1 「おもちゃ」の世界から
「ものを長く大切に……愛していると、いつしかそれに付喪神さまが宿って、持ち主に恩返しをしてくれるんだよ。」
幼い頃、現実主義の祖父から、ただ1つだけ不思議な話を聞いたことがある。
古い日本家屋。うっすらとカビの匂いがする広い押し入れに顔をしかめながら、千日 繋は、ふとそんなことを思い出していた。
「繋。早くこっちも手伝って」
母にせかされてしまった私は、はあい、と気の抜けた返事をすると、しぶしぶ雑巾を受け取った。
2人きりで、黙々と祖父の部屋の掃除を続ける。
「さっきね、押し入れでさ、おじいちゃんの変な話思い出しちゃったんだ」
私たちの間にある、なんとも言えない気まずさを打ち消すかのように、明るく、そして脳天気な調子になって言った。
「なんか、デンショー? 昔話? みたいなやつなんだけど。おじいちゃんが元気なとき、お人形遊びに付き合ってくれて……」
何も聞いてこない母のことを怪訝に思ったので、つい口走ってしまった。
あ、と情けない声が、喉を突いて出る。
「ああ、そう。」
母は困っているような、泣き出すような顔になって、言った。
「悪いけど、繋、向こうの部屋をお願いできる? お母さん今、1人になりたいの」
言ってしまった。
言ってしまった。
祖父の話をすると、母はあんな表情ばかり浮かべる。
私は、暗くて長い廊下を、ただひたすらに走った。
これからもずっと、たった1人で道なき道を走り続けろとでも言われているのだろうか。
一生このままなのだろうか。
(今日だって、本当は家族全員で掃除に来るはずだったのに。)
父と兄は、祖父を思い出すと辛くなってしまうからと言って、結局来なかった。
このままではきっと、家族までもがバラバラになってしまうだろう。
私は、不安と悲しみで胸がぐちゃぐちゃになりそうだった。
ふと、あの押し入れがある部屋の前で足を止める。
ゆっくりと、そこに近づいていく。みしみしと音を立てながら、押し入れの戸が開いた。
ガランとした広い空間、その端にある、"みかん"と書かれたダンボール箱。
あった。見つけた。
これは、幼い頃、よく遊んでもらった祖父との思い出が詰まった大切な箱だ。この古ぼけた小さな箱には、おもちゃ達が棲んでいる。とは言っても、汚くなってきたので、ほとんどは去年、捨ててしまったのだが。
けれど、この中には私達家族の幸せをもが詰め込んであったのだと、今となっては思う。
「懐かしいよ、おじいちゃん」
私は熱い目頭を、両手で必死になって抑えつけた。
頭の中で、幸せだったときの記憶と時計の秒針の音だけが、ただゆっくりと流れ続けていた。
ーーどれくらいこうしていただろうか。ずっと泣いていても仕方がないので、さて掃除を再開しなくてはと立ちあがろうとした、その瞬間。
ジャアアアアアアアン
と、耳をつんざくような、ものすごい音がした。
後ろを振り返ると、恐らくさっきの音の元凶であろうシンバルを持った猿の兵隊が。
でも、スイッチなんて入れていない。
だとすると、まさかーー。
「やァ。」
思わず、息を呑んだ。声も出ない。
「やァ。僕は君に大切にしてもらった、お猿さんのジーニョだよ。覚エテル?」
片言の日本語を話すそれは、間違いなく私のおもちゃだ。
念のためだがダンボール箱を確認する。
ジーニョは、なかった。
「そんなに慌てなクて、イイよ。とニかく時間がなイかラ、急いで話スね。繋ちゃん、今から君ニハ、異世界に飛ンでもらウ。」
「押し入れの中ヲ、のぞいてごらン。奥に、ツミキでできた鳥居ガ見えルだろう? そう、それだ。繋ちゃんぐらいの大きさだったら、イトも容易く入れルから、安心オシ。」
「……鳥居は、この世界ト別の世界ノ境界でもあるからネ。気ヲ付けて行くんだヨ。それじゃあ、イッテラッシャイ」
一息にそう言うと、ジーニョは役目を終えたかのように、ぐっすりと眠ってしまった。
私は終始口をぱくぱくさせていたけれど、やがて決心して、身を縮こませながら鳥居をくぐる。
思わず、笑みがこぼれた。
こういうのは昔から、嫌いじゃない。
本当だったら、怖気付くべきだろうか。ジーニョにはなんだか申し訳ない気がしたけれど、私はとてもわくわくしていた。耳元ではまた、あのシンバルの音が鳴り響いていた。
「ここは……どこ?」
鳥居を抜けた先には、上下左右どこを見ても、満点の星空が広がっているばかり。その景色も無限に続いているというわけではなく、ところどころに壁がある。……当たるとけっこう痛い。
人からよく肝が据わっているねと褒められる私でも、さすがに不安になってきた。
「ジーニョオォォ! 誰かあぁ! 助けてー‼︎」
ええい、こんなときはヤケクソだ。
叫んでみたがやはり、
「ダメか……。」
しゅんと肩を落とす。
ああ、ジーニョの話の最後の方を、もっとちゃんと聞いておくべきだった。あれはきっと、真剣な態度で行けという、ジーニョなりの忠告だったのだ。私は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
もしかしたら、永遠にこのままーー。
「何やってんのよ、とんでもなく無様ね。」
涙が出るすんでのところで、上の方から声が聞こえてきた。
「……誰⁈」
「久しいわね、繋。」
色あせたブロンド、たくさん毛玉の付いたレースが年月の経過を物語っていたが、私にはすぐに分かった。
「みかちゃんなの?」