2.正月早々の受難・下
秀貴の家は代々、呪禁師をしている。まじない師のようなものだ。元々、呪詛によって人を殺めていたのだが、時代と共にまじないはその内容を変えた。人に危害を加えるものから、現在は人を護り、幸福へ導くものが主流となっている。
ただし、術者本人には作用しないものがほとんどだ。例えば、“金運上昇”という符を自分用に作ったとしても、効果はない。護身符を身につけていたとしても、降りかかる災いから自身を護ることは出来ない。秀貴は一族でも類を見ないほど強力な力を持っていると言われているが、そんな彼でも、その事実は覆らない。
秀貴は優秀な呪禁師であると同時に、厄介な体質の持ち主でもあった。彼自身が、強力な電気と磁気を纏っているのだ。この世に生まれた瞬間、母を死に至らしめたのは、彼が放つ電気、ないし磁気が原因だった。
今でこそ、十五歳の誕生日に父が贈ってくれた数珠のお陰で人と接触できているが、これが無ければただ突っ立っているだけで周りに居る人の心臓は止まってしまう。生きていたとしても、深刻な後遺症が残るかもしれない。
だから秀貴は、十五歳になるまで外へ出ることも許されなかった。人を死なせてしまうくらいなら、外へ出られなくても良いと、自身も思っていた。
なので彼は、今まで一度も走った事がない。走り方も知らない。
暗い空間にも慣れている。蝋燭の火すら、昨日初めて目にした。今、柱からぶら下がっている電球は、秀貴にとって初めて身近に感じる人工の“電気”だった。通常、スイッチを押さなければ点灯しないものなのだが、スイッチがオフの状態だというのに明るい。それを、不思議だと思えないのだ。本から得た知識がなければ。
(本にはオンとオフのスイッチや、電源というものが必要だと記載されていたけれど……)
それらしきものはある。ケーブルの途中にスイッチと思しきものが付いていた。それをカチカチと指で押してみる。だが、何も変わらない。
(まぁ、明るいから良いか……)
秀貴は再び、注文書に視線を落とした。一枚、二枚、三枚と捲り、内容を確認していく。その手が、次第にかたかた震え出した。白い顔が、蒼くなっていく。
しまいには、注文書の束が手から滑り落ちた。
(作れる。けど、でも……これは……)
伯父が持ってきた依頼は、ほとんどが“護符”ではなく“呪符”に分類されるもの。人に危害を及ぼすものだったのだ。中には、人を殺めるものも含まれている。
今、一族に伝わる符に関する指南書は手元にない。だが、護符も呪符も全て頭に入っている。それでも、筆を取る気になれないものばかり。
注文書を拾い集めるも、手が動かない。ただただ時間だけが過ぎていく。
どのくらい経ったか、納屋の扉がガタガタ鳴ったかと思うと、勢いよく風と共に外気が流れ込んできた。
伯父が、煙草を咥えて立っている。
「何だ。まだ一枚も書いてねぇのか」
煙草の煙に混じって、酒のにおいも漂ってきた。
秀貴は、震える唇に力を入れて、喉の奥から絞り出すように言葉を舌に乗せた。
「この、仕事は……」
そこまで口に出し、言葉が詰まる。
どんな仕事でも、自分を選んで依頼をしてくれているものを断ってはいけない。それが、父の教えだ。
「出来ない」、「やりたくない」と声に出して言ってしまえば、父の教えに背く事になる。
いつまでも言い淀んでいる秀貴に、伯父の眼光が鋭くなった。かと思うと、秀貴が床にぶつかる音が続く。伯父が秀貴の脇腹を蹴り飛ばしたのだ。
線の細い少年は難なく吹っ飛び、床を滑るように転がった。枕代わりに渡されたコンクリートブロックにぶつかり、止まる。肋骨が折れたかもしれない。
ひどく痛む腹部を押さえて蹲る秀貴を覗き込むように、伯父がしゃがんできた。
「まさか、出来ねぇっつーんじゃねーだろうな? やれよ。じゃねーと、女中の……何つった? 春江? あいつん家まで行って、今てめぇにしたのと同じ事してやんぞ」
「そ…………」
それだけは避けなければ。こう脅されてしまっては、もう二の句が継げない。
自分ひとりなら何をされようと構わないが、自分のせいで人に――まして、今まで唯一傍に居て世話をしてくれた人物に危害が及ぶなど、耐えられない。
「さっさとやれ。今日中に五十枚は書いとけよ。おい、分かったんだろうな?」
いつまで経っても返事がないので、伯父は苛立っていた。
秀貴が上体を起こそうと、よろけながら手を床に突いた時……、ジュウッという音と共に、焦げた臭いがした。
「あ゛ッ、つ」
煙草の火を押し付けられ、熱と激痛が秀貴の手の甲を抉った。煙草はその場に捨てられ、秀貴の肌にはクレーターのような火傷が残った。少しすれば、水膨れになるかもしれない。
伯父はというと、新しい煙草に火を着け直して「さっさとやれ」と言い残して去っていった。
一月三日。三が日も最終日だ。
秀貴は伯父に言われた通り、仕事をこなしている。
食事は一日一回だが、無いよりましだ。そう言い聞かせた。味噌汁に浸った白米を咀嚼し、沢庵に箸を伸ばした時だ。外から賑やかな声が聞こえてきた。
言い争いのようにも捉えられる。男と……女の声。秀貴は、何だろうと思いながらポリポリと沢庵を噛んでいた。
賑やかな声がすぐ近くまでやって来たかと思うと、扉が勢いよく開いた。
突如飛び込んできた大量の光に目が眩み、秀貴はきつく眼を閉じた。