわっと冷やした。


 どんどん透明感を失って、向こうが見えなくなっていくグラス。だけど天下のバーゲンダッツも、桜庭のクッキーを侵食することは出来ない。引き立て役ってこういうことなんだろうなと、ねちっこい甘みに同情しながら、さくさくと軽やかな幸せを味わっていた。


 グラスを全部と、皿を半分以上空にし、ごちそうさまでしたと手を合わせる。

 大満足だ、もういいぞと脳に指令を送っても目覚める気配はない。これは夢じゃなかったのだと、幸せのかけらを舌で搔き集めた。


「クッキー、つい焼きすぎちゃって。もしよかったら少し持っていって……なんてね。いらな」

「いる。欲しい。全部」


 ぱあっと顔を輝かせる桜庭。切れ長の目が見開くと、猫みたいに可愛いんだって初めて気付いた。

 甘い余韻に浸り続ける俺は、今、どんなマヌケな顔をしているんだろうな。




 次の週もまたその次も、木曜の放課後と土曜の14時からは、桜庭の家で練習させてもらった。土曜はまたあのクッキーを焼いてくれたけど、飲み物はクリームソーダじゃなくて、マシュマロが浮かんだホットココアに替わった。最初に来たあの日以来、気温はぐっと下がり、すっかり秋らしくなってしまったからだ。


『さすがにクリームソーダはもう時期外れだよね』と、もこもこのセーターを着た桜庭は笑う。

 何を着ても可愛いし、ココアも甘くて美味しいけれど。こうして二人で過ごせるのもあと少しだと思うと……季節の移り変わりが、無性に寂しかった。



 いよいよ本番を明日に控え、最後の全体練習が行われる。教室のキーボードでも音楽室のピアノでもなく、体育館のグランドピアノで。本番と同様、各曲一回限り。弾き(歌い)直すことは許されない。


 舞台上の雛壇に、真剣な顔で並ぶクラスメイト達。合唱コンなんて興味がない。学校行事だから仕方なくやるけど、結果なんてどうでもいい。皆もきっと、そう思っていたはずなのに……

 少しずつ声が出るようになって、少しずつ揃っていって。そうしている内に、最初とは比べ物にならない程、皆の熱が高まっていくのを感じていた。俺の伴奏一つでそれをぶち壊してしまうと思うと……鍵盤に置いた手がずしりと重くなる。


 落ち着け……練習でこんなんじゃ本番はどうなる。

 合唱はあくまでも歌がメインだ。だから、たとえ伴奏者がミスしても、歌が良ければ審査には影響ない。桜庭が何度もそう励ましてくれたじゃないか。実際練習中に伴奏が止まったりつまずいたりしても、皆は動じることなく歌い続けてくれた。

 明日までに、俺の下手なピアノがどうにかなる訳ないんだから。気負いすぎず、皆の歌に引っ張ってもらうつもりで弾こう。


 ふっと軽くなった指で、俺は最初の音を押した。



 ────何音かは間違ったけど、大きなミスなく伴奏を終えることが出来た。震える足で椅子から降りると、自由曲を弾く桜庭と交替し雛壇に上がる。


 やっぱり桜庭の伴奏はさすがだ。前奏の一音目から聴き手を惹き付けるも、歌が始まった途端、主役の座を皆に譲り渡し、裏方に徹する。正確なテンポと強弱は、歌を心地好く支え……つまり、めちゃくちゃ歌いやすい。歌が終わり後奏に入ると、再び存在感を現す美しいピアノ。それでも歌声の余韻を消すことなく、優しく丁寧に包み込む。最後の一音まで、この曲のテーマである『友情と未来』を表現する繊細な指先に、俺は毎回拍手したくなるのを堪えている。


 歌に引っ張ってもらう俺と違い、桜庭の伴奏は歌を引っ張っていく。

 そこには十二年間も音楽に向き合ってきた人の、努力と音に対する敬意を感じられた。


『コンクールはね、ミスなく弾くことが当たり前の世界で。幼児の部なんか、たった一分ちょっとの簡単な曲なのに、一音一音をどう表現するかで結果が決まっちゃうの。まだちっちゃかったから、それを理解するのが難しくてね。……あの頃より、少しは大切に弾けるようになっているかな』


 いつかの桜庭の言葉が甦る。

 下手なりに、十五歳の自分なりに、まだ何か出来ることがあるんじゃないかと、震える指先を握り締めた。


 お辞儀をして雛壇を降りる時、桜庭と視線がぶつかる。

『明日もがんばろう』

 笑顔と共にそんな思いを交わした。




 翌日。本番を向かえた俺達は、ホールの客席でその時を待っていた。

 毎年合唱コンが行われる、地元のこの大きなホールは、コンサート会場にも使われるだけあって、体育館よりもずっと音が響いてしまう。一年、二年……と順番が近付くにつれ、緊張感が高まっていった。


 事前にくじで決まっていた順番は、五組中、ど真ん中の三組目。合唱部の女子が多く、優勝候補と言われている前の組が終わり、ついに俺達の番が来てしまった。


 落ち着け……落ち着け……


 隣の桜庭を見れば、『大丈夫だよ』と力強く頷いてくれる。すると、極度の緊張から苦味さえ感じていた口内に、突然あの激甘クリームソーダの記憶が広がった。

 しゅわしゅわ弾けるメロンソーダ、ねちょっと絡みつくバニラアイス。そして、何より甘いクッキーが、さくさくほろりと砕けては溶けていく。

 向かい合って同じグラスを味わった、あの幸せな時間を思い浮かべると、冷たい指がほんのりと温かくなっていく。



 ああ、俺、桜庭のことが好きなんだなあ。

 小学校の時から? それとも中学に入ってから?

 いつからかは分からないけど、多分、ずっとずっと好きだったんだ。


 初めて気付いた気持ちに、自然と緊張が解けていく。


 大丈夫……大丈夫。


 熱い腕を伸ばし、スカートの陰に隠れている桜庭の手に触れれば、俺よりもずっと冷たいことに気付く。ほんの一瞬だけ、ギュッと握り、『大丈夫だよ』と力強く笑い返した。

 ……驚いている顔も可愛いな。



 拍手が止み、静まり返るホール。

 深呼吸をすると、俺は冷たい鍵盤にぽかぽかのお山を置く。桜庭への想いと、昨日の良いイメージをにぎにぎしたまま、指揮に合わせてさくらんぼを奏で始めた。


 多少歪な形はあるも、順調に歌声を乗せ、どこかへ吸い込まれていくさくらんぼ達。


 よし、いい感じだ……


 無事に着地してくれると信じていた。

 この後、落ちサビに入るまでは────



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クリームソーダ後遺症? ↓クリームソーダ作品 クリームソーダ後遺症祭り バナー作成/幻邏さま
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ