突撃への秒読
大学生たちや吉川、徳山が帰った後、小泉は福田と談笑していた。
和やかな雰囲気の中、事務所の方から和田がゆっくりと歩いてくるのが見えた。彼の歩みはいつもより重く、少し考え込んでいるようにも見える。
「ああ、和田さん、おはようございます」
福田がにっこりと微笑んで挨拶した。
「おはよう」
和田は軽く頷いた後、すぐに本題に入る。
「山下はどうだ?」
福田は少し困惑した様子で、言葉を探している。
「え、ああ、まあ・・・・・・ちょっと真面目過ぎますね」
「真面目か、堅物だろう」
和田も山下に対して、同じような印象を抱いているらしい。
その言葉に、福田も小泉も苦笑いを浮かべ、深いため息をついてから続けた。
「山下は、上からの指示に従順だからな。ロボットのような男だよ。何か指示されれば、迷わず実行する。確かに有能だが、融通が利かないのが欠点だ」
和田はそう言いながら、自分のかつての部下に対する複雑な感情を隠せないようだった。
その後、山下に対する話題が中心になり、しばし雑談が続いた。
職場の人間関係や業務の進行について軽く話しながら、三人は笑いを交えて会話を楽しんでいた。
しかし、和田がふと真剣な表情に変わると、声を低くして話し出した。
「それで、常務から何か連絡はあったか?」
和田の声は他の誰にも聞こえないほど小さかった。まるで、周囲の目を気にしているかのようだ。
小泉も、福田もその変化に気づき、姿勢を正した。
「いえ、まだ何も来ていません」と、小泉が応じた。
福田も同じく、首を振って答える。
「そうか」
和田は短く呟いた。その表情には少し焦りが見える。
和田が気にしているのは、派遣社員の大山が漏らした『国土交通省と社内の誰かが繋がっている』という噂だろう。
もしそれが真実なら、影響は計り知れない。
特に明日が総裁選の前日ということもあり、このタイミングで事態を一刻も早く解決したいという焦りが、和田の顔に浮かんでいた。
「もしこの噂が本当なら、今日か明日中に何らかの動きがあるはずだ」と、和田はさらに声を潜めて続けた。
「総裁選が終わってしまえば、こちらの動きは封じられるかもしれない。だからこそ、今日中に何とか決着をつけたいところだ」
その言葉に小泉も福田も無言で頷いた。
社内に渦巻く見えない力関係と、その裏に潜む何か大きな陰謀を感じながら、三人は常務の指示を待つしかなかった。
常務から連絡が来たのは、その日の業務が終わる四時間前だった。
時刻は一八時。
小泉は、スマートフォンのバイブレーションに気づき、すぐに確かめた。
『専務室に、黒いスーツの男が二人入っていった。今、そちらへ迎えに行く』
常務直々にここへ迎えに来るということは、相当に重要な案件だということだろう。
恐らく、専務が絡む不正送金の証拠を掴むための作戦だ。
専務と繋がっている黒いスーツの男たちは、偽会社のデビウスを利用して裏金を流している。
今回、その実態を暴くため、常務や小泉は暗躍しているが、平井はその事を知らない。平井を納得させるために、直接のやり取りを行う必要があるのかもしれない。
小泉はすぐに了解の意思を返信した。
事務所内には、和田がいて、福田はのんびりとあくびをしていた。
この現場では吉川や徳山、大学生のアルバイト組、さらに派遣社員の大山や杉谷、阿久津たちが働いている。抜け出すのは恐縮だったが、状況が状況だ。仕方がない。
大山に声をかけようとした時、福田が声をかけてきた。
「なあ、黒いスーツの男って、国交省の野郎か?」
「恐らくそうだろうな」と小泉は答えたが、実際のところ、黒いスーツの男たちが国交省の役人であるかは不明だった。
だが、彼らが専務と共にデビウスを通じて違法な資金移動に関わっていることは間違いはずだ。
国交省の一部が共謀している可能性も排除できない。
やはり、このタイミングで動いたか。
しかし、なぜ専務はリスクを冒して直接のやり取りを選んだのか――
黒いスーツの男たちが専務室に入った以上、今後の動きが加速することは明白だった。小泉は、これが決定的な証拠を掴む最後のチャンスだと感じ、身を引き締めた。
常務からの返信を送ってからわずか五分。
廊下の奥から、大きな足音と共に常務が姿を現した。
その顔は険しく、鼻息が荒い。
「専務が動いた」
開口一番、常務の低く重い声が響いた。緊張が走り、福田がすぐに応じる。
「やはり、専務でしたか」
「ああ。だが、まだ確証はない。今は慎重に動くべきだ。直接乗り込むのは危険だ」
常務は腕を組み、何かを見つめるように一点を凝視している。無言の重圧が皆を包んだ。
小泉がふと疑問を口にする。
「でも、なぜ直接のやり取りを選んだのでしょう? メールや電話ならもっと安全なはずですが」
常務は眉をひそめ、静かに答えた。
「デジタル上に痕跡を残さないためだろう。やつは、徹底している。警戒心が強いんだ」
小泉がそれに納得し、頷くと、常務は彼と福田に目を向け、鋭い口調で命じた。
「行くぞ」
「はい」
二人は即座に答えた。
常務が迎えに来てから五分も経たないほど、緊密な連携が取れていた。
「大山さんも呼びますか?」
「ああ、同行してもらう」
「福田くん、和田くんに連絡してくれ」
「え、ああ。はい。了解です」
福田が、スマートフォンを取り出して、和田に連絡している。
その間に小泉はすぐに大山を呼び、先を行く常務に追いついた。五人が静かに階段を上り始める。
行き先は二十五階。
息遣いさえ響く中、静寂がじりじりと心に重くのしかかっていた。




