36.放電
つぐみは中央に居るふたりから目を逸らさず、唸る。
「おい、兄貴。アレってヤベーやつじゃ――」
全て言い終えるより先に、つぐみの横を風が駆け抜けた。
と思うと、つぐみが話し掛けていた相手は、運動場の中央に出現していた。
「先越された!」
つぐみが両手で頭を挟み叫んだと同時に、竜真は右手を秀貴へ差し出して声を張った。
「秀貴君、手!」
「たつまさ……」
言葉の意味が理解出来なかったのか、はたまた体が咄嗟に動かなかったのか……反応の薄い秀貴の、無防備にぶら下がっている手を強引に掴むかたちで、竜真は割れた数珠ごと手を握った。
静電気が連続して発生しているような感覚があるものの、強烈な痛みはない。
「竜真さん……俺、あの……」
「大丈夫? すごいね。しっかり力を自分の中へ留められていたよ」
にこりと笑えば、秀貴の表情も和らいだ。それでも、顔も首も汗が流れている。
「今まで数珠が抑え込んできた分も一気に流れ出てるみたいだから、辛いんじゃない?」
秀貴の表情が再び曇る。図星のようだ。
「んじゃさ、少ーし恥ずかしいかもしれないけど、ガマンしてね」
「へ?」
答えなど聞かず、手を思いきり引き寄せ、そのまま秀貴の体を抱きしめた。微弱な電気が全身を巡る。接している面積が広いからか、手を握っていた時よりも穏やかに感じられる。それが少し強くなると、電気風呂に入っているような感覚が全身に広がった。
「あ、あの……竜真さん?」
「あー、いいから、いいから。そのまま放電しちゃいなよ。大丈夫。僕は死なないからさ」
戸惑いを見せた秀貴だったが、竜真が強く押さえ込んでいるので観念したらしい。
目視できるほどの磁気が竜真の体に流れ込んでくる。
(あ、これ本当にクセになりそう)
生物を一瞬で大量に殺めてしまう力も、竜真にとっては電気マッサージのようなものだった。全身で受け止め、吸収し、無効化する。
「おーい。いつまで抱き合ってんだ? おふたりさんよぉ」
呆れた声で呼ぶのは、妹だった。その隣ではインスタントカメラを構え、パシャッガリガリガリパシャッと、シャッターを押してはフィルムを巻く彩花の姿。
「わたしは、もっとぎゅっと抱き合っていても良いと思います」
頬を紅色に染め、彩花がまたシャッターを押す。
「っつーか彩花は秀貴の事が好――」
「それはそれ、これはこれよ、つぐみちゃん」
早口でつぐみの言葉を遮ると、彩花はカメラをつぐみに向けて「つぐみちゃん、その顔も可愛いわ」とシャッターを押した。
「っていうか、彩花ちゃん、腕は大丈夫なの?」
竜真の問いに、彩花は添え木を当てて布で固定してある腕を上げて見せた。
「骨はくっついていないと思うのですが、不思議なことに痛みはないんです」
「いやぁー、あたしが血で治してやるつってんのに、彩花の奴拒否すっからさ」
「つぐみちゃんの大切な血を、こんな怪我で使うなんて……!」
息を荒くする彩花に、つぐみがやれやれと肩をすくめた。
竜真は秀貴の背中に回した手を上下させ、少し考える素振りを見せてから、秀貴を引き剥がした。体の一部は触ったまま。
「秀貴君、彩花ちゃんの怪我してる腕を触ってみてくれる?」
「え、あ、えっと……」
「大丈夫。怖くない、怖くない。ぼら、僕もまだ君の体に触れてるからさ」
竜真の言葉で安心したのか、秀貴が恐る恐る右手を彩花の腕に添えた。
すると、どうしたことか――
「あら……?」
彩花が、添え木がされたままの腕を少しだけ捻ってみた。動いている。
「治……った?」
彩花の呟きに、竜真が苦笑する。
「簡単に言うと、多分、電気で信号を送って体を活性化させて、自然治癒力を上げてるんだよね。完全には治っていないだろうから、無理矢理動かしちゃいけないよ。でも、ヒビくらいにはなってるかな?」
ふっと視界に影が落ちたので、不思議に思って見上げれば剛田が立ち上がっていた。
憑き物が落ちたような、清々しい顔で。一度天を仰ぎ見たかと思うと、そのままひとりで喋り始めた。
「生まれ変わったように晴れやかな気分だ。この空のように」
声まで穏やかだった。
「ねぇ、秀貴君って心の浄化まで出来るの?」
竜真が口を寄せて訊く。
「いや、分かんねぇ……」
秀貴も困惑していた。
もし仮に、秀貴にそんな能力が備わっていたならば、伯父は“あんなこと”にはならなかっただろう。
「頭の打ち所が良かったんだろ」
つぐみが半眼で言った。そして、その場に居る誰もが、その見解に納得した。
「お嬢、オレの気持ちは本物なんだ。それだけは分かってくれ」
深々と頭を下げる剛田。その場に居る大半の人は「好きな相手をあんなにボコれるのは、病気だろう」と心の中でツッコミを入れた。
彩花はふわりと微笑み、
「気持ちはありがたいですが、私はそれに応える事は出来ません。貴方はまだ十九歳。これからもっと、素敵な女性に出会えるはずです。わたしの事は忘れて、自由に生きなさい」
力強く告げる。
涙を流し感謝の言葉を述べる剛田からもらい泣きをしているギャラリーもいる中、竜真は遠い目をしていた。
(剛田さんって……僕より年下だったんだ……)
と、この場に居る中で、おそらく一番どうでもいいことでショックを受けている。
「一件落着だな! 彩花の婚約者が秀――」
「おーい! 竜真さーん! 大変だ!」
つぐみの言葉を遮ったのは、竜真の舎弟である“パンチ”だ。息を切らしながら走ってくる。
「どうしたんだい?」
「豆腐屋のばあちゃんが倒れた!」
いや、先に救急車を呼べよ。と思ったが、救急車は既に呼んでいるらしい。運悪く出払っているので、いつ到着するか見通しが立たないとの事だ。
「よっしゃ! 行くぞ秀貴ぁ!」
勇んで腕を振り上げ、今にも走り出しそうなつぐみだったが、竜真の手がそれを制した。
「『よっしゃ』じゃないし、つぐみは授業。あと、僕の靴取って来て」
グラウンドに出ている竜真だが、彼も飛び出してきたクチなので、足元はスリッパのままだ。
竜真の制止を振りほどき、つぐみが走り出す。
「先生ぇー! あたし、早退な! 兄貴も、自分の靴くらい自分で持って来い!」
電光石火のごとき速さで疾りつつ、つぐみは秀貴の手を掴んで体ごと引っ張った。
「ちゃんと力を留めておけて偉いぞ秀貴! よっしゃ! 姉ちゃんについて来い!」
有無を言う間もなく連行される秀貴。
竜真が、あぁもう! と言っているが、つぐみは構わず商店街へ向けて走った。




