34.交代
「……ええっと、特殊な家柄ってのは色々あるんだな……」
自分の家系ではそんな話、聞いたことはないが……。いや、聞く機会もなかったというのが正しいか。
「彩花ん家は特にだな。やたら力に拘る。今回の剛田だって、一体どんなクスリを使われたか分かったもんじゃねーぜ」
「くすり……?」
薬品の力だけで、あんな肉体になるのだろうかと些か疑問ではあるものの、何かしら手を加えられている事は確かだろう。
「じゃあ、剛田さんってのは余程彩花の事が好きなんだな」
「そりゃあもう。彩花の事も、彩花の家の財産も大好きだろうよ」
「後半のラインナップが不穏だねぇ」
今まで黙って傍観していた竜真が苦笑する。
「何でそんなに好きなのに、あんなに本気で殴れるんだろうな」
秀貴の言葉に、つぐみが渋面を作る。
「お前、あたしの話聞いてたか?」
「へ?」
「やめなよ、つぐみ。秀貴君は純粋なんだから」
解せぬ。
秀貴まで渋面になった。
「彼の場合、彩花ちゃんの事も本気で好きなんだろうけど、暴力でしか物事を解決できない環境で育ったら、ああなっちゃうのかもね」
「あたしゃ剛田が彩花と結婚なんて許せねーから、何とかしてやりてーんだけど……表向き、女のあたしじゃ剛田と決闘して勝ったところで……」
はた、とつぐみと竜真の視線がお互いかち合い、同時に秀貴の方へ向いた。
「ん? どうしたんだ? ふたりとも」
「なんだ。お前でいーじゃん」
「いや、でもつぐみ……秀貴君の気持ちも……」
「ンなモン、後からどうとでもなるだろ」
「いやぁー、それはどうかな」
「兄貴だって、今同じ事考えてただろ」
「そうだけどさ」
目の前で言い合うふたりを交互に視線で追う秀貴。ふたりの間では会話が成立しているが、秀貴には何が何やら理解不能だった。
疑問符を飛ばしている間に、運動場で動きがあったようだ。周りが一気に騒然とした。
つられてそちらを見やれば、彩花の白い顔に鮮血が流れていた。頭部から出血しているようだ。頭の後ろでひとつに束ねられた髪が乱れている。
秀貴は遠目にそれを確認し、肌を粟立たせる。それも、隣で上がったつぐみの叫び声で引っ込んだ。
「あー! ちょっと目ぇ離した隙に、彩花がピンチじゃねーか! 兄貴、一体全体どーしてこうなったんだ!?」
つぐみが頭をかきむしる。
竜真は肩をすくめて、手振りを交えつつ説明を始めた。
「彩花ちゃんが剛田さんの足元を執拗に攻めてたんだけど、剛田さんが蹴りで反撃。それを躱した彩花ちゃんの頭に、剛田さんの拳がクリーンヒットしてね。脳震盪を起こしてなきゃ良いけど」
「彩花じゃなきゃ死んでたんじゃねーか? ソレ」
つぐみが焦りを見せる。
秀貴はまだ疑問が拭えない。
「っつーか、そもそも何で彩花の体ってあんなに頑丈なんだ?」
「父親に薬漬けにされてたからだよ」
つぐみがさらっと答えてくれた。
しかし、その言葉の意味を、秀貴は咀嚼できないでいる。「は?」とか「え?」とか、言葉にならない声を発するだけの秀貴に、竜真が運動場の中心に居るふたりを指差した。
「剛田さんも同じだよ。彩花ちゃんは肉体強化と筋力を上げるだけの効果しか出ていないけど、剛田さんはその上位互換かもしれないね。体まで大きくなってるし。薬との相性が良かったのか、それとも……」
顎に手を当てて考察している竜真だが、秀貴は今だにその事実を受け止められないでいた。自分から『何であんなに頑丈なのか』とは訊いたが、生まれつき筋力が並外れているのだろうと思っていただけに、彼女の体質が薬の所為だと知って気が落ち込んだ。
竜真の言い方からして、病気を治す為に薬を服用した際の副作用ではないことは明白だ。聞いた通り“薬漬け”なのだとすれば、彼女の家の闇深さが感じられる。
「ま、彩花ちゃんも、いくら拒絶したって家の権力に依存している以上、従うしかないんだけどね。そこはもう、よそ者の僕らが足を踏み入れちゃいけないところなんだよね」
竜真が嘆息した。
秀貴は複雑な気持ちで、視線を竜真から彩花へと移した。
白い肌を伝う赤い血が痛々しい。もう勝負はついているだろう。どちらが強いかなど、秀貴が見ても一目瞭然だ。
「ところで、秀貴君」
竜真の重い声に、はっとする。
「彩花ちゃんのこと、助けたい?」
真剣に問われた。この問いの答えはたったの二択。「はい」か「いいえ」。ともすれば、秀貴の答えは決まりきっていた。
「はい」
竜真は満足そうに笑って、ひとつ言葉を返す。
「うん。いい返事。でもね、今のは『おう』が正解かな」
返事の文言にダメ出しをされるとは思っていなかった秀貴が閉口している間に、竜真がグラウンドへ向かって大きく手を振った。
「彩花ちゃーん! ギブアップしなよ! 後の事は秀貴君が請け負ってくれるからさぁ!」
ピク、と彩花の指先が僅かに動いた。
次に、彩花と目が合う。頭部と口から出血があるものの、さすがに顔面は殴られていないらしい。
とはいえ、安堵できない状態だ。
竜真から遠回しに「何とかしろ」と言われたからには、引き下がるわけにはいかない。
秀貴は無意識の内に、首を縦に振っていた。
彩花の眼は一瞬大きく揺らいだが、すぐに細められ、口が綺麗な弧を描いた。
「分かりました。わたしの負けです」
「じゃあ、正式におれと婚約を――」
「ええ。そういう約束ですから。今、この瞬間から、貴方とわたしは正式な許嫁同士という事になります」
周囲からは落胆の声と、歓声とが入り混じって聞こえてくる。興奮している生徒たちと、どんな顔をしていいのか分からぬ保護者たち。
「そして、もうひとつ」
制服のポケットから取り出したハンカチの角で口元を拭き終えた彩花が、にっこり笑った。
「再び剛田に勝てば、わたしと剛田との婚約は白紙に戻りますが……もう、わたしは勝てる気がしません。剛田より強い殿方が現れれば、わたしは救われるのですけれど……」
わざとらしく、大きな溜め息を添えて、彩花は肩をすくめる。
ちらりとこちらを見た彩花とバチンと目が合い、秀貴が不思議に思っていると、隣に立っている竜真に背中を叩かれた。
「じゃあ秀貴君、行っておいで」
「秀貴、あんな奴ぶちのめしてやれ!」
つぐみも、野次か声援か分からない事を叫んでいる。
「え……っと、行けばいいのか? 俺が?」
「そうだよ」
兄妹の重なった声に肯定され、秀貴は頬を掻いた。
「取り敢えず、剛田さんを倒せばいいんだな? っつーか俺、人を殴ったことも無――」
「いいから行けよ!」
「マンガの主人公みたいに一度負けたりしなくていいから、サクッと終わらせよう。あ……」
「殺すんじゃねーぞ!」
竜真の「殺さないようにね」が、つぐみの声に掻き消された。
そんな最低限の助言をされようとは、と苦笑する。
「わかった。サクッと、殺さねーようにな。んじゃ、外履きに換えてくる」
手にスニーカーを持ち、秀貴は歩いて靴箱の方へ向かった。そう、廊下を走ってはいけないのだ。
途中、廊下の壁に、大きく凹んで蜘蛛の巣状にヒビの入った場所があったが無視した。




