19.仕事の成果と確実性
五日前、竜真に頼まれて秀貴が作った“恋愛成就の符”。
秀貴自身、その事を忘れていたわけではないが、特に何も言われなかったので放置していた。
竜真が符を渡したのは、女子大生のはずだ。つぐみも興味があるのか、ちゃっかり居座っている。
「例のお札、やっぱり効果があったみたいでね。次は一か月のやつをお願いするよ」
「スゲーじゃん! 良かったな、秀貴!」
つぐみは喜んだが、秀貴は落ち着きがない。どうしたのかと竜真が訊ねると、具体的にどのような効果があったのか知りたいのだと言う。今まで自分の符が使われているところをろくに見たことがないので、気になるのだ。
「そうだね、僕が聞いた話だと……相手が大学の講義で近くに座ってきたり、自動販売機でバッタリ出くわしたり、好きな飲み物が偶然同じで話すようになったって。あと、大学の外でも喫茶店でバイトしてたら会ったって言ってたね。そんな感じで、三日間はよく出会えて話せてたらしいよ」
三日。符の効果があった期間だ。予定通りの効果に、秀貴はひとまず安堵した。
「で、お札の効果がなくなった途端に、出会うこともなくなって今日で二日。『次は一か月以内に成果を出す』って言ってたよ」
依頼主もやる気満々らしい。
秀貴に依頼主の抱いている感情は分からないが、符の効果が出て、尚且つ喜んでもらえているのなら……と嬉しく思った。同時に不安も過る。伯父に無理矢理作らされた符のことを思い出すと、脊髄が凍ったように冷たくなった。
急に顔色を悪くした秀貴に気付いた竜真が、少し腰を屈める。
「大丈夫? 無理そうなら……」
「ちが……そうじゃなくて……この件については、引き受ける……けど……」
けど? 竜真が首を傾けた。
人を苦しめるような符は作りたくない。そのひと言が、喉元まで出かかったが、声に出すことなく、秀貴は言葉を呑み込んだ。
仕事を選ぶな、というのが、父からの教えだ。それに反することは出来ない。
秀貴は一度目を閉じ、深く息を吸って、ゆっくり吐き出した。
「いや、何でもない。俺に出来ることなら、何でもする。一時間以内に作って持って降りるから、待っててくれ」
「そう? お札の事、僕はよく分からないからさ。無理はしないでね」
竜真はそう言って階段を降りていった。
閉められた扉を眺めていたつぐみだったが、秀貴へ向き直り、
「嫌なら『嫌だ』つった方が良いぞ?」
「今回のは全く問題ねぇんだ。まぁ、嫌でも仕事を選べる立場じゃねーしな」
これは秀貴の本音でもある。そして、人に求められるのであれば出来るだけ応えたい。それも本心だ。
その言葉に他意はない、と見てつぐみも肩をすくめた。
「わーったよ。でも、もし何か無理強いされたらあたしに言えよ。あたしは秀貴の姉貴だかんな!」
幼女のような胸を張って、どんと拳で叩く。その姿は力強くもあり、滑稽でもあった。
「ははっ。ありがとな。頼もしい姉貴が出来て、良かったよ。小っせーけど」
「ひと言余計だぞ、この野郎!」
もう、年齢について疑問に思うこともなくなっている。
そもそも、きょうだいの居なかった秀貴にとっては、どっちが上か、などどうでもいい。人とこうして顔を突き合わせて話していること自体が、奇跡のようなものだ。ひと月前の自分には想像もできなかっただろう。否、そんなことは完全に諦めていた自分に、教えてやりたい。
「空は広いし、太陽は眩しいし、年下の姉貴は出来るし、生きてたら色々あるもんだな」
ひとりで笑っている秀貴に対して、つぐみは「何だよそれ」と、むっすりしている。バカにされたと思っているのかもしれない。
「ところでつぐみ、“両思い”になれたら、どうなるんだ? 何か良いことあるのか?」
全く予想していなかった質問が飛んできて、つぐみが「はぁ!?」と声を裏返した。
「おま……ッ! 知らずに作ってたのか!?」
「え……いや、“お互いを好きになるんだ”って事は知ってんだけど……“恋人同士になる”って、どういう状態なのか分かんねぇから……。っつーか、コイビトって何なんだ?」
「あ、あたしだってよく分かんねーよ! あたしゃ、恋愛ものの少女漫画は読まねぇんだ! お前こそ、本で読んだことねーのかよ!」
「れんあい……単語は見たことあるけど、その感情の状態が分からねぇんだって」
「くっそ、兄貴にでも聞け! このタコ!」
「俺、人間だぞ」
「あああああもう! 知らね!」
つぐみが地団駄を踏むのを、秀貴は大きく首を傾けて見ていたわけだが、時計が目に入り、あることを思い出す。
「今日の夕飯、何が食いたい?」
「急に!? なっえ……ま、麻婆豆腐!!」
突然の話題転換に困惑しながらも、しっかりと自分の意見を叫ぶつぐみ。
秀貴は食べたことのない料理名を言われ、固まってしまっている。
「中華料理だよ! 辛ぇやつ! あと、唐揚げ!」
つぐみの、不機嫌だった顔が一変した。自分の好物にありつける期待からか、握りしめた拳を興奮気味にぶんぶん振っている。
「材料も作り方もよく分かんねーけど、買い物行って聞いてみるか」
「それなら、肉屋のおばちゃんに訊けば良いぜ? ひき肉買う時、訊いてみろよ」
つぐみの言葉に、秀貴の表情が固まった。てっきり一緒に行くものだとばかり思っていたが、この口振りだと彼女は行かないらしい。
「お前もここへ来て、もう一週間くらいになるだろ? ひとりで買い物くらい行って来いよ」
そう言って、つぐみは自分の部屋へ戻っていった。
秀貴は竜真にも買い物へ行く旨を伝えたのだが――彼も他にやる事があるらしく、買い物カゴと財布を渡してきただけだった。秀貴は心を決めてそれらを受け取り、メモ帳とボールペンを買い物カゴへ入れた。
何せ、初めてひとりで街の中を歩くのだ。何度も歩いている道とはいえ、油断はできない。
自然と、手首の数珠へ視線がいく。
(大丈夫、外れてねぇ)
これさえあれば、だれも死なない。
「行ってきます」
こうして秀貴は、“はじめてのおつかい”へと繰り出した。




