再会
家に着くと、和美がケラケラ笑っている声が聞こえた。
「あ、おかえりなさい、いつも大変なのね」
観ていたテレビの音量を下げて言った。
「渋滞のせいで、終わるのが遅くなった」
「そういえば、そんなニュースやってたわ。ご飯食べるでしょ」
「うん、今日は何だ」
「シチューよ」
「おお、いいな」
和美がシチューを盛り付け、キッチンから出てきた。淡く白く輝く料理を見ると、お腹がなった。
そういえば、昼前に家で軽く食べてから何も食べていない。早速ありつくと、隣で和美がニュースを見始めた。総裁選挙の現状を報道している。マスコミの独自の取材によると、現在トップは世襲ではなく、自力で幹事長までのし上がった五十八歳の石本慶一郎だそうだ。その後を追うのが、四十五歳で若手世襲議員の国土交通大臣である。一之瀬幸一。そして、その他三人の政治家があとを追うという構図だ。
小泉からすれば、世襲議員ではなく庶民の暮らしが分かってそうな石本を応援するのが妥当だろう。最近のマスコミは信用ならないが、この調査結果は信用したいところだ。
「誰になるのかしら」
「さあな、我々が選ぶことはできないけど、党員の感覚が普通なら石本だろうな」
「そうね」
ニュースは天気予報に変わり、明日の東京も晴れのようだ。
「じゃあ、風呂行ってくるわ」
「はーい」
和美は洗濯物を畳み始めた。小泉は、バスタオルとフェイスタオルを抱えて風呂場へ向かった。
今日も、龍斗と和美の声で目が覚めた。目覚まし時計の設定より二時間も早く起きてしまった。太陽は今日も燦々と輝いている。いつも通りの朝を過ごし、車に乗り込んだ。
「今日は、チャイコフスキーだな」
いつものように、クラシック音楽を選び、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第一番》を流し、アクセルを踏んだ。
出勤途中にコンビニで缶コーヒーを買い、それをお供に一時間の運転を終えた。
職場に着くと、福田があくびをしていた。
「どうした、眠いのか」
「あ、おはよう、眠くて眠くて」
「何で昼からなのに眠いんだ」
「さあ、昨日遅くまでゲームしてたからかな」
「またゲームか」
福田はゲーム好きである。パソコンゲームか何かは分からないが、小泉とは縁のない話だ。
「うちの息子ですらまだゲームはしてないぞ」
「えぇ、子供にはゲームだろぉ」
「勉強だ」
小泉は厳格な父である。
「へぇ、で、今日も忙しいみたいだぞ」
「そうなのか、平井さんはもう来てるのか」
「なんか熊瓦に呼ばれたらしい」
「あっそう」
平井が熊瓦に呼ばれたということは、昨日知らされたあのクレームのことだろうか。
二十分ほどすると平井が浮かない顔をして帰ってきた。
「どうしたんです」
小泉が尋ねると、平井がどう答えたらいいか迷っているように、顔を傾げた」
「いやぁ、なんか温度不良の数が五十を超えているらしい。しかもそれがほぼ毎日のようだ」
「え、そんなはずはないですよ」
福田が急に真剣に返事をした。確かにおかしな話である。
「それは分かってる、私もおかしいですって言ったんだ」
「じゃあなんて」
「おかしくはないときた。実際にクレームの電話の半数が温度不良だと」
「何で急に温度不良が大量に出だしたんでしょう。夏でもないのに」
福田が平井に向かって真剣な眼差しで聞いた。
「さぁ、小泉と福田が来る前は、こんなには無かったはずだが」
「横山の時は、どうだったんですか」
小泉が思い立ったように、平井に訊く。
「それが、一日一件あるかないかだった。私が温度を直接確認することはないが、横山の指示は的確で、全員の意識が高かったという声は聞いたことがある。でも一部の人間の間では、温度不良が続出していたという声もあるにはある」
まさかだった。小泉も、横山の時代も温度不良が出ていたと聞いている。誰かが嘘をついているか、虚偽報告をしているか。ルックスでは、温度不良となった商品は全額保証し、運賃の倍の料金を客に返金するというルールを設けている。このルールのおかげで、信頼を築いてきた。
「もし、本当なら当社の信用を損ねることになる」
この冷蔵商品と冷凍商品の運送は、ルックスの売上の六割を占めている。ここに傷が入れば、バッシングを浴びることになる。
かと言って、多少の営業利益の減少は起こるだろうが、温度不良だけで会社の信用が地に落ち、赤字に転落する可能性は少ない。
「まあ、お前らが心配することはない。だが、原因は突き止めないとな」
平井が、気を取り直して言った。
「すいません、ちゃんと管理してなかったです」
福田が頭を下げた。小泉は、悔しかった。今まで働いてきて、こんなミスを犯したことはなかった。
平井が、席を外すと、小泉は福田に小さな声で言った。
「なあ、おかしくないか。急に温度不良が出るなんて。しかも、横山の時はあっても一、二件らしいじゃないか」
「確かに、でも真相はわからないぞ」
「俺が、各方面に聞いて回ってみる。このままじゃ、やってられない」
「え、何言ってんだ。どうやって調べ回るんだ」
「同期の山本いるだろ。経理の」
山本智久は、真面目すぎてとんとん拍子に出世し、今では課長にまで上り詰めている。
「あー、あいつか。真面目すぎて俺は苦手だよ。ていうか経理は関係ないんじゃないか」
「あいつはくそがつくほど真面目で、しかも情報通だ。この話は興味ありそうだろ」
「なるほどな。で、どうすんだ」
「今日、仕事終わりに一杯どうだって誘ってみる」
「よっしゃ、飲もうぜ」
こいつは緊張感がないのか。目的が違っている。
「俺は飲まないからな」
「何でだよ」
「車だからだ」
「あー、そっか。可哀想に」
「お前は飲み過ぎるなよ。酔ったら面倒くさいんだから」
「ほーい」
十四時になると、吉川と徳山が出勤してきた。早速、徳山が話しかけてきた。
「え、なんか温度不良出まくってるのって本当なんですか」
どこで聞いたのか。もうこの話が出回っているのか。全く、徳山の情報収集能力には脱帽せざるを得ない。
「まだ確認中です。あと、これは誰にも言わないでくださいよ」
「分かりました」
厳しく言っても、徳山はべらべら喋るだろう。小泉は、無駄な体力を使いたくないというふうに、いつも通りの調子で言った。
「温度不良出たんですね。私たち、ちょっと気が抜けてたかしら」
吉川が申し訳なさそうに言った。
「まだ本当にわからなくて、平井さん曰く四月から急増したそうです。横山の時は、あんまりなかったそうですが」
「そうですね。横山さん、厳しかったし」
「そうそう、私もすごく怒られました」
徳山が入ってきた。
「そうなんですか。また詳細が分かったらお伝えします」
「はい。ありがとうございます」
吉川と徳山が準備に向かった。
この日、仕事を終えたのは二十二時半であった。中央道は渋滞しておらず、スムーズに終えることができた。山本とは、二十二時五十分に近くの居酒屋で落ち合うことになっている。助手席に福田を乗せ、四十五分に小泉たちが到着すると、山本は既に店前で立っていた。
「おお、相変わらず早いな」
小泉が笑いながら言った。
「ああ、約束は守らないとな」
「まだ五分前だぞ」
福田も笑って言った。
「よっしゃ、行くか」
こうして三人は再び出会い、それぞれが協力し合う関係を築き始めた。
三人が個室席に案内される。それぞれ食べたいものを注文した。小泉は、焼き鳥の皮とチキン南蛮を注文した。全員が注文し終えると、山本が早速話を始めた。
「急に呼びかけてなんなんだ。久しぶりすぎて、一瞬誰のLINEかわからなかった」
「いやぁ、すまん。大した話ではないんだが、実はな、うちの部署で温度不良が続出しているらしい。横山の時はそうでもなかったらしいんだが」
「そうなのか。そんな話はこっちまで来てないぞ」
一瞬呆気に取られた。まだ出回ってない話を徳山が既に入手していたからだ。
「そっか、なにか心当たりとかはないか。横山の噂でも」
「うーん、横山はそこの前は経理だったけど、経理にいる時も普通だったぞ。上司にべったりだったけどな」
相変わらずなやつだ。
「そうか、もし何か情報を掴んだら教えてくれ」
「はいはい」
山本は微笑みながら言い、お猪口に入った日本酒を飲み干した。
「よっしゃ、飲もかぁ」
福田は待ってましたと言わんばかりに声を張り、ジョッキのビールを一気に飲み干した。
小泉は、烏龍茶を焼き鳥の皮と共に胃へ注いだ。
二時間ほど談笑し、解散した。小泉は、珍しくクラシック音楽をかけずに、家へと向かった。