未知なるホワイトデー:2
夕食を済ませて、魚料理をひと通り書き出し、副菜と汁物も……と料理を書き連ねている秀貴に、つぐみが「でもまぁ」と切り出した。
「お前が作るモンなら何だって、彩花は文句言わねーと思うぜ?」
「文句を言う、言わないじゃなくて、喜んでもらえるかが問題なんだよ」
秀貴に言い返され、つぐみは「そーいうモンか」と一度呟き「そーいうモンなんだな」とまた呟いて口を噤んだ。
「喜んでほしいなって心を込めて作れば、相手にはきっと伝わるよ」
竜真は料理本を捲りながら微笑む。
「心を込めても、兄貴の料理は食えたモンじゃねーけどな」
つぐみが一蹴した。
竜真の表情が強張る。
秀貴はきょとんとして瞬きを繰り返した。
「そーいえば竜真さん、お湯を沸かすくらいしか出来ねぇっつってたよな。何でなんだ?」
以前「君なら分かってくれると思う」と言われたが、なんとなく、ふわっとしか感じ取れていない。
特殊な体質が故に、何らかの力が働いているのだろうが……。
竜真を正面から見る。
珍しく渋面を作っている口が僅かに開き、か細い声が漏れ出した。
「六合がね」
六合。竜真が使役している式神の名だ。
「僕に呪いをかけたんだ」
悩まし気な吐息と共に明かされた事実。
しかし、秀貴はその言葉の意味が理解できず、首を捻った。秀貴から見て、竜真と六合の関係は極めて良好だからだ。それなのに“呪われた”とはどういう事か。
「のろい……」
呪禁師でもある秀貴は、馴染み深い単語を舌の上で転がした。
といっても、口に出すのは滅多にない事である。
「深刻に考えんな。ガキの頃、兄貴がやらかして、その罰みてーなモンなんだからよ」
つぐみはあっけらかんと言い放つ。
竜真はバツが悪そうに視線を泳がせている。言いにくそうに、調理が出来ないんだ、と呟いた。
聞けば、お湯を注ぐだけで作れるカップ麺は作れる。ただし、同じ“お湯を注ぐだけ”でも、挽きたてのコーヒーだと味が変わってしまうのだと言う。
野菜を切ったり焼いたりするだけで、味付けをしていないのに味が変わってしまうのだと。
秀貴の頭上には、疑問符が浮かんでいる。
「肉だけ焼くとか、魚だけ焼くとかは、出来なくもないんだけど……」
竜真の言葉を、つぐみが引き継ぐ。
「味を付けるのに、生姜やにんにくがあったらアウトだな。胡椒も怪しい」
渋い顔で大袈裟なリアクションをするつぐみ。
秀貴は信じられない気持ちで「つまり」と、自分の中にある仮説を口にする。
「植物を、調理出来ないって事か?」
「ザックリ言うとそうだな」
竜真本人ではなく、つぐみが大きく頷いた。
「手袋をしても駄目だな。同じ食材で同じ材料を使っても毎度味が変わる」
それは、散々その“料理”を食べてきた者の見せる表情だった。まさしく、苦い青汁を飲んだような顔だ。
「たまに『今日は作れそうな気がする』つって料理して、残飯を生み出してたな。材料が勿体ねーから止めさせたけど」
「何年も前の事、掘り起こさないでよ……」
竜真が珍しく、参ったとばかりに項垂れているので、秀貴は新鮮な気持ちだ。もっと話を聞きたかったのだが、竜真によって制され、過去の話はここで打ち切りとなった。
そして、話が戻る。
心を込めて、何を作るか?
「ディナーなら、ムニエルとか? 僕はどっちかっていうとお肉が好きだから、あまり思いつかないな」
ちゃっかり洋食を提案した竜真が、顎に手を添えて唸った。
次につぐみが手を挙げ「エビフライ!」と元気よく言ったが、魚じゃないよな、と一度話が止まる。
「でもよ、彩花、エビフライ好きだぜ? 尻尾まで食うし」
幼馴染の言葉で、話が進展した。
竜真が半眼になる。
「何でもっと早く言わないのさ」
「いや、肉か魚かっつー話だったし」
「肉か魚に話を絞ったのは、つぐみだろ」
秀貴まで瞼を半分落として、つぐみを見据えている。
「あたしは、候補が多すぎて絞れねーから、あえて言うならっつー意味でだな……」
弁明するつぐみだが、声に覇気がなくなっている。
「んじゃあ、エビフライと鮭のムニエルとか……で、付け合わせとタルタルソース……と、スープ。主食は米かパンか……」
これ以上考えると抜け出せなくなりそうなので、秀貴が決定した事をメモしていく。
「あたしは米がいいな!」
つぐみがまた元気に挙手した。
「オムライスで良いんじゃない?」
実にお気楽に、竜真が言った。
秀貴とつぐみの動きがピタリと止まる。
あれ? そんなにおかしな事言ったかな? と、竜真。
今まさに、包むのに失敗した無残なオムライスを目の当たりにしたばかりだというのに。
「日にちはまだあるし、練習する時間はあるよね? それとも、オムライスを失敗したまま負の料理にする?」
いつもの有無を言わさぬ笑顔。
竜真自身は、料理すること自体が“負”だというのに。
それでも、実のところリベンジしたいという気持ちが少なからずあった秀貴にとっては、ある意味好機だ。
この際だから、料理本の写真や、喫茶店の外に飾られている食品サンプルのようなオムライスを作ろう。
秀貴が胸中で密かに抱負を定めたところで、竜真が笑顔のまま言った。
「秀貴君はついでに、洋食のテーブルマナーもマスターしよっか」
ドンッと増えた課題に頭がパンクしそうになるも、秀貴は竜真の言葉を噛み砕き、飲み込み、自分の中で消化した上で口を開いた。
「……一週間で?」
「うん」
秀貴の「まさか」「そんな」という疑いは、たったのふた文字で掻き消された。
「一週間もあるんだよ? 君なら出来る。ほら、自信もって」
強い言葉で背中を押され、いつものように首を縦に動かす。
それは、少々ぎこちなかったものの、竜真は満足そうに頷き返してきた。
それからは毎日、毎食オムライスだった。
エビフライは早々にクリアしたので、その代わりにハンバーグやステーキを作り、ナイフとフォークを扱う練習に使った。
案外、右手と左手で同時に違う動きをさせるのが難しく、苦戦した。肉の筋を切っていて、何度、肉片を皿の外へ弾き出してしまったことか。
加えて、オムライス。
つぐみに「飽きた!」と怒られるので、ライスの味を毎回変えて作り続けた。
チキンライス、バターライスは勿論、チャーハンや炊き込みご飯にしてみたり。その甲斐あって、玉子で包むのも徐々に上達していき……。




