20.路地裏での再会
「マーボードウフって、どうやって作れば良いんだ?」
秀貴は今、はじめてのおつかいの真っ最中だ。ミッションは順調に進んでいる。
ここへ来る前は商店街の一番端にある豆腐屋で、豆腐を買った。ただ、そこで店番をしているのは、かなり高齢の女性だ。あまり時間を取らせては悪いので、麻婆豆腐にはどの豆腐を使えばいいのかだけ訊いて、次へ進んだ。
次に訪れたのは、ここ。精肉店だ。ここの奥さんに麻婆豆腐の材料と作り方を教わった。鶏もも肉を500グラムと牛豚の合い挽き肉を300グラム頼んでいると、肉屋の店主もひょっこりと顔を出してきた。
「秀ちゃん、今日はひとりかい? 珍しいな。母さん、鶏肉200グラムおまけしてやれよ」
「もうしてるよ」
奥さんが言うので袋の中身を見てみれば、すごい量の鶏もも肉が入っていた。
どうりで重いわけだと納得すると共に、恐縮してしまう。
「こんなに沢山……良いのか?」
「ははははは! 秀ちゃんは悪ぶってても、まだまだお坊ちゃんらしさが抜けねぇな!」
店主に笑われた。
「ちょっとアンタ! 秀ちゃんが高校デビューしようとしてるのに、笑っちゃ悪いよ!」
奥さんが亭主の背中をバチンと叩く。
高校デビュー? と、聞き慣れない単語に秀貴は疑問符を浮かべた。
「俺、学校って行ったことねぇから……竜真さんに『今までの喋り方じゃダメだ』って言われて、すげー練習したんだけど……何かおかしいか?」
肉屋の夫婦はお互い顔を見合わせると、少しして笑い始めた。何故笑われるのか分からず、秀貴はフリーズしている。
「いやぁ、笑ってゴメンね。いっぱい練習したんだねぇ。うん。おばちゃんは今の秀ちゃんの喋り方、好きだよ」
「初めて会った時は他人行事でよそよそしかったけどな。今の秀ちゃんなら、学校でナメられることもねーだろ!」
第三者からはどう思われているのか気になっていた秀貴は、ふたりの言葉を聞いて安堵した。
「そうか、良かった。公子さん、レシピとおまけ、ありがとう」
満面の笑みを向けられ、奥さん――公子が赤面してよろめき、そのまま旦那に支えられる形で倒れ込んだ。が、秀貴はすでに次の店へ足を向けていた。
「竜ちゃんも小さい時は天使みたいに可愛かったけど、秀ちゃんはまた違ったテイストで良いわぁ」
旦那に支えられたまま、公子が目をハートにしてそんな事を言ったとか……どうとか。
あとは長ネギや、家にない調味料を買うだけだ。メモを確認していた秀貴の耳に、聞き覚えのある可愛らしい声が届いた。鈴を転がしたような声。それと、しゃがれた低い声。低い声は、他にも何種類か聞こえる。
言い合いは、店と店との間にある路地からしているようだ。
店のゴミ捨て場として使われているそこに、黒髪の少女を取り囲むように、恰幅のいい男たちが立っている。
「わたしはただ、お友達のお家へ遊びに行くだけです。何故それを妨げるのですか」
可憐な中に、凛とした気概を感じる声。つぐみの友人――
「彩花……さん?」
初対面で彼女に睨まれて、まだ日が浅い。それから顔を合わせたことはなかったが、少しばかり苦手意識があった。
だが、この状況を見過ごすことも出来ない。そう思い、一歩踏み出そうとした時だ。低い呻き声が聞こえたかと思うと、ひとりの男がその場に蹲った。その向こうでは、シルクのような黒髪を靡かせた着物姿の少女が立って居る。
秀貴が見たのは、彩花が右の拳を引くところだった。
「貴方たちが力ずくで来るというのなら、わたしも同じように迎えるまでです。出来れば、先に家へ帰っていてほしいのですが」
彼女は自分よりも頭ひとつ分以上背の高い男たちに向かって、そう警告した。
奥の陰に控えていた男がひとり、前へ出た。
長身の男たちの中でも、ひと際大きな体躯をしている。サングラスに隠れていて表情は窺えないが、体の幅は彩花の倍ほどある。
その男は、他の男たちとは明らかに違う雰囲気を纏っていた。そして、他の男たちは一歩、また一歩と下がり、ふたりからある程度の距離を取った。
彩花の顔に、驚きがありありと浮かぶ。
「貴方は……」
彩花の口が言葉を紡ぎかけた時だ。
バチンッ。
柏手のような音がした。
大きな男が、ゆっくりと後ろを振り返る。周りに居る男たちも、一斉に路地の入口に目を向けた。
少し遅れて、彩花とも目が合った。元々丸い目を更に丸くしている。
「あんた達、彩花さんの家の人か? 理由はどうあれ、女の子に寄ってたかって暴力をふるうのは、良くねぇんじゃねーかな……」
一度に大勢を前にして心臓が早鐘を打ったが、何とか言い切った。外した片方の数珠を持っている手が、僅かに震える。
依然として彩花はきょとん顔だ。そんな彼女の視線を遮る形で、大男が近付いてくる。
「派手な頭の兄ちゃん、これはウチの問題だ。首を突っ込むな」
「……彼女が“友達の家”へ無事に多辿り着くのを見届けるまでは、無理だな」
秀貴も、買い物カゴを持ったまま引かない。自分でも驚くほど落ち着いていると思う。以前の自分なら、見下ろされただけで言葉を失くして委縮してしまっていただろう。
(つぐみと竜真さんのお陰だな)
この数日で、今までの人生分は喋ったかもしれない。それだけの事なのに、その経験は確かに自分の中で生きている。
ただ、言葉は出てきたが“この後どうするか”は考えていなかった。体が勝手に動いてしまっていたので、男たちをどうするかなど、頭にないのだ。
大分、力の制御が出来るようになったとはいえ、それは化け物のようなふたりを相手にしていたからであって、“普通の人間”を相手にする事には抵抗がある。
しかし、そんな考えとは裏腹に、下っ端らしき男がひとり、秀貴に飛び掛かってきた。それをひょいと躱すも、他の男たちも続く。
秀貴は相手に触れないように手を伸ばし、半ば祈るような気持ちで、磁気ではなく電気を発した。それはさしずめ、強力なスタンガン。
男は呆気なく、その場に倒れた。




