30.竜真の仲間たち
七三眼鏡を押し退けてやって来たのは、身長が低めで金髪の男だ。天然のものとは似ても似つかない、傷んだ髪。根元から十センチほどは綺麗な黒髪なので、金髪部分の傷み具合が際立って見えるのだろう。
「竜真さんも大分丸くなったから、秀貴君には優しーでしょー? 現役の時はホントもう、鬼も泣かせる勢いで――」
竜真の笑顔は変わらないが、背後に黒い何かが見えるような、見えないような……。
金髪男は七三眼鏡に「お前は余計な事しか言わないな!」と叱られている。
「ううん。でもまぁ、皆に『お願い』する時とかは、つい現役時代の口調に戻っちゃうよね」
竜真はいつもの調子で朗らかに笑った。
金髪が「お願いじゃなくて命令だよな!」と笑って言ったのだが、また七三眼鏡に諫められている。
「誤解されると困るから言っとくけど、竜真さんに『お願い』されて嫌がる奴なんて、ウチの仲間にゃ居ねぇかんな!」
「竜真さんは我々にとって、神のような存在ですからね!」
金髪と七三眼鏡が、交互に「あれがすごかった」「これもすごかった」と竜真の武勇伝らしきエピソードを、競うように言い連ねている。
秀貴はその声を聞きながら「実際に神様を連れてるもんな」と胸中で呟いた。
「しっかし、今回のはなかなか難題だったな」
とは金髪男。
「確かに。骨が折れました」
とは七三眼鏡。
秀貴はこの家の解体のことだろうかと思って聞いていたのだが……。
「ここのおっちゃんが売りさばいたお札? 文字か図形かよく分かんねーけど、筆で書かれてるヤツ。全部回収してくれって言うもんだから、オレら血眼よ」
「え……」
金髪男の言葉に、秀貴は耳を疑った。
竜真を見れば「言っちゃった」と眉を下げている。
「竜真さん、どーいう……」
「いやぁ……だって、ほら。秀貴君、ウチに来た時ボロボロだったでしょ? 調べたら、こんなトコに居たって分かって。更に調べてみたら、君の伯父さんが年始に大量にお札を売り捌いてたっていうのが分かったからさ」
わけがわからない。
だからといって何故、そんな労力を割いてまで回収したのか。秀貴には、ちんぷんかんぷんだ。
すると竜真が、以前火事になった中華料理屋を燃やしたのが秀貴の伯父であった事を明かした。竜真の口からは語られなかったが、火事の原因が秀貴の作った符であることが予想できる。
「無理矢理作らされていたなら、回収して燃やしちゃおうかなーって。六合に視てもらったら、何か効果がヤバそうだって言ってたし。もう効力のないものや、お札自体が消滅したものは仕方がないけど。あるだけ掻き集めて、つぐみに燃やしてもらったよ」
秀貴はぽかんと口を開けて、何か言おうとしたが、上手く声に出せず「あ」とか「う」とか繰り返して、やっと人の言葉を声に乗せた。
「あ……ありがとう……ございます」
「うん。『ございます』は余計だけど。どういたしましてー」
竜真がいつもの調子で軽く笑うので、秀貴も事を重く受け止めず、頷いた。
御札回収のために竜真が五百万円の借金を抱えたことを秀貴が知るのは、もう少し先になる。
「疲れたねぇ。秀貴君はゆっくり休んで――」
「いや、俺は大丈夫だから、買い物行ってくる」
藤原家に帰ったふたり。
竜真に温かい緑茶を出し終えた秀貴は、買い物カゴを掲げて見せた。そう。秀貴の“はじめてのおつかい”はまだ終わっていない。
「今日のご飯は何かな?」
「夜はハンバーグの予定だ」
「それは楽しみだねぇ」
竜真はいつも通り、にこにこ笑って秀貴を見送った。
今の秀貴は、やる気に満ちていた。二度もチャンスがあったというのに、ひとりで買い物が今だ完遂できていないのだ。今日こそはと、商店街へ向かう。
自然と、カゴを握る手に力がこもった。
ひき肉があるからハンバーグ。確か、中には刻んだ玉ねぎを入れるはずだ。人参を入れても良いだろう。味付けはソースだろうか。また精肉店で訊いてみよう。と、秀貴は考えを巡らせる。
ハンバーグについて聞き、ソースを作るための材料を無事購入。あとは玉ねぎと、食後用に果物でも買って帰ろうか、というところで、後ろから声を掛けられた。
「秀貴さん! お買い物ですかい!? オレ、荷物持ちますよ!」
いとも容易く、買い物カゴが連れ去られてしまった。誘拐犯を見上げてみれば、竜真の仲間のひとり。パンチパーマの男がにかっと笑って、カゴを持ち上げている。
「オレん家、すぐそこの理髪店なんすよ」
高校出てからはオレも手伝ってて――と話してくれているが、秀貴はそれどころではない。またしても、はじめてのおつかいが失敗に終わったのだ。
パンチは楽しそうに並行し歩いているが、あと少しのところで……と、秀貴は胸中で苦虫を噛んだ。
(あれ? でも何で、竜真さんは俺の髪を切る時にこの人の家へ行かなかったんだ?)
ちょっとした疑問が生まれた。肩まであった秀貴の髪を襟足の長さで切ったのは、竜真だ。
それもすぐに解消する。
「オレん家、パンチパーマと角刈り専門なんで、他の皆もなかなか来てくれないんすけどね」
少々哀愁を漂わせているパンチ。しかし、秀貴はかける言葉が浮かばず、無言でいるしかなかった。
結局、パンチと共に野菜や果物を買い、更に家まで送り届けられてしまった。道中、高校生活についてあれこれ聞けたのは大きな収穫だったが、残念な気持ちも拭えない。
玄関前で去って行くパンチを手を振って見送った秀貴は、玄関の戸に手を掛けたまま動けないでいた。
その扉が急に開いたので、秀貴は危うく買い物カゴを落とすところだった。慌ててカゴを握り直し、前を向く。
「た、た、竜真さ……」
「あ、やっぱり帰ってた。寒いでしょ? 入りなよ」
扉を閉めてから、竜真は小首をかしげた。
「どうしたの? 元気ないね」
「失敗した」
「え?」
「ひとりで……買い物、できなかった……」
泣きそうなほど顔を歪めているものだから、竜真はカゴの中に目をやった。夕飯の材料はきちんと揃っている。
「俺が買い物をしてると、誰かしら話し掛けてきて、一緒に買い物するんだ。俺、そんなに頼りねぇかな?」
はた、と竜真が思考を一旦止め、別方向に舵を取った。
「これじゃ、つぐみに合格って言ってもらえねぇ」
竜真の頭の中で、カチリと何かが噛み合った。おおかた、つぐみに「ひとりで買い物ができたら一人前だ」とか何とか言われたのだろう。
「秀貴君って、マジメだねぇ……」
しみじみと言われ、秀貴は質問の答えではないそれに、疑問符を浮かべた。
「大丈夫、大丈夫。皆が手伝いたがるのは、何も秀貴君のことを頼りないと思っているからじゃないよ。皆、お節介なだけだから」
秀貴としては、腑に落ちない。
無意識に眉間を狭めていた。
「そんな難しい顔、しないしない。それより秀貴君。君にはまだ、マスターすべきことがあるよ」
買い物すらまだひとりでできていないのに、まだ何かあるというのか。秀貴に戦慄が走る。
「自転車だよ」
「じてんしゃ……?」
商店街でもたまに見かける。タイヤがふたつある、あの乗り物だろう。
「高校、歩いていけない距離じゃないけど、自転車には乗れた方が便利だしね。それから、シャーペンの使い方とか……。あとは君、まだ人に対して恐怖心があるから、人に慣れなきゃね。風紀委員長たるもの、人に注意する度胸も必要だよ」
「自転車、シャーペン、ふう……ん? 風紀……?」
聞き間違いだろうかと竜真を二度見する。にこにこ笑っている竜真がいる。表情からは、全く思考が読めない。
風紀……しかも、委員“長”と聞こえた気がしたが、聞き間違いだろうか。秀貴は恐くて、聞き返せないでいた。そんな秀貴の心中を察して、竜真が補足する。
「僕から理事長に言っといたから」
「えぇっと……言ったって、何を……」
「君を、風紀委員長に推薦……いや、指名しますよーってね」
軽いノリで告げられた内容の重いこと。
秀貴の理解が追い付くのに、二秒ほどかかった。言葉の意味を把握してからは、その事実を受け止めきれず、半ばパニックだ。
「は!? ちょっえっ!? な……! 俺が人前に出るの苦手なの知って……いや、そうじゃなくて! そもそも、学校すら初めてなの知ってるだろ!? 何、勝手に決めてんだよ! っていうか、それで許可が下りるものなのか!?」
「わぁ。秀貴君ってこんなに長く喋れたんだね。うんうん。いいカンジ。その調子だよ。あ、理事長と校長のハンコはもらったよ」
じゃじゃーん。と取り出されたのは、確かに立派なサインと印の入った厚紙。そして、文字が長々と書かれている下部。そこには日付と秀貴の名前と『風紀委員長に任命する』の文字が。
秀貴はもう、絶句するしかなかった。
「秀貴くんさぁ。今『学校すら初めて』って言ったよね? そうなんだよ。君“人の中で生活する”事に関して、九年以上遅れてるんだ。僕の言ってる意味、賢い君なら分かるよね? 強引にでも、人の中に居る環境を作らなきゃ、その差は埋められないよ? 学校は社会へ出るための予行演習をする場でもあるんだからさ」
いつもの温厚な笑みを消し、普段より幾分か声を低くして告げられる。
竜真はやはり、スパルタだった。そして、先に竜真が口にしたように、秀貴は真面目だった。
自分の我が儘を抑え込み、こう応えるのだ。
「わかった。俺、出来る限りやってみる」
運動も料理も力の制御も、自分の努力次第で何とかなっている。きっと、この難問も、努力で何とかなるはずだ。と、そんな秀貴が生徒たちに揉みくちゃにされて、世の中そんなに甘くないのだと思い知る未来は……きっと、そう遠くないのかもしれない。




