3.王子な魔法使いが居る家
昭和五十年代後期、一月三日。
一九〇センチ近くある身長は、町内で最も高いと言われている。ウエーブかかった柔らかな金髪。はっきりとした目鼻立ち。少し下がった目尻が、特に優しい印象を持たせている。その甘いマスクは、同年代はもちろん、おばさまからも人気を集めていた。
困る事といえば、服と靴のサイズが無い事と、たまに頭をぶつける事くらいか。
藤原竜真の両親は、海外を飛び回って仕事をしている。年に数回しか帰ってこない。年末、数か月ぶりに帰ってきた両親が、話し聞かせてきた事を思い出していた。
両親が仕事をする上で世話になっている人物のご子息を、ウチで預かるのだと言う。しかし、元旦に家へ迎えに行くと、その少年の姿はなかった。そんな電話が入った。
それから二日経ち、今朝また電話があった。「例の子が見付かったからあとは頼む」と。両親は急ぎの仕事があるとかで、こちらへは寄らないらしい。
正直、竜真は全く乗り気ではない。自分には中学生の妹も居る。妹は居候の受け入れに乗り気だったが、年頃の女の子と見ず知らずの男の子がひとつ屋根の下で暮らすなど受け入れがたい。
両親から聞いた話からは非行少年という印象は受けなかったが、面倒な事に変わりない。だが、身寄りのない子どもを寒空の下に放り出すわけにもいかない。
気を重くしながら、郵便物を確認するために表へ出た時だ。黒塗りのセダンが目の前に停車した。中からは、ここだ降りろ! 早くしやがれ! と荒々しい声がする。
こんなギャグ漫画のようなタイミングで……いや、まさか。そう思っていると扉が開き、中からはギャグ漫画らしからぬ、幽霊のような白い人がよろよろと出てきた。
綿帽子に白い着物。その姿は白無垢姿の花嫁を錯覚させたが、よく見れば綺麗なのは白い綿帽子のみ。着物は汚れているし、丈も少し短い。特に膝から下の汚れが酷く、着物の生地も擦れて薄くなっている。
何より、連日の寒波によって冷え込んでいるというのに足元は裸足に薄い草履を履いているだけだった。その足も、しもやけとあかぎれでボロボロだ。
見るに堪えない、痛々しい素肌をしている。
俯いていて表情は見えないが、真っ白い帽子からは金の髪が覗いていて、日光に照らされて煌めいた。
「さっさとドアを閉めやがれ!」
怒号が聞こえる。
竜真は気分を悪くしながら、代わりにドアに手をかける。ついでに運転席を見た。大柄で無精ひげを生やした男がハンドルを握っている。酔っているのか、車内には酒と煙草のにおいが充満していた。
竜真が扉を閉めるや否や、黒い排気ガスをまき散らしながら車は走り去った。
着物の人物はずっと震えていたが、ボストンバッグを地面に置き、俯いたまま深々と腰を折った。
「初め……まして。成山秀貴と申します。この度は…………大変、お世話になります。世間知らずの不束者ですが、どうか……よろしくお願い……致します」
消え入りそうな声で挨拶を済まされる。
竜真は真っ先に、本当に男だったのか、と目を丸くした。いで立ちから、もしや女子では、と淡い期待を抱いていたのだ。
「もう顔を上げていいよ」
指摘すると、生っ白い……否、青白い顔がこちらを向いた。眉はハの字に下がり、唇は紫に近く、顔全体の血色が悪い。髪も日光に当たれば輝くような金をしているが、かなり傷んでいる。
そんな中で、瞳の色だけが純度の高い琥珀のように明るい光を放ち、竜真の姿を映した。
荷物を地面から拾い上げた手首には緑色の数珠がつけられているが、折れてしまいそうなほど細い。専門知識のない竜真でも、栄養失調寸前であることが見て取れた。
「初めまして。僕は藤原竜真。妹も居るんだけど、今は友達と遊びに行ってるんだ」
荷物を持たせるのが可哀想になり、竜真がボストンバッグを受け取った。そこで、ふと気付く。秀貴の白い手にある、赤い傷に。
「その手、見せて」
恐る恐る差し出された手を取って熟視すると、もう治りかけてはいるものの、確実に痕が残る抉れ方をしている。竜真は胸中で嘆息した。
(こんなの、放っておけるわけないじゃないか)
藤原竜真は、近所でも評判のお人よしなのだ。
秀貴は戸惑っていた。突然見知らぬ男女が納屋へ押し入ってきて、「遅くなってごめん!」と謝られ、首輪を外され、荷物をバッグへまとめられた。
父が言っていた“本物の身元引受人”が登場したのだ。『伯父』は確かに母の兄で間違いないが、自分の保護者ではないのだと知らされた。
しかし、身元引受人となるふたりは飛行機の時間が迫っているからと、秀貴に念の為GPSを持たせ、送迎を伯父に頼んで――命令のようにも見えた――「春江さんに会わせてあげる時間がなくてごめんね」と言い残し、慌ただしく去っていった。
二度目の車。元旦とは違い、景色を見る余裕があった。『店』がたくさん並んでいる道は赤と白に飾り付けられ、『外灯』には花も括り付けられていた。おそらく、『造花』というものだろう。
三が日だからか閉まっている店が殆どだったが、『シャッター』が上がっている店もあった。店の前には『門松』も並んでいる。
道路、横断歩道、信号機……街は、本の中でしか見た事のないものであふれていた。
そして、連れて来られた先で待っていたのは、絵本に出てくる『王子様』のような人物だった。只でさえ、人と触れ合う事に慣れていないのだ。
急に手を触れられ、心臓が早鐘の如く鳴っている。
「火傷? いつなったの?」
「あ、の……えっと、二日前……です」
患部に、竜真が手のひらを覆いかぶせてきた。竜真の手が触れている所が一瞬熱を持ち、すぐに冷たくなった。
竜真の手が秀貴から離れる。不思議に思って自分の手の甲を見た秀貴が、小さく「え?」と言い溢した。
竜真は眉をハの字に下げている。
「ごめんね。男に手を握られるなんて、気持ち悪いよねー」
「い、いえ……そんな、ことは……」
秀貴は自分の手から目が離せないでいた。火傷が、綺麗さっぱりなくなっているのだ。
「ふふふ。痛いの痛いの飛んでいけーってね。魔法をかけたんだよ」
この人物は、王子様ではなく魔法使いなのかもしれない。
秀貴は、先程とは違う意味で心臓が高鳴るのを感じていた。