33.許嫁
秀貴にとって、初めて目にする授業風景だったが、一応、彼も“予習”をしてきている。
「授業中に先生に向かって消しゴムを投げたり、騒ぐ奴って居ねーんだな」
「あぁ、ドラマでよく出てくる悪戯とかだね? 居ない事もないけど、この学年では絶滅危惧種じゃないかな」
「じゃあ『三年二組金八先生』みたいな状態にはならねーのか」
「アレはドラマだから……。でも、イジメはどこにでもあるね。弱者を群れから追い出すのは、ある意味生物の本能みたいなものだからさ」
足手まといは阻害され、毛色の違うものは蔑まされる。自然界でもよく見られる光景だ。自然界に生きる動物は、群れを守るため。人間の場合は、自分を大きく見せるためであったり、単なる憂さ晴らしであったり、自分が優位に立つための踏み台として利用したり。
「ま、この学校にイジメはないよ。だって、番長が居るから」
妙に様になっているウインクを投げられるも、秀貴は小首を傾げるしかなかった。因みに、秀貴の肩越しにウインクを浴びた女性は腰から崩れ落ちている。
秀貴は言った。真顔で。
「学帽被って、肩に上着を引っ掛けて、ゲタ履いて、口に葉っぱを咥えてる奴なんて居なかったぞ?」
竜真も真顔で答える。
「うん。そんな番長、マンガの世界にしか居ないと思うよ」
「……そう……なのか……」
秀貴の眉がハの字に下がった。
そんなにショックなんだ……、と竜真は苦笑している。
授業を見ながら廊下でそんな会話をしていると、特に問題もなく授業終了のチャイムが鳴った。
と、思われたのだが――。
チャイムの音に紛れて、女性の甲高い悲鳴が、学校の廊下に響き渡った。
教室内も廊下も、子どもも大人も関係なく、場の空気がざわめき始める。
少しして、硬くて重いものが壊れ、崩れる。そんな音が、悲鳴の後を追うように響いてきた。
何だ何だと廊下に注目が集まる。教室の中から身を乗り出している生徒を、教師は形だけ咎め、自身も廊下へ向かう。
そこに居たのは、大男だ。秀貴には見覚えがあった。
あれは確か――
「剛田! 今日は貴方を呼んでいないはずです。一体、誰の許可を得て学校へ来たのですか?」
廊下へ飛び出したのは、彩花だった。
大男は彩花の家人。以前、商店街の路地で対峙した男だ。剛田と呼ばれた大男は、窓際に立っている秀貴を睨みつけるや否や、大きな人差し指の先を秀貴へ向けて叫んだ。
「借りを返しに来たぞ、小僧!」
秀貴は少しばかりきょとんとしていたが、すぐに目を大きく見開き、竜真を見上げて言った。
「これ、マンガでよく見るヤツだな!」
興奮気味な秀貴に、竜真は苦笑いを返す。
「そうだね。秀貴君、いつの間に恨みを買うような事をしたの?」
竜真は怒るでも呆れるでも慌てるでもなく、まだ苦笑顔のまま訊いてきた。
「多分、前に彩花とモメてたのを止めた事を怒ってんだと思う」
それ以外に、心当たりも接点もない。
竜真も、そーいう事か、と苦笑を微笑へ変えた。
「剛田、今はわたしが質問をしているのです。この騒動は、一体何事ですか」
彩花は声のトーンを少々落とし、剛田を見据えている。しかし、剛田からの返事はない。
彩花は、細く白い指を運動場へ向けた。
「ここでは皆さんのご迷惑になります。暴れたいのであれば、外へ出なさい。わたしが相手になりましょう」
凛とした声が、廊下にこだました。
「……これも、マンガとかでよく見るヤツだな」
「そうだねぇ」
彩花を見つめながら、秀貴はテンションを落とし、竜真は微笑を苦笑に変えて呟いている。
剛田はというと、にたりと笑って言った。
「お嬢がそう言うのであれば、お相手願いましょうか」
その声は低く、大人の余裕が感じられる。
それもそうだろう。大男と華奢な少女とでは、どう見ても少女に分が悪い。対格差がありすぎる。なにせ、彩花の胴回りと、男の二の腕が同じくらいの太さなのだ。太すぎて着られる服がないのか、真冬だというのにタンクトップを着ているほどだ。
前回会った時はスーツを着ていたというのに。
「あの人、前に会った時よりひと回りでかくなってる気がする」
今は、竜真より確実に大きいだろう。秀貴は運動場へ向かうふたりの背中を見送りながら、胸がざわつくのを感じていた。
運動場へ出たふたりは、中央で向かい合う形で立ち、互いの顔を見合わせた。
彩花は三十センチよりも上にある目を見て、はっきりと言った。
「貴方はわたしの許嫁と言われて育ったそうですが、わたしは一切、認めていません!」
ぽかん。としたのは秀貴だけ。
「えー……っと」
「いやぁー、昭和ももうすぐ六十年だっていうのに、親が決めた相手と結婚だなんてカワイソーだよねぇ」
お互いが好き同士なら良いんだけどさ。と竜真は肩をすくめた。
周りを見ても「槐さんのお宅はいつも大変ね」という反応が多い。この状況、案外よくあることなのかもしれない。一階に集まった野次馬たちは、男女関係なく彩花に声援を送っている。
「彩花先輩、がんばれー!」
「槐、負けんなよー!」
「槐、おれと結婚してくれー!」
そんな声が飛び交う中、先に動いたのは剛田だった。
巨体にしては速い動きだが、彩花は小回りが利く。大振りの拳を躱し、剛田の足元へ滑り込むと、剛田の足首を蹴り抜いた。
後ろへ揺らぐ巨体。足を中心に後ろ頭から地面へ衝突するかに思えたが、剛田は頭より先に両手を地面へつき、勢いよく後方へ跳ねた。両足から着地した時、運動場が微かに揺れた。
たった数秒の攻防。
ふたりの動きが止まったと同時に、生徒や保護者、教師までもが止めていた息を大きく吐き、深呼吸をしている。
観客が固唾を呑んで見守る中、つぐみが半眼で呟いた。
「まじーな。彩花の奴、勇んで出て行ったけど負けるぜ」
「分が悪いね。彩花ちゃん、可哀想に」
竜真も嘆息している。
「っつーか、何であのふたりは争ってんだ? そんなに仲が悪いのか?」
秀貴にとっては、この状況こそが疑問だった。周りが自然と受け入れて観戦している中、置いてきぼりを喰らっている。
「剛田、彩花の許嫁だっつってただろ? でも、まだ一度も彩花にタイマンで勝ったことがねーんだ」
「ん?」
婚約者同士でタイマンを張る事自体が理解できない。
眉根を寄せる秀貴に反して、つぐみは意外そうに言った。
「あれ? お前、知らなかったっけ? 槐の親父が言うには、彩花にタイマンで勝てなきゃ正式な婚約にならねーんだとよ」
知るわけがない。
秀貴の理解を超えた理由に、少しばかり頭痛がした。




