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暗翳での死

 数日後の午後、退勤の準備をしていると、山本から業務中に連絡がきた。


『次の土曜日、一緒にデビウスの所在地に行ってみないか』


 興味があるし、何か分かるかもしれないし、それにどんな場所を使っているのか気になったので、快諾した。福田にも聞くと、行きたいが用事があると言って残念そうに断った。

 そんな話をしていると、隣に徳山が立っていた。

「え、土曜日どっか行くんですか?」

「あ、いや。何でもないですよ」

 返答を間違えたかとも思ったが、徳山は先に歩いている吉川を追いかけていった。

「なんだ、あの人」

 福田が隣で笑っている。

「あの人、急に現れるよなぁ」

「ああ。びっくりした」


 土曜日の朝、二人はデビウスの最寄り駅である山梨県の大月駅を目指して向かった。

 春の日差しが心地よく、空は澄み渡り、爽やかな風が吹き抜ける。

 立川駅で合流し、目的の特急「かいじ十五号」に乗り込むと、休日のためか、乗客で賑わっていた。

 指定席は殆ど満席で、二人はやむなく別々の号車に分かれることになった。

 列車は、八王子駅を過ぎると、次第にビル群を離れ、ゆったりとした山間へと滑り込んでいく。

 窓の外には新緑が生い茂る丘陵や、まだ雪を頂く遠くの山が目に飛び込んでくる。

 かいじの車窓から見える景色は、都会の喧騒を離れた静かな風景で、まるで別世界に踏み入れたかのようだ。

 木々の間に見え隠れする川の流れは、春の陽光を受けてキラキラと輝き、まるで絵画のような美しさが広がっている。

 線路沿いに咲く桜の木々は、満開の花をつけて風に揺れ、その柔らかなピンクの花弁が、緑の木々や青い空とのコントラストを鮮やかに演出している。

 窓を開けたら、ほんの少しでも春の香りを含んだ風が頬を撫でそうな気配がする。

 列車のリズミカルな振動が心地よく、山梨の自然が一層身近に感じられる。日常の忙しさを忘れ、自然とともに時間が緩やかに流れる感覚に浸っていた。

 その穏やかなひとときも、しばらくすると終わりを迎える。列車は、山々に抱かれた大月駅へとゆっくりと近づいていく。

 デビウスという名を持つ企業があるこの地に、どんな秘密が潜んでいるのか。

 春の穏やかな風景とは裏腹に、二人の心には不安と期待が入り混じった感情が渦巻いていた。

「もう着いたのか」

 小泉はもっと揺られていたかった。

「意外とすぐだな」

 山本も体をぐーと伸ばした。

 山本曰く、デビウスは山の麓にあり、県道や国道沿いからは木で隠れており、見つけにくいそうだ。

 駅前でタクシーを捕まえ、山本の指示の通り進む。

 十五分ほどすると、人気のない開けた場所に着いた。

 タクシーが駅に戻るのを見送ると、二人はボロボロの建物の前に立った。

「これか? すごいボロボロだけど」

「多分これだ。人の気配はないから、本当に幽霊会社だな」

 恐る恐るドアノブを引くと、中は暗くシーンとしていた。

「何もないな」

 山本が言うと、小泉は頷いた。

 念の為、誰かいないか確認するために二階に上がる。

 産まれたての蜘蛛が数十匹群がっている。

「きもちわる」

「それにしても、何もないな」

「ああ」

 さっきから、小泉と山本は同じ言葉ばかりを繰り返している。

 恐らく二人とも気付いてはあるが、特に何か思うこともなくただ前に歩いていた。

 ゆっくりと古びた階段を登り、足音を忍ばせるようにして廊下を進む。

 やがて、二人は大きな部屋の前で立ち止まった。

「ここが一番広いな。何かあるかもしれないな」と山本が小さな声で呟く。

「そうだな、行ってみよう」と小泉がドキドキしながら応じると、山本は小さく頷き、再び足を動かした。

 その瞬間、遠くからウグイスの鳴き声が響き、静寂を破るように耳に届いた。今まで、足音と自らの息遣いしか聞こえていなかったのだ。

 穏やかな四月の日差しは、窓からわずかに差し込むだけで、部屋の中にはほとんど届いていない。陽光がない場所は薄ら寒く、二人の歩みをさらに重く感じさせていた。

 そっと山本が扉を開くと、向かって左側に大きな段ボール箱が四つ置いてある。正面には大きな窓で、外には大きな木がどっしりと構えている。

 向かって右側は何もなく、薄汚れた壁だけである。

「あのダンボールを検めてみるか」

「よし」

 二人でダンボール箱に近づくと、何やら不快な匂いが漂ってきた。

「何だこの匂い」

 小泉が、鼻を押さえながら言う。

「きつい匂いだな」

「開けてみるか」

「ちょっと怖いけど」

 山本は怖がっている。山本らしくない。

 二人で同時に一番大きな箱を開けると、中には大きな黒いビニール袋が一つ入っている。

「何だこれ」

「なあ、これもしかして・・・・・・」

「え?なんだよ。怖いじゃないか」

 二人は震えながら、袋を開けると中には黒ずんだ人間の足のようなものが入っていた。

「まさか・・・・・・」

「そのまさかだろ・・・・・・」

 二人は慌てて飛び退き、ワナワナしながら見つめ合っている。

「どうするんだよ・・・・・・」

「どうしようって警察だろ!」

「ああ、そうか・・・・・・」

 小泉は、急いで百十番通報し、数分後多くのパトカーと警察が入室してきた。

 その後、二人は警察署に同行し、経緯を詳しく話を聞かれ、特急かいじの予約をキャンセルし、一晩大月で泊まる羽目になった。


「あーあ、疲れた」

 山本は、顔を擦りながら言った。

「そうだな。なんなんだあれ」

「さあ。変なことに関わっちまったな」

「やれやれ、これも不正と関係あるのかな」

「分からん。何のためにこんなことをしたのかが分からん」

「警察にもあの件は伝えたし、そのうち解決されるだろう」

「だといいがな」

 山本は、少し悲観的観測をしているようだったが、詳しく聞く気にはならなかった。


 翌日、ようやく小泉らは警察から帰宅の許可を得て、解放された。

 気が付けば日曜日も終わりに近づいており、休日最後の夕方、駅の人はまばらであったが、車内は混雑していた。人々が家路を急ぐ中、どの電車も混み合っていて、空いているのはグリーン車だけだった。

 二人はやむを得ず席を指定し乗り込むと、隣同士に腰を下ろした。

 しかし、車内は落ち着いた雰囲気にもかかわらず、二人の間には言葉が交わされることなく、ただ無言の時間が流れていく。

 小泉は、何をどう話せばいいのかがわからなかった。

 山本も同じだったのか、硬い表情のまま外を眺めていた。


 グリーン車は静寂に包まれていたが、その空間は二人にとって居心地が悪かった。何かを語り合いたいという気持ちはお互いに感じられたが、それでも言葉が見つからなかった。

 ようやく電車が目的の駅に到着すると、小泉と山本は軽く言葉を交わし、別れを告げ、二人はそれぞれの家へと向かった。


 家に着くと、昨日まで自分たちがいたあの建物がテレビに映っていた。報道陣が集まり、現場検証の様子が中継されている。小泉は思わずテレビに見入った。

 あの建物に何があったのか。その答えを探すように画面に集中する。

 報道では、警察がすでに建物内部を調査しており、死亡推定時刻が二週間前であることを特定したと伝えられていた。 

 二週間前。小泉はその数字に驚きを感じながらも、何かが解決に向かっている実感はどこかで感ぜられた。


 これでようやく、すべてが終わるのだろうか。小泉はそう考えた。

 しかし、ふと山本のことが脳裏に浮かんだ。グリーン車での無言の時間、そして彼の横顔。

 それらがどこか引っかかって離れない。山本の表情はどこか暗い影が差していた。

 彼の内心は、小泉には見当がつかない。

 しかし、あの表情が何かを訴えていたことは間違いない。 

 小泉は再びテレビに目を戻し、画面の中の現場を見つめながら、胸に不安が広がるのを感じた。


 事件はこれで終わりではないかもしれない。まだ解けていない謎があるように思えた。

 山本の沈黙の理由、そして真相。   

 小泉は、その先に何が待っているのかを考えずにはいられなかったが、何も思いつかない。

 テレビの報道が続く中、外の風が窓を揺らし、静かにカーテンをはためかせていた。

 その音がどこか遠い、別の世界から聞こえてくるように感じられ、小泉は和田や福田、大学生らのことを考えた。


 月曜日、いつも通りに出勤するものの、社内は別段変化はなかった。

 午後になると、大学生たちが常務らの様子を見てくれるし、何か変化を伝えてくれるだろうと思い、作業に集中した。

 しかし、大学生たちの持ち帰った情報には、特に変化は無かったと言う。

 不思議に思い、山本に連絡する。


『しばらく様子を見た方がいい』


 短く一言送られてきた。小泉はどこか納得いかないまま、同意した。

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