21.彩花の家柄
迫りくる他の男たちも同様に倒していく。少々痙攣をしてはいるが、男たちの命に別状はない事を目視で確認し、胸を撫で下ろしたのも束の間。先刻、彩花と対峙していた大男が近付いてくる。見上げなければならないほど大きい。竜真と並ぶかもしれない。
それは近付くにつれ実感として表れ、男の動作に対する反応が少し遅れてしまった。
気付いた時には、大男の拳が左側から飛んできていた。反射的に目をきつく瞑ってしまう。
拳が、左頬に当たるかどうかという瞬間――バチンッ。
また、弾けるような音がした。二秒ほどの間を置き、バダンッと大きな音を立てて男が倒れた。
秀貴が恐る恐る目を開けると、そこには……陸に打ち上げられた魚のように、体を大きく痙攣させている男の姿があった。
「ひッ!?」
あまりの光景に、声が引き攣る。
大男が路上でビチビチしているのだ。それはそれは、ショッキングだった。
秀貴は、はっと我に返り、周りを見回すと、急いで数珠を元に戻した。彩花の手を引き、その場を走り去る。
商店街の大きな通りまで走りぬけ、手の先に抵抗を感じて、秀貴は立ち止まり振り向いた。
彩花が足を止めている。
秀貴は自分が握っていた、細く白い手首から慌てて手を離す。
「わ、悪い……急に……」
どう言葉にするべきか考え、俯き、そのまま頭を下げた。
「……すみません……えっと、夢中で……あの、怪我とか……ないですか?」
顔を上げると、目をぱちくりさせている彩花が居た。黒目がちな瞳が見開かれる。
「もしかして、秀貴さん……ですか?」
今度は秀貴が目をしばたたせた。まさか、気付かれていないとは思っていなかった。
数日会わなかっただけで忘れられてしまっていたのかと、傷心してしまう。
「あ、わたしったら……人違いですよね、すみません」
「いえ……秀貴で……間違いない、です……」
彩花が声を上げかけるも、すぐに口に手を当てて叫び声をこらえている様子。
そんなに見た目が変わったのだろうかと、秀貴は首を捻る。
この一週間程度で、身長が五センチ伸び、体重は十キロ増えた。商店街の皆は毎日会っているから驚きは小さいものだが、数日ぶりに会えば彩花のような反応になるのかもしれない。
とはいえ、藤原家には全身が映るような鏡もないので、秀貴は今の自分が他人からどう見えているのか、まだ知らない。
「えぇっと……彩花さん?」
名を呼ばれ、ぼうっと秀貴の事を見ていた彩花の体が、叩かれたように跳ねた。かと思うと、秀貴を真っ直ぐ見据えて、
「彩花です」
こう言った。
秀貴の頭上にはクエスチョンマークが出現する。
今そう呼んだよな? と。
「つぐみちゃんの事を『つぐみ』と呼んでいるのでしたら、わたしの事も『彩花』と呼んでください」
「う、ん? 何かよく分かんねーけど、そういう頼みなら……。で、彩花はウチに行くんだよな?」
敢えて、男たちの事については訊かない。よその家の事情に深入りしたところで、迷惑になるだけだ。
彩花は大きく頷いたが、秀貴の手にあるカゴを一瞥し、微笑んだ。
「秀貴さんはお買い物の途中ですよね? わたしもご一緒して、よろしいですか?」
これ以上ひとりで歩かせるのも不安なので、秀貴は快諾した。
「あぁ。でもあと、豆板醤と甜麺醤と鶏ガラスープの素と、長ネギを買わなきゃならねーんだ。つぐみと遊ぶ時間が減るけど、大丈夫か? なんなら、一度家に帰って――」
「つぐみちゃんとの時間はもちろん大切です。けれど、わたしは今、秀貴さんともっとお話がしたいです」
撫子のように可憐な少女に微笑を添えて懇願されれば、断る男はそうそう居ないだろう。
嫌われていると思っていたけど、良かった。秀貴は単純にそう思い、彩花と共に再び商店街を歩き始めた。
森ストア。スーパーマーケットより小さく、コンビニエンスストアよりも営業時間が短い小売店だ。以前、竜真と行ったスーパーはまだ先にあるので、調味料などはここで買う。
「わたし、男性とふたりきりでお店へ来るの、初めてです」
彩花は、冷えた所為か頬を紅潮させて言った。肌が白いので、赤が良く目立つ。鼻の頭も少し赤い。足元は足袋に厚底の下駄。服装は藤色の着物。首には白いマフラーといういで立ちだ。
秀貴は自分が着物を着て育ってきたし、春江も着物だったので初めて彩花に会った時は不思議に思わなかったが、一週間ほどここで生活して、着物を着ている人物には彩花以外出会っていない。自分も、今は竜真のお下がりのスカジャンを着ている。先日買った服が早々にサイズアウトしてしまった所為もあるが……正直、着物よりも暖かくて快適だ。
「彩花は何で着物を着てるんだ?」
「母が日常的に着物を着ているんです。その立ち姿を見ていると、わたしも着たくなって……少し寒いですし、夏は暑いですけどね」
彩花ははにかんだ。
実際、色白で綺麗な黒髪の彩花は着物がよく似合う。まるで、日本人形のようだ。
黒いポンチョの下にある着物。足元の濃い色から、首元に近付くにつれて白くなるグラデーションが鮮やかであり、落ち着いてもいる。そこから浮き出るように藤の花が描かれている。藤の花柄といえば春から初夏に着るのが定番だが、冬に着ていても文句のつけようがないくらいには似合っている。
そんな彩花と金髪頭の秀貴が並んで歩いていると、嫌でも目立つ。
先刻まで自分に向けられていたものより、今の方がもっと視線が痛い。彩花は全く気にしていなさそうだが。
好奇の視線を全身でひしひしと感じながら、秀貴は森ストアへとやって来た。
近所にスーパーマーケットが出来てからというもの、客足が遠退いてしまっている店。それでも、昔ながらの客はここを利用することが多い。
「さ、槐のお嬢さん! 今日はどんなご用件で!?」
血相を変えて飛んで来たのは、店長だ。
彩花の苗字を知らない秀貴は、彩花の事を言っているのだと気付くのに少し時間を要した。
「お構いなく。今日は秀貴さんのお買い物について来ただけです。豆板醤と甜麺醤と鶏がらスープの素をください。秀貴さん、他に必要なものはありますか?」
彩花に質問されたが、長ネギはなさそうなので首を横に振った。それを確認した彩花が店長へ向き直る。
「以上です」
彩花がにっこり笑うと、店長は店内を忙しく動き回って、所望のものをかき集めてきた。滞りなく会計を済ませ、商品の入ったレジ袋を受け取る。
そのまま、すぐ近くの八百屋で長ネギを購入し、帰路につく。
「彩花は大きな家のご息女か何かなのか?」
「そういえば、まだご存じなかったんですね。わたしの家は、極道をしています」
サラッと告げられたお家事情。しかし、秀貴は極道がどういうものなのか、よく分かっていない。
「へぇ……?」
と気の抜けた反応をすると、彩花は着物の袖で口元を隠すようにして笑い始めた。
「ふふふ。そんな反応をしたの、つぐみちゃん以来です。秀貴さんは面白い方ですね」
細い肩が揺れるのを、秀貴は首をかしげて眺めた。何故笑われるのかが分からない。
そんな秀貴の様子に彩花はもう少しだけ笑って、奪うように買い物カゴを抜き取った。
まさか取られるとは思っていなかった秀貴は驚きを見せる。しかも、袋に入っている物よりカゴに入っている物のほうが重いのだ。それを、彩花の細い人差し指が持ち上げている。
「ふふ。わたし、人よりすこーし力持ちなんです。こちらのカゴ、お家までお持ちしますね」
微笑む彩花を眺めながら、秀貴は内心、胸を撫で下ろしていた。
(世の中には色んな人が居るんだな。俺の体質って、結構普通なのかもしんねーな)
ずっと家の中に閉じ籠っていたら、知らないまま死んでいたかもしれない。そんな事を考えていると、ふと脳裏に空腹で不機嫌なつぐみの顔が浮かんだ。
僅かに軽くなった気持ちと、随分軽くなった荷物を持って、秀貴は家路を急いだ。




