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ツインレイ・オブ・スターシード  作者: 露藤蛍
MISSION:1 The Screaming EVILDEAD
1/56

魂を手折る者 1

 成層圏に煌めくオーロラが、今日も星々を隠していた。

 高層ビルよりも高く、天に向かってそびえ立つ巨大な樹状のクリスタルが、街を煌びやかな魔力で彩っている。


 この街が、世界が。

 鮮やかで綺麗なのは見た目だけだ。


 夜も更け、家を訪ねるには非常識な時間帯。

 首都ベル・ディエム郊外の一軒家に横づけした車から降りたシャルロットは、ひとつため息を入れてからインターホンを押した。

 気乗りしない仕事だった。


『……どちら様で──』


 応対に出た女性の声が、インターホン越しに確認したシャルロットの姿を見て震える。


「葬送庁、悪性新生物対策課の葬儀官、シャルロット・S・ソーンと申します」


 白いパフスリーブのシャツとコルセットベストに、襟元には若草色の輝石をはめ込んだループタイ。左腕には魔導機器のガントレットを装備し、両足は強化カーボン製のバトルブーツ。三丁の魔導銃は、肩から吊るしたフルハーネスで装備している。かんざしで一まとめにしたミルクティーベージュの髪と深いエメラルドグリーンの瞳が、門灯の光を鈍く反射していた。


「旦那様は──マクシミリアン・ガーランドさんはご在宅ですか」


 シャルロットは仕事用の個人端末から身分証明書を見せ、女性にそれだけ問うた。


『夫は行方不明で』

「対策課に情報提供がありました。夜になると獣のような声がこの家からすると」


 お分かりですね。

 シャルロットが念を押すと、女性はどこか諦めた様子で『お待ちください』と告げ、しばらく経って玄関を開けてくれた。


 この家を訪ねたのは先に言った通り。近隣住民から深夜に獣のような声がすると通報があり、家の住人を調べたところ、家主の夫がしばらく行方不明だったことが判明した。

 危険性が高いと判断され、警察でなく葬儀官のシャルロットが派遣されたのだ。


 葬送庁は死体を管理するための官庁だ。死人がいない場所に、葬儀官は来ない。


「上がらせてもらいます」

「……娘が寝ているので、どうか静かに……」

「配慮は、します」


 夫人はかなり焦燥して疲れ切った顔をしていた。夫の事を独りで抱え込んでいたのだろう。

 ブーツの靴底を拭いて家に上がったシャルロットは、案内する夫人を追いながら話しかける。


「旦那様はいつお帰りに?」

「二週間前です。しばらくは普段と変わらなかったんですが、数日前から部屋に引きこもって……具合が悪そうだったので救急車を呼ぼうかと思ったんですが、拒否されてしまって。それきり部屋から出ず、呑まず食わずです」


 やっぱり、そう、だったんですね。ガーランド夫人は、どこか安堵したように言った。

 シャルロットは眉間に皺を寄せながら階段を上がると、マクシミリアンが居座っているらしい扉の前に立つ。

 少し離れた廊下の向こうに扉が二つ。どちらかで、娘が眠っているらしい。


 本当に、気乗りしない仕事だ。

 行方不明の父と、恐らく帰りを待っていただろう娘。夫の命を諦めた妻。

 かつての思い出に条件が一致しすぎて、昔の事を思い出してしまう。


「……マックス、お客さんが来てるわよ」


 扉の前に立ったきり動こうとしないシャルロットを見かねて、夫人が声をかけた。


「……誰にも会う気はないって、言ってるだろう」

「貴方、この間からそれっきりじゃない。シンディーだって会いたがって」

「ダメなんだ! 来ないでくれ!」


 ちらりと夫人に視線をやる。ずっとこんな感じなんです、と頷いて返事をした夫人に、シャルロットもまた頷いて深く息を吐いた。


 シャルロットは脇下のホルスターから純白の魔導銃を引き抜き、扉を開けた。

 遮光カーテンで閉ざされ、灯りのついていない部屋の中、ダブルベッドの上に丸くなっている人影がある。


「悪性新生物対策課の葬儀官です。()()()()()()()()()()


 容赦なく部屋の灯りをつけた。

 ベッドの上で膝を抱えているマクシミリアンは、手指が異常に発達し伸びている。長い指で体を抱き留め、どこか拘束している風にも見えた。


「葬儀官、だ?」


 後方で、ガーランド夫人が息を吞んだ音が聞こえた。


 ──もうちょっと早めに来たかったなぁ。


 ヒトの形を留めていない。

 マクシミリアンが発した声はかなり掠れていて、内臓はどうなっていることか分からない。室内は淀んだ空気が漂い、カビ臭さが鼻の奥を刺してくるようだ。


「貴方をキャンサーと認定し火葬します。マクシミリアン・ガーランド。どうか、抵抗はしないで」


 アトラシア大陸では、人間の死体は腐敗しない。腐らないまま体細胞が変異し、悪性新生物──キャンサー──と呼ばれる異形に変わる。変異速度や自我の残り方も様々だが、最終的に見境なく人を襲ってしまうため、キャンサーは発見次第火葬する決まりになっている。


 だから、シャルロットがやってきた。

 マクシミリアンが理性を失って妻子を殺してしまう前に、ヒトとして逝かせてやるために。


 見たところ理性があるかないかギリギリだろう。体の変異は進んでいるが、まだ自我は手放していないようだ。

 ただこの場合──自我を失った際、癌化が爆発的に進行する可能性がある。そうなればシャルロットの後ろにいる夫人や、子供部屋で寝ているらしいシンディーなど軽く捻り殺せてしまう。

 癌化を堪え、抵抗し続けた死体ほど、タガが外れた時の衝動は凄まじい。


 シャルロットはインカムを操作し、悪性新生物対策課の本部へ繋いだ。


「こちらシャルロット。状況が良くありません、ご夫人と子供さんの保護をお願いします」

『こちら本部了解。キャンサーの相手は任せていいな? 警察はもう着いている、後ろは任せておけ』

「了解。後を頼みます」


 視線はマクシミリアンから外さないまま通信を終えたシャルロットは、振り返らないままガーランド夫人に呼びかける。


「ご夫人、お子さんを起こして家から退避してもらえますか。扉を閉めるので、その間に。警察の人がすぐに来ると思うので、指示に従って」

「……あの、マックスは」


 シャルロットの指示に頷いた夫人が、おずおずと口を開いた。


「──ギリギリでしょう。よく持ちこたえてくれました」


 ──旦那さんの異変に気付いた段階で通報をくれれば、ここまで危険な状態にはならなかった。

 そう責める気は一切なく、心づけるつもりでシャルロットは答えた。


 誰だって、急に親族が死体で戻ってきました、なんてすぐに受け入れられるはずがない。夫人の話が正しければ、戻って数日は生者と変わらない生活ができていたのだ。動揺は夫人もそうだが、マクシミリアンだって同じだろう。


「マックスを、どうかよろしく、お願いします」


 この男が自我を失い大切なモノを傷つけてしまう前に、この手で葬る。

 それが慈悲で、配慮だ。


「……できるだけ、痛みはないようにしますので」


 抑えたシャルロットの声に、夫人が一礼して廊下を駆ける。シャルロットは扉を閉じるともう一丁の魔導銃を抜き、マクシミリアンではなく窓際に歩み寄った。


 白色で統一した武装──ガントレットとバトルブーツ、二丁の魔導銃には、魔力を増幅するための機能が備わっている。魔力を充填させたバトルブーツで壁を小突くと、踵に取り付けられた魔石が輝いて、窓を真っ黒い壁が覆った。

 得意とする魔法障壁だ。まずは窓を塞ぎ、この部屋から逃げられないようにする。


「……俺は、死んでいるのか」

「はい」

「……もう、シンディーに、会えないのか」

「はい」


 淡々と答えながら、シャルロットは僅かに顔をしかめたままだった。


「殺されるのは、いい。もう、たまに意識が飛ぶことがある。でもその前に、シンディーに……娘に、会わせてくれないか。葬官がいるなら、なんとか、抑えられるだろう?」


 続けて、マクシミリアンが言う。


「最期に、一度、抱きしめてやりたいんだ」


 心の底からの願いと、心残りと、激情を秘めたかすれ声だった。


 絶句する。


 マクシミリアンが己の死期を理解していることに、ではない。


 父親として、己の死に目に対しての祈りとしては、百点満点だと思ったからだ。


 最期の望みが娘との触れ合いだなどと。

 絵に描いたような幸せが、彼ら親子にあったのだろう。


 だから望む。

 あったはずの平凡と幸福を、もう一度手に入れたくて。


「────できません」


 ただそれは叶わない。

 叶えさせることは、できなかった。


「……どうして」

「危険だからです。あなたはもうキャンサーです。抱きしめた力で、娘さんを潰しかねません」


 マクシミリアンの声のかすれが強くなっている。

 冷静なシャルロットの言葉に顔を上げた彼は、どうやらやっと自分の変化に気付いたらしい。顔を上げ、体を覆うほどの大きさになった指がカサリと音を立てた。


 マクシミリアンの意識に反して、死んだ体が変異を始める。頭蓋骨が変形し、素足の指が太く爪の様に尖り、節だった指は翼膜で繋がれて黒々としていた。

 カビた臭いが強さを増し、喉がヒリヒリとかさついてくる。


「──ぁ、あ、なんだ、これ」


 もう限界だ。夫人と娘はもう家を出ただろうか。

 確認などする暇もないので、シャルロットは握った魔導銃に魔力を充填し、セレクターを切り替えて、弾種を弾丸から杭に変更。二丁の銃から杭を発射し、マクシミリアンの周囲に四本撃ち込む。杭の先端同士を鎖でつなぎ、縛り付ける形でダブルベッドに拘束した。


 癌化した姿がコウモリに近い。窓側の出口は塞いでいるが、シャルロットが背を向ける扉側はまだ空いている。飛んだり暴れる前に拘束して火葬してしまった方がいい。


「な、ぁ、頼むよ、むすめに、会わせてくれ──入学式、いけないって、謝らないと」

「──できないんです」


 子煩悩な父だ。どこかの誰かを思い出す。


 大好きだった父は結局、行事に参加してくれることはなかった。そのたびに謝ってくれたけれど、自分の晴れ舞台を見せたかったシャルロットとしては、毎回拗ねてばかりで。それもいつもの決まり事の様になってしまったが──いつからか、父親自体がいなくなって。


 だから分かるのだ。マクシミリアンが、恐らくは娘の晴れ舞台を見るために必死に自我を保っていたことも。娘のシンディーだって、部屋から出て来ない父を酷く心配していることも。


 ただお互いの事だけが、縋る頼みの綱になっていたことも。


 ──嫌だなぁ。お父さん、いない間にこんなこと思ってたのかな。


 癌化が進行し、徐々に皮膚が硬質化しつつあるマクシミリアンの顔に、己の父を重ねてしまう。ぎゅっと目を瞑ってから右手の魔導銃を一度納め、腰部に収めたクラウィス──納棺専用の魔導銃──を引き抜く。


「…………できないんです、ごめんなさい」


 眉根を寄せて、真一文字に閉じた口を無理矢理開けて声を絞り出す。


 ──早く火葬しよう。


 そう思ったのは、この異形と化したマクシミリアンをシンディーに見せないためか。

 懐かしく温かい過去を思い出して、自分の心が張り裂けそうだったか。

 シャルロットには判断がつかなかった。


 マクシミリアンを拘束する鎖が、抵抗でぎしぎしと激しく音を立てている。悪性細胞は膨れ上がるばかりで、衝動を抑えているらしいマクシミリアンは痙攣するように暴れだしていた。


 シャルロットはガントレットの魔力増幅器を起動し、クラウィスを押し当てて魔力を移す。杭と鎖で拘束された体を激しく震わせるマクシミリアンが、今のうちに早くしてくれ、と伝えているようだった。

 準備が整い、クラウィスをマクシミリアンに突き付けたところで、シャルロットを見つめていたマクシミリアンが視線を扉に向けた。続いてシャルロットの耳に、どたどたと階段を上がる音が届く。

 察知したのはマクシミリアンが先だ。癌化によって感覚が鋭敏になっている。


 まずい。扉側には魔法障壁を張っていない。今、彼の願いを叶えさせてしまうと──再度バトルブーツに魔力を回すも既に遅く、鍵のかかっていないドアが思いきり開かれた。


「パパ! 大丈、夫……なの……」


 娘のシンディーが息を切らせて室内に飛び込んでくる。彼女は見知らぬ人間であるシャルロットと己の父とを交互に見た後、シャルロットに詰め寄った。


「パパになにしたの⁉」


 真ん丸な目に涙を滲ませ、銃を持つシャルロットに怯えていながらも勇気を振り絞ってシンディーが叫んだ。


 悲痛な娘の声に、マクシミリアンの理性がとうとう吹き飛んだ。或いは、娘に会えた安堵で気が抜けたのかもしれない。ダブルベッドに撃ち込んだ杭が抜け、鎖が引きちぎられて散乱する。シャルロットは咄嗟にシンディーを抱きかかえながらバトルブーツのヒールで床を打ち鳴らし、扉を塞ぐように魔法障壁を張って部屋の外へ駆け出した。


「シンディー!」

「無事です! 早く外に出て!」


 階段の下からマクシミリアン夫人の声が聞こえ、シャルロットは叫ぶように返事をした。脱出したばかりの部屋から、魔法障壁が割れる甲高い音が届く。簡易生成故に強度は低かったが、一撃で割られたか。


『しん、でぃ』


 転がり込むように外に出たマクシミリアンが、床を這うようにシャルロットに向けて突進する。再び生成した魔法障壁に衝突したマクシミリアンが──コウモリのキャンサーが、娘の名を呟いた。


「パパ⁉ 離して、あたしパパに会いにいくのっ、離してっ!」

「ああもう、ごめん無理なの、ごめんごめんごめん──!」


 腕の中で暴れるシンディーを抱き留め、無意識のうちに『ごめん』と何度も呟いていた。

 シャルロットは靴底に張った小さな魔法障壁で階段を滑るように降り、夫人と入れ違いでやってきた一人の警察官にシンディーを預ける。


「特別葬儀官! キャンサーは──」

「みんな家から離れてください、最悪死にますよ!」


 応対はそれだけ。乱暴に少女を預けたシャルロットは、握りっぱなしだったクラウィスを魔導銃と入れ替える。

 階段から転がり落ちたキャンサーが、大きく裂けた口から魔力の霧を漏らしていた。寝室で臭っていたカビの臭いがリビングに蔓延し、あっという間に濃霧の如く視界を塞がれる。


 毒ガスの類だ、吸うのはマズい──リビングの外に漏らしてしまうのは、もっとマズい。魔導銃のセレクターを再び切り替え、シャルロットは息を止めながら引き金を引いた。


 一発目は左の魔導銃から、細かな魔力を噴射する放射砲を。霧状の魔力は銃口の前で球状に集まり、右の魔導銃で霧の塊を撃ち抜いて炸裂させる。拡散したシャルロットの魔力が毒ガスに作用し、細かな結晶に変わってバラバラと床に落ちた。


 が、前方にキャンサーの姿がない。一瞬視線を塞がれた瞬間に移動したようだ。強力な魔力の硬化作用でリビングの灯りも消えている。カサリと小さな物音がした頭上を咄嗟に見上げても、やはり姿がない。前にも上にもいないなら、後ろか。


 身体を捻り、左腕を覆うガントレットで背中を庇う。背後からキャンサーに強襲され、シャルロットは翼腕による殴打を受けて吹っ飛んだ。リビングに置かれたソファーに激突し、勢いは削がれず窓ガラスを突き破る。


 全身を強く打ちながら、なんとか空中で体勢を立て直し、魔導銃から魔弾を掃射。撃発一回で三発の弾丸を放つ三点バースト機構で、雨のようにキャンサーの翼膜に穴を開けていく。


「──っぐ……!」


 シャルロットは隣家の塀に衝突し、背中の痛みに呻きながら薄く目を開いた。割れたガラスで頭を切ったのか、右目に血が入って見えなくなっていた。


「葬儀官!」

「おねーさぁん!」


 慌てた警官が、駆け寄ろうとしたシンディーを必死に引き留めていた。

 穴が開いた家から、コウモリのキャンサーがシャルロットに向かって爪を射出し、迎撃のため構えた魔導銃に着弾して弾き飛ばされる。

 ついで長く伸びた指を揃え、キャンサーが家から飛び出してくる。


「パパやめてぇぇぇぇ!」


 シンディーの絶叫が耳をつんざく。

 なんだかすべてがスローモーションに見えた。


 右手は空だ。

 爪での刺突を繰り出そうとしているキャンサーは、翼膜を破ったから飛ぶことはできない。

 シンディーは今にも泣きだしそうな顔で父に呼びかけるが、止まる気配はない。


 ごめんなさい、とシャルロットは内心で一人ごちた。


 ──何を? そんなの、決まってる。


 娘の目の前で、異形になったとはいえ父親を殺すことになるのを、だ。


 迫る凶爪から目を背けないまま、シャルロットは右手でガントレットの手首から接続用のプラグを引き抜き、魔導銃の撃鉄付近に差し込んだ。大量の魔力を蓄積するジェネレータと化したガントレットと魔導銃の直列接続を完了。起き上がりながら引き金を引き絞り、構える。

 膨れ上がった紅紫色の魔力が徐々に形を成し、左腕を覆うほどの巨大な杭を生成した。


 シャルロットに使える最大威力の攻撃だ。巨大な杭を、魔導銃の発射メカニズムを使って撃ち込むパイルバンカー。ガントレットと接続することで、杭の大きさも威力も数段上がる。


 迫る爪槍を体を逸らして避ける。塀に爪が突き刺さり、コンクリートの破片が飛んでくる。シャルロットは肉薄したキャンサーの胴体に、巨大な杭を撃ち込んだ。


「これで──ッ!」


 切っ先が着たままだった衣服を裂く。衝撃は凄まじく、肉が引き千切られて辺りに散乱する。キャンサーはぐったりと差し込んだままの杭にもたれ掛かり、シャルロットが杭を残したまま腕を引くと、その場に倒れ込んだ。


 もう動けないだろう。魔杭を構成する魔力で、キャンサーを動かす魔力自体を不活性化させている。


「──パパぁ!」


 シャルロットは衝撃で痺れる左腕を押さえながら、駆け寄ってきたシンディーと、彼女を止めるために走り寄ってきたガーランド夫人に一礼した。


「……火葬、始めます。見るのはいいですけど、少し離れて」

「待って!」


 シンディーが、シャルロットのハーネスベルトを引っ張った。

 父だったキャンサーの亡骸とシャルロットを交互に見た彼女は、涙をこぼしながら懇願した。


「パパを殺さないで……! パパ、具合が悪いだけだったの、だから──」

「……いや、それは……」

「パパ、元に、戻る? またあたしをだっこしてくれるよね?」


 ──それは、無理だよ。


 言おうと思っても、喉が震えて言葉がでない。


「パパを、元に、もどして……」


 シャルロットに願うでもない、ただ現実を認めたくない。

 目の前の風景から顔を背けたい一心で、ぼそりとシンディーが呟いた。


「……ごめんね、できないの」


 ガーランド夫人に目配せすると、彼女がシンディーの手を引いて後方に下がる。

 シャルロットはクラウィスを引き抜き、ガントレットで充填した魔力をクラウィスに移した。


 照準を倒れ伏すキャンサーに合わせ、引き金を引く。

 紅紫色の杭が刺さったままのキャンサーを囲うように、六枚の黒い魔法障壁が展開する。

 ついで二発目の弾丸を放つと、魔弾は銃口の前で静止し、中央に穴を開けた魔力塊になった。これが棺の錠前だ。


「……おやすみなさい、いい夢を」


 クラウィスの先端を魔力塊に差し込み、三発目の引き金を引いて九十度横に捻る。六枚の魔法障壁は密集すると、隙間なくキャンサーを包み込む立方体に変わる。さながら棺桶だ。

 そして四発目。引き金を引き、棺の中に熱を灯す。棺の中は高温の熱に満たされ、あとは悪性細胞が燃え尽きるのを待つだけだ。


 シャルロットはクラウィスに手を添えたまま待っていると、後ろからとことこと足音が聞こえる。顔だけ振り返ると、涙をこらえるように鼻をすすったシンディーが、再び余ったハーネスベルトを掴んで呼んでいた。


「……パパ、死んじゃったの?」


 上ずった震える声で、シンディーが問う。


 強い子だ。

 自分だって父の死が、ちゃんと目の前にあったなら──そう思って、シャルロットはクラウィスから手を離し、シンディーに向き直る形でしゃがみ込んだ。

 涙が止まらないシンディーの大きな瞳と、どこかくすんだ翆玉がかち合う。


「……うん。マクシミリアンさんは、家に帰った時から、死んでたの。気づかなかっただけで……でもね、こうして死んだ人が、自分の家に戻って来られるのも、滅多にないの」


 外で死亡し、行方不明として扱われた人間が、家族の元に戻れる確率は殆どない。癌化が進み、外見での判別が不可能になり、変異した細胞はDNA鑑定すらままならない。大抵のキャンサーは、火葬した後は専用の供養塔に埋葬される。

 自分の家族がどこかで死亡しキャンサーになっていたとして。それすら分からない家庭も多いのだ。


「……来月、入学式なんだって? お父さんが言ってたの、聞いたよ」

「……うん。パパとね、入学式に来ていく服を選んだの」


 急な質問に戸惑いながら、それでもシンディーはぐずりながらもはっきりとした声で答えてくれた。


「マクシミリアンさんがね。入学式、行けなくてごめん、って。でもね」


 マクシミリアンの心残りを伝えてから──憶測を、付け加えて答える。


「帰ってきたのは二週間前でしょう? でも、行方不明になったのはもっと前。だからね、マクシミリアンさんはきっと、あなたの入学式に出席したくて、帰ってきたの。自分の部屋でずっと癌化を堪えていたのも、その一心。だから覚えていて。あなたのお父さんが、自分をちゃんと、心の底から愛していたことを、忘れないでいてあげて」


 呪いになってしまいそうだから、死んだお父さんの分まで生きてあげて、とは言えなかった。


「確かにマクシミリアンさんは私が火葬した、私が殺したと言っても過言じゃないかもしれない。お父さんが居なくて悲しくて、どうしようもなくなったら、命を奪った私を憎んでくれてもいい。でも、マクシミリアンさんが約束を果たすために帰ってきた事だけは確かだから」


 どうか、シンディーが父の死を乗り越えられるように。

 言葉を選びながら話している間に、シンディーのきゅっと引き締められた目が、緩んで丸く穏やかになっていた。

 どこか困惑している様子で、シンディーは問うた。


「……なんで、分かるの?」

「マクシミリアンさんから直接聞いたし……」


 ──それに、理由にはならないけれど。


 過ぎった想いが、心の制御が効かずに言葉が喉から滑り落ちていた。


「──私のお父さんは、帰って来なかったから」


 関係良好だった家庭の父親が行方不明で帰って来ない。状況は同じだった。

 けれどマクシミリアンはなんとか戻ってくることができて、シャルロットの父は帰って来ないままだ。

 けれどいなくなった父の思いを、マクシミリアンを介して感じた気がして、同じ経験をした者として伝えておくべきだと思ったから、伝えた。


 それだけだ。

 最後にお話しできて良かったね、なんて思ったりしていない。


 父を失った事実は変わらないのだ。しかも目の前で変異した父親を見て、しかも殺される場面だってきっちり見てしまっている。

 ただの悲劇だ。

 羨ましいとは思わない。


 ──本当に?


 背後の棺では火葬が続いている。無音の棺の中で、キャンサーの体がぱちぱちと燃えている。


「……いやだよ、もうパパに会えないの。でも、おねえさんを、恨んだりもしないよ」


 シンディーが背伸びをして、シャルロットの頭に片手を置いた。


「だっておねえさん、泣いてるから」


 とっても悲しそうだから。小さな子供の掌で頭を撫でられて、シャルロットはようやく自分が泣いている事に気付いた。

 いつの間にか頬をはじめ、首元やシャツの襟が濡れそぼっている。いつから泣いていたのか分からないくらい、号泣している状態だった。


「──ぁ、あ、ごめん、なさい、私」


 ずるりとその場にへたり込んで、隠すように掌で顔を押さえた。慰めるようにシンディーに頭を撫でられ続けて、悔しいのか恥ずかしいのかで周囲の確認をする気にならない。


 何をしているんだ、私は。父に言われたではないか。


『泣きたいのは遺族の方なんだから、何を思っても泣いちゃいけない』と。


 遺族を慰めるなんてガラにもない事、するんじゃなかった。


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