未知なるホワイトデー:4
週末、土曜日、夕方六時、藤原邸。
お泊り会も兼ねているということで、彩花はいつもの着物ではなく、ワンピースを着て現れた。
紺色のしっかりとした生地で、襟下から出た白いリボンが結ばれている。その上に羽織っていたアイボリーのトレンチコートを脱ぎ、ぺこりと頭を下げてくる。
「こんばんは。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「あ、こんばんは。えっと、わざわざご足労くださいまして、ありがとうございます」
つられて秀貴も頭を下げた。
その後ろ頭を、つぐみにバシンとどつかれる。
「お前ら、何かしこまってんだ。ほら、彩花も上がれよ」
つぐみが彩花の行動を促している横で、竜真は槐家のスーツ男からボストンバッグを受け取っていた。彩花のお泊りセットだ。
居間へとやってきた彩花は食卓を前にして、大きな目を更に大きく見開いた。
「これ……秀貴さんが?」
勢いよく振り向かれ、秀貴が口ごもる。
小さく頷くと、彩花は口を両手で押さえ、もう一度食卓の上へ目をやった。サラダ、コンソメスープ、エビフライ、オムライスが四セット配膳され、食卓を彩っている。この時間に合わせて完成させたので、まだ出来たてだ。
中央にある花瓶に生けられたピンク色の花金鳳花は竜真が用意したものである。
「先月はチョコレートケーキありがとう。すごく、美味しかったから、お返し、何をしようか迷って……」
たどたどしく切り出した秀貴に、つぐみが苛立ちの眼差しを送るも、竜真に無言で制されている。
「つぐみちゃんからお話を聞いた時は、手料理を振舞っていただける事にただ感動したのですけれど……」
『けれど』と逆接で一度言葉を止められ、秀貴の表情に陰りが現れる。
「でも、あの……まさかこんなに立派なお夕食をご用意してくださっているなんて……どうしましょう、色んな感動が一気に押し寄せてきて、上手く言葉に出来ません。秀貴さん、お料理がとてもお上手なんですね」
彩花は瞳を爛々と輝かせて、秀貴との距離を詰めた。
反動で、秀貴の体が仰け反る。
「おいおい、まだ食ってねーんだから、褒めるのは早ぇぞ」
つぐみが彩花に座るよう促し、竜真も自室から出てきた。軽く彩花と挨拶を交わし、竜真も腰を下ろす。
そして、四人揃って手を合わせた。
「いただきます」
今回のカトラリーは、フォーク、ナイフ、スープ用のスプーンだ。
彩花へのお返しと、秀貴の洋食器の扱いを見る試験的な意味も兼ねている。
試験と言っても、フルコースのテーブルマナーは追々……ということで、今回は純粋に、フォークとナイフをしっかり扱えているかどうかを見るだけだ。持ち方さえ間違えていなければ合格なので、それについては問題ない。
秀貴の不安は、そちらではなく自分が作った料理の味だ。いつもつぐみに合わせて濃い目に味付けしているつもりだが、それでもたまに薄いと怒られることがある。
どんな味付けが正解なのか、最近分からなくなってきていた。
「おいしい!」
そんな不安も、彩花のこのひと言でさっと晴れた。
今日はレシピ通りのチキンライスにしていて良かった……と、安堵の息を吐いた。
「つぐみちゃん、毎日こんなに美味しいご飯を食べてるの?」
うらやましい、と彩花はスプーンを持ったまま両手を組んだ。
「ん? んー、たまに失敗すっけど、秀貴が作るメシはうめーよ」
つぐみはオムライスの上にかけられていたケチャップを口の端に付けたまま、ししし、と笑った。
「このオムライスだって、綺麗に包めるようになるまで毎食食わされたんだぜ?」
「こーら、つぐみ。そういう事は隠しとくものだよ」
竜真がやんわりと窘める。
秀貴はいたたまれず、目を泳がせて俯いた。
依然として両手を組んだままの彩花は、瞳を潤ませている。
「秀貴さん……わたしの為に、そこまで……!」
感動している彩花を、つぐみは「あたしは飽きた」と言いたそうに半眼で眺めている。それを竜真は、視線だけで「まぁまぁ」と抑えた。
「秀貴さんがそんなに気にかけてくださっているなんて、わたしは果報者です」
彩花には、竜真とつぐみの無言のやり取りも、居心地が悪そうな秀貴の姿も見えていない。
彼女を満たしているのは“好きな人が自分の事を想って作ってくれた料理を食べている”という事実のみだ。
喜びを溢れさせている彩花は、食べかけのオムライスの写真まで撮り始めた。カリカリカシャリと一枚収め、彩花はスプーンを持ち直し、食事戻る。
他の三人も、各々食事を再開した。
「俺は菓子を作れねぇから、これ……買ってきたんだけど……」
秀貴が持ってきたのは、巷で人気のクレープ――と迷いに迷った、クリームあんみつ。喫茶店にあるアイスが乗ったものではなく、生クリームが絞ってある。
彩花の好物だ。
つぐみの意見を参考に、赤エンドウ豆とつぶあんが多めのものをガラス容器に移して用意した。
それを見た途端、彩花の瞳が一層輝きを増した。頬も僅かに上気し、口元は緩んでいる。
立方体に整えられた艶やかな寒天の上に、ドーム状のつぶあんがっどどんと乗っている。その脇をみつ豆がかため、そびえる生クリームの根元では、サクランボが寄り添っている。それらを、リボンのような黒蜜がまとめていた。
急須にある熱い緑茶を湯呑に注ぎながら秀貴は、本当に好きなんだな、と思う。
因みに、きちんと全員分用意してある。つぐみに至っては、もう既にさくらんぼを口の中へ放り込んでいた。
そして、種をペッと吐き出して竜真に叱られている。それを見て、彩花がくすくす笑った。
見れば見るほど、対照的なふたりだ。
「何だよ秀貴ぁ、彩花の事ジロジロ見やがって」
「つぐみの事も見てたぞ」
からかったつもりが真顔で返され、つぐみがぽかんと口を開けた。
「ふたりとも、性格真逆なのに仲良いよなーと思って。何かちょっと、羨ましいな」
はにかむ秀貴に、竜真が微笑を向ける。
「秀貴君も、高校へ行ったらきっと良い友達に出会えるよ」
「……だと良いな」
自分の体質ごと受け入れてくれる人物に出逢えることを願いつつ、秀貴は黄色い包みをスプーンで割った。
◇◆◇◆
彩花とつぐみ、竜真、秀貴の順で風呂を済ませ、寝巻に着替えたつぐみが両腕を掲げた。
「パジャマパーティーだ!」
つぐみは上下分かれた、襟のある長袖と長ズボンという、オーソドックスなパジャマ。
彩花は、丈の長いワンピース型のパジャマを着ている。
「彩花ぁ! 菓子食いながらマンガ読もうぜ!」
つぐみが、缶ジュースを両手に抱えて階段を顎でしゃくる。
「ふふっちゃんと持ってきたわ。普段少女漫画を読まないつぐみちゃんに『ベルサイユ野ばら』と『風と木のうた』を!」
大きなボストンバッグの中では、スナック菓子の袋の下からマンガの表紙がいくつか見えている。
しかし、テンション高めの彩花と違い、つぐみの反応は微妙だ。
「あたしゃ、少女漫画は読まねーっつってんだろ」
「読まず嫌いはよくないわ、つぐみちゃん!」
ボストンバッグを抱え直し、興奮気味の彩花もつぐみについて階段へ向かう。
「良いなぁ、楽しそう。ねぇ、秀貴君。僕の部屋で映画でも観ない? 布団持っておいでよ」
つぐみと秀貴の部屋にはないが、竜真の部屋にはテレビとビデオデッキがあるのだ。
竜真の言葉が耳に届いたらしい彩花が、階段の下から顔だけ覗かせて呼吸を速めていたがつぐみに引っ張られでもしたのか、すぐに階段の奥へ消えた。
「竜真さん、最近疲れてるんじゃないのか?」
近頃の竜真は、寝起きがあまりよろしくない。疲れが取り切れていないようなのだ。
だが、竜真はかぶりを振った。
「むしろ、君と居た方が元気になれるし」
そうなのか、と秀貴は自分では分からないものの納得し、竜真の申し出を快諾した。
翌朝。
つぐみが寝癖なのか元々からなのか分からない、くりんくりんの頭をがしがし掻きながら階段を降りてきた。
「やっぱ彩花のマンガの好みって分かんねーわ」
「あら、つぐみちゃん、しっかり読んでいたじゃない」
「そりゃ、途中まで読んだら先が気になるだろ」
「先が気になるって事は、面白いって事よ」
つぐみが説き伏せられている。
あぁはいはい、と気のない返事をして、つぐみは洗面所へ向かった。
朝食は、味噌汁、白飯、焼き鮭と、沢庵だ。
それを囲んで四人は手を合わせた。
「ところで兄貴たちは何の映画を観てたんだ?」
つぐみが沢庵をポリポリ言わせながら訊ねる。
「『ローマの休日』をね。秀貴君の情操教育を兼ねて」
「あー、あの映画か。あたしゃ途中で寝ちまったんだけど、最後――」
「許されぬ恋! 終盤までの楽しい雰囲気も大変良いですが、とても儚く、それでいて美しく、どこか切ない物語ですね!」
彩花は息を荒くしている。
「あたしゃ『ゴヂラ』とかの方が好きだな」
つぐみは口にものを含んだまま、もごもごと言った。
「ホラー映画の『シャイニン』も僕は好きかな。アクション映画だと『ターミネート』とか良いよね」
竜真も、本音を言えば恋愛ものよりアクションやホラーやSFが好きだったりする。
秀貴は皆の会話を黙って聞きながら、食事を続けていた。
「あ、そうだ。彩花ちゃん、持って来たマンガ、少し貸してくれない? 僕もあまり少女漫画って読んだことなくてさ」
「まぁ! ええ、もちろんです! 秀貴さんも、是非――」
「ちょっと待て! 『ベルばら』だけにしろ! もういっこは――」
何故かつぐみが止めようとするが、それを振り切って彩花は続ける。
「どちらも十巻以上ありますし、返却はいつでもかまいませんので、じっくりゆっくり読んでください!」
よほどオススメなのか、いつもより声が上擦っている。息も荒いし、押しが強い。
「そっかぁ、楽しみだなぁ。少女漫画を読んだら、秀貴君も少しは乙女心が分かるようになるかなぁ」
のほほんとしている竜真に、つぐみが半眼でひと言。
「あたしゃ知らねーからな」
ぼそりと発せられた声は、誰にも届かなかった。
さて、彩花から借りたマンガを読んだふたりの反応だが――。
「今時の女の子って、こういうの読むの……?」
つぐみの反応が気になり、彼女が読むのを止めようとした方のタイトルを読んだ竜真。
内容だが、男同士のカップルが逃避行をした先で、片割れが薬漬けになった挙句、非業の死を遂げるのだ。
竜真が想像していた、女目線で繰り広げられる男女の恋愛模様とはかけ離れていた。
そんな危うい内容の作品だったが、しっかりとメジャーな少女漫画雑誌の名前が印字されていた。
秀貴はというと、
「竜真さんの言う『女心』ってのが分かりかけた気がしたんだけど、フランス革命のシーンで全部吹っ飛んだ……」
こちらは、革命戦争の只中で主要キャラクター……というか、主役が命を落とすのだ。
それは、商店街でホワイトデーのチラシを貰った時と同等の衝撃を秀貴にもたらした。
女の子たちが愛だ恋だと奔走し、時にライバルが現れ不安に心を揺らしながらも己を磨き、意中の相手と結ばれハッピーエンド。そんな物語を想像していた竜真は、カルチャーショックを受けている。
いや、どちらの作品も恋敵は出てくるし、一度は好きな相手と結ばれる。王道といえば王道なのだ。
竜真が頭を悩ませていると、秀貴がぽつりと呟いた。
「彩花って『人魚姫』とか好きそうだな」
結果だけ見れば、彼女の好きな作品を通して、彩花の好みの傾向を何となく感じ取ることが出来た秀貴だった。




