42.いざ、高校へ
週に二回くらいのペースで聞いていた「お前が成山秀貴か!」から始まる決闘も、今は落ち着きを見せている。
彩花と結婚したい男たちが戦いを挑んで来るたび、せっせと返り討ちにしていたのだ。
強面で巨体の剛田がまだ許嫁だった頃は、その座を狙った決闘など滅多になかったらしいが……。秀貴は見た目が、そこら辺にいるただのヤンキーと同じなので挑みやすいのだろう。しかし、地元の名のあるゴロツキや不良やその筋の男たちが次々と敗北していくので、その噂が広まり、敬遠されるようになったようだ。
挑む者すべてが秀貴に触れることなく倒されているので、不気味がられたのかもしれない。
剛田と対峙した時は肉弾戦も試みた秀貴だが、以後は相手を即座に撃沈させている。何故かというと、もう、なんというか……面倒臭くなっていたからだ。
自分の事で手一杯なので、他を相手にする余裕がなかったともいえる。
ともあれ、邪魔者が激減してひと安心である。
「試験の準備は出来たのか?」
ポテトチップスをパリパリと音を立てて食べているつぐみが、視線は漫画の紙面に落としたまま訊いてきた。
「筆記用具と受験票だけで良いから。あと、ハンカチとティッシュも用意してんよ」
「相変わらず真面目だな」
つぐみに鼻で笑われる。
真面目だから笑われたのではなく、秀貴の格好を見てのことだろう。なにせ、今の秀貴は黒髪のカツラを頭に被り、丸い黒縁の伊達眼鏡を掛けているのだ。
竜真から「君の髪と瞳は明るいところで目立つから」と渡されたのである。
つぐみがまだ少し肩を震わせているので、秀貴は「そんなに変か?」と視界をちらつく黒い前髪を指先で引っ張ってみた。
「変に決まってんだろ。彩花に言ったら、カメラでパシャパシャ撮られるだろうよ」
容易に想像できるその姿に、思わず苦笑してしまう。
「それは勘弁だな。じゃ、行ってきます」
「おう。せいぜい頑張れよ」
激励とは言い難いつぐみの見送りの言葉を受け取り、まだかなり容量に余裕のあるぺたんこなリュックを背負って、秀貴は足早に家を出た。
外はまだ冷えるものの、春の息吹を感じるようになっていた。アスファルトの隙間から芽を出している雑草からは、生命の力強さが感じられる。
はた、と今朝は竜真の姿を見ていないなと思ったが、彼が早朝姿を消しているのはよくある事なので、すぐに気にならなくなった。
代わりに、今日の受験に関する事で頭の中が埋め尽くされてしまう。一度は道順確認のために試験会場となっている高校へ行ってみたし、会場へ入ってからの順序も竜真から聞かれている。試験中の決まりも頭に入っているから大丈夫……のハズだ。
脳内でそんな事を考えながら、試験会場付近へとやってきた。
毎日歩いて通うには少々遠いが、今日は全く苦にならなかった。
秀貴と同じくらいの背丈の少年少女たちが中学校のものであろう制服に身を包み、同じ方向へ向かって歩いている。中には私服の者も居るが、数は少ない。髪色も、金髪や茶髪、黒髪とまばらだ。
秀貴は、いつも通り竜真のお下がりの服を着ている。龍の刺繍が施されたスカジャンに、ジーンズだ。
刺繍はリュックで隠れているものの、少々視線が痛く感じる。が、竜真の言いつけ通り、背筋をのばして前を向き、堂々と歩くように努めた。
背中を丸めておどおどしていると、余計に目立つと言われているのだ。
校門を目の前にして一度深呼吸を挟み、再び会場となっている校舎へ向かって歩き出す。
校門から校庭を歩いて、真っ直ぐ行ったところにある靴箱で靴を脱いだらスリッパに履き替えて、受付を済ませて案内に従って教室へ……。
竜真に教えられた流れを頭の中で反復しながら歩いていると、少年少女ばかりの雑踏の中に、教員らしき中年の男が立っていた。
「君が、成山秀貴君かな?」
自信なさげな声に名を呼ばれた。
目が合い、足を止める。
その男は、顔も名前も知らぬ人物だ。中肉中背で、グレーのスーツを着た眼鏡の男。少々くたびれている表情の所為で、年齢の分かりにくい顔付をしている。
そんな男が何故自分を呼び止めたのか些か疑問だが、この状況ならば声掛けに答えるのが礼儀だろう。
「はい、そうです」
「校長室まで来てもらえるかな?」
「えーっと、俺、試験を受けに来たんですけど……」
試験開始までまだ二十分ほどあるが、遅れると大変だ。何の用事かは知らないが、出来れば試験後に声を掛けてもらいたかった。
「そう。藤原君から話は聞いてるよ。だから、君は特別枠で入試と面接が用意されているんだ」
この発言に、秀貴の中でひとつの可能性が急浮上する。
「……う……裏口入学……?」
これも漫画で得た知識。金を積んだり、親のコネクションや権力を用いて特別に入学する事。……なのだが、竜真の名前が出た時点でそれは無いだろう。竜真が不正を嫌う事は、秀貴もよく知っている。
秀貴は、早々にその可能性を自分の中で排除した。
教員らしきこの男も裏口入学についてはきっぱりと否定し、秀貴を校長室まで案内する。
スリッパに履き替え、階段を上り、グレーのスーツの背中についていく。
やがて、男の足がある扉の手前で止まった。秀貴が視線を上げると『校長室』と書かれたプレートが、扉の上に存在している。
「私はここまで。面接の練習はしてきたよね。その通りにすれば良いから」
そう告げて、男はそそくさと去っていった。
言われた通り、練習を思い出しながらノックをしてみる。すると中から、落ち着いた、優し気な男の声がした。
「どうぞ」
「失礼します」
分厚い扉の向こうには、たぷんと腹の出た初老の男性が立っていた。白髪まじりの髪を真ん中でピシッと分けて、固めている。その所為で、額の面積が強調されているように感じられた。
入学案内のパンフレットで見た顔。この高校の校長だ。
「成山秀貴です」
一礼すると、校長の表情が急に曇った。




