29.快復
秀貴は追加されたカップ麺も平らげ、全ての器を下げるため階段を下りていた。動かなければ体が軋む気がして、じっとしていられなかったのだ。
不思議なことに、気持ちは雨上がりの空気の如く澄んでいる。
多分、見た目が変わっても中身が変わっていないというのは、あの男が言った通りなのだろう。それでも、自分を受け入れてくれる人がいるのなら、それで良い。そう思えた。
そこでふと、昨夜のことを思い出した。
(そういや、なんか……人が大勢居たような……)
顔や名前は知らないが、彩花の家の者は分かる。秀貴が首をかしげているのは、納屋の外に居た人々の存在だ。
(竜真さんの知り合いっぽかったよな。っていうか、あの時は本当に、漫画の中に入ったのかと……)
連日ヤンキー漫画を読んでいた秀貴がそう錯覚するのも無理がない。それほど、絵にかいたようなヤンキー集団だった。
とん、と階段から降りると、何やら談笑する声が耳に伝わってきた。とても楽しそうで、邪魔をするのも悪いと思い、居間を通らず台所へ直行。食器類を片付けて一度部屋へ戻ろう、と階段へ向かう途中で声を掛けられた。
「秀貴さん、もう体は良いんで?」
体調は良い。だが、相手は知らぬ人物。いや、昨夜居た、リーゼントの男だ。トイレ帰りなのだろう。ハンカチで手を拭いている。
身長は竜真ほどではないにしろ、高い。恰幅がよく、声も低くて圧がすごい。
「えぇっと……はい。体調は、良いです」
思わず敬語になってしまう。
早く男と距離を取りたくて、階段へ向かおうと会釈をした時だ。
がしっと手首を掴まれた。
「ひっ!? すみません……ッ」
昨夜、何か気に障ることでもしてしまったのだろうかと、反射的に謝罪の言葉が口から飛び出した。すると、もう片方の手も痛いほど強く握られてしまう。
秀貴は、体を覆う電気の所為で、視る人によっては発光しているように視える。男は「眩しいッ!!」と叫んで一度顔を逸らしたが、懲りずにまた秀貴へと向き直った。
秀貴がどうやって逃げようかと考えを巡らせていると、男は太い眉の乗った顔を近付けて言った。
「ありがとうございます!!」
きょとん。
秀貴は男が何を言ったのか即座に理解できず、呆気にとられた。
男は目から滝のように涙をながしながら、手に力を込めた。痛い。
「オレはまだ幼い弟や妹たちのために、土木現場で日夜働いているんです! 若いからと体に鞭打って働いていたら、体が疲労でズタボロ……もう限界だって時に、竜真さんから連絡があって……」
唐突に身の上話が始まった。秀貴は話しについていけず、半ば置いてけぼりをくらっている。
しかし、男に掴まれていては逃げようもない。泣いている人を抛っておくこともできない。
「えっと……」
「それで!」
急に大きくなった声に、顔が仰け反る。
「昨夜のアレです! ビリビリーッっとして、体じゅうを電気が走ってったのかと思ったら、体がバカみたいに軽くなったんです!」
「え、ええっと……」
彼の言う『ビリビリ』というのは、秀貴が発した電気のことだろう。多分。おそらく。
何にせよ、秀貴自身はよく覚えていないので返答に困る。
「肩こり、腰痛はもちろん、硬かった体も柔らかくなって、なのに心なしか筋肉がついてるんです!」
「はぁ……」
両手をぶんぶん振られる。きっと、喜びの表現なのだろう。
リーゼントの男がひとり騒いでいると、居間から他の男たちもぞろぞろ出てきた。
大勢の人を前にすると、未だ恐怖が前に出る。秀貴が体を強張らせて身構えていると、男たちは一斉にその場に膝を突いた。
「秀貴さんのお陰で、以前痛めていた膝が良くなりました!」
「一晩で身長が五センチ伸びました!」
「ハゲが治った!」
「彼女ができました!」
様々な声が上がっている。最後の人物は、何故か周囲からタコ殴りにされているが。
「いや、俺は何もしてねぇし」
珍事に当てられ、冷静になってきた秀貴が思わず言葉をもらす。
そこへ、竜真がひょっこり現れた。
「みんな、秀貴君の電気ショックで何らかの体質改善がみられたんだってさ」
竜真の後ろから、彩花も顔を覗かせる。
「うちの者も、肩こりや腰痛が感じられないと言っていました」
「オレなんて、中学時代に野球で痛めた肩が良くなったんです! 医者にももう駄目だって言われたのに!」
これは、秀貴の手をずっと握っているリーゼントの男だ。
「おれは、テニスで痛めていた肘が」
「俺はバスケで痛めてた膝が」
と、収まらなくなりそうなので竜真がひと言。
「おい、てめぇら。恩人困らせんな」
場が一気に静まる。
竜真はにっこり笑って、
「じゃあ、秀貴君も起きたことだし、行こうか」
皆を外へ連れ出した。
因みに、つぐみと彩花は連れ立って中学校へ登校していった。
秀貴が、着替えてねぇんだけどな……。と思いつつスカジャンを羽織りながら外へ出ると、マイクロバスが停まっていた。
昨夜見た七三眼鏡が頭を下げている。
「そういえば君、秀貴君のビリビリ浴びて視力が2.0になったんじゃなかったっけ?」
「眼鏡は私のアイデンティティですよ、竜真さん」
くいっとブリッジを押し上げる男。その眼鏡にレンズはなかった。
七三眼鏡の運転で連れて来られたのは、秀貴の伯父の家だ。昨夜とは違い、今は防音シートで覆われている。
「昨日は僕がちょちょっと細工をしてたんだよ」
竜真が秀貴に言って聞かせる。竜真が発した、六合の“植物”に守られていたことによって、敷地より外への被害は無かったのだろう。周りに居た人物たちを見たところ、きっと納屋も穴があけられた場所以外は覆われていたに違いない。
現場に立つことで、記憶がより鮮明になる。
「――……で、取り壊そうと思ってね」
竜真の言葉が、他人事のように耳をすり抜けていく。秀貴は小さく頷いた。
「不動産は僕も専門外だから、彩花ちゃんの家に任せようと思うよ。あ、君が要るなら所有権を――」
「要らない」
「だよね」
竜真は肩をすくめた。
「ところで竜真さん、この人たちって……」
敷地内をせっせと片付けている男たち。つぐみが燃やした残骸も、瞬く間に片付けられていく。
竜真は、あぁ、と手をひとつ叩いた。
「まだ紹介してなかったっけ。僕の仲間たちだよ」
にっこりとざっくり紹介された。
どういった関係なのかが知りたかった秀貴は、困り顔だ。これでは、結局どういう人たちなのか分からない。
「僕、高校時代に風紀委員をしていてね」
風紀とは、生活する上で守られるべき規律のこと――だと、秀貴は記憶している。
学校における委員会は、校内行事などの運営や企画を行う、各分野を取りまとめる生徒たちで構成された組織――だと読んだことがある。それとは別に生徒会もあって、そちらは全校生徒をまとめる生徒たちなのだとも、本に教えられた。
「一応、風紀委員長をしていて、その時の風紀委員たちが、彼らなんだ」
と、母屋から物を運び出している男たちを指差した。その内のひとりが声を上げる。
「おれは一年の時、不良グループにカモられてたところを、竜真さんに助けてもらったんだ」
秀貴の脳内に、以前、竜真に聞かされた言葉が蘇る。
『ナメられて、カモにされて、殺される』と。秀貴はハッとした。
「か……カモにされたのか!?」
「え? あ、あぁ、そう。不良グループにな」
男は少し気恥しそうに首を掻いている。
秀貴は考えた。目の前に立っている男は、どうみても人間の姿かたちをしている。鴨の要素はどこにも見当たらない。
つまり――。
「竜真さん……そんなに凄いことが出来るのか」
不良に舐められ、鴨にされたこの人物を、竜真が人の姿に戻したのだ。秀貴は、そう解釈した。
あまりに羨望の眼差しを向けられるので、竜真も「何か勘違いをしているな」とは思ったが、七三眼鏡が一歩前へ出たので言葉を引っ込めた。
「おれは、教師から陰湿なイジメを受けていたところを、竜真さんに助けてもらったんだ」
秀貴は耳を疑った。学び舎において、教師とは尊敬される存在だと思っていたからだ。そんな人物が、生徒をイジメるなどとは考えもしなかった。
「教師にも色々いるからね。自分より頭のいい生徒を妬んだり、疎ましく思う教師もままいるよ。逆に、生徒と一緒になって悪ふざけをする教師もね」
七三眼鏡はレンズのない眼鏡を押し上げると、片方の口角を上げた。
「おれは風紀委員にも籍を置きながら、生徒会長を二期も務めたんだ」
ふふん、と鼻を鳴らし、七三眼鏡は秀貴を見下ろした。明らかに嘗めている態度だ。
しかし、秀貴はただ純粋にすごいと思ったので、
「すごいですね」
と七三眼鏡を見上げた。
人前に出ると足がすくむような自分には、到底できない役割だと思う。そう。多くの人を統率する生徒会長や委員長という立場は、秀貴にとって尊敬すべき存在なのだ。




