金の紡ぎ者
五人が声を発せずにいると、静寂を破るように和田がつぶやいた。
「あれ、ここに何かある」
専務の机の上に散らばっている書類の山の中に、きらりと光る銀色の物体があった。
「あ、USBだ」
「なに?」
常務が驚いて、その方向を見る。
「本当だ。五十嵐のやつ、詰めが甘かったな」
「今観ますか?」
福田が小さな声で聞いた。どこか不安げだ。恐らく、専務たちが戻ってくるのを恐れているのだろう。
「いや、これは警察に届ける」
福田からため息が漏れた。
すると、和田のスマートフォンが鳴り響いた。心臓が一瞬、ドキリとする。
「あ、山本からです」
と和田は小声で言った。
「ん?山本?」
常務が右眉をあげて聞いた。何かが気にかかるようだ。
「経理の課長です」
と小泉が補足した。
「ああ。思い出した。すぐに出ろ」
と常務は指示するように和田に近づいて聞いた。
和田は恐る恐るスマートフォンをスピーカーモードに切り替え、一同に聞こえるようにした。
「もしもし、どうした?」
和田が声をかける。
『ああ。皆んないるか?』
山本の声がスピーカーから流れ出す。緊張した空気がさらに重くなる。
「ああ。常務もいらっしゃる」
と和田は言った。
『さっき、専務が経理を尋ねてきた』
山本の言葉に、一同の視線が常務に集中する。
「専務が?」
常務が反射的に聞き返す。声には緊張が漂う。
『はい。領収書の不正防止と監査の名目で来られました』
「何の領収書だ?」
常務が問う。
『それは、言いませんでした。大事な取引だからとか言って』
山本の声は冷静だが、その内容は事の重大さを物語っている。
「なるほど。それで確定だな」
と常務は自ら納得したように頷いたが、その表情には不安の影が見え隠れしていた。
「そうなんですか?」
和田が心配そうに問いかける。
「ああ。何か書類を持って行かなかったか?」
常務は、和田の問いに返事し、山本にさらに問い詰める。
『詳しくは見ていませんが、経理部長曰く、人目を気にしていたそうです。もしかしたら、専務室に戻ってる途中かもしれません』
山本の声に緊迫感が漂う。全員の心が引き締まる。
常務の顔が硬直し、緊張が走ったのが誰の目にも明らかだった。
冷房の効いた部屋でも、その額にはじわりと汗が滲んでいる。福田も同様に額に汗を浮かべ、手のひらで何度も拭っている。部屋の中は、静まり返っていた。
今この場にいる全員が、常務の次の指示を待っているかのようだった。
やがて、常務が意を決したように、低い声で言った。
「待ち伏せだ。やつらが現れた瞬間を、和田くん、録音してくれ」
その言葉に、和田は驚いた表情を浮かべた。
スマホを取り出しながら、声が裏返ってしまう。
「え、ああ、分かりました」
和田は普段の落ち着いた様子とは違い、明らかに緊張していた。
その大柄な体が小さく見えるほど、手元で操作するスマホが頼りなく感じられる。
常務の顔は冷静を保っていたが、その瞳の奥には焦りが見え隠れしていた。
この状況がどれだけ危機的なものか、全員が理解していた。
「専務が経理課を出たのは、どれくらい前だ?」
常務は受話器を取り、電話の向こうの山本に静かに問いかけた。
『五分ほど前です』
山本の声が低く響く。
常務は軽く頷き、すぐさま次の指示を出す。
「よし。机の下や観葉植物の陰に隠れろ」
「そんなので本当に大丈夫ですか?」
小泉と和田が不安げに声を揃えて聞いた。彼らは明らかに、この状況の異常さを感じ取っていた。
しかし、常務は眉一つ動かさず、冷徹な声で応じた。
「気づかれたら、その時は領収書を奪うしかない。奴らが気づかぬように、今できる限りの準備をするんだ」
その声には苛立ちが滲んでいた。普段の冷静沈着な常務ではない。
その言葉は、この場にいる全員の胸に重くのしかかる。常務が追い詰められている――そう思わせるには十分だった。
「了解しました・・・・・・」
小泉たちは無言で頷き、素早く動いた。それぞれが机の下や観葉植物の陰に隠れる。
誰一人として、今の状況を疑う余裕はなかった。福田は、汗を拭うのをやめ、集中して体を潜めていた。
和田は、その大柄な体を机の下に押し込むのに苦労している。重苦しい沈黙が降り、部屋全体がまるで凍りついたようだった。
時間がじりじりと過ぎていく。
冷房が効いているにも関わらず、体中が緊張で湿り気を帯びてくる。
和田は、狭い机の下で体を捻り、少しでも動きを抑えようと必死だった。
五分、十分と時間が止まったかのように感じる中、時計の針は進んでいる。
緊張が張り詰めた空間の中で、常務が抑えきれずにあくびをする声が静かに響いた。
その瞬間、足音が聞こえた。
廊下から、専務室に向かって一歩一歩近づいてくる足音が、彼らの心臓を鋭く刺激する。全員が一斉に息を詰め、視線を扉に集中させた。
まるで時間が一瞬にして凝縮されたかのような、圧倒的な緊張感が部屋全体を包み込んだ。
足音は徐々に大きくなり、ついに扉の前で止まる。
「録音準備、開始だ」
常務の静かな指示に、和田は震える手でスマホを操作し始めた。
指が微かに震え、呼吸を整えながら慎重に動かしている。
その手の動きすらも、まるで何かを誤れば全てが台無しになるかのような、極度の緊張感が漂っていた。
小泉は、白いテーブルクロスがかけられた長テーブルの下から、和田の顔を見た。
その顔は青ざめ、今にも何かに潰されそうな表情だった。
「例の件、うまく片付いた」
静寂を破ったのは専務の声だ。彼の声は冷静で、いつもと変わらない様子だった。
余裕が感じられ、その裏に隠された陰謀が見え隠れしていた。
和田は、息を殺し、スマホをしっかりと握りしめている。
「ありがとうございます。早速大臣に報告します」
もう一人の声が続く。黒いスーツを着た男だ。
その声もまた冷静で、まるで計画が完全に成功しているかのような口ぶりだった。
この場に立ち会っている全員が、彼らの会話を聞き逃すまいと、必死に耳を澄ませている。
「金は心配いらないと伝えてくれ」
専務は、どこか軽い調子で言った。
その一言に、小泉たちは改めて自分たちが目の前にしている事実の重大さを認識した。
専務がデスクに向かい、椅子に腰掛ける音が小さく響いた。部屋の空気は一層重く、張り詰めていた。
和田は大きな体を何とか捻り、専務の視界に入らないように苦心していた。
机の下で彼の体は不自然な角度に曲がっており、まるで重圧に耐えきれなくなったかのように見える。
だが、そんな状況でも、和田は必死に耐えていた。
福田は、そわそわして落ち着きがないようだ。常務に再三落ち着けと手を使って静かにジェスチャーをしている。
やがて、和田が常務に向かってグッドポーズを送り、合図をした。
その瞬間、空気が一気に緩んだような気がした。
「おい、五十嵐! これはどういうことだ?」
突然、観葉植物の陰から響く怒声が静寂を切り裂いた。八重樫だった。
彼の怒りに満ちた声は、まるで爆発音のように響き、部屋全体が震えるかのようだった。
「何だ、八重樫? 何でここにいる?」
専務は驚きの表情を浮かべたが、その目にはまだ余裕が残っていた。
彼の声はいつもの冷静さを保っていたが、その裏に隠された焦りが見え隠れしていた。
「お前らの不正を暴きに来たんだ。もう終わりだ」
八重樫は静かに笑いながら、専務に近づいていった。
専務は、少し動揺した様子を見せたが、すぐに平静を装い、口元に笑みを浮かべる。
「不正? 何の話だ?」
専務の声は乾いていた。
彼は無表情を保ち、まるで何も知らないかのように振る舞っていた。
しかし、その声はどこか空虚で、不安を隠しきれないように聞こえた。
「しらばっくれるな」
八重樫がさらに一歩前に進み、鋭い視線を専務に向けた。彼の目には、専務を追い詰める確信が宿っていた。
専務はその視線を受け、わずかに目を泳がせた。
「証拠ならあるさ、これだ」
常務が静かに立ち上がり、スマホを掲げた。その瞬間、部屋の空気が一変した。
和田が録音した音声が再生され、専務の耳に届いたとき、その顔から血の気が一気に引いた。
専務の目は見開かれ、驚愕と恐怖に満ちていた。
「な、なぜそれを・・・・・・?」
専務の声は震え、まるで信じられないといった様子だった。
専務は、小泉、和田の順番に睨み、最後に福田を睨んだ。
彼の体が微かに揺れ、冷静さを失っていた。
「みんな、出てこい」
常務の声が冷たく響き、部屋のあちこちに隠れていた者たちが次々と姿を現した。
机の下から、観葉植物の後ろから――まるで舞台の幕が上がるかのように、一人また一人と姿を現したその瞬間、専務の顔には絶望が浮かんだ。
「これで終わりだな、専務」
常務が冷たく告げると、専務は崩れるようにその場に座り込んだ。




