38.瑠璃の数珠
翌朝。
活き活きとした表情で、秀貴は天を仰いだ。
六合が避けていってくれた木々の隙間から、少しずつ明るくなっていく遠くの空を眺める。
「神様すげぇ……まさに生き字引だな」
『ふふ。アタシ、夜通し歴史のお話しをしたの、いつぶりかしらぁ』
骨格標本のようなソレも、表面にニスを塗ったかのような艶やかさがある。
天空からの要望は『添い寝』だったが、話に夢中になっていたら夜が明けてしまっていたのだ。
「それにしても、俺が本で読んで知ってた歴史とかなり違う事もあって驚いたな」
『ふふ。今伝えられてる歴史なんて、半分以上は事実を織り交ぜながら人が創った物語よ。でも、その方がロマンがあって面白いのよね』
ガイコツがウインクして聞かせる。
骨にしては柔軟なその表情を見ていると、秀貴の顔も自然とほころぶ。
朝日が街の全容を照らし、人工の灯りが消え始めたのを眺めていると、足音を伴った数人の話し声が聞こえてきた。天空の反応を見るに、よく知った――、
「おはようございます」
真っ先に挨拶をしてきたのは、着物姿の彩花だった。足元はブーツだが、登山向きの服装ではない。
並んで、つぐみと竜真も声を掛けてきた。
「よぉーっす! 秀貴ぁ! よく眠れたかぁー?」
「乾燥で喉とかやられてない?」
このふたりも軽装だが、いつも通りのカジュアルな服装をしている。
よく見ると、つぐみは彩花の腰に抱きついている。否、引き摺られているように見える。
秀貴は、相変わらず仲が良いな、と思ったのだが、彩花の険しい表情に気付き、疑問符を浮かべた。
「彩花、どうし――」
「どちらですか?」
「は?」
「秀貴さんと一夜を共にしたという方は、どちらにいらっしゃるんですか?」
ずずいっ! と詰め寄られ、秀貴が一歩下がる。
「えっと、天空だったら、俺の後ろに……」
ばっ! とつぐみを振り切り、彩花が秀貴の後ろへ身を捩じるようにして飛び込んだ。そして、ほぼ同時に気を失って卒倒した。
女が隠れていると思ったらガイコツだったので、不意を突かれて気を失ったのだ。
「ああ……だから止めたのに」
つぐみが頭を抱える。
秀貴が全く状況を呑み込めないでいると、肩に六合を乗せた竜真が「かくかくしかじかでね」と説明をした。
「いや、全く分からねぇ……」
今度は秀貴が頭を抱えた。
『つまり、秀貴ちゃんが、そこで倒れてる彩花ちゃんの婚約者になったのにアタシとひと晩一緒に居たから、怒って乗り込んできた……ってコトね?』
天空が顎に手を当て、うんうん頷いている。
違うのだ。秀貴が頭を悩ませているのは“彩花がここへ来た理由”ではないのだ。
「えっと、だから、いつ俺が彩花の婚約者になったんだ?」
皆目見当がつかない。身に覚えが全くない。
「剛田との決闘に勝った瞬間からだよ」
つぐみと竜真の声が重なった。つぐみは呆れ顔だ。
「そういう約束だっただろ」
「聞いてねぇし。いや、『より強いやつがムコになる』とかそういうのは聞いたけど、俺と彩花にその気がなけりゃ無効だろ」
「そんなつまらないダジャレ、聞きたくありません!」
目をバチリと開き、ガバッと起き上がった彩花はいやいやと体を振ると、両手の指を絡めて虚空を見上げた。
他の全員は「ダジャレ?」と少し考え、意味が分かり、何ともいえない顔になっている。
そんな事は構わず、彩花は再び秀貴へ詰め寄り、手を握ろうとした瞬間――。
「きゃあ!」
バチッと電気が迅った音と彩花の悲鳴が被った。
「悪い。今は必死で抑えてるからギリ大丈夫だったけど、数珠が無かったら手も繋げねぇんだわ」
「数珠があれば問題ないのですよね? でしたら、わたしは構いません!」
火傷した右手を押さえて、彩花はなおも食い下がる。
「あの、だから……俺は、人と結婚する気はないし、子孫だって……残せねぇし……」
こんな厄介な体質の子どもが生まれでもしたら、自分と同じ思いをさせてしまうかもしれない。周りだって危険にさらされるかもしれない。予想の域を脱しないが、そう思うと、自分で終わりにしなければ……という考えは、ずっと頭の片隅にあった。
こんなところで告白することになるとは、微塵も思わなかったが。
彩花は「そんな……!」と悲痛な声を上げる。
「秀貴さんがそんな悩みを抱えていただなんて……! わたし、きっと良い不妊治療の先生を見付けます!」
「ふにん?」
意気込む彩花と、疑問符の取れない秀貴。
話が噛み合わないなぁ、と竜真は苦笑しているだけで、特に動きはしない。
つぐみはというと、
「彩花が本気なら、あたしも協力するぜ!」
と、こちらも意気込んでいる。
当事者のはずなのに置いてきぼりを喰らっている秀貴は頬を掻いた。
「えぇっと……あ、天空、今回はありがとうな」
危うく、ここまで来た目的を忘れるところだったが、秀貴にとっては今最も重要な事だ。
天空から新しい数珠を受け取らなければ、下山は出来ない。
天空はウインクをして、人差し指をくるりと回した。
『ちちんぷいぷーい』
謎の呪文と共に、秀貴の両手首に腕珠が出現した。
紐は、六合が用意してくれたトケイソウの蔓だ。
腕珠が現れたと同時に、信じられないくらい体が軽くなったことで、秀貴は効果を実感していた。
『さっきも言ったけど、コレは貴方が寿命で死ぬまでの耐久力はあるわ。ただし、貴方の力が強くなりすぎてしまった場合、抑え込める容量を超える可能性があるから気を付けてね!』
天空が念押ししてきた。
「わかった。大切にする」
『大切にしなくても壊れないから安心してねぇ。でも、大切にしてくれると嬉しいわ。あと、アタシを一緒に連れて行ってくれたらもっと嬉しいんだけどぉ……』
チラッチラッと天空が秀貴の様子を伺っている。人差し指同士をつんつん突き合わせながら。
『駄目だろうね。アンタじゃ秀貴に弾き出されちまうだろうさ』
六合が意地の悪い笑顔で指摘する。
天空も肩をすくめて、悩まし気な溜め息を吐き出した。
『でしょうねぇ。この子にアタシを受け入れられるだけの余裕なんて、無いわよねぇ……』
ガイコツがしょんぼり項垂れた。
きょとんとしている秀貴の背中を、つぐみが声を上げて笑いながら叩く。
「秀貴お前、よっぽど気に入られたんだなぁ!」
「全く話についていけねぇんだけど」
「所謂“神サマ”が『連れてって』っつーのは、式神として傍に置いてくれっつー事なんだよ」
つぐみの説明を聞いて、そういう事かと理解は出来たが、弾き出される、とはどういう事か。自分にはその器が無いという事か。
「天空が君の式神になれないのは、簡単に言うと君の力が大きすぎて、天空の入り込む余地がないって事だよ」
それこそ、容量オーバーしてるって事。
竜真が補足した。
そして、再度納得――というわけにもいかず。
「俺って、そんなに人として器が小さいのか……」
秀貴はショックを受けている。
「人としてっつーか、お前さ、バケモンみてーな力でパンパンなんだよ。神サマ側に片足突っ込んでてもおかしくねぇ力を人間の体で所有してるんだから、余裕なくて当たり前なんだよ」
竜真が言った事をそのまま、つぐみが半眼で告げる。
「普通に考えて、俺はただの人間で――」
「お前バカか。自分がフツーだと思ってんのか? 確実に少数派だし、何なら、お前より強い人間なんて地球上に片手の指の数居るか居ねぇかだぜ」
つぐみは苛立ちを露わにしている。
秀貴(この男)はどうやら、自分の力をかなり過小評価しているようだ。その危険性は痛いほど分かっているが、希少性については無頓着すぎる。
『アタイが知ってるだけだと、数百年にひとり生まれるかどうかってくらいかねぇ』
“神様”の六合は楽しそうに笑っている。
「ということは……秀貴さんは神様よりもお強いのですか?」
今まで黙って会話を聞いていた彩花の、素朴な疑問。それには天空と六合も苦笑いだ。
『さすがにソレはない! って言いきれないのが、人間の不思議で魅力的なところではあるのよね』
含みを持った天空の言葉だが、六合は『まぁ、秀貴がソレだとは言ってないよ』と付け足した。
どの神を比較に出すか、にもよるので、一概に「神より強い」とは言えないのだ。
この二柱は言葉を濁して、話題を結んだ。




