運命の赤い糸 -和馬と早苗の場合-
日本政府が少子化対策の為『運命の絆』いわゆる『赤い糸』と呼ばれているものを見ることができるようになる薬を開発、国民へと配布する運びとなった。
この新薬は約10年間をかけて極秘に開発されたものであり、その存在が公開された時は『国費の無駄遣いだ』とも『エセ科学だ』とも称された。
しかし、政権与党が国会で過半数以上の議席を占めるという圧倒的な権力集中構造に対して、反対勢力はなす術もなく敗北した。唯一の妥協点として、薬の使用は強制ではなく使用者の判断に任せる、という事になった。
配布対象は中学生以上の未婚の男女。これは少子化対策の一環ということで、出会いが短縮されなければ結果的に高齢出産の回避に繋がらない、少子化対策にならない、との政府見解の為だった。
一人に対して一錠。効果は摂取してから24時間有効。ただし、耐性ができる為に以降5年間は同様の薬の服用に対して効果は発揮しない。
ただし、5年後に独り身だった場合は申請する事により新たに薬が支給される。
政府からのこの新たな少子化対策は導入直後はかなりの混乱を巻き起こした。すでに婚約していたカップルがお互いに別の運命の相手がいると別れたり、同様に俺こそ、私こそが運命の相手だと無理矢理別れされようとする事件が多発した。
数々の騒動が起こるもSNSやニュースで拡散されて、解決策、回避方法が共有されるようになると時間と共に落ち着きを取り戻した。
やがてこの新薬は『LOVE』(Look on vivid encounter)と若者たちの間で呼ばれるようになり、世間でも『ラブ』との名称で認知されるようになった。
-和馬と早苗の場合-
二人の出会いは和馬が一歳半の時だった。マンションの住民によるクリスマス会が開かれ、そこに初参加した和馬を一目見て気に入った一つ年上の早苗が急激に近寄り距離を詰め、それに驚いた和馬が大泣きしたのが初対面だった。
これを機会に両家の交流が始まり、両家の親同士も気が合った為に両家合同のイベントがしばしば開かれるようになった。
二人が一緒に遊んでいる時は年下の和馬が早苗にお世話される形になるのが常だった。しかし、初対面のトラウマのせいか早苗が一つ年上のせいか、和馬は早苗には従順で反抗するような事は一度もなかった。
やがて小学校に進学し、二人は手を繋いで登校するようになった。
中学校は私立と公立、別々の学校に通う事になったが、家族で交流がある為に距離が広がる事もなく普通に過ごしていた。
高校は再び同じ学校に通う事になった。思春期を迎えて自分で何事も済ませる事ができる年頃となった和馬にとって早苗は完全に『おせっかいなお姉ちゃん』ポジションに収まっていた。
そんな時に新薬『ラブ』が配布される事となった。
「和馬の手元にも『ラブ』届いてるよね? もう飲んだの?」
「いやまだだよ。早苗のところにも届いてるだろう? 早苗は飲んだの?」
「まだよ」
和馬に遅れること三日、早苗の手元にも『ラブ』が届いた。その翌朝の日曜日、早苗は早朝から和馬の部屋に押しかけていた。
「せっかくの一大イベントだから和馬と一緒に飲もうと思ったけど、その様子だとその気はなさそうね」
和馬のやる気のなさを見た早苗が肩をすくめた。
「まあね、高一だしまだ早いかなって感じがするよね。運命の相手が見つかっても結婚するのはまだまだ先になる事を考えると急がなくてもいいかな、って」
「その和馬の態度がまさに少子化の原因だって政府が言ってるんだよ。やれやれ、お子様だね」
「そんな早苗だって、休日の早朝から『ラブ』を飲む気満々なのは運命の相手探しに出かけるつもりだからだろ? どちらがお子様なのやら」
和馬が肩をすくめてやれやれと早苗に向かって大げさにやり返した。
「そんなんじゃないわよ――そりゃあ、一緒に出かけようとは思っていたけど――」
「うんうん、どちらにしろ軍資金は必要だろ? じゃん! なんとここに10万円あります」
「――どうしたのよ!?」
和馬が後ろ手に隠していた現金を早苗の前に突き出した。突然の事に早苗が言葉に詰まる。
「アルバイトもしていないし、お小遣いもお年玉もすぐに使っちゃう和馬がこんな大金を持ってるわけないでしょう? 何をしたの? 一緒に謝ってあげるからすぐに返しに行きましょう!」
「相変わらず信用がないな。悲しくなるよ。変なことして手に入れたお金じゃないから心配しないで『ラブ』を売っただけだよ。思ったより高く売れなかったけど、一人分なら旅費として十分だろ? 今まで早苗には世話になりっぱなしだから遠慮せずに使って」
ニコニコと笑顔を見せる和馬とは対照的に早苗が顔を曇らせた。
流通は日本だけ、しかも流通量は決まっていて、日本政府が管理をしている。一度使うと以後5年間は無用の長物の『ラブ』
それでもフリマ、オークション等に出せば瞬時に売り切れる人気の商品だった。
「私一人で運命の相手を探しに行けっていうの?」
「うん、そうだよ! だって過去のデータで相手が国内にいる場合に逢えるまでの時間と費用の中央値は20時間、10万円でしょう? 手伝いたいけど僕の分までは費用が足りないもの、仕方ないよ」
「そういう問題じゃないんだけど――」
和馬のはっきりとした物言いに早苗は何も言えなくなった。
和馬と一緒に『ラブ』を飲みたかった早苗。
ウザいくらいに世話を焼いてくる『おせっかいなお姉ちゃん』に彼氏ができるといいな、と単純に好意を振りまく和馬。
その認識の違いの溝は埋まることはないと、長年の付き合いで早苗は理解していた。
「はあ、まあいいわ。じゃあ、遠慮なく貰うわね。一つ言っておくと、返せと言っても返さないからね」
言いながら早苗は右手の人差し指を右目の下に当て、舌を出して、和馬に向かってあっかんべーをした。
「うーん、もうどうでもよくなっちゃった。さっさと済ませちゃいましょう」
そう言うと早苗は和馬の部屋に入って来た時とは全然違うテンションで右ポケットから『ラブ』を取り出すとあっという間に飲み込んだ。
「そんなにあっさり飲んでいいの?」
「いいのいいの。さっさと確認して出かけましょう。とりあえず新しい服を買いたいから付き合ってよね」
「そりゃあ、付き合うけどさ。なんだかな――」
怒ったように早口でまくし立てる早苗の迫力に和馬は最後まで言い切れずに口をつぐんだ。
早苗が怒る時は間違いなく和馬に問題がある。それは分かっているが、怒っている原因まで分からない和馬は下手なことは言わずに黙るしかなかった。
しばらくの間、じっと自分の左手を見つめていた早苗の表情が変わった。どうやら『ラブ』の効き目があらわれてきたようだ。
早苗の目には赤い糸が見えているはず。
自分の左手を目の前でくるくると表に裏にと変化させた。その後は和馬の部屋をぐるりと見渡すと最後に和馬を見つめた。一瞬、早苗の目が大きく見開かれたがすぐに普段通りの顔つきに戻った。
和馬に向けた視線を上から下まで何度か往復をさせた後に大きく息を吸い込むと一息あけて大きなため息をついた。
「ふーう、もういいわ。和馬の分の『ラブ』はないし、それに、そもそも一人だと楽しくないもの。知りたい事は知れたからこれで終わり。さあ、出かけましょう!」
「う、うん。わかったよ。でも、もう終わりなんだ?」
「そうよ――」
寂しそうな口調で扉を開けて部屋を出て行こうとする早苗の横顔を見た和馬はかける言葉が見つからずに黙り込んだ。
「おじさん、このペアリング、もう少し安くならないかな?」
洋服を買いに出かけたはずの二人の姿が宝石店内にあった。
店の前を通りがかった時、気になるからと早苗が強引に和馬を引きずり込んだ。
店長と思しき男性が頭をかきながら早苗の相手をしている。
「うーん、これでも精一杯の値段なんだけどな。お嬢ちゃん、予算はいくらなんだい?」
「えっとね、正直に言うと10万円が限界なの」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それ旅費に渡した全額じゃないか! 全部使うつもりなの?」
「そうよ、悪い? もう私のものよ」
「そりゃそうだけど、せっかく『ラブ』を飲んだのに旅費が全てペアリングに変わるってのはどうなんだろう?」
納得がいかない和馬が早苗の横でぶつぶつと呟いていると、それを聞きとめた店長が早苗に問いかける。
「お嬢ちゃん『ラブ』を飲んだのかい? それでこのペアリングの出番って事でいいのかな?」
「ええ、そうよ。それでまけてくれるのかしら?」
「そういう事なら話は別だ。国あげての方針だし、めでたい祝い事に俺の店を選んでくれたってのはありがたい。今回は損得なし、ってか持ち出しだけど俺からのお祝いだ! ちょうど10万円でいいよ。税込10万円、おめでとうよ」
「ありがとう! 何かあったらまたこの店を利用するわね」
「ああ、待ってるよ。梱包はどうするんだい? このまま持っていくかい?」
「このままでいいわ。ありがとう」
「坊主! すっかり尻に敷かれてる感が強いけど、逃すんじゃないぞ。今もいい女だけど、将来はもっといい女になるぞ。おじさんが保証する、わっはっは!!」
店長の笑い声を背に二人は宝石店を後にした。
「はい、こっちは和馬の分よ。どうぞ」
宝石店を出て5分ほど歩くと小さな公園があった。遊具も少ないためか誰もいない。2人は公園のベンチに腰をおろすと、早苗が購入したばかりのペアリングを取り出すと片方を和馬に差し出した。
「せっかくなのに他に渡す相手いないの?」
残念そうな口調で和馬が早苗に問い掛けた。
「あら? 姉弟でもペアリングするし、おかしくないでしょう? 嫌ならどこかそこら辺にでも捨てておいて」
「僕が渡したお金をそんな風に無駄には使えないよ」
「あら? もう私のお金よ。だから嫌なら捨ててくれていいわ。それが嫌なら着けなさい。私は和馬とペアでも気にしないわよ」
「僕だって嫌じゃないし、気にしないけど、それだとまるで――」
ペアリングを見ていた視線を早苗に戻した和馬は喋るのを中断した。
早苗はじっと和馬を見つめている。
一見にこやかに微笑んでいるように見える早苗の表情とは対照的に和馬を見つめる目は笑っておらず、どこか泣きそうに見えた。
小学生の頃、雨の中で拾って来た子猫を里親に引き渡す時に見せた表情と同じだと和馬は気付いて、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
小さな頃からの付き合いの延長として早苗の好意に甘えていても、しょせん和馬と早苗は他人だ。
些細なこと、無配慮な発言で早苗を傷つけていいわけではない。
早苗が|覚悟をしなければならない発言をする《・・・・・・・・・・・・・・・・・》と、そう思われている。
軽い衝撃が和馬を襲った。
「――うん、そうだね。ペアリング、ありがとう。今から着けてもいいかな?」
「もうあげちゃったんだから、和馬のものよ。好きにしても私は何も言わないわ」
「うん、そうだね。今度、何かお礼をするよ」
「えっ?」
「いや、だから、今度あらためてペアリングのお礼をするから、何か早苗の希望があったら事前に教えてくれると嬉しいし、助かる」
「め、珍しいわね。雪でも降るんじゃないかしら?」
いつものように言い合いになると予想していた早苗は肩透かしを喰らって拍子抜けした。
「まあ、そうかもしれない。それで今日はこれでお終いなの?」
「えっ?」
「新しい服が欲しかったんでしょう? ペアリングに手持ちのお金全部使ったからこれでお終い? もう他に行きたいところはないの?」
「――うん。もうお金がないからお終いよ」
「じゃあ、観たい映画があるんだ。付き合ってよ。友だちと行こうと思って事前にチケット購入してたんだけど、日時変更可能だから一緒に観よう。駄目ならいいよ、無理は言わないから」
「――駄目じゃない! 駄目なんかじゃない。行く、私でいいなら行くよ」
「じゃあ、決定だね」
和馬は早苗の手を握ると先に立って歩き出した。その後を早苗が早足で追いかけた。
大学は和馬が現役で合格、早苗が一浪して合格した為に同学年として同じ大学に進学する事になった。
和馬が20歳になった春頃にはキャンパスライフに馴染んだ同級生たちは早々とカップルとなり、寂しく独り身なのは和馬と早苗だけになっていた。
そして、二人が一緒にいるタイミングで早苗から和馬に提案がなされた。
「私たち、付き合わない?」
「うん、そうだね。僕でよければ喜んで」
和馬は即答で答えていた。
早苗が何人もから告白を受けている事も、その全てを断っている事も知っていた。
早苗もまた、和馬がどんなに勧められても恋人を作ろうとしない事を知っていた。
就職して2年目、2人でディナーを食べている時に早苗から提案がなされた。
「そろそろ私たち結婚しない?」
「うん、そうだね。二人で幸せな家庭を作ろう。少なくとも僕は幸せだよ」
「私もよ」
和馬は用意していた指輪を取り出すと口に両手を当てて驚いている早苗の左手を優しく取ると、薬指にはめた。
結婚式の当日は快晴だった。
しかし、和馬の心は晴れなかった。大嵐といってもいい。
『新郎新婦の出会い』と称して、人生初めてのクリスマス会で早苗に近寄られて、ぎゃん泣きしている姿が式場の巨大スクリーンに映し出された。
さらに21歳の時、二度目に支給された『ラブ』を和馬が飲むシーンまでも放映された。
本人の知らぬうちに家族による盗撮がなされていたのだ。
『ラブ』を飲んだ後、キョロキョロと辺りを見回していた和馬だが、隣にいる早苗を見、さらにその左手を凝視したかと思うと、すぐさま、いつも以上の笑顔でニコニコしている早苗に抱きつき、その唇に口づけをした。
録画されているとは思ってもいず。さらに結婚式で流されると思っていなかった和馬は恥ずかしさのあまり真っ赤になって机に突っ伏していた。
その横に座る早苗は、終始笑顔を崩さないまま、突っ伏している和馬の肩を軽く叩くと、和馬の顔を両手で挟み、優しく口づけをした。
最後までお読みいただきありがとうございます。