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22.失敗

 




「だから、アンタの力を借りたいんだ」


 寒さによる乾燥の所為なのか、その声は微かに震えていた。焦っているのか、悲しんでいるのか、怒っているのか――感情は定かではないが、頭を下げる男の声は低かった。

 暗がりで男が唸る。返事は、大きな溜め息。


「何の話かと思えば……自力で得た権力でないなら、当然の報いだろう」


 更に低く響く声に、震える声が対峙する。


「アンタのだって、自分の力じゃないだろう」


 小さく開かれた口から発せられた言葉は、当人も驚くほど部屋に反響した。

 怒りを買うかと身構えた男に浴びせられたのは、怒声ではなく豪快な笑い声だ。


「そうだな、間違ってはいない。気が変わった。少し協力してやろう。お前の話、五百万で引き受けてやる。後の利益を考えれば、安いものだろう?」


 男は少々間を置いたものの、「恩に着る」と頭を深々と下げた。




◇◆◇◆




「おっせーよ秀貴ぁ! 早く麻婆豆腐食わせろ!!」


 家へ帰ると、予想通りの反応が出迎えてくれた。

 頭から湯気を出して、顔を麻婆色にしているつぐみ。秀貴の後ろから彩花がひょっこり顔を出すと、吊り上げていた眉をゆるやかな曲線へと戻した。


「彩花ぁ! 遅いから心配してたんだぜ!」

「ごめんなさい。家の者がうるさくて……。でも、秀貴さんが助けてくれたの。それで、一緒にお買い物をしてきたのよ」


 彩花の手には、買い物カゴが提げてある。

 つぐみのくりっとしている目が、じとっとした目へと変わった。


「秀貴、お前“はじめてのおつかい”失敗だな。彩花に手伝ってもらってんじゃねーか!」

「えっ、でも、つぐみちゃん、わたしがご一緒したいってお願いして――」

「夕方も行ってこい!」


 彩花の弁明を遮り、つぐみは高らかに宣言した。

 秀貴はというと「まぁ、別に構わねーけど」と返事をして、彩花からカゴを受け取り、台所へと向かった。

 唐揚げ用の鶏もも肉をタレに付け込んでいる間に、公子から教わったレシピ通りに麻婆豆腐を作っていく。つぐみのリクエスト通り、辛味の強いものだ。真っ赤な中にある白い豆腐が良いコントラストを生んでいる。

 唐揚げも油で揚げたところで、野菜が少ないことに気付いた。少し考え、冷蔵庫を見たが何もないので、長ネギの残りを使って卵スープを付け足し、昼食が完成した。

 白飯はつぐみが炊飯器で適当に炊いてくれているので、問題ない。

 秀貴が「出来たぞ」と声を出そうというタイミングで、竜真が仕事から帰ってきた。


「わあ! すごいね、秀貴君! 麻婆豆腐作ったの!?」


 すごい、すごい、おいしそう! と目を輝かせて褒められるので、秀貴はどう答えていいか分からず「公子さんに教えてもらった」と報告しながら、大皿に料理を移していく。

 竜真はそれを持って食卓へ。彩花ちゃん、いらっしゃーい。お邪魔しています。と挨拶を交わす声が台所まで聞こえてきた。

 つい数週間前まで、人と食事を共にするなど考えもしなかったのに、今では何人もと食卓を囲んでいる。

 それがふと、現実ではないのかもしれないと不安に駆られる瞬間がある。もしかしたら……これは現実によく似た夢で、目が覚めたら暗い納屋に首輪で繋がれ、ひとりきりなのかもしれない。


(だったら、一生目が覚めなければいいのに)


 眼から零れた水滴がスープをぽちゃんと鳴らした。その音がひどく情けなく思え、秀貴は目を伏せた。

 スープの入った器を台に置くと同時に、人の気配を身近に感じ――振り返ろうとしたら、後ろからすっぽり抱きしめられた。


「ひっ!? え、あ、た、竜真さん!? 急に、な、な……」

「そんなに嫌がられると、お兄ちゃんかなしーなー」


 言いながら、拘束を解く気配はない。


「い、嫌、じゃない……けど、急に、な、何……」


 一方、人とこんなに密着したことのない秀貴は、パニック状態だ。


「秀貴君って、泣き虫さんだよね。何か嫌なこととかあったら言いなよ? 家族なんだからさ」


 竜真の顎が肩に乗り、顔を覗き込まれて更に心臓が跳ねる。

 秀貴が硬直して動けないでいるところに、バタバタとつぐみがやって来た。姿を現したと同時にふたりを指差して、反対の手で彩花を招く。


「彩花、来てみろよ! 兄貴が秀貴にエロい事してんぜ!」

「心外だな。抱きついてるだけだよ。ちょっとピリピリするけど、(クセ)になりそう」


 風もないのに、竜真の髪はふわふわと無重力を思わせる動きをしている。


「秀貴泣いてんじゃねーか! やめてやれよ!」

「いや、だから違――」

「竜真さんの不潔……!」


 カシャッカリカリカリカリ。

 少し遅れて現れた彩花の手には、インスタントカメラが握られている。フィルムを巻いてはシャッターを押すので、残量がどんどん減っていく。

 そんな中、未だに動けずにいる秀貴が、首だけ竜真へ向けた。つぐみが言う通り、涙の痕が赤い。顔も赤い。


「竜真さん『えろいこと』って何だ? 遊びの名前か? 人に抱きつく遊びは、俺にはまだ――」

「あっはっはっはっ!」


 盛大に笑われた秀貴が、目をぱちくりさせる。ついでに、腰にあった竜真の腕も離れた。


「ごめん、ごめん。そういえば君、『世間知らずの不束者』だったね。君に貸してた漫画に、そういう話題もあったと思うけど……はははっ。いけない、いけない。僕ってば秀貴君の純情を汚すトコだったね」


 あまりに笑われるので、秀貴は自分が何か気に障ることを言ったのかと思い、首を横に振った。


「よく分かんねーけど、俺、竜真さんに抱かれるの気持ちよかったから……そんなに謝らなくても良――」

「はははははっ秀貴君、ソレ、言い方! アウトなヤツだよ!」


 余計に笑われ、秀貴はパニック再び。


「え? え? だって、俺、母親や父親にも、誰にも、こんなふうに抱かれたことねぇから……えっと……」


 空気が凍ったかのように静止し、場に取り残された秀貴だけが三人を見回した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 証拠写真……、じゃなくて記憶とともに記録として残されている!(笑)
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