命の定義 5
先んじて動いたのはドミニクだった。現れた異形の全容を確認することもなく、片足で踏み込んで刀を横薙ぎに振るう。リノリウムの床が衝撃で割れ、蹴りこみと同時に割れた床の破片が巻き上がった。たった一歩の踏み込みと跳躍で己の間合いまで近づいたドミニクの一閃は、しかし鈍い金属のような接触音に阻まれる。
ドミニクの細い金の瞳孔が、目が見開かれた。
刀身に開いた長細い穴に、大きな口から生えた牙が挟み込まれている。がっちり顎と鋭利な歯にかみこまれて、微動だにしない愛刀を引き抜くことが無理だと判断したドミニクは、瞬時に左腕に魔力を込めて拳で顎を打ち抜いた。
ドミニクの拳から、圧縮された魔力が放たれる。拳の一撃と、僅かに遅れてやってくる膨大な魔力の二撃目。はじけた魔力は空気を揺らし、コントロールルームの壁と床にひびを入れた。
「こいつ──⁉」
シャルロットが座る椅子がびりびりと震え、衝撃で回転したのを足で止める。左腕のプラグでコンソールと繋がれたままぐるりと反転したシャルロットは、交戦しているドミニクと異形の癌の姿を明確に瞳に捉えた。
大きな肉の塊から、人間の上半身が飛び出ている。未発達で性別の判断のつかない上半身が何本もだ。頭と胴がくっついて連結したようなものもあれば、腕の先が胴体になって宙ぶらりんになっているものまで形は様々。ドミニクの刀を受け止めているのは、中心になっている肉塊の中央に裂けた大きな口だった。歩くための足は無いが、同じように肉塊から下方向に飛び出た人間の上半身が、重みでぐちゃぐちゃに形を歪ませながら足の代わりをしている。
多足多腕の異形の癌がそこにいた。たった一人の人間が変異した姿であるとは考えられず、癌同士が捕食しあって混ざった個体だろう。犠牲になった子供の顔も体格もそのまま、白く色褪せた肌の内側から体液をにじませている。
「まずい。まずいまずいおいしくない、たべものぉ」
カタカタと歯を鳴らして癌が呻いた。口角を上げてドミニクを嗤った癌は、腕の一つをドミニクに向けて振り下ろす。癌の腕はドミニクを捉える直前で身体の真ん中からばっくりと開き、剣を噛み締めている大きな顎に引けを取らないほどの面積をもって彼を飲み込もうとした。
「ドミニクさん!」
あれは腕ではない、身体でもない。人間の身体の見た目をした口だ。多足多腕のすべてが捕食機構なのか。
思わずドミニクの名前を呼んだシャルロットに、癌の腕の一つが顔を向けた。充血して裏返った乱眼から確かに向けられた視線に、シャルロットの心臓が跳ねる。
ドミニクは眼前で大きく広がった癌の腕口から身を反らせて逃げると、刀から手を離して軽いステップで肉塊の側面へ移動する。思いきり手を伸ばしてやっと愛刀の柄に手が届く距離から、刀を食らおうとする癌に向けて左ストレートをお見舞いした。
剣の柄を握りながら狙いすました渾身の一撃が、癌の顎関節に打ち込まれる。ドミニクの拳は大きく肉塊にめり込んで癌を吹き飛ばし、コントロールルームの壁面にクレーターを残した。
「コピーはッ!」
ドミニクが叫ぶ。椅子を反転させて確認した数値だと七割。
「あと三割です!」
「クソが、こいつは──!」
早く終わってくれ。いくらドミニクでも、移送された遺体が全て合体した癌など手に余る。
「表に出すとマズいぞ、ここで火葬する!」
壁にめり込んだ癌が、小さな破片をばらまいて起き上がる。何本もある脚替わりの身体が、真っ二つに裂かれて顎に変わった上半身が、動くたびに音を立てる。骨が擦れ、止まらない涎が泡立ち、粘着質な水音と、幾重にも重なった歯ぎしりが悲鳴のように響いてくる。
椅子の上で身をよじり、ドミニクの支援をするために魔導銃を抜く。せめてあの腕と足の口を縫い留めてしまいたいところだ。接近すれば大きな口で食われるのなら、刀を主装備とするドミニクではやりにくいだろう。
「いたい、いたぃいたい、いたいぃ」
椅子の上から銃口を向けて撃発。放った魔杭の切っ先は癌に当たったものの、刺さることなく弾かれる。カタカタと歯を鳴らし、腕や体を振り回して癌が呻く。衝撃で体内に負担がかかったのか、癌は肉塊の口を大きく広げて痙攣するように咳き込んだ。
プラグをしっかり握りしめる。ディスプレイに表示された進行度は九割。癌はげぼげぼと体液を溢れさせ、ぼとりと大きなものを吐いた。消化途中の人間の下半身か、最早なんの肉なのか分からないほど血に汚れた死体の欠片を、ドミニクが燐光を浴びせて燃やし尽くす。熱と光で真っ白に焼き尽くされたコントロールルームの一角で、しかし癌は表面を焼かれるだけに留まっていた。
「チッ、まだかシャルロット!」
シャルロットに聞こえるほどの音で舌打ちしたドミニクが急かす。彼が柄にもなく焦っている様子に、空気を伝った焦燥感に蝕まれていくようだった。じわじわと増えていくコピーの進行度合いに、今すぐにでも腰を浮かせて立ち上がりたい衝動に駆られる。
早く、早く。ゲージはあと数ミリ。九十八、九──
「──終わりました!」
コピーの完了報告の画面に切り替わり、シャルロットは即座に接続を切ってプラグを左腕に引き戻す。端末を素早くポーチに納めて椅子から飛び降りると、ドミニクを支援するためにもう片方の魔導銃を抜き、ドミニクに伸ばされていた腕口を銃撃で牽制する。何度か斬り込んでいたドミニクが、思いきり舌打ちをして後退した。
「駄目だ、刀が通らん──!」
「嘘でしょう魔力込めて駄目なんですか⁉」
「悪性細胞の増殖の方が速いんだ! しかも──クソっ、こんなの初めてだな……!」
話しながら、双銃で弾幕を貼るのは止めない。襲い来る腕と足に魔弾を撃ち込み続けるが、大した効果はない様に感じる。着弾した手ごたえが全くない。
「拘束はするから無理にでも納めてくれ、最大火力で焼くぞ」
「はい!」
見た目のわりにかなり硬い。薄い金属ならば容易く貫通するシャルロットの魔弾も、圧倒的な熱量を持つドミニクの魔力ですら効果が期待できないのか。
「いきますよ!」
しかし、ドミニクもこういった封印指定の癌を火葬した経験があるのだ、彼を信じてやるしかない。ドミニクが再び魔力を振るい、動きを止めたところで癌の周辺に杭を打ち付ける。何本も刺した杭の先端から魔鎖を生成してその場に縛り付けると、少々強引に棺の生成に入った。双銃を納めてクラウィスを起動し、素早く魔力充填して魔力壁を展開。癌が吹き飛ばされたクレーター付近の壁ごと魔力壁の中に押し込めて、錠前はクラウィス自体を鍵とする最上位の強化錠に。
クラウィスをはめ込み施錠すると、間髪入れずにドミニクが火入れを始める。コートから魔力が溢れ、風圧で前髪が揺れた。
ここまではいつもの火葬だ。棺の中で何が起こっているのかはよくわかる。ドミニクはしかめっ面を更に厳しくして棺に手を当て、時折確認するように小突いていた。
「……まだですか」
「どうなってる、手ごたえがない」
長い。どれだけ焼いても時間をかけても、棺が軽くならない。その違和感はドミニクも同じようで、徐々に温度を上げていくものの状態は何も変わらなかった。
「ですよね、私もなんですよ」
「燃えてもいない気がする……溶けてるのか?」
「溶ける? 燃える、でなく?」
自分の口から飛び出た言葉にドキッとして、この場で見たものを思い返す。犠牲になったらしい子供たちの身体データと、処置内容と──そうではない。どれも違うとかぶりを振る。今一番重要なのは、監視カメラに映ったガラスの割れたポッドの方だ。
子供の遺体に掛けられた調整を、シャルロットは葬儀官への嫌がらせと揶揄した。
では他に考えられる調整はなんだ?
長所として伸ばす場所は?
強化して手を加える箇所は?
癌の欠点は?
欠点は──燃やしたら、死ぬことだ。
「っ、すいません、出ます!」
癌が暴れ回る。棺の中はあっという間に癌とその圧力ではち切れんばかりに膨れ、シャルロットの操作で抑え込もうとしても制御が効かない。まるで火口の中から溶岩が吹き出すように、液体が暴れて波が収まらない。
どう考えても体積が増えている。なんて強度だ、焼かれながら悪性細胞を増殖させているのか。
癌を閉じ込めた棺の縁から熱が漏れる。ばちゃん、と粘性のある音が棺の中で響くたびに縁が緩み、強靭なはずの棺が耐久限界を迎えてガラスのように砕け散った。
錠前が割れ、一体化していたクラウィスがシャルロットめがけて飛んでいく。熱風と共に舞い戻った魔導銃を辛くも握りしめた彼女が見たのは、どろどろに液体化した悪性細胞の塊だった。
棺の中から真っ赤に熱せられた金属が流れ出る。発火点を大きく超えた温度の癌は触れた床を焼き、火をつけながら、集まって元の姿を取り戻していく。
シャルロットは自分の作る棺が堅牢で強固である自負はあった。ドミニクが葬送庁で最強と呼ばれる通り、シャルロットもまた唯一無二に近い能力を持っている。
それを、破られた。内部にかけられる圧力と熱量は誰が作った棺よりも高い、強力無比な棺が、よりにもよって内圧と質量で破壊された。ドミニクの魔力による熱量が未知数と言えど、こんなことが起こっていいのか。
信じられない。嘘だろう。これでは手の打ちようがない。多足多腕の鋼鉄の癌が、赤熱した流体の金属から元の人間じみた皮膚に変形するまでそう時間はかからない。火花と溶けた鉄の飛沫がコントロールルームに落ち、そこかしこで火の手が上がる。
「すまん、担ぐぞ」
一瞬で状況判断を終えたドミニクに攫われるようにして背負われる。今しがたシャルロットが立っていた場所に大きめの鉄がびしゃりと降り、床を焼いていた。
椅子も壁も、あっという間に火が回ってまる焦げだ。この鋼鉄の癌や、自己崩壊症により多少は人外であるドミニクなら煙や熱の中でも逃げられるかもしれない。ただシャルロットは、間違いなく死ぬ。煙を吸い込んであっさりと。
「ど、どうするんですかあれ!」
「……今考えてる。ひとまず酸欠になる前に外に出るぞ」
「外に出したらダメだってさっき……!」
「ド阿呆、死ぬ気か⁉」
ドミニクが肩にシャルロットを担ぎ、愛刀を片手に持ったままでコントロールルームの扉を思いきり蹴り開ける。なすすべもなく彼の肩に担がれているシャルロットの視界に広がったのは、鉄臭い血染めの廊下と、周りの床を焼きながら這いずる癌の姿だ。
ほぼ全力疾走に近いドミニクは、肩に乗せたシャルロットを支えて施設の中を突き進む。床が血塗れなのはこの鋼鉄の癌が施設に居た人間を食ったからだろうか。タイミングが良かったのか悪かったのか、ここに今日ドミニクとシャルロットが訪れていなければ、この癌が何をしでかしていたか。それともとうの昔に人員は食われていて、蓋を開けてしまったのが二人だったのか。
どちらにしろ、シャルロットには打つ手がない。考えもつかない。方法としては希硫酸に漬けて溶かすくらいだが、まったくもって現実的ではない。
「ドミニクさん、ああもうちょっとすぐ後ろ来てますって!」
「……やるしか、ないか……? いや、今しか……」
「もうっ、弾撃っても足止めにもならないとかムカつく……!」
逃げながら牽制に魔弾を撃ってみても利きやしない。右へ左へ、詳細の分からない研究施設の中を曲がっては止まり、曖昧な方角を頼りに行き止まりの先の部屋の扉を斬り、蹴り飛ばしながら出口を探す。
鋼鉄の癌は多足多腕を振り回し、体を引きずる様に二人を追ってくる。しばらく走っていると癌は撒いたようだが、煙が充満してくるのが速い。コントロールルームは今頃火の海だろう。
「……シャルロット」
「なんです⁉ というか自分で走るので下ろしてください!」
「お前、あれ以上の棺は、作れるか」
ドミニクが走りながら静かに問うた。あれとは、恐らく先ほどの火葬に失敗した棺のことだ。クラウィスの性能を最大限使っての納棺だったのだから──否、作れたところで火力が足りないはずだ。
「さっきの以上ですか……⁉ そんな大規模な棺、作れたって──」
「理論上はやれるか」
「もう一回火葬してみるんですか?」
「できるのか」
「納棺したって火が」
「答えてくれ頼む」
シャルロットの耳には、どこか懇願するようなドミニクの声と、燃え盛る炎と癌の迫る足音だけが届いていた。唐突で質問の意図が読めない。
「作戦があるんですか」
「言わなきゃわからんのか、あるから聞いてる」
「わかんないですよ、先に言ってくださいよそれっ……」
ドミニクが閉じた扉を蹴り開ける。薄暗い廊下に灯る非常灯を頼りに走ってきて、やっと出口のようだ。
ロックを解除する時間すら惜しい。シャルロットを抱えたまま、ドミニクはその分厚い壁すら一蹴りでこじ開けた。薄暗い地下駐車場の車庫に戻ってきたドミニクは、シャルロットを下ろしてから吹き飛んだ厚い扉を枠にはめ込んで、隙間の部分を熱して金属を溶かし、溶接する。
「それで、どうなんだ」
作業を終えて振り向いたドミニクはいたって冷静だった。真正面からいつもの真顔が降ってくるものだから、シャルロットは少し視線を落とした。
彼に策があるといっても、シャルロットの答えを聞かなければ詳細を話してはくれないだろう。さっと頭の中で思考を巡らせて、一つの案にたどり着く。
「固有魔法ならギリギリいけると思います。その後何もできなくなりますけど」
納棺魔術は最初からクラウィスに組み込まれているため、棺の性能にも限界がある。しかし固有魔法であれば可能だとシャルロットは判断した。
「範囲は」
「大魔法クラスになりますから、ピンポイントに範囲を指定できません。この車庫丸ごと包むくらいの大きさになります」
かなり大規模な固有魔法になるため、魔力の消費量も馬鹿にならない。魔力生成を暴走させた上で、全身の魔力増幅器をめいっぱい使って量が足りるかどうか。使用後は疲弊しきって立ち上がれなくなるだろうが、緊急事態なので体への負担は度外視する。
「分かった、それでいい。お前は此処から出て、外から納棺してくれ」
説明しても、ドミニクはいつもの調子だった。当然棺の内部に術者であるシャルロットはいることはできないので、この場から外に出なければならない。だが彼はどうするのだろう。言ったきり動く素振りも見せず、逆手に握った刀身を撫でたドミニクにシャルロットは気づく。
まさか自身を火種にして内部から燃やす気か。
ガン、と扉が叩かれる。鋼鉄の癌がとうとう出口までやってきたらしい。
「待ってください残るんですか⁉」
「鉄の沸点は二千八百度だぞ? それ以上上げるなら外からは無理だ。アレは蒸発させんと殺し切れん」
「どうやってですか! そんな温度出せる魔法なんでないでしょう、死ぬつもりですか⁉」
自滅としか考えられないドミニクの提案に、シャルロットは食ってかかった。そんなもの認められるか。鉄の沸点を超える温度を長時間展開するなど自殺行為だ。触れる前に自ら消し飛びそうな状況に置かせるなどできるものか。
喋っている間も、ひっきりなしに扉は叩かれ続けている。縁を溶接するように接着したのが功を奏したのか、すぐに破られる兆候はないが、長く持たないことも確かだった。
「大丈夫だ、やれる。信じろ」
「やれても駄目です、そんな自殺紛いなことさせられません!」
「自殺の趣味はない。お前が使える最大の棺を作ってくれれば、あの癌を蒸発させられる」
ああ言えばこう言う。シャルロットの意見に聞く耳を持ってくれないドミニクは、自分の判断を決まりきった確定事項としているようだ。
「行け、時間が惜しい。アレは俺が抑える、此処から一歩たりとも通さん」
「でも! だったら拘束して封印することだって! それから離脱して、方法があるなら後日にでも……!」
「悪いがそれは出来ん。できないんだ、分かってくれ」
「──ッ、確かに拘束具自体を食われるかもしれないですけど! ドミニクさん一人残すのが最適だと⁉ ふざけないでくださいよ何も話してくれないのに納得できるわけないでしょう!」
「お前が残っても何もできんだろうが!」
どれだけ言っても頷こうとしないシャルロットに、ドミニクが声を荒げた。侵入につかったダクトからは黒煙がもうもうと湧き上がっている。外に出るならさっさと出なければ、車庫の上部が煙に巻かれて逃げられなくなるだろう。
「……お前だからだ」
ドミニクの怒声にびくりと肩を跳ねさせ、驚いて動きを止めたシャルロットに、ドミニクは少々やりすぎたと思ったようで。どうにか彼女を説き伏せようと口を閉ざして考え込んだのち、言い聞かせるようにして説いた。
「お前を信用して言ってる。お前を信じるから、俺を信じてくれ」
だから、やってくれと念押しされる。そのまなざしに一切の迷いはなかった。
どうやって棺の中で温度を上げていくのかは話してくれなさそうだ。シャルロットはいまだに納得はできていなかったし、理解もできてはいなかった。
しかし、いつまでもここで話し込むわけにはいかない。行動に移すなら早ければ早いほどいい。どうやら、こちらが折れるしかないようだ。
「……じゃあ約束してくださいよ、生きて帰って来るって」
死ぬつもりがないのなら、軽く答えられるだろう。そう思って、シャルロットはドミニクに問いかける。
「善処する」
短くドミニクが答え、後ろ髪を引かれそうになりながらもシャルロットは魔導銃から壁に対してアンカーを撃ち込んだ。




