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束の間の喜び

 和美に今までの経緯を説明する時、小泉はまるで荒波に立ち向かう舵取りのような気持ちだった。数週間にわたる緊張と達成感が交錯し、自分が取り組んできた業務の成果と、その裏に潜む様々な政治的な思惑や経済的な圧力を、和美にすべて打ち明けた。

 和美は静かに頷き、時折彼の目を見つめながら、慎重に言葉を選びつつ、優しく慰めの言葉をかけてくれた。その言葉は、まるで市場の激しい乱高下の中で安定をもたらす安全資産のように、小泉の心に染み入った。

 それはただの言葉ではなく、彼にとっては信頼という形をとった安定した価値を持っていた。

「あなたは本当にすごいのね。会社を救ったのだから」と彼女が言った瞬間、今まで落ち込んでいたものが急激に上昇を始めたかのような感情に包まれた。

 それは、かつて彼が龍斗の誕生を祝った時と同じくらいの高揚感だった。

 これまで感じていた不安や葛藤は、倒産の危機にあった企業が突如として再生プランを提示され、そのリスクが一気に解消される瞬間のように、一瞬にして晴れた。

 和美の存在は、彼にとってまさに灯台の光のようだった。荒れた海を進む中で、和美の存在は安心感を与え、行くべき道を照らしてくれる唯一の存在であった。彼の頭には、今後の事業戦略や政治的な動向に関する様々な思考が巡っていたが、その思考は一旦停止し、和美との会話に集中した。

 そんな折、テレビの画面では、総裁選の話題が取り上げられていた。彼らの会社を取り巻く経済状況が激変する中、政治の世界でも大きな変動が起こりつつあった。

 国土交通大臣である一ノ瀬幸一が、刑法の収賄罪、不正利得罪、そして政治資金規正法違反に問われ、ついに逮捕、起訴されたというニュースが流れたのだ。

  長年にわたり政界を牛耳ってきた一ノ瀬一族が、ついにその腐敗の罪を問われ、崩壊を迎える日が来たのだ。政官財の鉄のトライアングルとも呼ばれる既得権益構造が、ここに来て崩壊しつつあった。

 一方で、五十嵐善太専務取締役も同様に、贈賄罪、業務上横領罪、特別背任罪、さらには金融商品取引法違反の虚偽記載罪に問われ、逮捕、起訴された。

 彼は企業の利益を顧みず、私利私欲のためにその地位を利用していた。株主を欺き、企業資産を流用して自分の財布を肥やす役員のように。

 この出来事は、社内の風向きを大きく変えるものであった。小泉は内心、この展開を歓迎しつつも、同時にこれが自分たちの事業にどれほどの影響を与えるのか、計り知れないリスクがあることを感じていた。

 不正の摘発は、企業の透明性向上に寄与するものの、その波は時として思わぬ場所にまで及ぶ。

 それは、一見順調に思えた企業の収益構造が、突然の外部監査によって崩壊するかのような不安定さを孕んでいた。

 テレビのニュースは続き、予想通りの展開が報じられた。一ノ瀬の逮捕を契機に、対立候補であった石本慶一郎が政治の風向きを一変させ、総裁選を見事に制したのである。

 第百二十五代内閣総理大臣の誕生であった。

 新総理大臣の登場が意味するもの、それは、今後の経済政策や産業構造の再編成に直結するものであり、彼らの会社や自分たちの未来にどのような影響をもたらすのか、小泉は思考を巡らせずにはいられなかった。

 政治と経済は常に連動し、時には予測不能なほどダイナミックな変動を引き起こす。今回の選挙結果は、金融市場にも影響を与え、企業戦略を見直す必要が生じる可能性が高い。

 そんなニュースを、小泉と和美が二人で見ていると、ニュース速報が流れた。テレビの画面が切り替わり、緊張感のあるナレーションが響く。

「山梨県大月市の雑居ビルの遺体 国土交通省職員と判明 一ノ瀬国交相と五十嵐専務取締役、一般社員の共謀か」

 小泉は思わず息を呑んだ。遺体を偶然発見した場所、そしてその身元が国土交通省の職員であると告げられると、彼の心は不安なざわめきに包まれた。

 これは、組織の内側で起きていた汚職や不正取引が、ついに暴かれることを意味していた。

 あるいは、不正を知った内部告発者が、口封じのために消されたのだろうか。日本企業特有の縦割り文化が、ここでも裏で暗躍しているのかもしれない。組織の硬直化した構造が、個々の倫理観を抑え込み、闇を作り出していた。

 続けて流れたニュース映像には、見慣れた顔が映し出されていた。

『そして、この二人の犯行を斡旋したとして、株式会社ルックスの社員である横山高尚容疑者、さらに彼らの犯行を隠すため、防犯カメラの映像を編集し、証拠隠滅を図ろうとした疑いで、福田平八容疑者が殺人幇助の疑いで逮捕されました。警察によりますと、福田容疑者は、専務からの多額の金に目が眩んだと供述しているということです』


 その瞬間、小泉は暴落する株式チャートを目の当たりにした投資家のように、思わず画面から目を逸らした。福田は、彼が信頼していた同僚であり、何よりも彼らの調査を共に進めてきたパートナーだった。

 それが、このような形で終わると思わなかった。ましてや、逮捕されるとは夢にも思わなかった。福田が何を知り、何を隠そうとしていたのか。

 福田の裏切りがもたらす小泉への影響は、計り知れないものがあった。

 小泉は心の中で疑問が渦巻くのを感じながら、再び画面を見つめた。ニュースキャスターが冷静に解説を続けている。

『福田容疑者は、取り調べに応じ、常務との面談の後、専務に見つかった。協力してくれれば、一生困らないだけの金はやる、と唆されたと供述しています』

 しかし、小泉の耳はすでにその音を拒絶していた。組織の中に深く浸透した腐敗は、まるで経済危機のように、一度始まれば全てを飲み込んでいく。

 小泉は、今自分がその危機の中に立たされていることを痛感していた。

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