45.晩餐
秀貴は軽く地面を蹴り、竜真との距離を詰め、右手で竜真の腕に触れた。拳が飛んでくるより先にまた地面を蹴って距離を取る。
パチッと軽い音を立てて電気が飛散した。だが、これが竜真に効かない事は秀貴も重々承知している。
秀貴の狙いは、この先にあるのだ。
「悪い、ちゃんと弁償するから!」
竜真が疑問符を浮かべたと同時に、秀貴が触れていた部分が燃えた。
そう、電気は熱を生む。
服は焦げただけで燃え広がることはなかったが、竜真の動きを止めるには充分だった。
焦げた服に気を取られている隙に、後ろへ回り込んで蹴りを腰へぶつけようとした時だ。秀貴は足首を取られて、盛大に尻もちをついた。
「いッ……た!」
一瞬、目の前に星が散った。
何が起きたのか理解できず、秀貴が尻と手を地面についたまま竜真の背中を呆然と見上げる。
先ほど足首に絡み付いていたであろう蔓の尻が、竜真の手のひらへ戻っていくのが見えた。
竜真は秀貴に背を向けたまま、焦げて破れた服の袖を撫でた。
「電気を使って熱を生む……までは僕も考えていたんだけど。発火させるなんて……さすが、というか。末恐ろしいものがあるなぁ」
独り言のように呟いている。
応用によって、能力の可能性は無限に広がるだろう。
「というか、よく思いついたね」
「この前、落雷で火事が起きてる海外の映像を見て……でも、力加減が難しいから……」
「うん。普通の人にはあまり使えないかもしれないね。ケンカって、ルールはないけど殺し合いじゃないから。そこの線引きって、難しいんだよねぇ……」
竜真は眉尻を下げて苦笑した。
ルールはないが、人としての最低限のルールは守らなければならない。それがケンカだ。
至極簡単なことのはずなのに、とても難しい。
「ケンカするのにも各々理由があるものだから、それが解決したらお互い『ごめんなさい』しようね」
親が子どもに言い聞かせるように、竜真が秀貴へ持論を説く。
自分が負わせた傷も、自分が負った傷も、そんな言葉じゃ癒えないんだけどさ。
小さく付け加えられた言葉の方が、秀貴には重く感じられた。
対人経験が少なすぎる秀貴には、これからも学ぶべきことがたくさんある。課題は多い。
「あ、校長先生はこの事を俺に教える為に、竜真さんとケンカさせたのか!」
ぱぁっと輝く尊敬の眼差しが校長を直撃する。
それを見た竜真がひと言。
「それはない」
校長は伸ばしかけていた背筋を、再び丸くした。
「と、いうわけで。秀貴君、合格おめでとう!」
手を叩く竜真に、つぐみが半眼を向ける。
「筆記試験の結果はまだ出てねぇだろ。それに、今の話じゃケンカだって秀貴が負けてんじゃねーか」
秀貴の胸に、実態のない何かがグサグサ音を立てて突き刺さる。
ケンカの勝敗ははっきりしていないが、あのまま続けていても勝てなかっただろう。つぐみの言う通りだ。
「校長が合格って言ったんだから、合格なんだよ。あとは、学科が首席かどうかだねー」
今度は有無を言わさぬ笑顔が秀貴を襲う。
校長が『申し分ない』と言った学力。それも、トップでなければ竜真の期待に添えられない。裏で工作をして首席に仕立て上げることは可能だが、竜真はもちろん、そんな不正はしない。
実力が伴わない地位は、身を亡ぼす事を知っているからだ。
「あー、プレッシャーかけてゴメンねー。でもほら、秀貴君って、追い込まれた方が成長するタイプっぽいからさ」
何だかんだで、秀貴の性格と素養を一番理解しているのは竜真なのだ。
「いや、むしろ感謝してるっつーか……」
もし、自分がここ以外のどこかへ引き取られていたら、どうなっていただろうか。
そんな考えが頭を過る。
「感謝、してもしきれねぇ、っつーか……」
思いを巡らせていたら、急に目頭が熱を持ち、涙がぼろぼろ落ちてきた。
「うっわ! 何で泣くんだよ!?」
つぐみがぎょっとして跳ね上がる。
竜真も笑顔を消して真顔に近くなった表情を、またぎこちない笑顔へ戻した。珍しく狼狽えているようだ。
「え……プレッシャー掛け過ぎた? 張り詰めてた緊張の糸が切れた?」
「ちが……こ、ここに来られて良かったなって、思ったら……急に……」
ぐしぐし涙を袖で拭う秀貴を、すかさず兄妹が挟み込んだ。
「うおーん! あたしも、秀貴が来てくれて良かった! お前の作る飯、すげー美味いかんな!」
「僕も、可愛い弟が出来て嬉しいよ。あと、美味しいご飯も食べられるしね」
「え、あ……う、ん……」
つぐみの遠吠えに気圧されて秀貴の涙は引っ込み、結局食い気なのかと少し呆れつつ、込み上げる羞恥心を気合いで抑え込んだ。
ここへ来た日の事を思い返せば、レトルトと出来合いの総菜のみが並ぶ食卓だったのだ。それが何年続いていたのかなど、秀貴は知らない。
そして、自分が作った味噌汁を心から喜んでくれたのも、紛れもない事実だ。
元々、竜真とつぐみも食べること自体は好きだったのだろう。
つぐみからのダメ出しはたまにあるが、作る度に喜んでもらえるので秀貴も新しい料理を次々と覚えたし、意欲も湧いた。
何かに対してやりがいを見出したのも、ここへ来たからだと再認識する。
「じゃあさ、今日は秀貴君の合格祝いとして、秀貴君が食べたいものを食べようよ」
竜真が、密着していた体を剥がしながら言った。
「って、作るのは秀貴だろ?」
半眼のつぐみも、秀貴を押しながら両腕を伸ばして言った。
「久々に外食でも良いけど……秀貴君、何が食べたい?」
訊かれて気付いたが、自ら食事のリクエストをしたことがない秀貴は戸惑った。
食べたいものを訊ねられても、すぐに浮かんでこない。
「ちょ……っと待ってくれ。えっと、食べたいもの……」
こんな時、浮かんでくるのは今まで読んでいた小説や漫画のワンシーン、アニメで観た食事、ドラマの食卓……。様々な場面が頭の中に浮かんでぐるぐる回る。
その中でも自分も食べてみたいと思ったものは、
「なべ……」
竜真とつぐみはきょとんとした。
ふたりの反応があまりに薄かったので、秀貴はたどたどしく理由の説明を始めた。
「えっと……俺、ここへ来るまで何人もと食卓を囲んだことってなかったから、家族で鍋を囲むのって……憧れてた……っていうか……なんか、いいなって……」
特別な日に食べるものなのかはよく分からないが、複数人で囲って食べるものに惹かれていたのは事実だ。
「うおおお!! 鍋! 良いじゃねーか! あたしも久しく食ってねーよ!」
「良いね。この際だし水炊きじゃなくて、すき焼きにしようか。お祝いだし」
つぐみと竜真も乗り気だ。
「肉いっぱい入れよーぜ!! んで、生卵つけて食うんだ!」
「じゃあ、味付けは濃い目でよろしく。秀貴君」
ふたりの要望も次々と出てくるので、秀貴はそれを頭に入れていく。
作り方はまた精肉店で訊くとして、他に必要なものは何だろうかと考えていると、つぐみの口から「白菜」「長ネギ」「舞茸」「焼き豆腐」「糸こんにゃく」……と、食材の名前がとめどなくあふれてくるので、頭の中のメモ帳がいっぱいになりそうだ。
「そんなに言うなら、つぐみも一緒に行っておいで」
「あぁ!? こいつひとりで行けっだろ!」
「好きなもの買っていいから」
二万円を渡され、つぐみが目の色を変えた。
「おっこれでいっちゃん良い肉山盛り買えるな!」
「一番……ってなると、少し足りないかなー……」
つぐみも案外、モノの価値を知らない。
肉だけ買えても、他の食材が買えなければ意味がない。
竜真が愛ある苦笑をしている隣では、忘れないうちにと秀貴が食材を紙のメモ用紙に書き連ねている。おおよその単価と共に。
それに安心感を抱きつつ、竜真が手を叩く。
「はい。それじゃお店が閉まるまでによろしくね。僕はガスコンロと鍋の準備をしておくから」
商店街にある多くの店は十九時に閉まる。現在の時間は十八時を少し過ぎたところだ。
壁にある大きな四角い時計を見たつぐみが悲鳴を上げた。
「やっべー! 秀貴、ふた手に分かれるぞ! お前は豆腐屋側から。あたしは喫茶店側からだ! 一万寄越せ!」
言われるがまま紙幣を渡すと、つぐみは奪うように一万円を握り込み、文字通り玄関から飛び出した。
バタバタと忙しい彼女の性格にも慣れた秀貴は、自分のペースで靴を履き、かなり手に馴染んだ買い物カゴへ財布を入れ、振り返った。
「行ってきます」
「うん。気を付けてね。行ってらっしゃい」
こうして見送られることも当たり前になりつつあるが、自分にとって、これがいかに特別で幸せなことか――考えているとまた泣きそうなので、秀貴は口をきゅっと結んで奥歯を噛みしめ、前を向き、玄関をくぐった。
その夜、初めて家族と囲んで食べたすき焼きは、まだ冷える空気を忘れさせるほど美味しかった。
美味しすぎて、つぐみが野獣の如く肉をかっさらっていった所為で、秀貴と竜真は野菜や豆腐やきのこ類ばかり食べるはめになったのだが……それもまた、良い思い出だ。
当たり前が当たり前に生活出来ていることに感謝し、こんな日々が現実としてずっと続くことを願いながら、秀貴はぶ厚い布団の中で眠りについたのだった。




