少年とりゅうのお話
アブラゼミが命を次代へ繋げようと鳴いている。
高く昇った太陽から、世界を焼いてしまいたいのかと問いたくなるような熱が放たれている。それが反射して、アスファルトから立ち昇る陽炎が世界を揺らしていた。
テレビの中では、同級生たちが甲子園球場で最後の夏を戦っている。夏の大会、初戦。
風邪を引いた奴が居て、地区予選は俺も助っ人として出場した。抽選前で、ギリギリ補欠登録したんだったな。
ウチの高校は生徒数は多いけど、それに比例して部活や同好会の数も多いから、メジャーな運動部でも部員が少なかったりする。野球部も例外じゃなかった。
部長と、補欠登録してる一年ふたりに頭を下げられたから、逃げられなかったんだよな……。
まさか、決勝まで出続けることになるとは思わなかったけど。
球児にとっては甲子園ってのは、やっぱり特別な舞台らしいし。テレビの中で活き活きしてる奴らを見られたんだから、結果オーライ……かな。
本来なら、俺も現地で応援してなきゃならねぇとこだけど、予選で下手に目立っちまったから、地元のマスコミに追い掛け回されるのが嫌で地元に残った。
もう、高校生活も三年目の夏。
風紀委員長は一年間だけやって、つぐみの入学と同時にあいつを次の委員長に指名して、引き継がせた。中学では“番長”をしてたんだ。すんなりOKしてくれた。
代わりに、風紀委員に籍を置いたまま生徒会で書記をして、試合の度に人数が足りない部や同好会の助っ人として走り回った。
大変だったけど、充実してたと思う。
「あっという間だったな……」
もし、小学校から通えていたら……と思うこともある。けど、そんな事を今考えても仕方ない。
俺は手首にある数珠に触れてみた。
父親がくれたものは、結局割れて使えなくなった。今は瑠璃で出来た、この腕珠が俺の制御装置。無くても力を制御出来るけど、どうしても身構えるのに一瞬ラグが生まれるのと、とにかく腹が減るからコレは必需品だ。
テレビの中では、選手たちの交代が行われている。
走る選手たちから応援席にカメラの映像が切り替わると、そこには金髪くせ毛のちっこい女が学ランを着て大笑いしている姿があった。
その斜め後ろには、淡藤色の浴衣を着た、黒髪の…………。
画面を見ていると、テレビ越しに微笑みながら手を振られた。まさかこっちの姿が見えてるんじゃないかと思えるタイミングだったから、少しドキッとした。
(あぁ……また勘違いする奴が出てくんぞ。っつーか浴衣って、暑いだろ……)
俺は氷菓をかじりながら、心の中で嘆息した。
本人には当然、聞こえてねぇけど。
場面が更に切り替わって、今度はCMが始まった。
俺はテーブルの上に置いてある紙に視線を落としてみる。只の紙。だけど、これがなかなか俺を悩ませている。
「ピンポーン」
玄関から、インターホンの音に似せた肉声がした。
訪ねてきたのは、少し日に焼けた竜真さん。
はい。と渡されたのは、ネットに入ったでっかいスイカだ。
「お客さんから貰ったんだ。一緒に食べよ」
そう言って、後からトマトやキュウリも出てきた。
ここに引っ越して、もう一年と四か月くらいになる。藤原家からは徒歩三分。大通りを挟んで、商店街の大きなアーケードがある場所だ。
窓の外に目をやれば、肌がこんがり焼けた子どもたちが駄菓子を持って走り回っている。
「あれ? これって、進路希望調査票?」
竜真さんが、冷蔵庫から出してきた麦茶を飲みながら紙を手に取った。
「空欄だねー」
「あぁ、それな……」
勉強は好きだけど、特別何か専門的に学びたい分野があるわけじゃねぇし。かといって、就職ってのも……。
「友達が会社を興すから、一緒に働かないかっつって声かけてくれてんだけどな。俺、会社勤めは向かねぇと思うんだよなー……」
「スーツを着て奔走する君を見てみたい気はするけど、そうだね。体質的に、向かないだろうね」
案外、バッサリ切られた。普段の竜真さんなら「やってみないと分からないよ」って言いそうなのに。
「卒業したら、実家に戻ろうかとは、思ってんだ」
土地の権利書はまだ竜真さんが保管してくれてるけど。俺が育った離れを潰して、一度更地にしてから桜や紫陽花や山茶花や椿を植えよう。ただ、それは“俺がやりたいこと”であって“仕事”じゃねぇ。
「じゃあさ。秀貴君、僕と世界を旅してみない?」
「へ?」
いま、何つった?
「修学旅行は北海道へ行ったんだっけ? 海は越えても、日本からは出てないでしょ? いろんな国を見て回って、勉強して、自分に合った仕事を見付けようよ」
「い…………」
いや、ちょっと、それって……。いきなりすぎ。ってか、スケールがでかすぎて頭が追い付かねぇんだけど……。
って、そうじゃなくて……!
「たっ竜真さん、自分の仕事はどうすんだよ!?」
「え? 大丈夫だよ。僕ってば自由業だし」
そんな「ちょっと二泊三日の旅行にでも行こうか」みたいなノリで言うなよ……。
「お金ならあるし。君だって、この二年で大分蓄えたでしょ? 無くなったら現地調達すればいいよ。ビザの手配とかは僕がしてあげる。君の能力を活かせる仕事は、きっとどこにだってあるよ。それとも、一生この町でマッサージ師をする?」
ちょっと体を触れば、対象の肩こりや腰痛が和らぐからって、護符作りとは別にバイト感覚でマッサージもやってきたけど。
別に、それが嫌ってわけじゃない。むしろ、喜ぶ顔が直に見られるから護符作りよりも電気マッサージをしている方が好きだ。
でも、本の中でしか出会えなかった世界にも、興味は大いにある。
動物園や水族館じゃ見られない生き物もたくさん居るんだろうな。図鑑でしか見た事ない植物とか……欧州の乗り物とかも気になる。
そんな事を考えてたら、竜真さんが顔を覗き込んできた。
「ふふ。まんざらでもない感じだねぇ。進路希望には『家業の手伝い』または『自由業』って書いとこうか」
俺は竜真さんに言われた通り、紙にペンを走らせた。
「って言っても、週に一回は家に帰って来るよ。つぐみの事もあるしね。秀貴君も、家賃が勿体ないからさ、卒業したら藤原家に戻っておいでよ」
竜真さんは俺とつぐみの“保護者”だ。
学校の懇談や参観日にも来てくれるし、保護者会にも入ってる。そこでも、やたら人気だってウワサだ。
「ま、僕がずっと家に居ない方が、つぐみも気楽だろうし。ほら、年頃だし?」
「そーいうモンかな」
「そーいうモンだよ」
そうか。まぁ、つぐみも少しは料理が出来るようになったらしいし……っつーか、俺が教えたし。多分、大丈夫だろうな。
いざとなれば彩花も居るし。
「そうと決まれば、卒業までに準備が必要だね」
あぁ、パスポートとかかな。
「英語は日常会話大丈夫だよね? あとは中国語と、挨拶と簡単な応答くらい出来た方が良いかなっていうのは中東とヨーロッパ。南も北も網羅しとこう。それくらい、君なら半年もあれば覚え――」
「られるかー!!」
渾身の叫び。
蝉の声にも負けなかったと思う。
竜真さんはきょとんとした後、にこっと笑って「またまたぁー」なんて言ってやがる。冗談だと思ってんのか?
挨拶くらいなら何とかなると思う。でも、日常会話は英語だけで手一杯だっつーの!
特に、中国語は発音が難しい。
「大丈夫、大丈夫。秀貴君なら出来る出来る」
そしてまた、有無を言わさぬ笑顔がこっちを向く。
「う……ぅ……くそっ出来るだけはやるけど、フォローしてくれよ!」
「もちろん。かわいい弟の頼みだもの」
こうやって、結局まんまと乗せられるんだ……。
俺が海外へ行くなんて、春江が知ったら何て言うかな……。
盆には墓参りに行こう。
「少年がりゅうと一緒に世界を旅するなんて、まるであの物語のようですね」って笑う春江の姿が目に浮かぶ。
そしたら「俺はもう少年じゃなくて青年だぞ」って言い返してやるんだ。
スイカを切りながら、そんな事を考えてひとり笑った。




