28.露骨
肩にある重みが幾分増したことで、秀貴が眠ったのだと気付いた彩花は、そのまま秀貴を抱え上げた。幸いなのは、お姫様抱っこをされていると本人が知らない事だろう。
「疲れきってる秀貴君に精神攻撃はよくないなぁ、彩花ちゃん」
秋の忘れ草に含まれるオキシピタニンを使い秀貴を眠らせた人物が、やれやれと肩をすくめている。
「心外です。わたしには、そんなつもり毛頭ありません」
「君はダイヤモンドみたいに硬い精神をしてるけど、秀貴君は飴細工みたいだからね?」
彩花の言葉はないものとし、竜真が秀貴の頬をつついた。
「春江……」
小さく零れた名を聞いた彩花の手から、力が抜けた。当然、秀貴の体もするりと……。
「わっ! ちょ、彩花ちゃん!?」
間一髪、竜真がそこらに生えている短い雑草を咄嗟に伸ばしたお陰で、秀貴は地面との衝突を免れた。
「どなたですか!」
彩花が叫ぶ。
「秀貴さんは確か、旧名家のご子息……まさか、許嫁ですか!?」
「え?」
両手で顔を覆って体をわなわなと震わせ、彩花は絶望的な声を発している。
「お前、最近秀貴の事調べたっつーわりにゃ知らねーんだな。『はるえ』は秀貴ん家の女中で、養母みてーな人だよ」
納屋の存在が不快だからと燃やしていた、つぐみが合流。そして、藤原兄妹は――薄々気づいてはいたが――今の彩花の反応を見て確信した。
“彩花は秀貴にほの字だな”と。
今はまだ突いて囃し立てるほどではないが、彩花がもっと露骨に表へ出すようになれば、からかってやろう。と、つぐみはこっそり思った。
◇◆◇◆
目を覚ますと、そこは布団の中だった。
窓から差し込む明かりは白く、太陽がもう高い位置にいることがわかる。
秀貴はガバッと上体を跳ね上げた。間違いなく、自分が借りている部屋だ。
枕元にある、傷だらけの髪飾りが光を反射してキラキラと輝いている。冷たいような、温かいような輝きを見て、脳が刺されたように痛んだ。
頭の中にある記憶を順に追っていくと、心臓もそれに比例するように次第に音を大きくした。
髪飾りを手に取ると、触れた感覚がないほど冷えていた。
「春江!」
跳ね起きて、布団から脱しようとした時だ。ノックもなく、ガチャッとドアが開き、お盆を持った竜真が入ってきた。
「あ、起きてたんだ。ノックしなくてごめんね。よく眠れた?」
畳の上に置かれたお盆には、白米やたくあん、味噌汁とお茶が載っている。
竜真は、立ち上がりかけている秀貴の肩に手を添えると、そのまま押さえ込み、座らせ、腰まで布団を掛け直した。
しかし、秀貴の焦りまでは抑え込めなかったようだ。
「竜真さん、あの、春――」
今にも泣き出しそうな顔に人差し指を添え、竜真はにっこり微笑んだ。どこか相手に有無を言わせぬ圧を感じ、秀貴はそのまま口を結ぶ。
「春江さんの葬儀は明日行う」
告げられた内容に、秀貴は一瞬驚きを表情に出した。ひと言、噛み締めるように「そうですか」と呻く。
竜真は何も言わず、手首に通された腕珠に触れる。数か所ヒビが入ってはいるが、通常通り作用しているようだ。その事に竜真が安堵していると、秀貴が水滴を落とすように、言葉を零した。
「十五年」
それは、彼が生きてきた年数。
「僕と毎日話してくれた、唯一の人でした」
口調が戻っているのは、まだ夢から脱しきれていないからだろうか。
(多分、生家に居た頃の夢をみてたんだろうなぁ)
竜真は若草色の数珠に触れたまま、紡がれる言葉に耳を傾けた。
「父とも年に一度、数分の間しか顔を合わせることのなかった僕に、生きろと声を掛けてくれた、唯一の人……だったんです」
調べてある程度は知ってはいたが、竜真が思っていた以上に、彼が置かれていた環境は孤独だったらしい。
身につまされ、かける言葉を言い淀んでいると、秀貴はぽつりぽつりと声を揺らして続けた。
「だから、今、どうしていいか、わからなくて……僕が、世界にとって『害悪でしかない』のなら、生きている意味なんてどこにも――」
「しゃらくせぇぇええ!!」
わざと開けっ広げられていた入り口から、金色の毛玉が飛び込んできた。
真冬だというのに、大きなヒマワリを連想させる少女の回し蹴りは、秀貴の後頭部にクリーンヒットした。
竜真も「それ、下手したら死んじゃうヤツ!」とギョッとしている。
そんな事には構わず、つぐみは秀貴の胸ぐらを掴み、前後に揺らしている。
「辛気臭ぇ顔してじゃねぇ!!」
「いや、秀貴君死んじゃうよ?」
「うるせぇ!!」
「……はい」
一喝され、竜真はふぅとため息をひとつ。白飯から立ち昇る湯気が儚く消えていく様子を横目で見て、こっそりお盆を布団から遠ざけた。
「秀貴ぁ! お前が死んだら悲しむ奴が居ることを忘れんじゃねーぞ!」
竜真は思った「だから、今、つぐみが秀貴君を死なせるところだったんだよ」と。
しかし、つぐみの叫びが届いたのか、数秒意識を手放していたらしい秀貴の目の焦点が合った。
「な、何だよつぐみ。何か今、除夜の鐘か銅鑼かって音が頭ん中でグワングワン言って……」
「生きろー!」
「だから……って、何でお前泣いてんだよ。情緒不安定か? ツキノモノってやつか?」
狼狽える秀貴に、つぐみは半眼で指先を突き付けた。
「てめぇ、それ、他の女に言ったら問答無用で引っ叩かれるぞ」
「え、わ、悪い。そんなに無礼な事だったのか」
「ブレイっつーか、デリカシーがねぇっつーか……ま、あたしにゃカンケ―ねー話題だけどな」
「マンガで得た知識を意味も分からず使うと痛い目みるよー」
竜真も加わる。
「因みに『月のもの』は月経……生理の事だね」
そう言われて、初めて理解した。秀貴も今まで読んできた“保健体育の教科書”で学んだ事がある。
「人によってはひどい痛みを伴うって、読んだことあるな」
「そ。だから卑下したりからかうような言い方をしちゃダメだよ」
竜真に諭され、秀貴はこくりと頷いた。
「今後は気を付ける」
はっきりとした会話が出来ていることで安心していた竜真だが、数珠に視線をやってから秀貴に訊ねた。
「昨夜の事、どれくらい覚えてる?」
つぐみが少しばかり驚いた顔を竜真に見せ、ぎこちない表情筋のまま秀貴に向き直った。が、当の秀貴はケロッとしている。
「ええっと、伯父さんに連れて行かれて、納屋に繋がれて、春江の髪留めを渡されて、春江が死んだって言われて……んで、そっからよく覚えてねーんだけど……あ、つぐみと竜真さんと彩花が来てくれた事は覚えてるぞ」
目の前が急に金色になって――と、記憶を辿っている秀貴に、つぐみが「いやぁー、黄金に輝く天使が舞い降りただなんて、照れるな」と頭を掻いている。
そんなこと一ミリも言ってないと思うけど。という竜真のツッコミは、華麗にスルーされた。
「夢……だと思うけど、春江に言われたんだ。『坊ちゃまは何があろうと生きてくださいませ』って」
竜真とつぐみは心の中で『死のうとするな』って釘を刺されてるな。と、秀貴の性格を熟知している春江に脱帽した。
死者の言葉は時に重くのしかかり、生者を潰そうとするものだ。言葉に蝕まれて心を壊す者も居るだろう。
「でも、不思議なんだよな。そこで一旦夢から覚めた気がすんだけど、次の場面に切り替わったと思ったら、春江じゃなくてつぐみが俺の耳元ででっかい鐘をガンガン鳴らしてて…………何なんだろうな」
幸か不幸か、つぐみが春江の言葉の重みを蹴り飛ばしたらしい。
「まぁ、秀貴君が無事でひとまず安心したよ」
ほっと胸を撫でる竜真の耳に、きゅうぅ、と腹の虫の声が届いた。
「あー……なんか、すげー腹へってる……」
今更空腹に気付いて手を置いた腹の奥から、返事でもするように、ぐうぅぅぅ、と音が続く。
「自覚した途端、めっちゃ鳴ってんじゃねーか。腹で『カエルの合唱』演奏してみろよ!」
つぐみが指を差し、ケタケタ笑う。
「そりゃ、あれだけ電気と電磁波放出したらお腹もすくよね。と、いうわけで、コレ」
すっと前に出されたのは、もう湯気が消え失せた朝食。
「ごめんね。冷めちゃった。でも、そんなにお腹がすいてるなら、これからカップ麺も作って来るから。取り敢えず、それを食べててくれるかな」
秀貴としては、空腹は最高の調味料なので全く気にならない。
お盆を太ももに乗せて、手を合わせる。
人肌まで冷めた味噌汁だが、飲み込むと体にしみた。




