6.初めての即席麺
つぐみは鍋を火にかけながら、どんぶりを持っている竜真に尋ねた。
「で、誰なんだ? 何で知らねぇ奴が家に居るんだよ」
聞いてねぇぞ。と今更ながら口にするつぐみ。
竜真は、聞いてるハズなんだけど……と呆れながら説明を始めた。
「ほら、年末に父さんと母さんが言ってただろ? 身寄りのない男の子をウチで預かるってさ」
「あぁ! じゃあ、あいつがトンデモ電磁少年か!」
つぐみも記憶と合点がいったようで、手をひとつ叩く。名前までは知らなかったが。
両親が世話になっている家の息子だと聞いている。なんでも、その家で作られた護符を身につけるようになってから、事故に遭わなくなったとか。両親は『命を護ってもらっている恩がある』と言っていたが……。
「父さんと母さんは運が強ぇだけだろ。あたしはお札とかまじないとか、信じてねーし」
「なんにしても、年も近いから仲良くしてよ?」
「兄貴こそ、本性出してチビらせんなよ」
「今の僕が本性なんだけどなぁ~?」
笑顔の後ろに黒い何かを纏い、竜真が首を傾げる。
つぐみは素知らぬ顔で、袋麺とカップ麺を見比べた。竜真はオレンジ色の袋麺をひょいと取り上げて、袋を破りながら言った。
「秀貴君にはコレ、“チキンヌードル“。だってあの子、絶対栄養失調寸前だからね」
「んじゃあ、あたしは“めんぐるめん”」
即席麺ばかりが並んでいる中で、つぐみも自分の昼食を取り上げた。育ち盛りには少々栄養が偏り気味かもしれないが、竜真はいつも通り柔和な笑顔で自分用のカップ麺を手に取った。
あとは湯を注ぐだけ。というところで、秀貴が湯から上がった。温まったからか、先程より大分血色がいい。ボサボサだった髪もつややかだ。だが、まだ雫が滴っている。大方、ドライヤーの使い方が分からなかったのだろう。
竜真が追加のタオルを用意し、ドライヤーの扱い方を教える。その間に、つぐみが手を添えているヤカンの中で湯が沸騰した。
「これが昼食ですか?」
秀貴の目の前には、どんぶりに入った丸く茶色い乾麺。これも、初めて見るものだった。
こんな硬そうなものをどうするのだろうと秀貴が疑問に思っていると、つぐみが熱湯の入ったヤカンを見せる。
「熱湯をかけて三分待つんだぞ」
つぐみがどんぶりへ湯を注ぎながら、得意げに言った。
竜真は、何でつぐみが鼻を高くしてるの? と呟いたが、つぐみの耳には入っていない。どんぶりに皿で蓋をして、残りふたつの麺も湯に浸す。
それと同時に、竜真が砂時計をひっくり返した。赤色に着色された砂が線のように落ちていく様子を見ている秀貴に、つぐみが詰め寄った。それを見た竜真の眉間が一瞬引き攣る。
秀貴はというと、急に距離を詰められ、体が強張ってしまっている。やはり、人が近付くことにはまだ慣れない。
「秀貴の眼、あたしみたいに金色なのかと思ったら、ちょい茶色いんだな。あ、でも光の当たり方で――」
「こら。年頃の女の子が、男の子に顔を近付けたらダメだよ。っていうか、秀貴君ビックリしちゃってるでしょ。ごめんね」
「あの……いえ……」
兄に諭され、つぐみがふてくされながら少し下がる。
「おーい。秀貴、言いたい事があるならハッキリ言えよ!」
「つぐみはハッキリ言いすぎだよ。あと、ホントに距離感気を付けてよ。でも、秀貴君もここの家族になるわけだから。思ったことがあったら言ってね」
「かぞく……」
秀貴には馴染みのない言葉だ。あってないような存在だった。
読んだ小説には多く出てきたので、どういう状態で、どういう関係の事をいうのかは知っているつもりだ。だが、上手く理解できない。そんな考えも、つぐみの大声に両断された。
「三分経ったから食おうぜ!」
つぐみが秀貴のどんぶりに被せてあった皿を持ち上げる。白い湯気がふわっと広がり、徐々に細くなりながら天井へ向かって昇っていく。
どんぶりの中には、茶色いスープと、同色の麺。
「チキンヌードルって言うんだ。カルシウムやビタミンが入ってるから、しっかり食べてね」
竜真が眦を下げて言った。
今まで見たことのない食べ物に戸惑う。うどんとも、和蕎麦とも、中華そばとも違う。しかし、空きっ腹にはたまらない匂いが食欲を刺激する。
秀貴は両手を合わせ、茶色いスープに箸を差し込んだ。
和風で薄味の食事が多かった秀貴にとって、塩味の強いこの食べ物はある種の衝撃だった。湯上りで温まっていた体を、更に芯から温めてくれる。栄養が生き渡ったかのように、脳もじんわりと熱を持つ。
ふいに目頭が熱くなり、目からは涙がぼたぼたと流れ出した。
つぐみは慌てふためき、竜真も急なことに目を丸くして動きを止めた。
「熱すぎた? それとも、口に合わなかったかな? だったら、今からでも総菜を買ってきて――」
「ちが、……んです」
立ち上がりかけた竜真の動きを、震える声が再び止めた。
「ぉ、お風呂も、温かい食事も……久し振りで……あの……とても、おいしい、です……。ありがとうございます」
つい先日。人と食卓を共にする喜びを知ったのも束の間、納屋に監禁され数日を過ごしたのだ。雪がちらつくような寒い中、冷たく硬い床の上に出される食事は冷えきった残飯。風呂どころか、体を拭くことすら叶わなかった。
そんな日々を思い出すと、涙は止まるどころか量を増した。




