32.授業参観
中学校の授業参観といえば、小学校よりも回数が格段に減る。つぐみの通う中学校では、学期毎に一回ずつ行われる。
参観する保護者の数も、小学校に比べるとかなり減る。それでも、来る親は来るものだ。
「学校の中での、自分の子どもの立ち位置とか見に来る親御さんが多いかな。僕はつぐみが周りに迷惑を掛けていないか確認するっていうのが大きな理由だね」
道中、竜真が“授業参観とは何ぞや”という事について話していた。
学校が近付くにつれ、着物姿の女性が目立つようになってきた。
「基本的に、学校を訪問する時は正装か、それに近い服装が好ましいかな」
説明している竜真自身も、今日はスーツを着ている。
「俺は普段着で良かったのか?」
「うん。僕が着てた服、似合ってるよー」
秀貴が着ているのは、竜真が中学生の頃に普段着にしていた服だ。背中に龍の刺繍が施されている、スカジャン。
「休みの日につぐみと並んで歩いてたら、ペアルックみたいだね」
竜真が笑う。
「それ……兄貴の発言としてどうなんだよ……」
「いやぁー、僕にとっては『きょうだいでお揃いの服を着てます』ってカンジだから、あまり気にしないかな。あ、僕も今度同じの着ようかなー」
「……だったら、一緒に着ても良いかな」
おや、良い返事。と竜真は気持ちを上げた。
以前ならば『俺なんかが』と言っていただろう。最近、自分を卑下する物言いが減ってきたように思う。
「あら、秀貴さん! と、竜真さん。おはようございます」
靴からスリッパに履き替えていると、廊下にある保護者受付から声がした。
「やぁ、彩花ちゃん、おはよう。生徒会のお仕事ご苦労様」
竜真が名簿に名前を書きながらあいさつを返すと、彩花は教室の場所を簡単に伝えてくれた。が、棒立ちのまま動かない秀貴に向かって、彩花が首を傾げる。
「秀貴さん……どうかなさいましたか?」
「いや、えっと、今まで着物姿しか見たことなかったから……」
私服の彩花しか知らないので、校則に従って結われている髪も、秀貴の目には新鮮に映っていた。
「制服も似合ってるなと思って」
このひと言が、彩花の琴線に触れた事は、彼女の表情で一目瞭然だ。
「まぁ……! 秀貴さん、そんな……結婚しようだなんて、わたし達はまだ学生――」
「どこをどう聞き間違えたらそうなるのかな?」
竜真のツッコミも、今の彩花には届かない。
そう、槐彩花という人物は、思い込みが極端に強く、恋愛に対して猪突猛進するタイプなのだ。しかも、本人が恋愛 (?)初体験なのでタチが悪い。
赤く染まった頬を両手で包み、彩花はいじらしく目を伏せている。
やはり、竜真の言葉は届いていない。そもそも、秀貴の言葉ですら湾曲して解釈されているのだ。竜真は半眼で「ダメだこりゃ」と言い残し、秀貴の手を引いて廊下を進んだ。
「秀貴君、彩花ちゃんの事、どう思う?」
広すぎる質問の範囲に、秀貴は「どう……?」と答えを言い淀む。
「えっと、彩花ちゃんに対する秀貴君の感情はどんな感じかなって思ってね」
「あぁ。彩花は良いやつだなって思う」
まだ言葉が続くのかと待っていた竜真だったが、秀貴の言葉は止まったまま。会話が終了してしまった。
竜真はにこりと笑い、同意した。複雑な内心を抱いたまま。
(これって、彩花ちゃんを応援するべきなのかなぁ。でも、彩花ちゃんって結構地雷持ちなんだよね……)
妹のつぐみに対する接し方から薄々勘付いてはいたが、今日のやり取りで確信した。
彩花の気持ちは重い。
しかし、気にはなっても、第三者である自分が口を挟むのは憚られる。そんな竜真の心配をよそに、秀貴は全く毒のない顔で見上げてきた。
「あー、変な事訊いてごめんね。教室、すぐそこだか――」
「あーにーきー!!」
竹を割ったように元気な女の子の声がした。
竜真と秀貴は同時にそちらへ顔を向ける、目が合うより先に、竜真の視界が塞がった。
「こーら、つぐみ。女の子がスカートでそんな格好しちゃダメだよ」
見えてはいないが、体がガッチリホールドされているので、つぐみがどういう状態なのか想像できる。いうならば、140センチの抱っこちゃん人形が顔面に貼り付いているようなものだろう。
視界が拓けた先では、つぐみが仁王立ちしてこっちを見上げている。
普段はスカジャンにジーンズをよく身に着けているつぐみだが、今は制服なので、勿論スカート姿だ。丈は膝上五センチといったところか。
くるりとその場で回転すれば、黒いスパッツがちらりと見えた。
「ははははは! 秀貴! ガッコーの中初めてだろ! 休み時間あと五分あっから、あたしが案内してやるよ!」
「あー、もう! 廊下は走らない!」
秀貴の手を掴んで駆け出そうとするつぐみの襟を、竜真が掴んで動きを止める。
目の前で繰り広げられる会話を、秀貴は他人事のように見ていた。視界を横へ動かすと“ろうかは静かに、走らない”と書かれたポスターが貼られている。その情報を脳内で処理し、秀貴はつぐみに引かれていた手を、逆に引っ張った。
つぐみが目をぱちくりさせて、秀貴を振り返る。
「ろうかは走るなって、書いてあるだろ」
壁のポスターを指差せば、つぐみは驚いたようにもう一度ぱちりと瞬きをした。
そして、
「お前、真面目だよなぁー……」
心底感心している様子で、呟いた。
「今のはつぐみが悪いよ。廊下は走らない。校内は僕が案内するから、つぐみはちゃんと学生してなきゃダメだよ」
兄に諫められ、つぐみは小鳥のように口を尖らせて、はーい、と返事をすると、自分の教室へ入っていった。
ほどなくしてチャイムが授業開始を報せ、保護者たちが教室内の後ろの壁に沿って整列している。母親らしき女性たちの姿が目立つ中、竜真と秀貴は廊下に面した窓から中の様子を眺めることにした。
二年生の教室はよっつ並んでいるのだが、つぐみと彩花は二年連続で同じクラスだ。
「彩花ちゃんがお父さんに頼んで、同じクラスにしてもらってるみたいなんだ」
竜真がこっそり、秀貴に耳打ちする。
参観する教科は数学だ。ひょろっこい、頬のこけた男性教師が黒板にチョークで数式を書いている。お世辞にも美しい字ではないが、生徒たちはそれをノートに書き写す。ミミズがのたくったような走り書きだが、生徒たちは鉛筆を止めない。
彩花は背筋を伸ばして、教師の言葉を聞いている。
つぐみは鉛筆を転がして、ノートに何か書いていた。一度注意をされるも、つぐみは笑っているだけで真面目に授業を受けているようには見えない。
それでも、他の生徒の邪魔をしているわけではないので、そのまま授業は続く。
教師に問題を当てられれば、きちんと答えている。指名されて問いに答える様は、その瞬間だけ優等生に見えた。




